第四羽 能天使?
だが、現実は待ってくれない。
天使は普段はおそらく微笑を貼り付けているだろう白皙の美貌を歪めた。
「おお、おぞましい死神。彼女を離しなさい。彼女の魂は我らが神によって召され選定されるもの。お前ごときの私利私欲のために使われていいものではない!」
「やかましい。中級三隊の下ごときが、大きな口を叩くな。」
「なっ!死神ごときにそんなことを言われる筋合いはありません。さあ、彼女を離しなさい!さもなくば消えることになりますよ!」
天使はすらりとその腰に下げた剣を抜いて見せた。私はその手の刃物に詳しいわけではないが、おそらく本物。鉄製なのかなんなのかきらめく剣先は鋭く尖り、それで凪ぎ倒されたものはおそらくただでは済まされない。
「ほお、やれるものならやって見るがいい。ほえ面をかくのはそっちだがな。」
だが、アストラルも負けてはいない。その剣に恐れなど微塵も感じていないような余裕のある表情で相手を挑発している。
「死神が…!神の身元に召される聖なる魂の略奪者よ。今その罪を悔いを改めるならば、助けてやろうと思ったのに。残念です。」
慈愛深きその表情は自分を侮辱したであろうアストラルに対する失望がありありと見て取れた。なんだか、その表情に私はなぜか、不快な感じを受けて眉をひそめた。
「ふん!思い上がるな。お前ごときに救われる人間など物の数だと思え。それに助けてやろうという言葉はむしろこちらの台詞だな。今去るなら見逃してやる。とっととされ。」
アストラルがまるで犬でも追っ払うような仕草で手を動かす。完全に侮辱され天使が顔を真っ赤にした。
「な!そんなことできるわけないでしょう!ともかく!何が何でも彼女の魂は神の身元に連れて行かせてもらいます。お前の好きにはさせない!」
天使が剣を構えなおす。その姿を静かに見ながら、詰まらなさそうにアストラルが目を細めた。
「ああん?出来るのか?お前ごときが?」
「無論!行きますよ!だりゃ!」
天使が剣を構えて突進してくる。対するアストラルは私を抱えたまま微動だにしない。
私はその腕の中でともかく動けずに戦況を見守り続ける。ともかく下手に暴れたら、この戦いに巻き込まれるのが目に見えていたからだ。まあ、驚きすぎて動けなかったと言うのはあるけれど。
上段から大降りに降られた剣は光り輝き、アストラルに迫る。
だが、アストラルは慌てず、それを横に半歩分動いて交わす。鋭い切っ先が紙一重で流される。それから天使が何度か剣を振るったような気がしたが、あまりに早すぎて私には見えなかった。だが、そのどれもアストラルにかすることもなく、いなされる。
何度の攻防だったのかわからないが、アストラルは不意に今までとは違う動きをしたかと思うと。一瞬で天使の剣の刃を捕まえた。
それも指二本で。
流石に天使もこれには驚いたようでその美しい顔に驚愕の表情を浮かべた。
「なっ!ば、バカな…!?」
「…だから言っただろう?お前ごときが敵う相手じゃないと。相手の力量も読めないような者が能天使だとはいつの間にか天界の質も落ちたものだな。」
「っ!貴様!くっ!」
逆上した天使が剣をアストラルの指から抜こうとするが、剣はピクリとも動かない。その時点で双方の力量の差は絶対的に素人の私でも見て取れた。
「さあ、遊びの時間は終わりだ。とっとと、天界に帰って…いや。」
アストラルが笑う。私はその笑みを見て、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「ここで消えろ。無能なものは天も要らないだろう?」
一体いつ力を掛けたのかすらわからない。だが、確実にアストラルが触れた剣先がびしりと歪な音を立てて、ヒビがはいり、広がった。
「なっ!ひっ!」
天使の顔が青ざめた。剣は動かずぴしぴしと言う音が漏れて、やがて剣は小さな鋼の塵と化して高い音を立てて砕け散る。
天使は柄だけになった剣を握って呆然とする。その顔色は既に青さを通り越して白かった。
圧倒的な力。指先二本に全身の力をすべて使っても拮抗すら出来ないほどの、圧倒的な差が目の前にある。
「あ、あ・・・。」
天使は逃げることも忘れて棒立ちになっている。
アストラルが目を細めて、剣を砕いた手を天使の顔の前に翳した。その手が次第に光を帯びる。赤い炎のような陽炎が手にまとわりつきゆらりと揺れた。
それがなんなのかはわからないが、だが不吉なものであることだけはわかった。
アストラルは楽しそうに口は歪めた。
「消えろ。」
「っ!」
手から赤い光が放たれる瞬間、私はとっさにアストラルの腕から逃れ、天使に翳されていた腕にその全体重を掛けた。
「なっ!?」
「!?」
私の体重で何とかずれた腕から放たれた光は天使をかすり、地上に落ちていく。その光が地表に着床するとすごい轟音とともに爆発が起きた。
「うわっ!」
腕にしがみ付いていると言う不安定な体制だったため、その爆風を受けて思わずアストラルの腕から離れて飛ばされる。くるくると飛ばされ落ちていく。
「っち!ばか!」
アストラルの舌打ちが聞こえたかと思うと、割とすごい勢いで飛ばされたのに気付くとアストラルの腕の中に取り込まれていた。
(…あ、危なかった。)
流石に飛ばされたときにひやりとしたのか、心臓がバクバク言っている。いくら死んでも言いと思っても、いざそうなることの怖さはどうしようもない。
アストラルの安定した腕の中から爆発した方向を見るときのこ型の煙とその中で同じように地表に落ちていく天使の姿を見つけた。少し服の端がこげているように見えるが、全体的には無事な様子にほっとする。流石に目の前で誰かが傷つけられるのを黙ってみていると言うのはばつが悪かったからだ。
気付くとアストラルが降下を始めていて、気付くと地面が近づいていた。
そのまま地面に下ろされ、アストラル自身も着地する。
中空体験はなかなか出来ないからある意味興味深くはあったが、やはり地に足が着いているのが安心できていいと改めて実感する。
ほっとした次の瞬間、突然アストラルに胸倉を掴まれる。身長差から宙吊りにされて、息が詰まる。真っ赤な目が今にも射殺しそうなほど憎悪に満ちて私を睨んでいる。私はひやりとした。
「…なぜ邪魔をした。」
低く唸るような声。自然と肩が震えた。圧倒的な力の差。体格差においても既に勝ち目はないのに、相手は人外の力を持っている。逃げることすら敵わぬほど絶対の差。私は声を出すことも出来ずに呆然とアストラルを見つめ返すことしか出来ない。
「天使は一体ではそう厄介な存在ではない。だが、軍団になるとそうは行かない。一匹の逃すだけで仲間を呼ばれると厄介なのだぞ。」
「…ごめん。」
弱弱しく謝ると、アストラルの表情から少し怒りの感情がそげて苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…もういい。だが、もう二度とするな。」
掴まれた胸倉を放りだされて漸く息がつけるようになる。苦しくて少し滲んだ目じりの涙をぬぐう。
「…悪かったよ。でも既に相手は戦意喪失しているのに殺す必要はなかったと思うし。」
けほけほと咳きをしながら言い訳すると、深い溜息を吐かれた。
「…あの攻撃を受けていたらお前の魂など身体ごと消し飛んでいたんだぞ。」
「…え?」
そんな怖い攻撃だったのか。まあ、あの光が着表した場所の跡に昇ったきのこ雲を見れば確かにそれほどの威力だと言うのは判る気がする。
「…でも。そんな攻撃を人に使おうとするなんて・・・。」
「ばかか!お前は。あれは敵だ。お前の魂を奪おうとした。死に値する行為だ。殺されたって文句はいえんだろう。それに、さっきも言っただろう。天使は下手に生かしておくと、後々仲間を呼ばれて厄介なんだ。殺しておくに越したことはない。」
「…邪魔して悪かったよ。でも見ていられなかったんだ。」
死神だから、ひどく怖い顔をして天使を殺そうとしたアストラル。
必要とあれば相手を消す。それは戦争と言う意味では残酷だが有効な手段なのだろう。だが、それを自分の命の取り合いでされるのはごめんだ。どちらが殺されてもなんだか、自分が悪いみたいな気分を味わう羽目に張りそうで。
「…慈悲深いことだな。胸が悪くなりそうだ。」
アストラルが本当に不快そうに顔を顰める。
「…別にそんなつもりはないよ。ただ自分のせいで誰かが死ぬのが嫌なだけだ。」
私は目を伏せた。
「ただの自己満足だよ。」
自嘲じみた笑みを浮かべると、アストラルが虚をつれたような顔をした。
「…お前は…。いや…。まさかな。」
何かに気付いたような顔をしたかと思うと、すぐに否定するように頭を振った死神に首を傾げる。
「…なに?…っ!」
不意に後ろ髪をつかまれ、あお向けられる。アストラルの身体が覆いかぶさり、顔が又も間近に迫る。
「…お前には関係ない。それに魂の判定など取り込んでしまえばすぐにわかる。お前を食らえば…。」
頬の線をアストラルの手がなぞる。私は目を見開いてなすがままになる。