第二羽 電波?
やけに芝居がかった台詞をはきながら赤尽くめは私を見下ろす。
聞き間違いだろうか?死神?
私はぽかんと男を見上げる。
改めて見上げる男は背がかなり高い。百八十以上はありそうだ。
髪と目は赤い。鮮やかな赤だ。明らかに地毛とは思えない。目もカラーコンタクトだろう。
だが、日本人とは程遠い顔立ちをしているのでアストラルという横文字の名前に驚くことはない。彫りの深く、ハリウッドでもそうはお目にかかれないほどの綺麗な顔立ちだ。
「ん?なんだ。私に見惚れているのか?まあ、仕方ないが。」
呆気にとられて何もいえない私の前で赤尽くめの美形は何度も頷く。
「だが、のんびりしている暇はない。天使どもがいつお前の魂を見つけて飛来するかわからないからな。そうなるといろいろ厄介だ。死んだ直後の魂はすぐに天使が連れて行ってしまうからな。奴らを出し抜くのはなかなか骨が折れるのだ。だから…すぐにここを離れて…、て、なんだその顔は。」
私は思わずかわいそうな人を見る目つきになってその人を見ていたのに気付いて赤尽くめは私を睨んだ。だって、顔はこんなにいいのに、いい大人が天使だの魂だの、電波だなんて。
(かわいそうな人。)
「…なんだろうな。なんだかかなり失礼なことを思われている気がするのだが。」
「…気のせいよ。」
私は漸く混乱から立ち直り、いや、正直混乱したままだったが、いつまでも線路の上で呆然としていると次の電車が来て轢かれてはたまらない。
落ちたときに着いた砂埃を払いながら立ち上がる。清楚で上品だと周りからの評判は高い制服だが白はこういうとき汚れやすくて嫌いだ。
それからぐるりと再びあたりを見回す。いまだ、周囲の時間は止まったかのように私と赤尽くめの男、アストラル以外動くものもない。あれほど煩かった蝉もまったく聞こえず、静寂だけがあたりを支配していた。
一体どういったことなのか。どういう状況に陥ったのか考えても説明はつきそうにない気がする。
(とりあえず)
私は早々に考えることを放棄して、夢だと結論付けた。訳がわからない妄想の世界が私の中にあったとは信じたくないが、それ以外に考え付かない。
私はアストラルに向き直った。
「あの、貴方が私を助けてくれたの?」
今まで考えた状況的に電車に轢かれて死にそうになるというなんとも奇妙な夢であるにしても、状況的に時間を止めて助けてくれたのはこの赤い自称死神男であるので、一応聞いてみる。だが男は答えず別のことを聞いてきた。
「…ほう。この状況で驚かないのか。」
「…ええ、まあ。驚いてはいるけど。」
「なかなか肝が据わっているな。流石は俺が選んだ一万人目だ。普通は泣くとか叫ぶとか錯乱すると思うのだが。」
「はあ、まあ。」
だって夢だし。でもたとえ夢でも錯乱するなどという失態を犯したなかった。
「で、どうなの?」
「…そうだな。確かに時間を止めてお前の死ぬまでの時間を遅らせたということだけを見れば助けたというのかもしれない。だが、それでは語弊に繋がるな。」
「語弊?」
私は首を捻った。
流石は私の夢だというべきなのか。どういう考えでこんな夢を見るように思考回路が繋がったのかわからないが、電車に轢かれそうになって、時間を止めて助けてくれた男にはどうも目的があるらしい。いわば下心つきという奴だ。
私の夢なのに無償だとかご都合主義的に進めばいいものを面倒くさい展開にしたものだと思う。
一応今後の展開に繋がりそうな過去の事象を思い浮かべてみる。だが、こんな夢を見るほどファンタジーな思考が自分にあったこと事態驚きなので、今後の展開がまったくわからない。
首をかしげていると、赤尽くめは悩む私を笑った。
「まあ、人のお前にはわからんないんだろうけど。」
「はあ。わからないけど。」
素直に認めると、アストラルは頷いて、どこか奇妙に凄みのある笑みを浮かべた。
「俺はお前の魂をもらいにきたんだ。一万人目。」
ストーカー思考。そうか。そう来たか。
電波の上にストーカー。あまりにも救いようのないコラボだ。
めったなことでは動じないつもりだったが、やばい。こんな輩の出る夢を見るとは私の思考回路は一体どうなってしまったというのか。自分の頭の構造に若干不安を覚える。
こういう夢の場合、どう対応していいのかわからず、固まっていると男の身体がこちらに近づいてきた。
それを見てとりあえず現実の自分なら確実にするであろう行動に出た。
つまり逃げる。だが、男と視線が合った途端、なぜか足が動かなくなった。
「やっ!な、ナにこれ?!」
どういう理屈かわからないが、恐慌に陥る。一体どうなっているのだろう。まったく自分の夢なのに融通が利かない。
「むだだ。人間。今更逃れられない。」
男の顔が歪む。丹精で綺麗な顔立ちに獰猛な肉食獣の色を見て思わず怯んだ。そうしている間に男の身体がすぐ近くまで来ると身長差から覆いかぶさるように身を屈め、私の顎を捉えた。私は目を見開いて硬直する。
私は昨日見たニュースのストーカー殺人を思い出す。交際を断られた男が白昼の堂々と女性を刃物でめったざしにしたという。生きたまま何度も顔をさされ何百箇所と切り刻まれて女性は殺されたとニュースキャスターが淡々と読み上げるのがまざまざと蘇る。
私もそんな風に殺されるのだろうか。
それを想像したところで、私は逆にその思考に顔を青くする。
これは私の夢だ。そんなことを考えてしまえばきっとこの男はこの考えの通りに、行動してしまうだろう。
今のところは赤尽くめのアストラルと名乗ったこの男は刃物は一度もちらつかせていない。だが、この糞暑い中に着ているあの黒いコートの中に刃物がないなんて誰がいえよう。
私はこれから感じるであろう痛みを想像して震えた。
「…私を殺すの?」
「殺すのではない。魂を取り込んで私とともに永劫に生きるのだ。それにお前は俺にとって一万人目の獲物だ。お前を取り込めば漸く神と対等のいや、それ以上の力をつけることが出来る。そうなれば俺は神を倒し、新世の神となる。つまりお前も神の一部となれるのだ。」
ありがたく思えよ、と電波な台詞を吐きつつ、男が更にこちらに顔を近づける。今にも顔同士がくっつきそうな距離。状況が状況でなかったら、男の顔に見惚れていたいくらいの美形だが、この男は電波でストーカーで殺人者になりかねない。危険だ。
思わず、翌朝の朝刊の見出しが思い浮かぶ。
【無残!女子高生!ストーカー殺人!!】
【刃物で滅多刺し!原形とどめず。数時間後に死亡確認。】
(いやあああああああああ!)
想像して心の中で叫び声をあげる。
いや、まあ夢の中の世界のことだからそんな新聞が出ることは実際にはないのだろうが。
でも嫌だ。夢でもそんな言葉の似合う痛さはいやだ!私は涙目になった。
「は、刃物だけは・・・。」
私が混乱して懇願すると、アストラルは怪訝そうな顔をする。
「?なんだ。刃物を使って欲しいのか?おかしな奴だな?」
「いや!そうじゃなくて!」
慌てて訂正するも、アストラルはいっそ善人のような清清しさで笑って見せた。
「ははは、そう構えるな。いくら恐れ多くとも、俺も今はまだ死神の身分でしかない。それに大丈夫だ。そんなに身体から魂を抜くときは痛みを感じない。ただ、取り込んだ後、三日ほど魂の拒否反応が出るから、その間浄化の炎に焼かれたほうがましだというほどの痛みを感じるかもしれないが、神と同化するのだ。安い代償だろう?」
「いやじゃあああ!あほお!」
痛いのは嫌だと思っているのに。
悪魔じゃ!いや、死神とか言ってたけど、人の顔を被った悪魔だ!
「別に死ぬのはいいけど痛いのはいやぁ!」
私は力の限り、絶叫した。夢の中で死んでしまっても、現実で死ぬわけじゃないからどうでもいい。まあ、そうじゃなくても死んでも差し支えはしないのだが。
だが痛いのは違う。痛いのは夢でも痛いに決まっている。
「…おかしな奴だな。死ぬのは良くて、痛いのは嫌なのか?」
「当たり前だ!鬼!悪魔!人でなし〜〜〜!」
そうわめきながらも何とか逃れる方法を探して頭をフル回転させた。
そこで思いつく。
(あ、これって夢なんだから。)
よく夢の中で痛い思いをすれば、すぐに目が覚めるのではなかっただろうか。
よくマンガや物語の主人公とかは頬を抓って現実かそうでないか判断していたように思うし。まあ、そのパターンの主人公とかって実際に痛い思いをして、それが現実だって知るのがセオリーなんだけど。
でも、まあこれは確実に夢だし。
きっとこの男がナイフでぶすりとかした瞬間に、きっと目が覚めるはず。
夢の中だって痛い思いをするのはごめんだから、できるだけ痛い思いを感じる前に起きれるといい。
そう思うと安心して私はわめくのをやめた。