第4話
「ヨリシロ……ヨリシロかあ」
螢子がキャンバスに向かって何やらぶつぶつつぶやいている。
「ねえ、あなたたち、家族に会いたいでしょ? 家まで行ってみない?」
「ええっ……?」
あたしと魅那子は一度顔を見合わせて、また真顔の螢子のほうを向いた。
「あたしたちここから動けないから。せいぜい隣の教室かトイレくらいまでしか。知ってるでしょ?」
「あたしに取り憑いてみたら? もしかしたら遠くまで行けるんじゃない?」
「そりゃあ、会いたいけど……」
……行けたとしても。
悲しんでいる姿を見たくないって思いもある。
話したいことが無いわけじゃないけど、それを螢子の口から言ってもらったとしてどうなるだろう。
あたしは本当ならもうこの世にはいない人間だ。
死んだ人間はこの世界に影響を与えてはならないような気がする。
たとえば、タイムマシンで過去に行って歴史を変えたりしてはいけないように。
死んだ人間は死んだ人間としてのわきまえがあると思うんだ。
死んでみるまでは考えもしなかったことだけど。
「あたしはケッコウ。きっと保険金が下りてニヤニヤしてるに違いないわ」
魅那子はきっぱりと断った。
「えー、そんなことないよ」
魅那子には両親と弟がいたが、あまり折り合いが良くなかった。
教育に熱心な親からの大きすぎる期待に嫌気がさして早くにドロップアウトした魅那子と、いまだ懸命に応えようとしている弟。
両親の期待は弟に集まり、魅那子と家族との間の溝は深かったようだ。
「どうせ暇だし、あたしはOKよ」
「覗いてみるだけ」そう自分に言い聞かせて、あたしは行ってみることにした。
「じゃあ、明理からね」
「もし無理だったら、ここまで戻って来れるかな?」
すでに放課後である。
校舎に入れてもらえないおそれもある。
「忘れ物したと言って急いで戻ってくればいいよ。閉まってたら窓を割ってでも入るから大丈夫」
「いや、あまり無理はしなくても……」
螢子は真面目な優等生だが、そういうことは本当にやりそうなので怖い……。
あたしは螢子の肘のあたりに腕を回し、しがみつくようにして美術室を出た。
おそらく他人の目には螢子しか映っていないはずだ。
これで取り憑いてることになるのかな?
何しろ初めてのことだからよくわからない。
校舎を出て校門をくぐる。
あたしの家は歩いて通える距離にあった。
いや、家が近いからって理由でこの高校を受けたわけじゃないけど……まあ、それも少しはあるけど。
家に着いたとして、螢子は家族にどんなことを話すつもりかな?
「いま、お嬢さんの幽霊が隣にいます」じゃ、誰も信じないだろう。
たとえば家族しか知らないことを螢子に言ってもらえば信じてくれるかな?
螢子とは昔から仲が良かったから知ってても不思議はないと思われるかな?
「大丈夫? どんな感じ?」
螢子が心配して小さく声をかけてきた。
独り言のように聞こえるので大きな声は出せないのだ。
「何だか怖い」
あたしは率直に答えた。
「怖い?」
「うん……このまま消えてしまいそうな感じ」
「え、ちょっと大丈夫?」
「……大丈夫。あなたのそばにいれば」
「ならいいけど……ほらあそこ」
螢子が指さした。
懐かしの我が家だ。
「やだ……なんかドキドキしてきた」
「心臓止まってるでしょ」
「気分的なものよ」
玄関の前に誰か立っていた。
三十代後半くらいの作業服を着た男だ。
あたしの家に向かって深々と頭を下げたまま動かない。
「誰なの……?」
「トラックの運転手よ」
「あのときの?」
とは言っても、当人を覚えているわけではない。
あたしたちにぶつかって来たトラック。
あたしと魅那子の命を奪ったトラック。
当時、運転席には誰も乗っておらず、車が勝手に走り出したのだと言う。
「サイドブレーキの掛け忘れ」などと言われているが、はっきりした原因はわからずじまいだった。
「何してるの?」
「明理のお母さんが会ってくれないから、毎日のように来てああやって頭を下げて帰ってるみたい」
「ママ……」
あたしは胸が詰まった。
ママはいまも子供が死んで悲しんでいるんだ。
脳みそ潰れたから忘れてた、ではすまされない。
……ごめんなさい。
……親不孝してごめんなさい。
……でも。
「もう、許してあげて。あたし、その人を恨んでなんかいないから……」
家に行くべきか迷っていたら、玄関のドアが開いた。
……ママ!
足音が近づいてくると男は更に深く頭を下げた。
ママがその前で立ち止まった。
「もう……来ないで下さい」
やっと聞き取れるくらいのママの声は何だかとても疲れているようだった。
「今、娘の声が聞こえました。あなたを恨んではいないと。私は到底許せませんが、娘が許せと言うからあなたを許します。だから、もう来ないで下さい」
最後のほうは涙声になっていて、言い終わると足早に家の中に入ってしまった。
螢子にもあたしにも気づかなかったようだ。
ん?
あたしにも……?
男はまだ頭を下げていた。
彼も泣いているようだった。
結局、あたしは家族には会わずに学校へ戻ることにした。
何だか「どの面下げて」って感じだったから。
今のあたしの存在を伝えても、きっと悲しみを長引かせるだけなんだろう。
……バイバイ、ママ……今まで育ててくれてありがと。
……ちゃんと生きているうちにお礼言いたかったな。
「お、無事に戻ってきたね。どうだった」
魅那子は机に座って足をぶらぶらさせながら待っていた。
「魅那子、どうする?」
あたしの家で起きたことを簡単に話したあと、螢子が尋ねた。
「あたしはいいってば、明理んちみたいに近くないし。第一、ホントに保険金でパーティしてても、これじゃ石ひとつ投げられやしない」
魅那子は自分の手のひらを天井の照明に透かしてみた。
何も掴むことの出来ない手だ。
「もう、そんなことないってば!」
あたしと螢子は否定したが、結局行かないことになった。
まあ、実際、距離があるとどうなるかわからないし……本当にパーティしてるってことは無いと思うけど……。
「明里、ちゃんと家覚えてた?」
「覚えてたわよ」
魅那子が冗談めかして螢子に尋ねたのであたしが代わりに答えた。
「自分の家もママの顔も」
「最近明理、よく右から左に抜けていくからさ」
「気持ちとか大切なことっていうのは、頭の中じゃなく心に留まるんだよ。右から左へ抜けていくあいだに心を通っているから」
「ふう……ん」
魅那子の代わりに螢子が中途半端な相づちを打った。
「ねえ、いまあたしイイこと言った?」
「いや、言ってない」
「ウソ、感心してたでしょ」
「し、て、な、い」
頑なに否定する螢子を見て魅那子が笑った。
それにつられるように螢子もあたしも笑う。
『もう半年もいないんだよ』
笑いながら、ふと螢子の言葉がよみがえる。
そうなんだ。
いつまでもこのままでいられるわけがない。
いつか、本当のお別れのときが来るだろう。
それも、きっとそう遠くないうちに。
あたしたちは、そんな寂しい予感に包まれながら、このゆるやかな午後の時間を過ごしていた。
美術室にて
第4話
- 終 -
あとがき
読んでいただいてありがとうございます。
怖くないホラー第四弾、一応これが最終話です。
もう少しちゃんとしたホラーっぽい感じのロングヴァージョンを三人称で書きかけてはいるのですが、他のお話より優先順位が低めなのでいつ完成するかわかりません。
女子高校生幽霊譚の結末はいつかロングヴァージョンで。




