第1話
「明理、あたしそろそろ帰るから」
螢子が窓の外を見ながら言った。
秋の文化祭を目前に控えたこの季節、部活にはまり込んでいると、いつの間にか外はすっかり暗くなっている。
「そうだね。ちょっとトイレ行って来る」
画材を片付ける螢子を美術室に残して、あたしは廊下に出た。
あれ、トイレ……。
しかし、数歩進んで立ち止まる。
……トイレ、こっちでよかったっけ?
あたし……。
トイレに行きたかったんだっけ?
どうしたんだろう。
頭の中に靄がかかったみたいで、何をしたかったのか、何をすべきなのかがわからない。
最近、よくこうなるのだ。
ただ、美術室から離れないほうがいい気がする。
理由はわからないが本能的な予感のようなものだ。
あたしは踵を返し、美術室の引き戸に手を掛けた。
ドアを開けようとすると、中から螢子の声が聞こえてきた。
誰かと親しげに話しているようだ。
あたしたちの他に残っている部員が居ただろうか?
不審に思ってドアの隙間からこっそりと覗いてみた。
螢子はこちらに背を向けて座り、スケッチブックを立てていた。
向かい側に誰か座っているようだ。
女子の制服が見えるが、残念ながらここからでは顔は見えない。
よく見ればその制服のスカートはぼろぼろで、膝の上に載せられた手は血まみれだった。
スケッチブックには彼女の肖像が描き出されようとしている。
それが、誰であるかはすぐに分かった。
先日、交通事故で死んだ魅那子だ。
スケッチブックの魅那子……。
トラックに潰された彼女の顔は、原形をとどめていなかった。
「螢子、何やってんの! 魅那子はもう死んでるのよ!!」
あたしは中へ駆け込み、螢子と魅那子の間に入った。
「え?」
背後から全く緊張感の無い螢子の声がする。
「何言ってるの明理、あなたも死んでるでしょ?」
「へ……?」
その言葉に思わず間の抜けた声を出して、螢子のほうを向く。
「明理……またぁ?」
後頭部に魅那子のあきれたような声が投げつけられた。
「あ……そっか」
思い出した。
あたしも魅那子と買い物中に一緒にトラックに轢かれたんだった……。
螢子だけが助かったんだっけ。
「ごめん、うっかりしてた」
「明理は脳ミソ潰されてから、ホントに忘れっぽくなったよね……ところでどんな感じ? あたしの肖像画は?」
「うーん、描きかけのはあまり見せたくないんだけどなあ……」
渋る螢子の横に並んで、魅那子はスケッチブックを覗いた。
そして、叫んだ。
「何これ、ひっどーい!」
まあ、無理もない、グチャグチャだ。
「いや、見たまま描いたんだけど……」
生前の顔を思い出して描いてやれば良いものを、螢子は気が利かないというか、バカ正直なところがある。
「見たまんまって、あたしこんななの!?」
今ごろ気づいたのか……。
魅那子はバッグから鏡を取り出し覗き込んだ。
「映んないし!」
「吸血鬼かよ」
螢子のツッコミにあたしは爆笑した。
今のところ、あたしたちは螢子にしか見えないらしい。
しかも、美術室から離れることは出来ないようだ。
それが何故なのかはわからない。
美術室が三人にとって一番思い出深い場所だからなのかもしれない。
螢子はあたしたちが寂しくないようになるべくかまってくれる。
逆に彼女の時間を奪っていないか心配だ。
もしかすると、あたしと魅那子はひとりだけ生き残った螢子が恨めしくて化けて出てきたのかもしれない(何しろ、脳ミソが潰れているので経緯のほうは忘れてしまったが)。
しかし、今では以前と変わらない仲が良かったころの三人組だ。
忘れっぽくはなってしまったが、これだけは言える。
友情は死んでも変わらないのだ。
美術室にて
第1話
- 終 -




