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前編

訪れてくださって、ありがとうございます^^


スイッチシリーズの二作目になります。

単体でも読めますが、前作を合わせて読んでいただいた方が、より分かりやすいかと思います。


少しでも楽しんでいただけますように^^

 私は我ながらとても意地悪な笑顔で、リリアの教科書を破り捨てた。

「どうせ平民の貴女には、ろくに理解も出来ないのでしょう? だったら、なくてもいいわよね?」

 リリアは濡れ鼠だ。私が先ほど花瓶の水を、頭からぶちまけたからである。散乱する切り花とボロボロの教科書。花瓶の水がリリアの足元にポタポタと滴り落ち、小さな水溜まりを作っている。

「これに懲りたら、身の程知らずにも、お兄様に付きまとうのは止めることね」

 私はそう言い捨てると、立ち尽くすリリアに背を向けた。ショックを受けている様子の彼女を放置して、そのまま廊下に出る。教室の扉をピシャン! と閉めると同時に、否応なく聞きなれてしまった、いつもの音がした。


 カチッ


 私は即座に振り返り、今出てきたばかりの教室に飛び込んだ。

「リリア! 大丈夫?!」

「エレノア様。もちろん大丈夫ですよー」

 ヒラヒラと手を振るリリアは笑顔だ。リリアにピッタリのふんわり柔らかいピンクブロンドとエメラルドグリーンの瞳。その頬に、涙の気配はない。

「リリア、ごめんなさい。今日のはやりすぎだわ。我ながら、花瓶の水をかけるなんて。今タオルを出すわね。早く拭かなくちゃ」

「大丈夫ですって。平民は逞しいんですよ」

 小柄な体にかなりの力をこめて、ガッツポーズをするリリア。とっても可愛いけど……、いくら頑張っても力こぶは出ないと思うわ。

 ぱっちりした大きな瞳に信頼を乗せて、リリアは私をニコっと見上げる。本当に、何て可愛いんだろう、ときゅんきゅんしながらタオルを被せた。髪から滴る水滴を優しく拭う。

「エレノア様。私、自分でできますよ。それに実は、言わなきゃいけないことがあるんです」

「後よ、後。風邪でもひいたらどうするの。私、リリアの制服の予備もちゃんと用意しているの。早く着替えに行きましょう?」

「いえ、ちょっとそんなわけには」

「いいから。シャワーも浴びた方がいいわね。花瓶の水だし」

「シャワー!? いやあのエレノア様、本当に、かなり大事な話が」

「大丈夫よ。何の話かは分からないけれど、きちんと着替えて、髪を乾かして、それから聞くわ。さぁ、行きましょう?」

 教室の片付けもしないといけないが、とりあえずリリアが先だ。本当に、万が一風邪でも引かれてしまったら、私が泣いてしま……。

「エレノア様!」

 リリアの焦った声が、私の思考をぶった切った。

 さすがに手を止めて、リリアを見る。リリアは後ろめたそうに、サッと視線を反らした。

 ……ん?

 真っ直ぐすぎるほど素直な彼女が、この反応。確かにおかしい。

「リリア? どうしたの?」

「エレノア様……ごめんなさい。衝撃的かと思いますが、気を確かにもって下さいね」

「……何かしら?」

 非常に不吉な前置きだ。首を傾げた私に、リリアは教卓を指し示した。

「教卓?」

「の、裏側が問題なんです……」

 同時にカタンッと人の気配がして、私は青ざめた。

 まさか。誰かいた? 今のを見られていたの? 一体どこから?


 〈質問〉

 今貴女は何をしていましたか?

 〈回答〉

 リリアにドギツイ嫌がらせをした直後、今度は全力でリリアの世話を焼いていました。

 〈結論〉

 きっと意味不明。


 ギシッと固まってしまった私の視線の向かう先に、1つの人影が現れる。

 陽光のようなブロンドに琥珀色の瞳。お兄様に負けずとも劣らない端正な顔立ち。しなやかに鍛えられた体躯。適度に着崩した制服。長目の前髪をかきあげて。

「どういうことか説明してもらおうか、婚約者候補殿?」

 いやあああああぁぁ?! ニルド殿下?!

 このままふーっと気が遠くなってしまいたかったが、そうはできない頑丈な我が身が、今日ほど恨めしいことはなかった。



 私が、自分が前世でやっていた乙女ゲームに転生したのだと気づいたのは、物心ついた頃だった。もっと前から記憶の存在には気づいていたのだが、前世の記憶は曖昧で、全体的にぼんやりしている。特に前世の個人的な思い出は、多くがかすんでいて見えなかったので、そこまで気にしていなかったのだ。

 前世の私は、お菓子作りと本を読むこと、そしてゲームをすることが大好きだったらしい。私の記憶の中は、様々なレシピや物語の破片で溢れていた。その中でも比較的ハッキリと思い出せるストーリーの一つに、今の自分が当てはまるのだと気がついたのは、最初に自分の体が自分の意思で動かせなくなった時だ。


「お兄様は私のものよ! 近づかないで!」

 カチッという音が聞こえた途端、自分の体がそう勝手に叫ぶことに、私は愕然とした。私たちは仲がよい兄妹で、私はお兄様のことが大好きだったが、生憎そこまで強い執着心を持っていたつもりはなかったから当然だ。 

 それは、王家主催のお茶会での出来事だった。高位貴族の子息と令嬢ばかりが集められていて、まぁ有体に言えば、簡易なお見合いだったのだろう。すぐに婚約相手を決めるようなヘビーなものではないが、大人たちは自分の子供がどのような振る舞いをするかを注視しながら、自分の子供の将来の婚姻相手として、他家の子供たちを観察していたのだ。

 そこで、そのようなとんでもないマナー外れをやらかした私は、当然ながら周囲の白い視線を一身に浴びた。カチッという音と同時に、体の自由を取り戻した時、私はその場から走って逃げ出すことしかできなかった。

 混乱して物陰で泣きじゃくる。あんなこと、するつもりは無かったのに。どうして私は、あんなことをしてしまったのだろう。家に帰ったら、きっと怒られるわ。お行儀よくしなさいって言われていたのに。

「泣くぐらいなら、何であんなことをしたんだよ?」

 頭上から、それなりに聞きなれた声が降って来た。この声は、第三王子のニルド殿下。一つ年上の、私の従兄。誰も口に出しては言わないけれど、私の婚約者候補の筆頭でもある人。

「分かりません……」

「分からないって。お前ら仲いいけど、いつもは、あんなこと言わねえじゃねえか」

 私の従兄は口が悪い。王子様っぽい言動もやればできるのだが、体を動かすことが得意で、いつも騎士たちに混じって訓練をしているうちに、普段はざっくばらんな言動をするようになった。

「ほら、泣くなよ。泣き止んで、戻って、謝るぞ」

 ハンカチをうずくまる私の膝にポンっと置いて、ニルド殿下は私の手を取った。

 ニルド殿下は、いつもそうだった。私がスイッチに操られるのに居合わせると、必ず私を探しに来て、呆れながら連れ戻してくれる人。この先もずっと、スイッチの後、私を心配して追いかけてきてくれるのは、お兄様と、ニルド殿下だけだったのだ。


 私は、乙女ゲームの悪役令嬢だ。私がライバル役として登場するルートは2つ。一つは攻略対象ノエル=ランカードのルート。お兄様に変質的に執着する妹として。もう一つは攻略対象ニルド=メルトレファスのルート。ニルド殿下とヒロインの恋路を邪魔する、ニルド殿下の婚約者として。


 早い段階でお兄様には事情を説明し、協力してもらったが、特にお兄様ルートのイベント回避は困難を極めた。もともと妹なのだから、大前提の条件を満たしてしまっているのはどうしようもない。

 私たちは「スイッチが入る」と呼んでいるが、各イベントの発生条件を満たすと、私たちの意思は丸無視で、強制的にイベントは進行する。兄に執着する妹としてのイベントは、どんなに気をつけていても、避けきれず起こった。お兄様は、私を守るために身の回りから、できる限り女性を遠ざけてくれていたが、公爵家嫡子である以上、女性と全くの接点を持たないなどできるはずもない。


 でもまぁ、それについては、もういいのだ。リリアがいるから。リリアが分かってくれているのだから。


 リリアはこのゲームのヒロインだ。ピンクブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳。華奢で小柄な体格に、大きくてぱっちりとした瞳が愛らしい美少女。

 内緒だけれど、自分と恋をする可能性がある彼女のことを、お兄様はずっと気にかけていた。幸いなことに、彼女はとても素直で優しい女性で、お兄様も私も、彼女のことが大好きになった。今では不必要に彼女がイベントを乱発しないですむよう、共同戦線を張っている仲である。

 これは大事なことだ。お兄様の初恋の相手が、他の攻略対象とのルートに入ってしまっては大変だからだ。身分の差に遠慮している節があるリリアには悪いけれど、私はこの点に関しては、全面的にお兄様の味方なのである。


 逃がさないわよ、リリア。諦めて。


 リリアとお兄様との好感度が上がることで、当然私もイベントが進行するリスクを負うわけだが、それについては覚悟はできている。スイッチさえ切れれば、3人の間ではイベントの悪影響は無く、仲良く過ごせるのだから、それ以上望むものは何もない。後は私が、自身の嫌がらせからリリアを守りつつ、リリアに嫌がらせをすることで起こる、自身の悪評に耐えればいいだけだ。


 次の問題としてはニルド殿下だが、これに関しては、状況は混沌としている。本来の流れでいくと、ゲーム期間開始までには、私は既にニルド殿下の婚約者の座に納まっているはずだったのだ。しかし私は、自身の社交界での評判の悪さを盾に、それをずっと拒否してきた。特にここ数年は、ニルド殿下と顔を合わせるのも、できるだけ避ける念の入れようだ。

 しかし、本来あるべき姿へ落ち着くための、強制力の強さは、リリアで確認済みだ。これから一体どうなるのだろう。それは、前世の記憶がある私でも分からない。

 とりあえず言えることは、この問題にニルド殿下を関わらせるつもりはない、ということだったのだが……。


「エレノア。お前がノエルに関して時々おかしくなるのは、そのスイッチ? が原因だったんだな?」

 久しぶりに顔を合わせた従兄は、かなり不機嫌そうだった。精悍な美貌が台無しだ。こめかみに血管がピクピク浮いている。ニルド殿下の明るい笑い声を、実は私は大好きなのだが、この分では聞くことは出来なさそうだ。

 ニルド殿下は、私が渋々した説明を聞きながら、目を爛々と光らせていた。ニルド殿下の琥珀色の瞳は、殿下が精神的に高揚したとき金色に光るのである。

「そして、ノエルも事情を分かっていたから、ずっと周囲の女性に、あの氷対応をかましていたと? お前を守るために」

 目は爛々と光っているのに、口調を抑えて淡々と言うニルド殿下。正直不気味だ。普段は喜怒哀楽がハッキリした、太陽のような人なのだ。

 こ、怖いです殿下。何をそんなに怒っているんですか?

「しかも、俺もその物語の登場人物の一人で、この先、このリリアと恋に落ちる可能性があると。それを邪魔しないために、お前は俺との婚約をずっと断っていたと?」

「それは違うわ! 邪魔するために、人に嫌がらせをするのが嫌だったんです。それに、今はもうダメよ。リリアはお兄様のものなんだから。ニルド殿下、リリアは諦めて下さいね」

「エレノア様!何言ってるんですかっ」

「そんなことを言ってるんじゃない! 心配しなくても、ノエルの恋敵になる予定は、今後一切ねぇよ!」

 爆発した両隣からガッと詰め寄られて、私はひぃっと後ずさった。リリアが赤くなったのはともかく、ニルド殿下、落ち着いてください。本当にどうしたんですか。


 ニルド殿下は、自分でも興奮しすぎだと思ったらしい。あーもう、と髪の毛をグシャグシャにかき混ぜた後、トーンを落として言った。

「そうじゃなくて……、何で今まで言わなかったんだ?」

「正気を疑われるだけですから」

肩をすくめて、サラリと返す。ニルド殿下の視線が、また険を帯びた。

「見くびるなよ。言っとくが、あのスイッチを気のせいだで流せる程、俺は鈍くねぇぞ」

「スイッチ、経験したんですか?」

「ああ。生徒会室で仕事を片付けてたら、リリアがクラスの書類を届けに来たんだ。入室してきた時に、確かにカチッて音が聞こえた。そうしたら自分が勝手に動くし喋るし、ゾッとしたぜ」

 殿下は王族だ。自分の言動が周囲に多大な影響を及ぼすことを熟知している。それなのに、自分をコントロールできない状況には、さぞ危機感を覚えたことだろう。

 二人が経験したスイッチは、恐らくリリアとニルド殿下の出会いイベントだ。ニルド殿下は生徒会長なので、迂闊に生徒会には近づかないように、事前にリリアには話をしていたはずだ。確かにリリアも頷いていたはずなのに、なぜ回避出来なかったのだろうか。

「エレノア様、私、今度のサマーパーティーの実行委員をやることになって、仕方なかったんです」

 え? サマーパーティーの実行委員? リリアが?

 私は眉を寄せた。


 サマーパーティーとは、初夏に生徒会主催で開催される、学園の人気イベントの1つだ。新入生が学園に慣れた頃に、原則全員参加で行われる、舞踏会のミニチュア版である。

 軽食も振る舞われるし、踊るかどうかは任意だが、ドレスコードもある。エスコートの縛りがない分、意中の、もしくは近づきたい相手と踊るチャンスとして、楽しみにしている生徒も多い。

 その学園の重要イベントの実行委員を、リリアが?

 言葉は悪いけれど、リリアは平民だ。それも、学園にただ一人の。加えて何の後ろ楯もない彼女に、貴族ばかりのクラスで実行委員など出来るはずがない。

 しかし、そのリリアが、実行委員を引き受けさせられているということは。その目的は、間違いなくリリアへの嫌がらせだろう。

「立場が弱いリリアに、実行委員を無理矢理押し付けるなんて。まったく、貴女のクラス、ろくな奴がいないわね!」

「エレノア様、エレノア様。言葉づかいが崩れてますよ」

 憤慨した私に、リリアは宥めるように笑った。

「仕方ありません。少しでも役に立てることがあるなら、やってみます。学園のこと、勉強できるチャンスだと思って」

「リリア……! 本当に、何て可愛いの! サマーパーティー、絶対一緒に参加しましょうね? ドレスのことは心配しなくても大丈夫よ。プレゼントするわ、お兄様が!」

「おいおい、ノエルなのかよ……」

 感激した私は、リリアにぎゅうっと抱きついた。ニルド殿下からの突っ込みは無視だ。ニルド殿下、うるさいですわよ。もちろん私がプレゼントしてもいいですけれど、お兄様からの方がロマンチックじゃないですか!

 そして、リリアがまだ濡れていることに気付く。しまった、花瓶の水をかけてしまったままなのだ。

「ニルド殿下、とりあえず今はここまでで。リリアが本当に風邪を引いてしまいますから」

 私がそう言うと、ニルド殿下は不本意だったらしく、また吠えた。

「エレノア! 俺の話はまだ全然終わってねぇぞ! 大体さっきから、リリアリリアって、少しはこっちも尊重しろ!」

 私は従兄妹同士の気安さで言い返した。身分を弁えた対応をすると距離を感じるらしくて、不機嫌になる殿下なのである。それに甘えて、実は私はニルド殿下には、プライベートでは言いたい放題だったりする。

「尊重してるじゃないですか! 本当なら今頃とっくに、リリアにシャワーを浴びさせて、着替えも終えてるところなのよ。教室だって片付けないといけないし、私たち忙しいんです」

「その態度のどこが尊重してるんだよ! お前、ちょっとは俺の気持ちも考えろ!」

 しかし、その時、ニルド殿下の台詞に被さるように、リリアが小さくクシャミをした。

「ほら、リリアが寒がっているじゃないですか! レディーを濡れ鼠にしたままで、それでも自分を優先しろなんて、本気で言っているんじゃないでしょうね?」

 私が半分以上本気で睨み付けると、ニルド殿下は舌打ちした。言いたいことは山ほどありそうだが、渋々諦めたようである。

「くそっ。仕方ねぇな」

「まだ気になることがあるなら、お兄様に尋ねてくださいね」

 さりげなくお兄様に後を押し付ける。ごめんなさいお兄様。後は宜しくお願いします。

 私はリリアの手を引くと、スタコラさっさと教室を後にしたのだった。



 そしてニルド殿下は、本気でお兄様に突撃したらしい。

 リリアと私が放課後に図書室で勉強しているところへ、お兄様が来て教えてくれた。お兄様は明らかに眠そうだ。かなり長時間、ニルド殿下に付き合わされたのだろう。

 私とリリアが隣同士に座っていたので、お兄様は私の向かい側に腰かける。私は潔く謝った。

「お兄様、ごめんなさい、対応を押し付けて。ニルド殿下、凄く怒っていたし、大変だったでしょう?」

「いや。怒っていたというよりは、あれは拗ねていたな。もっと早く打ち明けておくべきだったと後悔したよ。殿下の気持ちは、薄々知っていたわけだしね」

 拗ねていた? あの時の爆発は、そんな可愛らしい感じではありませんでしたけど。

 腑に落ちない顔をしている私に、お兄様はしょうがないなぁ、という顔をした。

「とにかく、ニルド殿下も、これからは色々と協力してくれるそうだよ」

「協力と言われても。ニルド殿下については、関わらないでいてくれるのが一番助かるわ」

 プイッと横を向いて言うと、リリアとお兄様が苦笑する。

「そう言うなよ。スイッチ上では、エレノアの婚約者なんだから。まあ、スイッチとか関係なく、元々最有力候補だけどね」

「それが問題なんです! 正直、ニルド殿下に関しては、何が起こるか分からないところがあるんですもの。スイッチとは関係無しに、うっかり婚約する羽目にでもなったら、これまでの苦労が水の泡だわ」

 お兄様ルートのスイッチだけでも手いっぱいなのだ。これでニルド殿下ルートのスイッチまで面倒見るのは遠慮したい。


「エレノア様と、ニルド殿下が婚約するスイッチって、やっぱりあるんですか?」

 リリアがキラキラ目を輝かせて質問する。ちょっとリリア、何でそんなにワクワクしているの?

 お兄様が、あからさまに甘い笑顔で答えた。きっと、リリア可愛いなぁとか思ってるんだわ。お兄様、鼻の下、伸びてますわよ。

「もう回避済だけどね。確か、夜会で申し込まれるんだったか」

「夜会? どんなスイッチなんですか?」

「ニルド殿下は容姿端麗、成績優秀、武術も抜群の第三王子でしょう? 現実でもそうだけど、ひとたび夜会に出れば、毎回沢山の令嬢に囲まれる立場なの。スイッチでは、その対応に疲れて、ひとまず手近な従妹の私を婚約者にして、防波堤にするって感じね」

前世の記憶によると、ニルド殿下は私に膝まづいて、こう囁く。

『私は、自分の気持ちを定めました。いえ、ずっと前から考えてはいたのです。貴女の気持ちを考えて、今まで言わずにいましたが、もう我慢ができません。私と結婚していただけませんか? エレノア=ランカード嬢。聡明な貴女はきっと、言わなくても、私の気持ちなどご存知なことでしょう。どうか哀れな私を助けると思って、頷いていただけませんか』

 リリアは微妙な表情になった。

「それ、現実のニルド殿下と、かなり人格が違いますよね……? 口調もですけど、何より好きでもないのに婚約して、防波堤にしようとか、しそうにないと思うんですけど」

「まぁ、スイッチだからね」

「私、ニルド殿下と最近、色々お話しする機会があったから。その時、殿下って、すごい素敵な方だなって思ったんです。エレノア様のことも、本当に大切に考えてくださってるんだなって」

 リリアはいつの間にか、随分とニルド殿下贔屓になっているようだ。頬を薔薇色に染めている。

 ちょっとリリア。その表情すっごく可愛いけど、一体二人で何を話したの? ニルド殿下のことを好きになりました、なんて、お願いだから言わないでね?

「ニルド殿下と、どんなことを話したんだい?」

 思考が同調シンクロしたらしく、お兄様が同じことを尋ねた。ポーカーフェイスだが、若干ビクビクしているようだ。長年妹をしている私には分かる。

 リリアは唇に人差し指を当てて笑った。可愛い!

「内緒です」

 くぅぅ、ニルド殿下め。口止め済か……!

 でもまぁ、今ので分かった。何の話をしたとしても、きっとニルド殿下が、上手くリリアを丸め込んだのに違いない。

「あ、でも、ノエル様にだけなら、後で教えてあげますね」

 ええええ!? 私だけ仲間外れ?

 しかしお兄様は目に見えて納得した顔になった。ほっとしたのだろう。良かったですね、お兄様。リリアがニルド殿下を、好きになった訳じゃなさそうで。

「でも、ニルド殿下とエレノア様との婚約スイッチ、どうやって避けたんですか? ニルド殿下が、最近エレノア様になかなか会えないってボヤいていたのと、もしかして関係あります?」

「ふふふ。そうよ。私、自慢じゃないけど、ここ数年、特に夜会では、1度もニルド殿下にお会いしてないもの! 出席されるって聞いた時点で、片っ端から欠席したわ!」

「ええー……。殿下可哀想……」

「大丈夫よ、夜会に出る度に、本当に、物凄く令嬢たちに囲まれてるんだから。私が居ないことに気づいてたのねって、実は今驚いているわ」

「そ、そうですか……」

「ニルド殿下って、何故か、なかなか婚約者が決まらないのよね。早く決まってくれたら、私も完全に安心できるんだけど。一体何をグズグズしてるのかしら」

「そ、そうですね……」

 曖昧な顔で相槌を打つリリアに、お兄様が目配せした。それは何のアイコンタクトですか? 私、お邪魔虫かしら。

 あ、そうだわ。お邪魔虫と言えば!


「ねえねえ、ニルド殿下なんかのことより、もっと大事な相談をしましょう!」

「もっと大事な相談?」

 急激な話題転換に、二人がキョトンとする。

「サマーパーティーです! お兄様、リリアが、サマーパーティーの実行委員になったの」

「リリアがサマーパーティーの実行委員?」

 お兄様はあからさまに渋い顔になった。恐らく私と同じ思考で、嫌がらせに思い至ったに違いない。

「引き受けさせられた経緯には、色々物申したいことがありますけど、ひとまずそれは置いておいて。元々原則全員参加ですけど、実行委員なら、尚更欠席なんて出来ないでしょう? ドレスコードと、ダンスが問題だと思うの」

 お兄様! 私がここまで説明したんですから、後はちゃんと察してくださいね! 気が利かない男はモテませんわよ!

 私の念が通じたのか、お兄様は成る程、という顔になった。私の華麗なアシストパスを、無事に受け取ってくれたようだ。

「リリアはドレスなんて持っていないよな。良かったら、俺に贈らせてくれないか?」

 お兄様偉い!!

 私は心の中で拍手喝采した。そして、ちょっと読みたい本があるので、探してきます、と席を立つ。お兄様も、私が見ている前で、リリアを口説くのは嫌でしょうし。

 十分に遠ざかって、本棚の陰から二人を振り返ると、二人ともちょっと赤い顔をして、でも楽しそうに会話をしていた。二人とも普段から美人だけど、今はもっと輝いて見えた。お兄様は3割増しでかっこよく、リリアは5割増しで可愛く。お兄様の方に、点が辛いのはご愛嬌だ。

 ふふ、と幸せな気分で、私は笑う。素敵な思い出を作ってね、私の大好きで大切な人たち。

 リリアのドレス、どんな風になるだろう。お兄様だから大丈夫だとは思うけど、似合わないデザインにでもしたら許さないから。


 席に戻るのは時間をおいた方がいい。私はそのまま、本棚の間を散策した。

 遠くから、雨だれの音が聞こえる。今日はシトシトと、朝から梅雨らしい雨模様だ。この梅雨が明ければ、サマーパーティーなのである。

 カーテンの影に入り込んで、窓の外に視線をやると、校舎の脇に植えてある紫陽花が、綺麗な花を咲かせていた。薄い青色と、薄いピンクのグラデーション。雨粒をたっぷり乗せて震えている。

 誰にも言ったことはないが、しっかりとした茎と葉を持つこの花が、私は昔から好きだった。どんなに雨に打たれても、一層生き生きと咲いている紫陽花を見ていると、例えスイッチに疲れてしまった時も、私も顔を上げようと思えるから。


 その時、背後から衣擦れの音がして、私は何となく息を潜めた。フワッと漂う香りが、貴族の令嬢が近くにいることを伝えてくる。令嬢は、私がここに居ることに気がついていないだろう。突然出現して驚かせては申し訳ない。

「驚きましたわ。リリア嬢は、ノエル様とも知り合いですのね。ノエル様が、あんな風に女性に微笑みかけておられるのを、初めて見ましたわ」

 私は、隠れていて正解だった、と思った。声の主は、知り合いの令嬢だったからだ。小さな頃はそれなりに仲が良かったが、私は1度スイッチで、お兄様が渡した彼女へのプレゼントを、ぐしゃぐしゃに踏み潰したことがあった。それ以来、ギクシャクしてしまって、自然と疎遠になってしまった令嬢なのである。

「リリア嬢は、エレノア様と仲が良いから。その縁でノエル様とも知り合われたのでしょうね。リリア嬢って、やっぱり平民でいらっしゃるから、時々マナーとかをご存じない言動をされるでしょう? それなのにエレノア様、よくお付き合いされているなあと、実は尊敬しておりますの」

 相方の令嬢の相槌に、私は歯噛みした。リリアは頑張っているわ!

 リリアが貴族のマナーに疎いのは、仕方ないことだ。でも今日だって、自分に足りないところを学ぼうとして、図書館に来ているのだ。その努力と姿勢を、どうして貴族の多くは見ようとしないのか。

「そうねぇ。でもエレノア様は、本当はどう思っておいでなのか分からないわよ? 私、この間、見てしまったの。エレノア様が、リリア嬢の靴を焼却炉に捨てたところを」

 私は今度こそ息を飲んだ。喉から胃の方へ向けて、冷たく固い氷塊が滑り落ちたような気持ちがした。

「まぁ、靴を焼却炉へ? それでは、エレノア様がリリア嬢に、密かに嫌がらせをしているという噂は、本当ですのね」

「エレノア様は、ノエル様が大好きでいらっしゃるから。ノエル様に近づくリリア嬢のことも、本当はお嫌いなのだと思うわ」

「まぁ……。いつもあんなに、仲良さそうにじゃれていらっしゃるのに。あれって演技なんですのね。驚きましたわ……」

「私、思うんですの。嫌いなら嫌いだって、最初から態度に出した方が、よっぽど罪が軽いですわ、って。表向きは仲良さそうにしておいて、裏では嫌がらせをしているなんて、何て陰湿なんでしょう。そう思いませんこと?」

「そうですわね。リリア嬢も、お気の毒ですこと……」

 令嬢方の声が遠ざかっていく。二人の気配が完全に消えてしまった後も、私は随分長い間、その場に凍りついたまま、1歩も動けなかった。


 ああ、疎遠になるはずだわ。

 私がプレゼントを踏んだことも、貴女はそんな風に受け止めていたのね。


 私がリリアの靴を、焼却炉に捨てたのは本当だ。もちろんスイッチに操られてのことだし、すぐに新しい物を返したけれど、1度は捨てたのは本当のことなのだ。

 だから、それを見た彼女たちが、あんな風に思うのも、仕方のないことだ。

 周囲には、心の中など見えない。行動が全てだ。

「……顔を上げなさい、エレノア」

 これは、まだ序の口なのだから。


 前世の記憶によると、サマーパーティーには、1つ大きなイベントが存在する。

 ヒロインであるリリアが、その時点で一番好感度の高い攻略対象とダンスを踊る、というものだ。今のままなら、その相手は十中八九お兄様になるだろう。もちろん、他の相手と踊らせるつもりは、最初からないけれど。


 そして、お兄様とリリアがダンスを踊ると。私がリリアを衆人環視の中で突き飛ばし、罵倒するイベントが起こるのだ。

 そこで私の評判は、言い訳の余地もなく、決定的に地に落ちることになるだろう。


 私は目を閉じた。

 覚悟はもう、とっくに決めている。お兄様とリリアに、サマーパーティーのスイッチのことを、教えるつもりはない。

 教えたら、あの二人は、一緒に過ごすことを諦めかねないからだ。最終学年のお兄様とリリアが、一緒に参加するサマーパーティーは今年しかないのに。私のスイッチを回避するために、二人がわざと距離を置くなんて絶対にダメだ。

 私を守るために、神経をすり減らしながら、ずっとスイッチと戦ってきてくれたお兄様なのだ。

 スイッチの怖さを共有しながらも、私とお兄様の心を救い上げ、いたわってくれたリリアなのだ。

 二人の恋は、絶対に守る。その幸せな思い出を、積み重ねることも。


 私がサマーパーティーを欠席することも考えたが、あまり気が進まなかった。リリアをひとりぼっちで、貴族のただ中に放り出すことになるからだ。それなら、私がスイッチを耐える方がいい。

 どうせスイッチさえ切れれば、私たち3人は、スイッチ中の出来事なんか関係なく、仲良く過ごせるのだ。それ以上望むことは何もない。あとは、私が自身の悪評に耐えればいいだけだ。

 後で、紫陽花を少しもらって、部屋に飾ろう。そう思いながら、私はお兄様とリリアの元へ戻るために、窓際から離れたのだった。


お読みいただき、ありがとうございました^^

良ければ、また後編でお会いできますように。

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