暗闇の中から
短いながらも完結出来た?最初の小説です。
色々とわかっていないけど書きなぐった結果がこれです。
拙い文章かもしれませんが最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
人生とはかくも闇の中を歩くがごとし。
親からレールを轢かれ、歩くも良いだろう。
だが決められた道を呆然と歩むことは些か不安が付き纏う。
失敗をせずに生きることは対処の仕方を学ぶことができないからだ。
誰かに指示され動くことでしか安心を得られなくなる。
指示をされなければ動かない自分になりそうで私は怖くなった。
そうだな。この話をするには中学校くらいから話さなければならないだろう。
小学生から中学生に変わる時は成長した証が得られたと心踊ったが、そんなものは一月が過ぎた辺りから徐々に薄れていった。
部活に勤しむことで自己満足を得て、学級の中ではたくさんの仲間の中で惰眠と悪戯を考えることで頭がいっぱいだった。
恋人が出来たなんだと周りでは噂が立ち上り、あの子がこうだ。この子はこうだからと人が人を評価し始める。
一喜一憂しながら学校では過ごし、帰れば親から将来が云々かんぬんと説教される。そんな日々。
気づけば学年は2学年になり、進路はどうするかと話が持ち出される。
田舎の街の学校のことだ。八割の人は高校に進学して、青春を過ごすことを決めている。
だがしかし、中には中学卒業と共に働くものや、やりたいことが決まったいて専門学校に進むものもいる。
後者の人は皆と違って変だ。なんて思っていた時期が恥ずかしい。
前者だった私は高校では部活をやりきってやろうぐらいにしか思ってなかった。
ましてや勉強なんぞ最低限やっていれば後はお気楽になんて考えだった。
そんな私は春日井晴信。
野球バカと当時は呼ばれていたし、それに対して誇りにも思っていた。
バカと名が付くのに誇りと思っていたのには理由があった。
幼少の頃からボールとバットが友達で、暇さえあれば壁当てをしたり、素振りをした。
プロになってお金がたくさん稼げれば良い生活ができると信じていたし、自分の力は凄いと迷信していた。
それは小学校まで。
中学校に上がってからは自分の力が如何に小さいか現実を見せられる。
先輩後輩という上下関係から第二成長期として体が更に大きくなったり、心の葛藤が始まる。
ただその中で才能だけは周りとは違った。
練習をソコソコやればソコソコの成果が得られ、ソコソコでも同学年の仲間から尊敬と嫉妬の眼差しを浴びれば天狗になる。
尚且つ、レギュラーにもなれそうなくらいなら尚更だった。
井の中蛙大海を知らず。
ことわざを習ったのもこの頃だった。
当時は天狗だったからそんなことないですよと澄まし顔をしていた。
だから野球バカと言われても才能に嫉妬した奴らが言っていたくらいにしか思ってなかった。
本当にお馬鹿な私。
意を得た言葉とはこの事だと思う。
中学二年で特待生としてこないかと私立の高校からお誘いが来れば天狗になっても仕方ない。
と言い訳をしておこう。
野球バカは一生バカのままとはならないようにと散々親が勉強しろと言ってくれていたっけ。
反抗期に言ってもしょうがないのだけど。
勿論三年の秋にはすでに話が正式に発表されて、推薦で入学するものだからサボリの私は勉強を怠った。
それでもテストの成績はガクッと下がることが少なく、やはり最低限はやらされていたから良かった。
他人任せの人生を歩いていたにも関わらず。
これが俗にいう厨二病が出来上がる一歩手前だろう。
高校生になり更に厳しくなる上下関係と厳しい練習に耐える日々が始まった。
中学校が遊びだったと認識させられる。
お登りさんと呼んでやりたい。
〇〇先輩と呼ばされていたのを〇〇さんと変えられる。
一人一人に挨拶しろ。詰襟までしっかりとめろ。
上級生の言ったことは絶対だ。
口答えは許さない。
体育会系とはこんなものだろうか。
今度は如何にやり過ごすか考えていたっけ。
まだそこまで許そう。
知らぬは仏。
体を壊すまでは。
ピッチャーだった私は肩を壊した。
それもケアをちゃんとしてたにも関わらず。
野球を取られた私の絶望は凄かった。
野球を取ったら何もなかった。
何も。
ただ勉強する要領だけはソコソコ良かったからクラス内成績は上位の方にいたし、大体にして学校は中の下の人がついてこれる程度の学習範囲でしかやらない。
そこで満足していた私だから差がつくまで気づきもしない。
故障したのは三年の春。
二年の秋大会で県で優勝を収め、ベンチ入りしていたし来年も優勝してくれるだろうという期待でオーバーワークをしたためだ。
まだ完全ではない体で育ち盛りだから故障が軽度で済んだと言われたが、それでも投げる度にセーブしてしまう癖が身に付いてしまった。
というのも元々のサボリ癖と相まって嫌なことから目を背けることはお得意なのだろう。
イップスである。
体の怪我より心の怪我のほうが重度だった。
夏の大会が終わるまでは投げ方の修正をどうにかやってきたが結局間に合うことはなかった。
怪我で無くしたものは大きかった。
期待に胸を膨らませたOBのガッカリした姿を目撃した時は心を抉られたし、頑張れと言われた時にはもう頑張ってますよと言ってやりたかった。
エースを背負った責任とやらと信頼を失った時の人の対応の仕方が否応にも心を切り刻んだ。
こんなに頑張っているにも関わらず。
肩の故障は一月も経てば治るが、心の傷は時間があまりにもかかる。
暗闇に放り出されたかのようだった。
期待という名のレールの上は終着駅も途中下車の駅もありはしなかった。
ただグルグルと動き続ける。
才能があるからと頑張れ!と励まされ。
やれば出来る!と叱咤されても重く閉ざされた心の扉は開かない。
平静を保った顏を作り、大丈夫ですよ?こうして今やってますよ?と愛想笑いをして。
暗闇はお腹の中で赤黒くなって燃えていたのだろう。
それが吐き出されたのは今現在。
泥のように働く現実が膿のように人生に降りかかっている。
私は工場で派遣として雇われ、派遣でもちょっと偉そうな奴が仕切るそんな底辺を彷徨っている。
高校卒業後はやることが見つからないからと親元に戻り、ニートをして過ごし些か醜聞が悪くなりだす前に働くためハローワークに通い、つけた仕事が工場勤務。
取り柄をもがれた人の末路は過酷な仕事環境に放り込まれるということだ。
人生とは暗闇の中を歩くがごとしだ。
闇雲に歩きまわっては疲れるだけ。
じっと耐えるにも忍耐力が必要。
人生を決めるのは自分自身と良く成功してる人が言っているがそんなものが言えるのは成功した後だから。
私は現こうしてレールを轢くべく悩んで迷って道なき道を探している。