8.暗黒街のシロアキ
二週間も経つと、ナセとフレイはすっかりランカ山賊団に馴染んでいた。新入りや余所者を快く思わないのは、どの組織でもある風潮だが、ランカ山賊団では比較的それは穏やかだったのだ。もちろん、それは彼らが子供で、ランカが子供を虐める事を絶対に許さないからでもあったのだが、そもそもランカ山賊団のメンバーは、ランカ以外も子供好きが多いのだ。ランカ程、常軌を逸してはいないが。
それにナセもフレイもいい子だった。ナセは多少は気が弱く、フレイは気張り過ぎな面があったけど、二人とも真面目だし、素直で優しかった。自分から進んで仕事を手伝わせてくれと申し出たりもした。毎日、遊んでばかりいる訳にもいかないと考えたランカがそれを了承すると、山賊団のメンバーが面倒を見て、二人は拙いながらも仕事を手伝うようになった。
ランカ山賊団では、旅人達のボディガードや案内の他にも色々と生活の為の仕事をしている。それだけでは、約50人ほどいるメンバー全員を養えきれないからだ。鶏や山羊などの家畜も育てているし、魚釣りや狩りもしているし、野菜や穀物も育てている。更に、国境間際にあるという立地条件を活かして、商人のように商品を売買して金を稼いでもいる。もちろん、家事も行わなくてはならない。仕事はたくさんあったのだ。
それら仕事を手伝う事は二人にとって、とても良い経験になった。城の中では、誰かから教えてもらいながら、毎日の生活の為の仕事をすることなどまず有り得ない。それは彼らにとって新鮮な体験だった。世の中には様々な人達がいて、それぞれに文化があり、色々な事をやって生きているのだと実感ができる。
そして、ある程度の仕事をこなせるようになると、ナセとフレイは山賊団に仲間として自然と受け入れられていた。
しかし、そんな頃、タンゲア帝国では奇妙な噂が流れ始めていたのだった。
ナセとフレイはマカレトシア王国の王子だから、彼らにとっては他の国の噂という事になる。だからどんな噂が流れようがまるで関係はないように思えるだろう。ところがその噂は、彼らに直結していたのだった。
「マカレトシア王国のグロー大臣が、出兵の準備をしている、だって?」
タンゲア帝国の裏通りにある酒場。表向きは酒場だが、ここは色々と好ましくない連中が集まる商談の場にもなっていた。その奥の間には二段ベッドがあり、下段には誰もおらず布団すら敷いていなかったが、上段には誰かがいて横になっている。薄暗い。
薄いカーテンが下がっている所為で、その姿はよく分からないが、シルエットで確認できるそれは大人のものではない。そもそも、その二段ベッドはやや小さめで、大人が横になるのには窮屈そうだった。だから普通なら、誰でもそこで横になっているのは、子供だとそう考えるだろう。
ところがその二段ベッドの上にいる人物に話しかけている大人達(そのほとんどが、裏世界で生きる犯罪者ばかりだが)は、誰一人として子供に対して接するようにはしない。それどころか、むしろその子供のような人物の方が優位にいるかのように話しかけている。二段ベッドの上から声がした。
「その話は何度か聞いているよ。確か、表向きは山賊討伐で、本当は何か別の目的があるってアレだろう? この国に攻め込んで来るつもりだとかって話もあるとかないとか。胡散臭いな」
それを聞いて、頭の禿げた筋肉質の男が、こう言う。
「何でだよ、シロアキ? デマだってのか?」
それにシロアキと呼ばれた二段ベッドの上の男はこう返す。
「ああ、デマだろうよ。マカレトシア王国のグローっていったら、確かうちのカルモロ大臣と仲が良かっただろう? グローは王の座を狙っていて、その関係をそれに利用するつもりでいるらしい。攻め込んで来るメリットがまるでない。むしろ、そんな暴挙に出れば王の座は永遠に手に入らないぞ」
禿げた男はこう返す。
「なんだよ、つまらない。戦争になれば、なんか商売に利用できるかと思っていたのにな」
禿げた男の対面にいる太った男がそれを聞いて笑う。葉巻をふかしながら。
「ハハッ お前ぇは、単に争い事が好きなだけだろうよ。
まぁ、グローは今、王子達を暗殺したがっているって話だから、戦争なんてし始めそうにないわな」
しかし、それを聞くとシロアキは突然にこう言うのだった。
「ちょっと待て。王子達の暗殺だ? そういえばそんな話もあったな」
その後で、何か考え込み始める。禿げた男がこう尋ねる。
「どうした? シロアキ。何か気になる事でもあるのか?」
「ああ、ある。確か、マカレトシア王国の王子側には、オリバー・セルフリッジってな小賢しい奴がいたよな?」
それに太った男が返す。
「いるな。権力は強くないが、頭の弱い王子側の大臣共の信頼を得ているって話だ。孤児院を増やしたり、治水工事に力を入れたり、何を考えているのかよく分からない奴だが、油断はできないって聞くぞ。そいつがどうかしたのか?」
「そいつには、あのランカ山賊団と繋がりがあるはずなんだよ」
「ランカ山賊団と、政府の人間がか?」
「ああ、ランカ山賊団は、元は孤児共の集りだったんだとよ。子供が病的に好きなランカ・ライカって女が結成したんだ。それで、オリバー・セルフリッジが孤児院を増やしていた関係で知り合ったらしい。今でも繋がりはあるそうだ」
そのシロアキの説明を聞き終えると、禿げた男が言った。
「それがどうしたんだよ?」
「王子達はまだ子供なんだよ。そして、さっきも言ったが、そのランカ・ライカって女は子供が病的に好きだ。もし仮に、暗殺されそうになっている王子達を匿ってくれって頼まれたら、恐らくは断らないだろう」
禿げた男は、まだ理解できていないようだったが、そこまでを聞いて、太った男はシロアキの言いたい事を察したようだった。太った男が言う。
「って事は、グローが出兵の準備をしているって話はデマじゃないってのか?」
「その可能性はあるな。だがもちろん、こっちに攻め込むのが目的じゃない。山賊討伐もやはり建前だろう。ランカ山賊団には、住民達からの苦情は出ていないし、奴らの縄張りの山でやり合うのなら、グロー側だって無傷じゃ済まない。メリットがない。
本当に目的は、王子達の暗殺だろうよ。討伐と見せかけて、ついでに王子達を殺す……」
それを聞き終えると、太った男は「なるほど、あるかもしれねぇな」とそう言う。続けてこう言った。
「しかし、だとすると、オリバー・セルフリッジって野郎もかなりの間抜けだな。自らグローに暗殺のチャンスを作ってやったようなもんじゃねぇか」
それを聞くとシロアキは、「ばれないと思ったんじゃないのか? 普通は山賊団の所に王子がいるなんて思わないだろうよ」とそう返す。そして、それから少しの間の後で、急にシロアキはカーテンを開けた。露わになったそこには利口そうな子供の姿があった。そしてその子供はこう言う。
「いい案を思い付いた! 金だ。金の匂いがするぞ!」
目を輝かせてはいたが、そのシロアキの顔はいかにも悪巧みをしているといった風に歪んでいた。外見はどう見ても子供にしか見えないだけに、その表情は異常に思えた。
「なんだ? やっぱり、戦争になるのか?」
と、それを聞いて禿げた男がそう尋ねた。
――シロアキ。
タンゲア帝国、暗黒街の裏の顔の一人。
子供の姿をしてはいるが、彼は著しい幼形成熟によって外見が子供のまま大人にまで成長した、れっきとした成人だ。実はもう二十歳を超えている。
幼形成熟とは、幼い頃の形状を残したまま成熟する事で、あまり知られてはいないが、かなり広範囲の生物にそれは見られる。その一つが、家畜化によって起こる幼形成熟だ。犬が人間に対してあれだけ従順なのは、実は幼形成熟によって、子供の頃の脳を持ったまま成獣になるからだからだという。つまり、犬は人間を親か、またはそれに近いものだと認識している可能性があるのだ。その他、豚やアヒルなどにも幼形成熟は見られるし、人類自体にも幼形成熟が起こっているとする説すらもある。或いは、人類の知能の発達、人間関係を結ぶ能力などは、その幼形成熟によってもたらされたものなのかもしれないのだ。
ただ、シロアキに関しては、事情はかなり特殊だった。彼は矮躯童人という家畜化され強く幼形成熟が起こった種族の一人で、その所為で子供の姿を保っている。ただし、シロアキは自分のそれをコンプレックスにしてしまっていたが。その為、子供扱いされる事を必要以上に嫌がる傾向にあり、更に幼形成熟が起これば従順化するはずなのに、シロアキには強い支配欲求と冷酷な一面があり、かなり利己的だった。
どんな経緯でシロアキがタンゲア帝国の暗黒街にやって来たのかは分からないが、彼は暗黒街で瞬く間にのし上がり、今では重要人物の一人にまでなっている。彼は智謀に優れ、それほど強力ではないが、幻術などの魔法の類を使える。また、場合によっては、自身のコンプレックスにも耐えて、子供に見える外見すらも利用する。そのしたたかさが、彼がのし上がる原動力となったのだ。
――カコッ
という小気味良い音が鳴る。薪を割っている音だ。
「ほら、こんな風に腰を入れて斧を振るうのよ」
と、そんな声が聞こえる。声の主はナゼル・リメル。長身のおっとしてそうに見える女性だ。ただし、実際はそんな事はなく、むしろキビキビと動く。彼女は今、ナセとフレイに薪の割り方を教えているのだった。場所はアジトの裏手。
ナセとフレイは頷くと、ナゼルの言う通りに薪を割る。二人ともあまり上手くはいかず、薪の途中で斧が止まってしまう。それにナゼルはこう言った。
「違う。違う。手の力だけで、斧を振るおうとしちゃ駄目。ちゃんと腰を使って、体重を乗せるようにイメージするの。ほら、こんな風に」
そう言いながら、彼女は薪を割ってみせる。「凄い」と、それにナセ。フレイは少しだけ悔しそうな顔をすると、無言でまた斧を振った。だがやはり上手くいかない。それを見てナゼルは「そんなに慌てないで、もっと落ち着いてやっていいわ」と言う。そんなところで、声がかかった。
「王子達に、薪割りなんてさせていいのかな?」
声の主はナイアマンだった。それにナゼルは振り返りながらこう返す。
「この子達を“王子”なんて呼ぶと、母さんが怒るわよ、ナイアマン。ここでは、ただの子供なんだって」
「分かっているよ。ただ、それを忘れ過ぎるのもどうかと思うんだよね、僕は」
ナイアマンは大荷物を抱えていた。そして、その後ろにはそれよりも更に大きな荷物を抱えたダノの姿があった。それを見て、ナゼルは言う。
「ダノにばかりそんなに大きな荷物を持たせて、悪い人ね、ナイアマン」
それを聞くと冗談っぽく困った表情を作りながらナイアマンは言った。
「勘弁してくれよ、ナゼル。これでも充分に大荷物だ。ダノと一緒にしないでくれ」
ダノは身体の大きさ通りの、かなりの力持ちなのだ。ランカには負けるけど。
ナイアマンとダノの二人は、旅人達から料金としていただいた金品の類を街で食糧の類に交換する為に出ていたのだ。裏手に来ているのは、食糧を貯蔵庫に運ぶ為だ。悪戯っぽく少し笑った後でナゼルが言った。
「二人ともご苦労様。何を仕入れて来てくれたの?」
「塩とバターと、砂糖。その他諸々」
「あら、嬉しい」
それからナイアマンは荷物を降ろす。ダノも続いて荷物を降ろした。それを見てナセとフレイも「ご苦労様、ダノ、ナイアマン」と、そう言った。「うん」とナイアマンは嬉しそうに笑う。それから彼はこう二人に指示を出す。
「二人とも、ここはもう良いから。取り敢えず、塩とバターを手で持てる分だけで良いから、台所に持って行ってくれ。足りなくなりそうだって言っていたから」
するとフレイは上手く薪が割れなかった事に少し悔しそうにしながらも、「分かりました」とそう応えて、荷物の中から塩とバターを取り出すと、そのままそれを持ってナセと一緒にアジトの中へ入って行ってしまった。
「ちょっと、わたしが二人に薪割りを教えていたのに、勝手に指示を出さないでよ」
と、それを受けてナゼルが文句を言う。ナイアマンはそれには応えず、こう言った。
「さっきの話だけど、やっぱり真剣に考えた方が良いと思うんだ」
「さっきの話って?」
「二人に自分達が、王子だって事を忘れさせない話だよ。母さんは、子供らしく伸び伸びと生活して欲しいんだろうし、それが彼らの為になるって事もよく分かるのだけど、彼らはやはり王子なんだ。いずれは城に戻らなくちゃならない。あまりここに馴染み過ぎるのもどうかと思う」
それにナゼルは何も応えなかった。代わりにダノが言う。
「俺はナイアマンの言う事もよく分かるけど、少し心配し過ぎだと思うな。二人とも、城に戻れば上手くやれるさ。自分達が王子である事を忘れたりしない。
せめて、ここにいる間くらいは、子供でいさせてあげようよ」
ダノがそう言った事に、ナゼルとナイアマンは驚いていた。彼が自分からこういう事を積極的に主張するのは珍しい。それほどあの二人を気に入ったという事なのかもしれない。ナゼルが言う。
「お、お。二人とも真面目なのね。わたしはそんな事は考えもしなかったわ」
そして少し歩いて、アジトに上がる為の木の階段の所にまで行くと、二人が入っていった先を少し見つめてからそこに腰を下ろす。
「正直、分からないけど、その前にあの二人がいつまでここにいるのかを考えないと駄目じゃないの?
直ぐにいなくなるのなら、思いっ切り王子である事を忘れさせてあげていい。長くなるようだったら、時々は思い出させてあげる。ずっといるのなら、もうわたし達の仲間」
そして、そう言い終えた後でこう彼女は続ける。真剣な表情になって。
「で、それはそうと、マカレトシア王国では、あの噂はどうだったの?」
それを聞くと、ナイアマンは首を横に振ってこう答えた。
「何人か信頼できる情報屋を当たったが、一人も把握してはいなかったな。少なくとも、マカレトシア王国内では、あんな噂は出ていないようだ」
「じゃ、やっぱりデマかしら? 当事国のマカレトシア王国を飛び越えて、タンゲア帝国だけで噂になるなんて考え難いし。いくらタンゲア帝国の情報セキュリティ意識がボロボロだと言っても」
噂というのは、マカレトシア王国の大臣、グローが出兵するという話だ。しかも、ランカ山賊団の討伐の為に。先日、タンゲア帝国に行っていた者から、その話を彼らは耳にしたのだ。実は今回彼らが街に行った本当の目的は買い物ではなく、噂の真相を確かめる為の情報収集だった。ダノがそれにこう続ける。
「セルフリッジの旦那が、情報を漏らすような、そんなヘマをやるとも思えないしね」
それにナイアマンは頷く。
「タンゲア帝国じゃ、この手の噂がよく飛び交うからな。ま、それも、体制が緩いからなのかもしれないが」
タンゲア帝国では、スパイやその他の情報の取り締まりが甘く、よく標的になっているのだ。
しかし、それからナイアマンはため息を漏らすとこう言った。
「ただ僕は少し不安なんだ。セルフリッジさんは、ナセとフレイの安全が確保できるまでここで面倒を見てくれと言った。しかし一体それはいつなのだろう?」
ダノは言う。
「旦那の事だから、何か考えがあるのじゃないのかな?」
するとナイアマンはこう言う。
「それだよ、それ。それが不安なんだ。セルフリッジさんの考えが。仮に噂が真実だとして、今、グローの軍隊が山賊討伐で攻め込んで来たら、もう僕らはあの二人を犠牲になんかできないだろう? 母さんは絶対にそれを許さないだろうし、他の皆も認めない。しかしまさか軍隊と戦う訳にはいかない。すると僕らはここから撤退する事になる。そしてよく考えてみると、それでも、結果的に王子達の安全は守れるんだよ」
それを聞いて少し考えると、ナゼルはこう言う。
「あー、なるほど。わたし達の事を知っているセルフリッジさんなら、その展開を簡単に読めるだろうし、権力争いの犠牲になる子供を救う為なら、あの人はそれくらいする。仮に王の座をグローに渡す事になっても。なんか微妙にそういうところは、母さんと被っているものね、あの人」
しかし、それにダノは反論した。
「そうかなぁ? セルフリッジの旦那はもっと皆が上手くいくような方法を考える気がするけど」
彼はセルフリッジの事を、二人よりも信頼しているのだ。何回か助けられている恩をよく覚えているのかもしれない。
「まぁ、良い人だって点は認めるよ。だが手段を選ばない人でもある」
ナイアマンはそう言ったが、もちろん、何か確証がある訳でもなかった。ナゼルが言う。
「まぁ、悩んでいても仕方ないじゃない。これから何が起こるのか、注意深く見守っていましょう。それで対処すれば良い。わたしは、待つのって嫌いだけどね」
しかしそれから何日かが過ぎて、彼らが全く予想もしていなかった出来事が起こてしまうのだった。