第二章「僕のグレーテル」
遅くなりました。
雫が作った料理はどれも単調な味がする。
なんだろう。
上手くは言えないが冷たいのだ。
僕はそんな彼女の料理を胃に詰め込み、出掛ける支度をする。
これでも一応僕は大学生だ。
大学に行かなくてはいけない。
ちなみに雫は大学には行ってない。
人の沢山いるところは苦手なのだそうだ。
一応働いてはいる。
雫は絵を描く。
その絵を売って金銭を得ているのだ。
僕はよく知らないけれど、その筋の人には有名で価値があるらしい。
それはもう、こんなボロアパートに住んでるのが嘘みたいなほどらしい。
一度雫の描いた絵を見たけれど、僕は上手いなと感じたくらいでその他には何も感じなかった。
まぁ、僕には芸術的センスなんてものはないのだから仕方ない。
「雫。僕はそろそろ出掛けるよ」
僕は支度を終えて、雫に声をかける。
雫はベットの上に寝転がり、バイバイというふうに手を振った。
「食べてすぐ横になると牛になるよ」
僕はため息をつきながら言う。
「牛になるのも悪くないわ」
雫はそう言って笑う。
僕は再びため息をつく。
「それじゃあ、行ってくるよ」
そう言って玄関を開けて外に出る。
雫はいってらっしゃいとは言わなかった。
いつものことだ。
外は眩しいくらいに太陽が輝いている。
晴れの日ってのは好きじゃない。
青く晴れた空を忌々しく感じるのは、自分の心が歪んでいるせいだろうか?
そんなことを考えながら最寄り駅まで向かう。
最寄り駅まで徒歩約十分。
大した距離じゃない。
あっという間に駅に着く。
外へ出ると嫌でも時間は動いているのだと、実感させられる。
雫と一緒にいる時は全く進んでいないように感じる時計の針ーー。
今は動いているーー。
一秒、一秒時を刻んでいる。
雫はまるで魔女のよう。
僕の時間を止めてしまった。
何が嘘で何が本当なのか、まるで分からない。
僕を捕まえた魔女。
捕らえられた僕はお伽噺に出てくるヘンゼルのように殺されるのを待っている。
雫が魔女で、僕がヘンゼルなら、グレーテルは誰だ?
「おはよう。九条君」
突然後ろから声がかけられた。
振り返るとそこには、同じ大学に通う女がいた。
ボブくらいにカットされた茶色の髪。
耳元には小さな青色のピアス。
黄色のカーディガンを羽織っている。
確か名前はーー。
「はよ……。篠原だっけ?」
僕がそう言うと、女は笑った。
「そうだよ! もう、まだ覚えてないの。ちょっとショックだよ、私」
明るく快活に言う女。
フルネームは篠原奈緒。
同じクラスの女だ。
僕に積極的に話しかけてくる迷惑な女。
所詮、その程度の認識。
「何か用?」
僕は女の言葉を無視して言った。
「一緒に行こうよ。行く場所は同じなわけだし」
そう言って笑う。
よく笑う女だ。
雫とは全然違う笑顔。
苦手なタイプだ。
なるべくなら、関わりたくなどないがーー。
「別に……いいけど」
ここで断って人間関係が悪化するのは避けたい。
僕だって一応周りの目を気にする。
他人がどうでもいいわけではない。
まぁ、積極的に友達を作りたいとは思わないが。
「良かった」
そう言って笑う。
本当によく笑う。
なんでそんなに、ニコニコと笑えるのだろう。
明るい日だまりのような笑顔。
ずっと日陰にいた僕には少し、眩しすぎてーー。
「篠原さん」
名前を呼んだ。
「ん? 何?」
彼女は笑顔で応える。
僕は正直、雫とは全然タイプの違う彼女に戸惑っている。
『まもなく○番線にーー』
アナウンスが電車が到着することを告げる。
「絵は好き?」
「え?」
突然の問いに篠原は驚き、戸惑ったようだ。
僕はもう一度彼女に尋ねる。
「絵は好き?」
僕は前を見たまま決して彼女のほうを向くことなく言った。
「嫌いじゃないよ」
篠原奈緒はそう言って笑った。
僕が彼女のほうを向くと同時に電車が来た。
誤字脱字があればお願いいたします。