678 今に乾杯
明け方近く、やっとお話が終わった。
「……今日も徹夜だったか……」
空気が抜けた風船のように萎びるハルヤール将軍。海の中の生物だけあって生命力が豊富だ。人ならとっくに倒れてるぞ。
「寝たらイイじゃん。別に早急に片付けなくちゃならんこともねーんだしよ」
そもそも一日二日で片付けられるようなもんじゃねー。何年も何十年もかけて築いて行くもの。急いだってイイことねーぞ。
「そうもいかん。お前の価値はもう隣国どころか帝国にまで知れ渡っておる。このままなにもしないでいたら我が国の立場が悪くなる」
「大事だな」
「お前が大事にしておるんだよ!」
ハイ、まったくもってその通りでございます。ごめんなさい。
「まあ、ガンバってくれや」
現状と展望は話した。やるしかなからろうとの言質もいただいた。なら、これはもうこの国の是。つまりオレの手から離れたことを意味する。
「ほんと、お前は他に投げるのが上手いよな」
「オレはスローライフを送りたいからな」
多少の労力を惜しみ、怠惰に生きると大概は人生に失敗する。最後に苦労しかやってこねー。スローライフを送りたい諸君。準備をしてからスローライフを送れよ。
他人の苦労で送れるスローライフは楽しいか、だって?
フッ。愚問だな。楽しいに決まってんじゃねーかよ。
「爽やかな笑顔なのにゲスな波動を出すよね、ベーって」
そんな波動を感じ取らないでください。プライバシーの侵害です。
「あーコーヒーうめー」
徹夜明けのこの一杯。たまんねーぜ。
基本、早寝早起きだが、体力が全ての村人ライフ。一日二日寝なくても平気な体力はある。あ、肉体労働だった場合ね。精神労働は六時間が限界ですんで……。
「前から思ってたが、お前は元気だよな。まだ八歳、だったか?」
「もう十一歳だよ」
人魚は子ども時代が短いからな、八歳と十一歳の差などわかりようもねーか。これでも背は伸びてんだぜ。
今生は身長百八十は欲しいもんだ。成人にはどのくらいになってかな~?
遠いようで近い将来。十五のオレはどうなってんだろうな。年を取るのが楽しみだぜ。
「羨ましいもんだ。我も昔に、いや、昔の体力が欲しいよ」
今でも十二分過ぎるくらいバケモノな体力してるぜ。ただの槍で二十メートル級の海竜を狩るなんてあなただけですから。
「体力が欲しいなら食から見直せ。人魚の世界には医食同源……なんて言葉、ある訳ねーか。地上にもねんだからよ」
毎日食うのも事欠く時代でそんな悠長なことしてられる訳もねーし、食うのに困らないヤツは贅を凝らしたものしか食わんからな。
無限鞄から先生レシピの栄養ドリンクを十三……本しかねーや。そろそろ作らねーと。
最近、薬師としての仕事もしてねーし、必要な材料も心細い。帝国にいく前に採集に出かけるとするか。
「一日一本、夕食後に飲みな。昔と同じとは言えねーが、徹夜では疲れねー体にはなるよ」
先生の薬は人体を強化すると言うより人体を改造するに近い。オレも飲んで十一歳にしては飛び抜けて体力がある。いや、うちの家族はと言い直そう。医食同源がうちのモットーなんでな。
「お前の知識と腕を知っているだけに笑えんな。我らの治癒師もお前の薬には驚いておったよ」
「まあ、師匠がイイからな」
その知識も技術も惜しみなく与えてくれたオババや先生に感謝だよ。
「つーか、人魚の世界にも栄養豊富な食材とかあんだろう? それを適度に取れば健康は維持されるぜ」
海竜の肝油や心臓を乾燥させたもの……は、先生の知識だったっけ。人魚、もっと健康に気を持てや。
「わかってはいるが、地上ほど食に興味がないからな、人魚と言う生き物は」
もちろん、グルメな人魚はいるし、旨いものを旨いとわかる舌を持つ者もいる。ハルヤール将軍もどちらかと言えばグルメ派だろう。まあ、地上の食い物に向いているがよ。
「文化革命以前か」
まあ、弱肉強食度は地上の比ではねー。生きることに余裕なんて出ねーか。
「お前を知り、地上を知り、帝国との差を知り、我らがどれほど遅れているかを知った。ベーの目には野卑な獣と映っているかも知れんが、我はこの状態が好ましい」
でも、それが自分の首を絞めることだとも知っている。
変わりたくねーって気持ちはわかる。今のままでいたい気持ちもわかる。今が幸せなら変えたくなんかねー。
だが、自分と他人との差を知ってしまったからにはもう無理だ。この世は食うか食われるか。時代に置き去りにされたら本当に野卑な獣となってしまう。
今の幸せと引き換えに、そんな未来を欲するのと言うなら好きにしろ。そんな種に未来はねー。ただ先を行く種の糧となれだ。
「この世に変わらぬものなんかねー。だが、善く変わるか悪く変わるかは選べる。善い未来が欲しいなら、善い努力をして善い判断をしろ。苦難な道だが悪い努力に悪い判断をするよりは楽しい未来だぜ」
今生のオレは毎日楽しくて、未来が訪れるのが楽しみでしょうがねー、と思える今を生きている。
「……そ、だな。お前と友になることを決断し、お前と友でいる努力をしたお蔭で、こんな楽しい未来が訪れた。変わることもまた一興だ」
人生を楽しんでいる者の笑みは見ていて気持ちがイイ。これまでの努力と判断が間違っちゃいねーと教えてくれるからな。
「お互い、イイ人生でなによりだ」
コーヒーカップを掲げ、お互いの今に乾杯した。




