世を忍ぶ
*
ずっと苦しんできた。いろんなものに対して、だ。挙句都内にあったマンションを引き払い、こんな山奥の家に住みながら、複数の出版社と契約し、比較的ゆっくりと小説の原稿を書き続けている。悩みが深いのだ。いくら自分に芥川賞作家という肩書きが付いていたにしても。別にいいのである。受賞したのは今から十年前の二〇〇二年だ。それからめっきり売れない作家となった。俺もずっとパソコンのキーを叩きながら、合間に近所の農家の人間から米や野菜などをもらい、肉や魚は山の下にある店の人間が定期的に配達してくれていた。稀に近隣の人が来て、独り身の俺に声を掛ける。
「先生もご苦労されてますね」
「ええ。……でもこれでいいんです。私自身、世を忍んで生きてますから」
「確かお書きになった本は二百作を超えたとか?」
「はい。それでもあまり売れてません。私の書いた本を読みたがる人などいませんから。最近アダルト作品やケータイ小説も書いてますが……」
「先生もせっかく芥川賞までお獲りになって、今こんな生活されてるなんて意外ですね」
「まあ、そう言われればそうかもしれませんけど……」
言葉尻に幾分含みを残す。ずっと今までの筆歴や受賞歴を考えていても、案外いろんなことがあったのだ。文壇に生きる作家には悩ましいものがある。確かに俺も十年前、四度目のノミネートで芥川賞を獲ったときはこれから先に希望があると思っていた。だがそうは問屋も卸さずに、著作こそ増えたものの、売れないまま今に来ている。大体、人前に出るのが苦手で、派手な会見などもやらなかったから仕方なかった。元々内向的なのである。それに自分で言うのもなんだが、繊細だった。神経が細かく出来ている。だから一般受けしない物を書く。純文学など今の世の中ではそう流行らない。俺も後輩作家でそういった芥川賞受賞者などを多数知っていたのだが、皆が専業になっているわけじゃない。中にはサラリーマン作家などもいたのだし、一度この手の大型の文学賞を獲ると厄介なのだ。俺もいつの間にか売れない作家の方になってしまった。そして今、田舎の山奥にいる。最初ここに引っ越してきたときは、東京の街のネオンが見られなくて辛かった。だが慣れてみるとそうでもない。俺もそれでいいと思っていた。大都会などに行かなくとも、もうすぐこの山の中の家一軒一軒にクリスマス用のイルミネーションが灯る。それで光は絶えずあった。書斎にはパソコンを一台とプリンターを一台接続して置いている。原稿を書き、各出版社に入稿するときはメールでだったし、ゲラのやり取りもメールでしていたから、プリンターはあまり使う機会がなかった。本が完成した段階で初めて印刷を掛けるのである。製本されたものが郵便で届くと、他作家などに献本したりしていた。その繰り返しである。作家は作家で忙しいのだし、ゆっくりする間はない。ただ、俺もいつの間にか、世間と乖離して生きるようになっていた。もちろんブログやツイッターなどはやっていて一定のファン層がいたのだが、それでも売れない部類の方に入るだろう。別に構わない。文芸雑誌や週刊誌などに何本か連載を持っていて、生活に困ることはないのだから……。書き続けていた。愚直なまでに。
*
「若島先生」
「はい」
「手元に書き溜められた原稿はございますか?」
「まあ、ないことはないですが。……それが何か?」
「出来れば、先生にもう一花咲かせてもらいたいのです」
「起死回生の一作を、ということですか?」
「ええ。まあ、そうですね。そういう言い方が適切でしょう」
久々に六本木の街に来ていた。懇意にしている担当編集者が誘ってきたから断りきれないと思い、バスや電車などを乗り継いで上京したのだ。この編集者の石田は切れ者である。俺の芥川賞作家という肩書きを利用して、一つでも多くの作品を書かせたいと思っているらしい。さすがに石田に誘われて、秋が深まり出す九月下旬に六本木のショットバーで酒を飲まされた。元々飲めない口なので、わずかな量しか飲まなかったのだが、それでも別に構わない。酔っ払って宿泊先のホテルに帰るつもりはなかったからだ。さっきから石田は飲みすぎで舌がもつれていたようなので、見ていられないと思っていた。
「先生も書かれた未発表原稿がおありになるなら、いつでもお送りください。我々も是非先生の作品を拝読し、世に送り出したいので」
「……」
言葉を失う。石田は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか……?作家相手にこういった度の過ぎたパフォーマンスをするのが、編集者の仕事のうちなのかもしれないが……。俺もカウンター越しにウーロン茶を一杯頼み、まだ幾分クーラーの利いた店内で夜を過ごす。壮年のバーテンダーの男性も呆れているようで苦笑いしていた。石田は夜ごとこのバーに来るらしい。作家を連れて。俺もこういった人間たちが、創作家から一つでも多くの原稿を取りたいと思う気持ちは分からなくはないのだが、俺のようにひっそりと生きている作家にとって、仮に新作を出しても派手な売れ方はしないだろうと思っていた。
「またその話は次にしましょう。今夜は帰りましょうよ」
俺の言葉に石田が立ち上がり、カードで飲み代を支払って歩き出す。重度の酩酊のようだった。通りでタクシーを一台拾い、乗せてから走らせる。確かに今夜は互いに飲みすぎた。俺もホテルまで歩く。昔はこういった街で暮らしていたこともあったのだが、今はもうそんなことは過去の話になった。ずっと仕事場として田舎の山の中を据えている。だから、もう都会地に縁はなかった。単に編集者に誘われて上京する程度である。世を忍ぶ生き方というのはそういったものだった。俺もずっと作家としての人生を歩みながら、いろんな物を捨て去り、生きてきている。都会生活に疲れたので山の中で暮らしているだけだ。そう思えば何も怖いことはない。ゆっくりと歩き続ける。俺も常日頃からパソコンのキーを叩き、原稿を作っていた。大きな変化はない。作風も一昔前の純文学テイストとは変わっていて、エロスやケータイ小説なども書いていたのだが、それらも全て<若島桂一>のペンネームで発表し続けていた。俺自身、幾分世事に疎くなっただけだ。ニュースなどもネットで見るようになっていたのだし、新聞も取らない。その代わりスマホを持ち歩いている。別にそれで十分なのだった。従来の携帯電話から最近スマホに乗り換えている。どっちも基本的な仕組みは同じなので使いこなせていた。スマホで利用する機能は電話とメール、それにメモ帳程度だ。付いているメモ帳には単に考え付いたことを打ち込んでおくだけである。宿泊先のホテルに帰り着いたらスマホを充電器に差し込み、後は入浴してゆっくり休むだけだ。いつもいる場所とは違う。六本木は人間がとても多い。夜間でも絶えず人が行き来する。俺もシャワールームで一風呂浴びてベッドに潜り込んだ。単に石田と飲んだだけでも疲れている。俺も普段パソコンのキーを叩きながら、仕事を続けているのだが、やはりきつい。年齢相応に体にもガタが来ている。やはり年には勝てないのだろう。それに石田の原稿の督促に耐えられるだろうか……?文壇とは一定の距離を置いていて、過去の芥川賞受賞歴の栄光も消え掛かっている以上、起死回生の一作など書けないのが普通だった。そういった意味では俺も半分諦め掛けている。書き溜めていた作品はもちろんあるのだが、昔書いたものばかりなので、今更と言った感じだ。俺も山の中の美味しい空気を吸いながら、ゆっくりと作品を書き続ける方がいい。過去の栄光も今はないに等しかった。現に最近の小説家などでも若いヤツらはたくさんいて、一部の人間は本がとんでもないぐらい売れている。俺もそういったことは薄々知っていた。まあ、今の俺に出来るのは田舎の山奥の家の書斎で、出版社から依頼された仕事でも引き受けられる分だけ引き受け、書き続けることだけだったが……。これが世を忍ぶ作家の歩む道だと思っていたのだし……。
(了)