エピローグ
「御嬢様。御起床下さい」
「橘京香様。お起きになって下さい」
早朝。時間にして時計の長針が七を指し示す時間帯。
「ところで、どうして霖様は此処に居られるのでしょうか」
「そんなの、京香様を起こしにきたからに決まっているじゃないですか」
「霖様の主は時雨御母様のはずです。それならば本来の主の下につくのが道理というものですよ」
「我が主はすでにご起床なさっておられるので起こしにいく必要はありません。それに、橘京香様は主の実娘です。面倒を見るのが私共メイドの役目なのでは?」
「(朝から騒がしいな)」
昨晩、とある事情で日付が変わる時間帯まで私達は外を出歩いていた。そのせいで十分な睡眠時間を確保できず、身体の疲れと眠さは今朝になっても癒えていない。しかし半端ではあるものの、自動再生を植え付けられているグレイヴと霖は日が昇る前に傷を癒したらしい。いや治した。ん、直した?
「恐縮ですが、霖様の出番は今後金輪際一切ありません。何故なら御嬢様には私がついているからです」
「ほるほど。つまり橘驟様はご自分なら京香様を護り通せると申したいのですね」
ドアの向こうで二人の口喧嘩は現在進行形。
「はい」
「私に敗北なさったというのにですか?」
「まさか、たった一度の勝利だけでご自分が強いと、優越に浸っておられるのですか」
「その口ぶり。まさか奥の手でも隠し持っているというのですか。……いえ。そんな事は御座いませんね。もしあるのでしたらあの場面で出し惜しむ必要はない。つまり一度私に敗北を許した驟様はもう私に勝てないという事ですね」
「承知しました。霖様が私の本調子を御理解なさらないのでしたら、」
「武力を持って証明する?」
「さいです」
「ちょっと待ったあぁぁぁああぁああぁあぁぁぁあぁああああぁあ!!」
ドアを蹴開けて仲裁した。何やら面白い事になってるなぁと思って大人しく成り行きを見守ってたけど、家でドンパチやるとなると見過ごすわけにはいかなくなる。
「なにあんた達家の中で戦争おっ始める気なのよ!?」
「だってこの人が」
「小学生か!!」
あれ?
「何か御用でしょうか。京香様」
「え、いやぁ、何で霖さんがここにいるのかな~って」
同じ志を持つ者同士、共闘したところまでは覚えているけど、疲れすぎて昨日の出来事の大半は記憶に残っていない。きっと寝ている間に脳が消去したのだろう。
「はい。主である時雨様がこの家に住むと言うので専属の私も住む事になったのですが、不服でしょうか」
「あ、うん。霖さんなら大丈夫だよ。むしろ大歓迎?」
悪い人じゃないし、時雨お母さんをずっと想ってくれてたみたいだし。それに同性っていう理由もあって意気投合できそう。
「グレイヴも仲良くしなくちゃ駄目だよ。これから一緒にする仲なんだから」
何もないとは思うけど一応釘を刺しておく。家でガチバトルとかしてほしくないし。
「はい。分かりました」
これといった不満を漏らす事なく大人しく首肯。
「それじゃ。私はもう一度寝ますんで。邪魔しないでね」
私室に戻ろうとする私の右腕を霖さんが、左腕をグレイヴが制する様に掴んだ。
「何処へ行かれるのですか御嬢様」
「え、二人に睡眠を邪魔されたので二度寝しようかと」
「何をおっしゃいますか京香様。本日は平日。学校へ行かれる手筈ですよ」
「ん?」
よく聞こえな~い。
「まさか」
「(やば。気付かれたか)」
「京香様は学校をサボろうとしておられるのでは」
ギクッ。
「図星ですね」
「それはいけませんよ京香様。学生は勉学に励むもの。それを怠ろうとするとは言語道断です」
この状況なんかデジャヴ。
「い、嫌だ。今日は休む絶対休む」
「駄目です」
霖さんが迫ってくる。こうなりゃ最終手段!!
「グ、グレイヴ。私を護って」
「断ります」
「何で!?」
「御嬢様の身勝手を許すのは御嬢様のためにならないからです。観念して下さい」
「うわぁぁあぁ裏切り者ぉおぉ」
「驟様、手伝って下さい」
「すでに実行済みです」
はい只今実行中です。絶妙なコンビネーションで力ずくで二階の階段から降ろされています。何気にこの二人息ピッタリ。
「話せぇぇぇ」
と、全員から血の気が引く事態が起きた。リビングに差し掛かったところで、進路を妨げるようにして飛んできたナイフが壁に刺さった。しかも文字通り目と鼻の先で。
【おう。すまん。手が滑った】
悪びれる素振もなく、時雨はナイフを抜き取ると、何食わぬ顔で台所に戻った。
「……何だったの今のは」
「そういえば時雨御母様が【あたしも料理作る】等と言っておりました。恐らく今は霙御母様から手ほどきを受けている最中かと思われます」
「それって大丈夫なの?」
心配です。とてつもなく心配です。オーブンレンジを爆発させたりしないかな。ナイフを飛ばすっていう前例があったし。
「駄目ですね。というより危険ですね」
「ちょっと見てくる!!」
私はキッチンに駆け出し、顔を出した。
「ちょ、何で包丁を普通に持って抜けちゃうのよ!?」
【しょうがねぇだろ。刃物と言いやぁメスしか持ったことねぇんだから。包丁なんて人生で初めて持つぞ】
こっちでも口論が勃発していた。これは我が家の切り離せぬ因果か?
「だからってしっかり握っていれば抜けないでしょ!?」
【こんなゴツゴツしてて無駄にでかい代物、持ちにくいったらありゃしないぞ。大体な、こんな縄文土器みたいな古いもんが各家庭に標準装備されてる方が非常識なんだよ。せめてもっと実戦的で多様性、収納性のある軍用ナイフをそろえるべきだ。奇襲にも対応できるからな。それが無理ならせめて十手ナイフの類をだな】
「調理用包丁にそこまでの利便性は求めてません!! というか何ですか奇襲って。日常生活にそんな緊急事態は起こりません。裏と表の生活を混合しないで下さい」
時雨はどうしても納得いかないご様子。でもそれは当たり前なのかもしれない。時雨の私生活を私は良く知らないが、今の会話から憶測するに、今まで相当危険な生活を送っていたのだろう。それこそ死と隣り合わせと表現してもいいほどに。
慣れるのは大変だろうけど、私とお母さん、グレイヴ、霖。皆が支えててあげるから安心してね。
「時雨お母さん」
【あ。んだ?】
「へ?」
自分ではささやくていどに抑えていたつもりだったが、私のつぶやきは二人の耳にしっかり届いていた。
【呼んだか?】
まずいな。これといった話題が見つからないや。時雨と共通する話題なんて私には思いつかない。例えあっても会話を続けられる自身がない。荷が重過ぎる。
【母さんなんか付けなくていい。気持ち悪いし。だから呼び捨てでいいぞ】
急にそんな事を言われ、「う、うん」「えぇ。あ、はい」とかの適当な相槌しか打てなかった。だって何だか優しい時雨が不気味なんだもん。具体的に言うと、こう、何かを企んでいるような世界を脅かす陰謀をくわだてているような。
「じゃあ、時雨」
【何だ】
「行って来ます」
学校に。グレイヴ一人に勝てないのに、どうして霖さんとタッグを組んで強力になったお兄ちゃんに勝てよう。惨めに反撃に遭うよりさっさと学校に行って逃げてしまおう。
【おう。いってらっしゃい。そうだ。虐められたらあたしに言えよ。学校に乗り込んでそいつをボコってやるから】
「はは、ははは」
冗談……ですよね。時雨が口にすると本気でやりかねなそう。
【なに。心配はいらねぇ。校内での事件の一つや二つ、もみ消すのは造作もない】
「本気でしないでね!?」
どんなに小さくて些細な冗談でも、発言する人しだいで脅迫材料になるという事実を知った私だった。
◇
京香が勉強よりも睡魔と孤軍奮闘している頃、霙の料理講座も終わった時雨は、ある用事を済ませるために霖を呼びつけ、肌をはだける様に命令した。
「まさか驚きです」
【何がだ】
「主が同性愛者だったとは」
霖の言いたい事も分からなくもない。上半身を晒し、その背中に手を突っ込んでいるこの光景を目撃されたら「あぁ。そういう関係なんだな」と疑われても弁解できない。まぁ、本当は『限りなく人間に近い機械』には不要な自動再生を撤去しているだけなのだけれど。ついでにグレイヴに殺されてボディを再構成した時に失われた、霖の固有能力を元に戻してあげているというのもあるが。
【ハッ。愛なんていうもんに興味はねぇよ】
「それなら、主は想い人などはいらっしゃらないのですか?」
【いねぇよ。つうか要らねぇよ。息子娘どもで十分だ】
実際には“要らない”のではなく、自分にそんな綺麗な感情を抱いてくれる人間なんて身内だけだと悲観しているに過ぎない。つまりは単なる強がり。
「そうでした。お一つおうかがいしたい事があります」
【言ってみろ。今のあたしは自分でも不気味なくらいに気分がいい。何でも答えてやるぞ】
自分で自分を不気味と言うあたりが彼女の絶好調らしい。
「はい。そんな大した内容でもないのですが」
【濁すなって。自分で振ってきたんだろ? さっさと話せよ。あんたの命はあたしの手の中だぜ?】
ジョークのつもりだったんだが、言われた本人からしたら堪ったものではなかったようで、「冗談がきついですよ」と注意を受けた。
「え、まぁ、その。なんです。どうして主は娘に会いたいがためにあんな遠まわしな事をしたのかなぁ~っと」
【は? なに言いてぇんだ】
「そういう王道主人公みたいな鈍感キャラはお止めになった方がよろしいですよ。そうですね。主がそのキャラに徹するのでしたら、私は素直率直キャラで貫きましょう」
ピンと指を立てた。
「それでは順を追って主のネタバレと行きましょうか」
そこで時雨の手が止まった。そんな状況の変化なんて置いておいて、
「主は成長した京香様の姿が分からなかったんですよね。あるていどは覚えているけど、細かい部分までは知らない。だって子供の成長って早いですもんね」
時雨の額に嫌な汗が流れているのを彼女は知らない。
「だから主は完成間近だった風の『限りなく人間に近い機械』に細工を施した。自分が渡したペンダントを奪うという趣旨のプログラムを」
ここから先はまさに時雨の真意を的確に突くものだった。
「この“奪う”っていうところがミソですもんね。最愛の母の形見を取られたんですから、よりいっそう霙様を想い、主をより酷く憎む。これによって霙様と再会を果たした京香様はまさに狂気乱舞ですよ。そして主は二人の邪魔にならない場所で孤立無縁……」
【あすまん手が滑った】
時雨は切ってあった痛覚機能の一部を有効にした。すると霖の身体がビクッと震えた。
「痛いです痛いです!!」
時雨がオンにした痛覚は皮膚の痛覚。噛み砕いて説明するにつねられた痛さが全身を駆け回ったのだ。
「今の絶対嘘でしょ!? 絶対わざとだ」
【あぁ。わざとだ】
「お願いですから否定してください!!」
【つかあんた、あたしにそんな偉そうな口を使う性格じゃなかったよな。喋り方も饒舌だし。どこか変な回路でも触ったかな】
とりあえずもう適当にいじくり回してみた。
「あ、主。そ、そこは――っん」
性的にそそる妖艶・妖美さを孕んだ瞳で見つめてくる霖に、彼女は好奇心で手当たり次第に回路をまさぐった。ツンデレになったり、ヤンデレになったり、無表情になったり、感情豊かになったり、典型的キャラクターを一回りしてようやく元に戻った。
【これでいいか?】
「はい。大丈夫です。感謝します」
それから数分の時間を挟み自動再生の撤去も無事完了。リビングでテレビでも観てゆっくりしようかと提案する時雨に、霖は最後に一つと訊ねた。
「主。主は今、どんな気分ですか」
その質問にどういう意図があるのかは不明だが、時雨は特に深く考えもせずに答えた。
【あぁ。悪くねぇな。悪くねぇ】