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二章

『限りなく機械に近い人間』。通称『ハーフマネージメント』。

“機械で人間を造り人間を賄う”計画『限りなく人間に近い機械』の逆転の発想で生まれ、正反対の“人間で機械を造り機械を賄う”計画の下に造られた。『限りなく人間に近い機械』は機械で人間を造るのに対し、『限りなく機械に近い人間』は人間の身体を元にして機械を造る。簡単に言ってしまえば人間の死体に科学のメスを入れるという事。その余りにも非人道的な製造方法ゆえに闇に葬られた曰く付きの計画。

 という厨二病末期な夢を見た。

「んぁ……」

 カーテンの隙間から西日が照り込み私の目を刺激した。

「……ふへぇ……」

 眠気全開で自分が置かれている状況を確認する。見慣れた部屋。使い慣れた机。慣れ親しんだベッド。ここは間違いなく私の部屋だ。制服姿で寝ている事から帰宅早々寝落ちしたようだ。

「ん。あぁ~!!」

 ベッドに潜った状態で思いっきり背伸び。これが気持ちいい。一度は試してみて。

「……夢か」

 とても興奮する夢を見た。しかも二色大学とか『限りなく人間に近い機械』とか、妙にリアルな用語が出てきてかなり現実味があった。さらに『限りなく機械に近い人間』とかの新用語も出てきてそれはそれで楽しめた。特に宙に浮いたときの浮遊感とジェットコースターのような息もつかせぬ戦闘の高揚感が最高だった。

 と、夢のお気に入りのシーンを何度も脳内再生。朝食を作ろうと部屋を出る直前まで再生は続く。

「ん、なんかいい匂いがする」

 ドアノブに手を掛け回した。

「おはよう御座います御嬢様」

 そこには無機質無表情無関心の三拍子が見事に揃っている青年が立ってい――

「朝食は既にじゅ――」

 バタンッ!!

「(いた。なんかいた。確実にドアの向こうになんかいた)」

 というか思い出した。あれは夢じゃない。現実だ。てか何であいつがここにいるの?

「御嬢様、どうなされましたか!?」

 慌てた様子でバンバンとドアを叩いてくる。

「御嬢様どうしてドアを閉められるのですか!? ドアを開けて下さい!!」

「うっさい、誰が開けるかバーカ!! だいたい何であんたが私の家にいるのよ!? 不法侵入よ不法侵入!!」

「御安心下さい」

 安心できるかぁ!!

「不法侵入ではありません。きちんと御嬢様の許可を御取りしました」

「取ってないよ!? 取ってないからね!?」

「そして昨晩、この家で住んでもよいと」

「言ってなぁぁぁい!!」

 断じて言ってない。それだけは保証する。それは世間的に問題が、

 ……は?

 昨晩?

「あんた昨晩私に何した!?」

 返答次第では殺す所存です。

「御嬢様が眠ってしまわれたのでそのまま寝かしつけただけで御座います」

 やばい。ものすごく心配だ。

「それまでの経緯と詳細!!」

「ウィンネルとの戦闘終了後、自分が身寄りのない身だと気付き、護衛も兼ねて一緒に住んでもよろしいでしょうかと懇願したところ、御嬢様は頷きそのまま寝てしまわれたので帰宅し寝かしつけ、今に至ります」

 えぇ~っと……、私にそんな記憶はないぞ。戦闘前ならあるけど、戦闘後の記憶がとてもおぼろげで曖昧だ。もはや記憶って呼べるかどうかも怪しい。

 きっと、度重なる轟音や爆音で精神的に疲れていて安心した途端に眠気がよみがえってきたのだろうと推測。

 ……あれ? だとすると。

「それ私の意志じゃないよ!! 眠くて首が傾いただけ!!」

 完全に不可抗力です。

「それでは私の身の上話の件は」

「無効!!」

 ズーン。ドア一枚を隔てた廊下からどんよりとしたブルーな空気が流れてきた。胸にチクリとくるものがある。

「(うっ。何よ、まるで私が悪いみたいじゃないのよ)」

 どうやら彼は一緒に住みたいらしいけど、一人暮らしの女子高生と青春真っ盛りな男子高生が同じ屋根の下で暮らすのは無理がある。というか問題がある。親だって承諾しないわよ。でも、ここで私が突き放したら彼に行く宛がなくなるのも事実。

 頭の中で「彼のこれからの生活はどうなるんだろう」とか「私抜きでやっていけるんだろう」とか、彼に対しての心配事がグルングルンと所狭しに駆け回る。

 噛み砕いて言うと、

「(くぅ、放っておけばいいものを、私は)」

 これだ。私は何故か彼に対して身内に似た身内以上の親近感を抱いている。ゆえに見捨てられない。放っておけば放っておくほど、見捨てれば見捨てるほど、突き放せば突き放すほど、比例して罪悪感が溜まっていく。正直いい気分ではない。

「(一緒に暮らす、だけなら……?)」

 その程度なら妥協しても構わないかなと思う自分がいた。

 実際、夜中に襲われた形跡はない。襲うつもりなら昨晩中に事を済ませているはず。

「(何だろう。自分で言っててすんごい恥ずかしい)」

 寝るときは縛り付けるなり閉じ込めるなりすれば大丈夫。それに何故だか私自身、一緒に住むのもまんざら嫌でもないような。

「(よ、よし)」

 意を決して、シ~ンと静まり返ったドアの向こう側に呼び掛ける。

「ね、ねぇ。い、居候としてなら、住んでもいい、よ。かな?」

       。

「あれ」

 ドタドタドタと階段を駆け上がる音がする。あいつ、どこかに行ってたな。

「申し訳ありません。朝食が冷めてしまいますので温め直しに行っていました」

 コノヤロォ、私が勇気を振り絞った台詞を訊いてなかったのか。

「宜しければ話の続きを」

「うっさいうっさいバーカバーカ!! もう話してやるもんかバーカアーホ!!」

 告白と同じくらいの覚悟が必要だったんだぞ。それを何度も言えるかボケ!!

「そう言わずに。とても訊きたいです」

「嘘つけ、棒読みだったくせに!! 絶対に話さないわよ」

「訊きたいのは本当ですよ」

「だとしてももう絶対に話してなんかやるもんか!! あんたなんか道路でのたうち……」

 ギュルルル。お腹の虫が鳴いた。

「…………」

「そういえば朝食がまだでしたね。どうなさりますか?」

「……いただきます」

「かしこまりました」




 今日の朝食はシチューらしい。そかもグレイヴ御手製の。朝からシチューはどうかと思うが。細かいところはせっかく作ってくれたので指摘はしない。

「朝食です」

「あ、ありがとう」

 教科書に載っていそうなマニュアル通りの仕草でシチューが盛られた皿を渡された。初見の人なら誰もが「この人の仕事は執事だな」と口を揃えるだろう。それほどまでに一つ一つの動作が鮮やかで無駄がないのだ。執事喫茶で働かせれば大儲けできるんじゃないだろうか?

 シチューをすくい、一口。

「うおっ!?」

 美味しいとか不味いとかの感想は後先に、まず驚いた。

「もしかして御口に合いませんでしょうか」

「お」

「お?」

「美味しい。な、何これ。どうやったらこんなの作れるのよ」

 高級レストラン並の完成度だ。もしかすると対等以上に渡り合えるかもしれない。

「プログラムに従いました。これといった工夫はしておりません。全て冷蔵庫に置いてあるものだけを使用しました」

 口と皿を往復する手が止まった。彼の言葉を思い返す。

 彼は『限りなく人間に近い機械』と対となる存在『限りなく機械に近い人間』。『限りなく機械に近い人間』は人間の死体に科学のメスを入れて造られる。死体が素体なので当然、臓器は機能していない。そこで、死んだ内臓の代替として『世界の全てを賄う機械』の技術が満天の人工臓器を詰め込まれる。

『限りなく機械に近い人間』の目的は『限りなく人間に近い機械』と全くの正反対であるので人間らしさは失われてしまう。彼が表情の変化に乏しい(というより感情のデータがインプットされていないので感情そのものがない)のはそれが原因だ。それでも完全な機械に成ってはいないようで、勘で物事を決めたりと僅かながら生前の人間らしさを持ってはいる。まだ未完成な技術を使ったのだから結果が中途半端になったのは仕方がない。

 人間らしさを失って機械らしさを手に入れた人間。

 機械らしさを失って人間らしさを手に入れた機械。

 一体、どっちが本当の人間なのだろう。

「御嬢様、私の顔に何か付いていますでしょうか?」

 ついマジマジと見てしまっていた。慌てて皿を渡す。

「な、何でもない。それよりおかわり。おかわりを」

「はい、かしこまりました」

 リモコンを引き寄せ、チャンネル観光していると二色大学のニュースが目に留まった。

 そりゃあ、大学をぶっ壊してビルの一部を潰したんだから、そんな大事件をマスコミが放っておくわけがない。それに、かなり後から遅れて警察も来たようだし、地上波で流されるのは時間の問題だ。

 テレビ画面に半壊したプレゼン会場と青空教室状態の博物館が映し出される。アナウンサーが二色大学の校長にインタビューをする場面から始まった。

 着々とニュースが進行する中、私は校長の言葉に耳を疑った。

 だって、だって、


 校長は全く知らないと言うのだから。


 あれだけ大規模な事件に遭いながら何一つ覚えていないという。校長のみならず果ては職員も警備員も、その場に居合わせたテレビ局のカメラマン達も、学生も、招待された科学者達も、そのシーンだけが記憶からスッポリと抜けているのだ。

 私一人を除いて。

「…………は?」

 時間が一瞬止まった。

「な、何よ、これ……」

 何で忘れてんのよ。あんなトラウマものをどうして一晩で忘れられるのよ。

 急いで雛に電話をし確認を取った。

 結果は変わらず、例外は私一人だけだった。

「無駄ですよ御嬢様。昨日の記憶を持っているのは私達二人だけです」

「嘘、でしょ……?」

 自分だけ昨日に置いていかれた。そんな感覚。

「何でこんな事になってんのよ」

「妨害装置の一種ですね。ただ、今回は人体“だけ”に影響を及ぼす種類ですけど」

 距離を何万キロも移動する渡り鳥がどうして道筋をそれずに飛べるか。それは地球の磁力を頼りにして飛んでいるからだ。とある科学者の実験結果でこういうものがある。

 伝書バトを数十羽放してその道中に電磁波を流した。すると、伝書バトは一羽たりとも目的地に辿り着く事はなかったという。道しるべにしていた地球の磁力が電磁波に阻害されてキャッチ出来なかったのだ。

 グレイヴの言っている妨害装置はこれを対人間用に改良し、脳の電気信号のみに働きかけ、記憶を消せるように改悪したものと彼は述べる。

「……ふざけてる」

 度が過ぎてる。正常な人間のやる事じゃない。そんな危険な集団を相手取ったと考えるとゾッとする。私が生き残れたのは奇跡以外の何物でもないと実感する。

『世間が静かになったらまた会おう』

 ウィンネルがそう言い残していた。案外、会う日は近いかもしれない。

「御安心下さい。私が四六時中護衛しておりますので御嬢様には一切手出しさせません」

 そんなストーカーまがいの発言をしたのはグレイヴ。心中を察してくれたのか?

「それだと私のプライバシーがなくなるんだけど」

「それでしたら監視を」

「大して変わってなくない!? むしろ表現が酷くなってるような」

 四六時中監視って。

「常に後方百メートルに待機」

「それ完全にストーカーだからね!? 下手すると通報しちゃうから。私が」

 コン、と彼はテーブルに皿を乗せた。

「それよりも御嬢様、御急ぎ下さい。遅刻しますよ」

「え、何に?」

「学校ですよ」

「へ、学校行くの?」

 こんな事態なのだから超絶に行きたくないんですけど。

「平気ですよ。関係者は私達を除いて全員、昨日の記憶を抜かれていますから。昨日一日は事実存在していない事になっています」

「でもさ、いつ相手が襲って来る……」

「絶えず護衛しておりますので御心配には及びません」

「うっ」

 グレイヴの強さは既に実証済みだから身の安全は保障できる。つまり何の心配もなく日常生活が送れる。彼が言いたいのはそういう事だ。理屈的な観点から見れば安心なのかもしれないけど、それでも私の不安は拭いきれない。護られている安心感はあっても襲われない安心感はない。今日一日はニートになっていたい。

「駄目ですよ御嬢様。学校に行くのは学生の義務なのですから」

「それは国が勝手に決めたこ……」

「屁理屈は通用しませんよ」

 この人はどうしても許してくれないみたいだ。堅いやつめ。

「わ、私にだって立派な理由が――」

 あれやこれやと粘り、ひたすら抵抗していると不意に家のインターホンが鳴った。

「迎えにきたよ~」

 雛だ。なんという間の悪いタイミング。逃げ道をふさがれた。

「さぁ御嬢様、もう後には退けませんよ。前門の虎、後門の狼です」

 これこそが絶体絶命。

「うぅ、くそっ」

 結局、努力(?)むなしく登校する事になりました。


     


 彼の言っていた通りだった。本当に昨日がなかった事にされていた。学校中、二色大学で被害に遭った事を誰一人として話題にしない。二色大学の名前が出てもせいぜい今日のニュースていどでしかない。

「ん~っと……こ、これは一体」

 その埋め合わせなのか、グレイヴが私の彼氏だという噂が知らぬ間に広がっていた。

 あんたら一体どこで訊きつけた。

「京香あんた彼氏できたって本当なの!?」

「どんな人!? 格好いい!? 優しい!? 背高い!? 筋肉質!? スマート!?」

「どこで知り合ったの!? まさか科学者関係とか!?」

 私の姿を視認した途端、異様に殺気立ったクラスメイトが津波のように押し寄せてきた。

「ちょ、ちょっと待ったァ!! 何、何よこれ!? 一体全体なにがどうなってるのよ」

「今クラス中はその話題で大盛り上がりなんだから」

 いや知りませんよ。

「雛、何か言い漏らしたでしょ!?」

「何でそこで真っ先に私を疑うかな。まぁ、ある程度の自覚はしてるんだけどね」

「犯人はあんたかぁぁぁ!!」

「でも残念。私じゃないよ。それにほら、一緒に行動してたわけだし、アリバイは京香自身がが証明できるでしょ」

 なら、出所は一体どこから?

 素直に訊いてみよう。

「んんっと。今日、京香ん家の前を通り過ぎたときさ、雛と京香の他に男がいたのを見たんだよね。京香の家から出てきて京香の家に入って行ったから」

「え、何!? 同棲してるの!?」

「え、マジで!? そこまでの仲にまで!!」

「同棲って事はつまり結婚前提!1」

 あ、あの、一体なんの話を……。

「なるほど、つまりは将来のために予行練習をと」

「男女が同じ屋根の下。何も起きないって事はありえないわよね」

「野生の男が我慢できるわけないもんね」

「じゃあもう既に二人は……!?」

 ……やばい。どんどん話があらぬ方向へシフトしていく。ここで食い止めておかないと伝言ゲームの要領で内容がよりいっそう酷くなりそうだ。仕舞いには私が妊娠したとかいう噂が流れるかもしれない。

「いや、そんな関係じゃないからね私達!! あらぬ誤解しないでよ!!」

「じゃ何で同棲してるのよ京香は!? 相思相愛でもなければそこまではしないわよ」

「嫌いな相手とだったらなおさら。吐き気がする」

「うっ」

 まぁ、当然の疑問だな。

「そ、それは――」

 何か、何かないか。この場を切り抜けられる都合のいい言い訳は。

「じ、実は彼は私専属の執事なのよいつも家で一人ぼっちで心寂しかった私はそんな生活に耐え切れなくなって私はメイドさんを頼んだのところがどっこい何の手違いがあったのか家にやって来たのは執事青春真っ盛りの男女が同じ屋根の下過ごすのは問題があるのだけれど契約し直すのも面倒だしそれに予想以上に家事が完璧だったし顔も申し分なかったからそのまま家に住まわせる事にしたのよ!!」

 あぁ駄目だ。こんな支離滅裂な言い訳で誤魔化せられなんか。

「え、じゃあ何、恋人じゃないの!? 只の執事なの!?」

「なぁ~んだ執事さんだったのか~。どうりで執事服着てたわけだ」

「さすが金持ちが考える事。私達凡人には理解しがたいわ」

 あり、意外にも効果抜群だぞ。

「もしかしたらおこぼれがもらえるかも」

 なんのよ。

「ね、ねぇ京香。今度、彼を紹介とか……してくれない?」

「え、あ、あぁ、ど、どうぞ。よかったら差し上げます。はい」

 グレイヴが独り身なのを知った女生徒達はルンルン気分で各々の席へと戻って行った。

 よ、よかった。開放された。

「と、とんだ災難だったね」

「うん。いきなり朝から疲れたよ」

「私達も席に座ろっか。第二波が来ないうちに」

「そうだね。また誰かに見つかって質問責めにされるのも嫌だし」

 席に座るなり担当顧問の先生がタイミングを図ったかのように入ってきた。名簿表を教卓に置いて一言。

「女生徒だけでずるいぞ。橘京香。私にも紹介しろ」

「あんたもかぁ!!」

「冗談はさておき」

「本当に冗談!?」

 彼氏なし・三十路間近・結婚願望の結晶体である『折戸(おりと)』先生が男との出会いを冗談で割り切るとは到底思えない。しまいには彼氏欲しさに毎週合コン通い&都会徘徊している始末なのに。

「(はっ、そうか、そういう事か)」

 気付いた。きっとこれは先生からのメッセージなんだわ。他生徒に悟られないよう違和感なく私に意思を伝えているのよ。先生大丈夫です。ばっちり伝わりましたから。

「ふむ。意図が伝わればよし」

「?」

 無論、他生徒はハテナを浮かべるしかない。

「(でもなんで先生はいつまで経っても彼氏が出来ないんだろう)」

 折戸先生の外面は一言で表すと冷静沈着クール美人。大人のお姉さん系。三十路間近の女性とかなりかけ離れた属性だ。解り易く例えるなら熟女が女子高生に見えちゃうくらい。このルックスなら教師よりも保険医になった方が妥当だと思う。雰囲気と肉体的な意味で。きっと保健室へ治療しにきた男子生徒諸君を心身ともに癒してくれるだろう。

 と、ここまで散々折戸先生を褒め称えてきたけれど、その非の打ち所がない外見とは裏腹に彼氏所有暦はゼロ。生まれてこのかた恋愛の一つも経験していない。性格も荒れてるわけじゃないし見た目通りの落ち着いたキャラだ。恋愛に鈍感、及び堅い方でもない。むしろ彼氏がいない反動で超貪欲。

「もうそこら辺で止めてくれないか。正直に言うと先生嬉しいんだが、私は意外にガラスのハートなんだ」

 もしやその完璧過ぎるルックスのせいで男性諸君からは手が付け難いとか、高嶺の花とか男を尻に敷いてそうとか思われてたりなかったり。

「いやだからあのなもうそこら辺で……」

 それか男に貪欲過ぎるのが災いして男ったらしとか痴女とかビッチとか淫乱とか。

「おい、それはもはや悪口……」

「しまいには孤高オーラなるものを感じ取って先生から離れ――。って、先生なんで落ち込んでるんですか?」

「橘京香。君に忠告だ。ときとして本心は悪くも善くも作用するから発言には十分に注意したまえ。特に地の文」

「は~い」

「いささか引きずってはいるが、気を取り直して出欠を取る。あじさ……おぉすまん。忘れるところだった。橘京香。お前は出欠を取り終わったら私のところへ直行してくれ」

「へ~分かりました」

 私だけ呼び出し。何か悪い事しでかしたか私。う~ん、見覚えがない。

 出欠を取り終わったので頃合を見計らって折戸先生の元に。

「言われて来ましたけど。私なにか問題起こし起こしましたっけ?」

「ん、何を言っているんだ君は。君は成績優秀……までは行かなくとも学力に問題はないし特に校則に背いているわけでもない。問題児とは無縁だ。それかまさかあれか、校則違反の自覚があると」

「ありませんありません断じてありません!!」

「それなら良いのだが。んむ、本題に入ろう。君を呼び出したのは他でもない。実は警察署から君の身柄送検通知が届いているんだ」

 警察署から直々に私の身柄送検通知通達。何でそんな物騒な物が私に。

「なにか心当たりでも」

「いえ、特にありません。もしかして先生、私を疑ってたり」

「生徒を疑うなど教師の風上にも置けんが、実際にこんなものが届いてしまっているんだ。疑わざるをえん。……ときとして訊くが、橘京香。君は何をした」

「私は法律に反する行動を取った覚えが何一つありません」

 これだけは確実に言える。

「自信を持って、それを言えるか?」

「はい」

 先生は「んむ」と数拍、目を閉じ、確信するように見開いた。

「そうだな。私は君を信じているぞ。だから、自分の足で直接行って自分の口で直接言ってこい。偉大な魔法使いの先生も言っていた。『真実は強し』と」

「はい!!」

 ありがとう先生。私を信じてくれて。男に飢えていてもやっぱり先生は腐っても先生だね。私、先生の期待に沿えられるようにきちんと自分の足で…………って、え?

「自分の、足で、ですか?」

「そうだ自分の足でだ。もしかして私が車で送迎すると」

「思ってました」

「そうか。じゃあ待ってろ。直ぐにパトカーを……」

「いやいいです結構です自分の足で行きます!!」

 パトカーに乗せられて警察署。完全に犯罪者扱いじゃん。

「ちなみに場所は飛鳥だ」

「飛鳥!?」

 なんでよりにもよって飛鳥なのさ。二色大の事件も相まってあんな機械だらけの街もうこりごりよ。

「んむ。国家勢力様を待たせるのも悪いからな。今日は特別に休んでもいいぞ」

「イェ~イラッキー!!」

 授業潰せるんなら割りに敵ってるかも。

「ほら、授業が始まるから」

「先生ありがとう。そして行ってきます」

「ん、それが嫌疑をかけられた人間の台詞か」


     ◇


 羽樋雛は彼、グレイヴを一目見た瞬間から腑に落ちないでいた。

「(私はどこかで彼を)」

 彼女は彼に見覚えがあった。道ですれ違った他人ていどの、今にも消えてしまいそうな不安定で漠然とした記憶でしかないけれど。

 本当ならそんな些細な事にいちいち思考を巡らせる必要はないのだが、今回ばかりは特別で、頭の隅に追いやろうとしても時間が経過しても消えてくれる気配がない。

「(確か、京香の家で)」

 そうだ。初めて見た場所は京香の家。遊びに行ったときに見た。けど彼自身ではない。あの家には京香と母二人だけが住んでいて京香以外には会っていない。だとすると……。

「(思い出して、思い出して)」

 人ではない。じゃあ何だ。直接彼を見ていないのならどこで間接的に見た。

 画像か?

 映像か?

 写真か?

 絵か?

 それとも単なる見間違い。

「(いえ。確かにあの顔を知っている)」

 もう一度、より鮮明に事細かく、訪ねたときを思い返す。

「(――そうだ。思い出した。彼を見たのは)」

 写真だ。家族団欒で幸せそうに写っている写真。今の京香の状況では手に入らないであろう幸福で満たされている写真。その中の一人に、彼が一緒に写っていた。

「(でも……)」

 矛盾が生じる。京香は現在一人暮らし。母は音信不通の身で行方不明。父でさえ彼女にはいない。彼女の傍には誰一人としていないのだ。その“いない人間”が隣にいた。さおも最初からいたかのように当然に振舞って。

「……そんなわけないわよね」

 時間は戻らない。死人は生き返らない。老いはせど若返りはしない。それが自然の摂理。破られないし壊されない。だからあそこにいるはずなんてないのだ。ましてや死んだ人間なんかが。

 京香に訊き出したかった彼女だったけれど、これは彼女自信が唯一抱えているトラウマ。その忘れ去ってしまいたいトラウマを掘り返す事は、友達である雛には出来なかった。だから、答えは自分の中で見つけるしかない。

「まぁ、世界には同じ顔の人が三人いるって訊くし」

 しょせんは他人の空似と、彼女はそれ以上追究はしなかった。


     ◇


「はぁ」

 公園のベンチで一人ため息をこぼす。

 正面の池を挟んだ向こう側に渚未来の校舎が際立っている。二色大や近辺の学校より大きい学校ではないものの、この地区の高校では比較的大きい部類に入る。

 とまぁ、学校紹介は置いておくとして。問題はどうして私が警察署に行くのを放棄してここにいるのかという事だ。学校を出るまでは順調に飛鳥へ足をおもむかせていたのだけれど、近道と思いこの公園に入ったのがいけなかった。小腹がすいたと公園内のコンビニを訪れ、ちょっとの休憩とこのベンチに座ったのが最後。完全に行く気が失せた。皆は経験した事はないだろうか。勉強しよう勉強しようと意気込んでいるときにふと目に入ったゲームに手を伸ばしてしまう事は。私が今まさにその状況だ。

「ふぅ。……もう、行くか」

 屁理屈を並べ立てても現実は変わらないみたいなので諦め、重い腰を上げた。

「あれ、あいつって」

 今日一日中私を監視している最中の彼が目の前を素通りした。

「ちょっと待ちなさい」

 すかさず捕まえ尋問。

「ねぇ、なんであんたがここにいるのか訊きたいんだけど」

「これはこれは。まさか見知らぬ貴婦人に御声を掛けてもらえるとは、とても光栄です。どうでしょうか、これから御食事でも」

「いや行かないよ。てか、あんたの所持金は私のお金でもあるんだから勝手に奢らないの。いい?」

「精進します」

「ところで、まだ私の質問に答えてないんだけどさ、何でここにいるのかな」

「何やら御困りの様でしたので」

「困ってるっていうか悩んでるわね」

 さすが機械の観察眼。よく見極めている。

「このまま何もかもサボ……」

「らせませんよ」

 即答。

「で、でもさぁ、私って機械苦手でしょ? 視界に入るだけでイライラするし不快になるし、そんな私が飛鳥みたいなカラクリ屋敷に行ったら、恐らく心が保たなくて倒れちゃうわよきっと」

「大丈夫ですよ。私が死ぬまで一生、御嬢様の背中を支え手を引いて差し上げますから。御嬢様はただ私の傍に居ればいいです」

 ……え、何これプロポーズ?

「しゅ、終着点の対応が万全だったとしてもそこに辿り着く過程がねぇ。リニアに、つまりは機械そのものに乗るわけだからきっと嘔吐したり吐血したり大変な事態に」

「御心配なく。私が現地までエスコート致します」

「ぐっ」

 だ、ダメだ。全く歯が立たない。どうなっているんだこいつは。まるで城壁のようだぞ。

「ち、ちくしょうぉ……」

 行くしかない。それに、幾ら拒んだって屁理屈を言ったって意固地になったって、最終的にはコテンパンに返り討ちに遭って行かされるんだから。今朝みたいにさ。それならここらで諦めた方が賢い選択。どこぞの誰かが諦めたらそこで試合終了だぞと言ってた気がするけど、引き際が肝心な場合だってある。今がそのときなのだ。多分。それにもう心折られたくないし。

 行く姿勢を見せるとグレイブが方膝を突き両手を前に差し出した。

 え、その姿勢って、

「エ、エスコート……よね?」

「はいエスコートです」

 どう見てもお姫様抱っこのポーズにしか見えないんですけど。

「後ろが良かったですか?」

「そういう問題じゃなくて」

 はぁ、乗りかかった船だ。もうあれこれ文句言うの止めよう。初めてでもないんだし慣れれば大した事ない。……のかな?

 身を任せるとグレイヴは軽々と私を持ち上げた。こういうところが男らしくて格好いい。

「御掴まり下さい」

「安全第一でお願いします」

「了解です」

 地を蹴った勢いで数百メートル離れた地点に着地。飛翔、着地を繰り返し、公園を抜け、街に行き着くと次はビルとビルを股に掛け空中を飛び回る。

 彼のこの飛翔能力は反重力技術の亜種である体重・重量の加減機能『反無重力(マイナスグラヴィティ)』の恩恵であると彼は語っている。重力は下に掛ければ重くなり、上に掛ければ軽くなる。主に減量は移動などの補助に。増量は打撃の一撃を重くするために。

「(なんか、不思議だなぁ)」

 本来なら機械であるグレイヴに触れただけで不快感や嫌悪感が溢れてくるのというのに、何が原因か、幾ら彼に触れても嫌気がささない。むしろ心地いい。心が和らぐ。気が休まる。ずっと触れていたいとさえ思ってしまう。

「なんでだろ」

「何か仰いましたでしょうか」

「ううん、なんでもない」

 でも別にいいや。今はこうして身を委ねて任せていよう。




 もはや十分と経たず飛鳥に着いてしまった。

 もう少しあのままでいたかったのにな。物足りない気分。

 さすがに街中でお姫様抱っこは恥ずかしいので降ろしてもらい、時間が背中を押していたので早急に警察署へ足を進めた。

「うぇ、気持ちわる」

「支えております」

 右へ左へ左右へ揺れる不安定な足取りで歩く。

 嬉しい事に警察署は着地地点からそれほど離れておらず、数分で到着した。

「念のために確認とておくけどさ、ここで合ってるんでしょうね」

「問題ありません。座標はここと照合しますので」

「……ここの建物はどれもこれも桁違いね」

 天を衝かんとばかりの警察署がそこにはあった。これはもう警察署というより高層ビルに近い。これを初見で警察署と分かる人はそうそういない。首が疲れてきた。

「……ここまでくるともう驚かないわ」

 中身も外観に同質で見事に豪華絢爛。スカートの中が映るまでに床はピッカピッカ。大理石で出来たデスクやイス。筆記用具は鉛筆やボールペンではなく万年筆。ここが警察署なのかと本気で疑ってしまう。警察署辞めてホテルに改装すればいいのに。

 ただ、そんな光景に似つかわしくない要素が一つ。

「休みかな?」

「それはないと思います。ここは基本的に年中無休ですから」

 そう、人がいない。気配も影も形も声も何もない。デスクや受付が寂しく並んでいるだけ。ここまで静かなら微かな物音一つでも十分に聞こえるはずだけど、足音も聞こえないとなると本当に誰もいないみたいだ。警察署内は文字通りの無人と化していた。

「休みなら何で呼ばれ――っ」

 だからこそ、息吹く風が不自然に際立っていた。

「伏せてください!!」

 グッと、グレイヴに頭を押さえつけられ半ば強引に床に伏せられる。今しがた頭上を空気の塊が素通りした。私の頭があった位置にだ。グレイヴがいなければ今頃私の頭は木っ端微塵だったかもしれない。

「ぐふっ、今のって!?」

「まさかここで来るとは。全く予想していませんでした」

 悠然と、

「やぁ、こういう場合って久しぶりで合ってるよね」

 比較的大人しめで物静かな風貌と雰囲気を併せ持つ青年ウィンネル。悠々たる動きと風のような清々しい風采はまさに“清”年を冠している。誰に改良されたか、前回よりも断然、人間により一歩近づいていた。

 グレイヴは壁の損傷具合を見て一言。

「全開。ですか」

「まぁ、ね。前回は失敗したからね、自分に酔ってた昨日の反省点を踏まえて今回は全力で任務をまっとうするよ。でも、その前に、どうせ君が障害になるんだろ」

「当然です」

 ウィンネルから明確な敵意を感じ取れる。彼が抱いているのはリベンジなんかの生ぬるいものではない。それは復讐心に近かった。

「観客とか傍観者とか外野とかは五月蝿いだけだからさ、お姫様はどこかに引っ込んでてよ。取り敢えず、殺すつもりはないから」

 嘘だ。絶対嘘だ。今のは確実に急所狙いだったし、当たれば即死するレベルだった。最初っから私を殺す気満々だ。

「御嬢様」

 その言葉の意味は訊かなくとも理解できた。

「……頑張って」

 グレイヴを背に、私は最奥にバリケードを作り避難した。

「それじゃ、いくよ」

 直後、すさまじいまでの衝撃波と風圧が飛んできた。二つは反響し合い混ざり合い、物という物を退かした。窓ガラスは残らず砕け、床を引き剥がし抉った。配役を残し舞台上から不要物は跡形も無く排除された。

「……く、……ぁ」

 脳震盪で歪む視界を強引に修正し、気分覚ましにと手頃な距離にあった窓から顔を出す。

「(えっ、気付いて、ない……?)」

 外にいる人々は壁一枚を隔てた先で何が起こっているのかを知らずに平然と歩いている。バケモノが暴れて、破裂音、爆音、轟音をどれだけ響かせても人々の耳に入る気配はない。こんな防音対策の一つも施してない、防音設備が整っていない、ましてや防音壁一枚もない部屋から音が漏れ出ないなんておかしい。

「(あぁ、そうか、あれか)」

 昨日、前回。世界で初めて『限りなく人間に近い機械』が発表されなかった日。二色大学を完璧な密室に作り上げた妨害装置がある。音の正体である空気の振動をゼロにし無音を作り出す音波遮断が現在進行形で使われている可能性が高い。

「くそっ、ったく……」

 未完成不完全な技術のクセして、効果はだけは絶大なんだから。あぁ、胸糞悪い。

「うわぁ!!」

 第二波がとどろいた。その威力は私の身体を窓から追い出すのに十分だった。


     ◇


「(故障、ですかね)」

 グレイヴはウィンネルとの戦闘中、彼の強さに対して絶えず違和感を感じていた。拳を、力をぶつけ合う度にその違和感はより一層大きいものとなっていく。

「(やはり、該当データとに誤差が生じています)」

『限りなく人間に近い機械』は人間と同じく経験を積み、糧にし成長する。逆に言えば経験を怠れば堕落する。だから強さが上下してもなんら不思議ではない。

 彼が気にしているのはそんな些細で普通な事ではない。

「気に食わない? 僕の強さ」

「…………」

 強さの桁に幅があり過ぎるのだ。たった一日。ウィンネルはたった一日で素人レベルから達人レベルにまで強さを上げていた。これは人間の成長速度とは比べ物にならない速さだ。

 しょせんは機械だから。と、片付けてしまえばそれまでだけど『限りなく人間に近い機械』は名の通り人間に限りなく近づけて造られたのだから、人間離れした設定にはしていない。

「そりゃそうだよね。昨日まで明確明瞭明白だった列順が、一日で塗り替えられたんだもん」

「(不思議ですね。一切のマイナス要因が見受けられません)」

 人間とは酷く弱く脆く情けない生き物だ。大人でも子供でもプロでもアマチュアでも達人でも素人でも、人間であれば多からず少なからず必然的に何らかの不安材料・不安要素を抱えているのだから。

 けれど彼の目、表情、行動、仕草にはそれらしいものが微塵も見受けられない。自身の勝利に、強さに、行いに確固たる自信を持つには何らかの後ろ盾が必要であるのに。

「そんな偽りの強さで私に勝てるとでも」

 ゆえに、裏で第三者が関わっている事実は容易に確定した。

「偽り。偽りか。そうだよ、確かに偽りだ。他人から貰った偽者の強さだ。だけどそれが何なのさ。それがどうかしたのさ。強さが嘘でも、僕が君より強いって事は事実だ」

 手をかざす。

「ほら……」

 風を集約する過程を省き、風の弾丸が撃たれた。風は直線軌道を描き一直線にグレイヴへ激突した。

「(っ!!)」

 防御の体勢を取ったグレイヴだったが、風の弾丸は防御なんて関係ないといわんばかりに、彼を壁際まで押し退けた。予想データを遥かに凌駕する威力に、機械でありながら驚きを隠せない。

「(予想結果と体感結果に大幅な違いが出ています。これならばあるいは……)」

 グレイヴは身に染みた威力が消えないうちに分析し、ウィンネルの強化に一役買った人物を割り出す作業に移った。

「(現時点の技術力で『限りなく人間に近い機械』の知識を有し、なおかつそれを最大限以上に応用、発展させられる科学者は――)」

 一名しかいない。

「むかつくな。その余裕そうな顔。いくら感情がないからって、少しは動揺して欲しいよ。特に、絶望までしてくれると嬉しいな」

「絶望、ですか」

 知らない。ウィンネルは知らない。何も。彼の事を。何一つ。

「私が何故、ここまで冷静にいられるのか貴方は知っていますか?」

「感情がない機械だからでしょう」

「はい。それも一理あります。感情が皆無なのが原因で冷静なのもあります。ですが違います。私のこの冷静さの要は私が“『限りなく人間に近い機械』で一番高性能に造られた”からです」

 彼女が手掛けたのはウィンネルだけではない。ましてや、たかだか最終調整を施されただけの中途半端な分際で、ゼロから最後まで手を加えられ丹精込められた彼を蔑むなんて片腹痛い。

「まだ、強気になれるんだ」

「私は貴方と似ているかもしれません。実は私も貴方と同じように、絶対の自信を持てるほどの後ろ盾があるんです」

 両腕が夜空に染まる。神々しく爛然と。

「終わって下さい」

 刹那。ウィンネルの身体に多大な重力と膨大な負荷が掛かった。彼の体重を何十倍何百倍にも増幅させる。立っている事すらままならずにひれ伏す。

「壊れるとは思っていませんでしたが、まさかここまでとは」

 機能停止ていどにとどめておこうとに重力を加減したグレイヴ。

 ウィンネルは機能停止どころか凹んですらいない。

「……お、っ」

「喋る余裕もありますか」

 一言。

「お姫……様。……は、……?」

「――――」

 いや、そんなはずはない。京香が避難したところはちゃんと見ていた。ログにも残っている。大丈夫。心配ない。

 そう何度も自分に言い聞かす。それでも彼はどうしても不安を捨てきれなかった。“もしも”の事態が起こらない可能性もなくはない。

 だから彼はウィンネルから視線を外した。けれどそこに京香の姿はなかった。

 初めてグレイヴに焦りと戸惑いが生まれた瞬間だった。

「っ!!」

 彼は早急に戦闘を放棄し急遽、目的を『京香の探索』に切り替え、索敵範囲で京香を探そうとした。彼にとって彼女の存在は他を差し置いてでも真っ先に優先すべき価値。

「どこ見てるの?」

 彼の頭部をワシ掴んだウィンネルは、彼を床が抉られる強さで叩き付けた。

「参ったよ。強くなっても正面からの正攻法じゃ君には勝てないのか。でもこれで逆転だ。僕の勝ちだ」

「まだ終わって――」

「いや、終わりだよ」

 動く前に、彼の頭部に風穴が空いた。

 首から上が木っ端微塵に吹き飛ぶくらいに。大きな穴が。


     ◇


「ぅ、ぁあ……っ」

 橘京香は見知らぬ部屋で目が覚めた。

「ここは、どこ」

 窓の外の風景から察するにここは警察署の二階か三階。部屋中には机が規則正しく並び揃えられてある。机上に書類が積み上げられている事からここが事務室であると知れた。

 声がする。女の声だ。

 声の主は机に腰を降ろし、机上の書類を蹴散らして、空中投影されたディスプレイに向かって何かを呟いている。

【はぁ~、負けたか。でもまぁ、想定内だし『(しゅう)』にはまだ次がある】

 その声は一言で言い表すなら“異質”そのものだった。不気味で、猟奇的で、陰険で、気味悪く、狂ってて、陰惨で、狂言ぎった異様な声色。人格破綻者とか、快楽殺人者とか、マンドサイエンティストとかの『正常な人間』の枠から逸脱した異端者の声質。その声を訊いただけで身体が本能的に関わってはいけないと避けるまでに危険な肉声。

「(え……)」

 けれど彼女は関わってしまった。

 否。

 関わる事を避けられなかった。

「お、……母さん……?」

 それが母であったから。

 科学者の代名詞である白衣を羽織り、白衣の随所随所から飛び出た優雅さと気品に溢れたしなやかな手足。手入れが行き届き、長く伸びた髪が後ろで括られている姿は記憶の母と瓜二つ。染めたのか、はたまた変色したのか、青紫色の髪の除いては。

「お母さん!!」

 京香は衝動的に叫んでいた。

【んぁ、お母さん?】

 つまらなさそうに首を傾ける。

「私だよ、橘京香。覚えてる、私の事? 私はずっと覚えてたよ」

 京香は母がいなくなって以来、一日も欠かさずに母が帰ってくると願い、信じていた。けれどそんな願いは見事に裏切られた。だから彼女は母を恨んだ。母が関わった全てに

嫌気が差すまでに強く。

 それでも京香の本心は何一つ変わらなかった。綺麗にうわべを彩っても中身は変わらないように、彼女の母に対する“好き”という感情は何一つ揺れ動かなかった。


【雌。あんた誰? 誰が私をお母さんと呼ぶ事を許可した。お前、解体すんぞ?】


「――え」

 いともたやすく簡単に、それこそ息を吐くまでに自然に、彼女の想いは壊された。自分が間違っていたのかと疑ってしまうまでに。

「う……そ。だよね?」

 母はそんな事言わない。母はいつだって私の事を想っててくれて愛してくれた。だから今度は私が母を想う番だと、母から貰った愛情を返す番だと、そう思い、過ごしてきた。

 でも、拒絶された。無情にも、想い人は微塵たりとも自分を想ってなどいなかった。

「私、だよ。……たち……っ、ばな、きょうか……」

 言葉が途切れ途切れになる。かすれていく。

「お母さんの……ママの、一人だけの……むす、め……」

 それ以上は言葉に出せなかった。また拒絶されるかもしれない。拒まれるかもしれないから。でも言わなければ、言葉にしなければ決して届かない。伝わらない。

「ねぇ……私だよ、お母さん。……思い出してよぉ。ねぇ、ママぁ……」

【だぁっから、泣いてもわめいてもあたしはあんたの事なんか知――】

 一瞬の、間。

【雌、お前さっきなんて言った。橘、京香だと?】

「そ、そうだよ私だよ!! 橘京香」

【あぁ、そうか。あんたが京香か。霙の中で見てたのは小さい頃のお前だけだったからなぁ。見ない間にずいぶんと成長したな、京香】

 “霙の中”。その言葉の真意までは問えなかった。ウィンネルが床を突き破ったから。

「お、いたいた。一階を探してもいなかったから驚いちゃったよ。……て、あれ。どうしてここに『創造主(マネージャー)』がいるんですか? 表立つのは好きじゃないって言ってたのに」

【まぁ、高みの見物かな。あんたが勝つかあいつが勝つか。って】

「そうですか。でも残念ながらもう観賞は出来ないですよ。もう終わりましたから。僕の勝ちで」

【へぇ~、てめぇ――】

 空気の質が変わった。辛辣としてドス黒く、陰険なものに。

【あたしの技術がそこいじょそこらの既製品に負け劣ってるっていうわけか】

 ピリっとしたものが肌を刺した。それが創造主の発した殺意なのだと分かるのに、さして時間はかからなかった。彼女から離れている京香でさえ肌の痛みが治まらないのに、真正面にいるウィンネルは一体どれほどの殺意を浴びせられているのか。口を開けないでいるところを見ると、ここがどれだけ平和な場所かを思い知る。

【あ、いやいや、別にあんたを叱ってるわけじゃない。そんなに怖がるなよ】

 彼女は喜色面々にウィンネルを撫でてやった。むしろその笑顔が何よりも恐ろしかった。

【ほら。あんたは自分のやる事があってここに来たんでしょ? だったらさっさと済ませてきなさいな】

「は、はい」

 コツコツと、彼は京香に歩み寄る。

「ごめんね、お姫様。本当はこんな事したくないんだけど」

「(こ、殺され――)」

 彼は腕を振るった。手刀は綺麗に切り取った。

 ペンダントを。

「――え?」

 京香は腰が抜け、座り込む。

「じゃないと僕が殺されちゃうから」

「(なんで)」

 分からない。どうしてその何の変哲もないペンダントを欲しがるのかを。金銭的価値があるとは思えない。

「なんで、それを」

「ん。僕は教えてあげてもいいんだけど。創造主の意見がねぇ。ねぇ創造主、これの事教えてもいいですかね」

 彼女は退屈そうに机に腰掛けながら、

【いいぜ。霙の娘だ。どうせ遅かれ早かれ知る事になってたんだから】


     ◇


 静寂。および沈黙。警察署の一階はまさにその単語に似つかわしかった。その静寂で不気味にも機械音が一人寂しく響いていた。近辺の貴金属を引き寄せながら。

 実を言うと『世界の全てを賄う機械』の技術は全部が全部、公表されているわけではない。一部の有能で万能で高性能でハイスペックな技術は、開発者の橘霙の手中に収まっている(オカルトに近い技術も含まれている)。橘霙製品が群を抜いて他の隋を許さないのはそのせいだ。彼女曰く「科学者だと自画自賛してる科学者気取りに渡したところで扱えない。しょせん宝の持ち腐れ」との事。

 当然、橘霙製には製造を禁止された『限りなく機械に近い人間』のグレイヴもカテゴライズされている。平気で規律を破り余裕で禁句を犯せる科学者は彼女以外どこにもいない。彼に組み込まれた技術とは『自動再生(オートプレイ)』機能。全身の所々に自動修復プログラムを独立させて組み込み、身体が損傷と判断したならば本人の意思に関係なく即座に修復させる。それがたとえ機能停止していたとしてもだ。


――肉体的ダメージノ修繕率九十八パーセント超――


――コノ値ヲ行動可能ナ数値ト判断――


――コレヨリ本体ノ再起動ヲ開始――


――再起動マデ、五……四……――


――三……――


――二……――


――一……――


「…………御嬢様」

 再起動早々彼が開口した言葉はそれだった。

「…………」

 記憶はないが周囲の状況、自己の状態から憶測するに、自分が負けて一度死んだのだと瞬時に理解した。

「失格、ですね」

 彼女を護れ切れなかった拳を憎たらしく見つめ、握る。しかし自分の無力さを嘆くよりも先に優先するべき事柄がある。今はそのときではない。

「索敵範囲、展開」

 いた。四階に人が三人。京香とウィンネルともう一人は創造主。

 彼はそこへ出向くために、ウィンネルが移動に使ったであろう天井の穴の下に立った。そして跳躍し、こちらを覗き見ているウィンネルの顔を掴み取った。そしてそのまま勢いを殺さずに天井へ後頭部を抉り付ける。

「ぐぁっ!!」

 すぐさま京香の位置を確認。一目散に創造主と京香との間に割って入る。

「申し訳ありません御嬢様。遅くなりました」

「ねぇ、グレイヴぅ。お母さんが、ママが変なの。……私の事、覚えてないって言うし」

【いやだから覚えてるってば】

「…………」

 彼は悲愴な表情を浮かべ、悔いた。

 本当にダメだ。護れなかったのに、果ては泣かせてしまった。

「それに……なんだかお母さんがお母さんじゃないの。荒々しくて、傲慢で、それで、それで……」

「落ち着いて下さい御嬢様。それについては私も同感です。私も、今の創造主から人間の要素を全く感じ取れません」

 狂いきった言動。狂気にまみれた雰囲気。呑み込まれてしまいそうなプレッシャー。正常な人間からあまりにも逸脱している彼女は人外と呼ぶに相応しい。

 けれど違う。彼が言いたいのはそういうオカルトチックなものではない。彼が言いたいのはもっと現実味を帯びていて、彼女を科学的根拠に基づいて人間ではないと否定できるような、そんなものだ。

 発端は索敵範囲で居場所を探ったときだ。索敵範囲の原理は電磁波を流し、跳ね返ってきた速度で地形、形状、障害物、目標を把握し捕捉するというもの。もちろんと言うところで、材質によって電磁波の跳ね返る速度は違ってくる。人間には人間の、木には木の、鉄には鉄の、電磁波が反射する速度がそれぞれ違う(それでも大して違いはないのでほとんど同じと言ってもいい)。彼が創造主から人間的要素を感じないと言ったのはこれが起因する。索敵範囲が示した創造主の反射速度は人間よりもむしろ、ウィンネルやグレイヴといった“鉄”に近かった。

「それに――」

 彼からしてみれば創造主が何故ここにいるのかが一番気にかかる。

 でも疑問は後回しだ。今はこの最悪な状況をどうにか打破しなければならない。

【相変わらず、あたしって何でも遠ざけちゃうのよね】

 錯覚か、悲観しているように見えた。

「痛つつ。あれ、おかしいな。君は確かに僕が壊したのに。なんでまだ生きてるの? しかも傷治ってるし」

【あれ言ってなかったっけ、あたしの造ったものが既製品なんかにゃ負けないって】

「まぁいいです。取り敢えず……」

 風を逆噴射し、推進力でグレイヴに殴りかかった。

「君との決着を付ける」

「――――っ!!」

 対するグレイヴは正面から彼を迎え撃つ。

 ズギン!! と、二つの貴金属が交わった。

「ここじゃ狭すぎる。場所を変えよう」

「御好きにどうぞ。私はどこでも構いません」

「じゃあ屋上だ。異議はないね」

「ええ、ありません」

 ウィンネルの腹部を殴りつける。単純ながらも痛烈な一撃は、天井をいくつも打ち貫いて彼を屋上まで送った。空いた穴を通りグレイヴも屋上に足を降ろす。

「っ。相変わらず、容赦ないね。君は」

「言いましたよね。私と貴方は似ていると」

「同感だ。目的を果たすのにいちいち手段を選んでる時間なんてないしね。だから僕は他人から強さを貰った」

 だから僕はこれをと、京香から取ったペンダントをかざす。

「御嬢様のペンダント。それが一体……」

「違うね、これはただのペンダントじゃない。こんな形をしてるけど、これはれっきとしたUSBメモリだ。この中には創造主が開発した膨大なデータが詰まってるんだよ」

「御説明感謝します。ですが、そんなデータで一体何をなさる御つもりで」

「簡単に簡潔に適切に言うならこれはアップデーターだよ。僕達の強化用データさ」

 それを口に含み、呑み込んだ。

「これから起きる事は君には到底理解できない。たとえ出来ても、過去」

 瞬間、ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン!! と、グレイヴの身体に数十発近くの風の弾丸が撃ち込まれていた。威力も速さに負けず劣らず、被弾した箇所を持っていき、余波が身体を屋上の外にまで追いやった。されど落ちはしなかった。ウィンネルが彼を掴んでいたから。

「これ凄いね。自分でもびっくりだよ」

 グレイヴの破損した箇所に貴金属が吸い寄せられるように集まり、それを不足したパーツとして損傷部分を修復させていく。数秒後には完璧に元通りに完治。

「これが橘霙直々の性能か。妬けるな。君が創造主の息子だけって理由で、それだけの条件でここまで強くなれるんだから」

 腕の力を強める。その度にグレイヴの身体はギシギシと悲鳴をあげる。

「……っ、……」

 グレイヴはあがく。手をかざし、横向きの重力で弾こうとした。

 バシンッと、虚しくも弾き返される。

「効かないよ。そんなポンコツな重力」

 歪んだ顔を浮かべ、笑う。どこか創造主の面影を垣間見せる。

「キャラが……変わってませんか……?」

「あぁ、これね。これ使ってると不思議とね、不思議とハイになってくるんだ。なんて言うのかな。こう……世界が明るく見えてくるというか、自分が唯一無二の幸福者って思えてくるというか」

 無尽蔵に沸く力からの余裕か、それとも只単に血迷ったのか、捕らえていたグレイヴを屋上に手放した。これを好機と、彼はありったけの重力をウィンネルの頭上に降らせる。

 ズグンッ!! と、床が崩落。

「ん、何してんの?」

「なっ……!?」

 これでもかと、さらに重力を降らせる。さらに重力を掛ける。さらに重力を上乗せする。さらに重力で押し潰す。さらに重力で押え付ける。さらに重力を叩きつける。さらに重力を乗せ加える。

 どんな力を以ってしても、それでも効かない。手応えがない。

「…………っ!!」

 重力がダメならばと、今度は距離を殺し打撃を加る。重力の帯を纏った重い蹴――、

「ハハハッ――」

 空洞があった。知らぬ間に怪我をしていたみたいに、ただ空洞があった。

 胸を風が吹き抜け、涼しい。

「弱いね、君」

 バケモノだった。

 デタラメだった。

 圧倒的だった。

 絶望的だった。

 壊滅的だった。

 驚異的だった。

 想定外だった。

 規格外だった。

 桁違いだった。

 段違いだった。

 何をどうやったって、何をどうしたって、何を使ったって、どこをどうしようが、何をしようが、殴ろうが蹴ろうがひねろうが弾こうが潰そうが飛ばそうが、それ以上の力で無力化され無効化される。策略も、戦略も、知略も、有無を言わせぬ絶対的な力の前では無意味。無力。しょせん、アリが象を殺せるわけがない。

 でも、それでも、まだ早い。理由にはならない。いや、そもそも理由なんてない。

「……、……」

「……分からないな」

「…………」

「どうして君はまだ戦おうとするのか、それが僕には理解できない。勝てる見込みもないのに、勝てる算段もないのに、勝てる可能性がないのに、それでも諦めない君が、僕には理解できない」

 それは疑問というよりもむしろ憐れみに近かった。

 グレイヴは『無』の眼光を彼に向けた。それこそ『無』ではあったが、奥には確立された“何か”が宿っていた

「だから、なんです。勝てないからと、負けるからと諦めていたら、未来永劫、一生辿り着けませんよ。一歩踏み出せば前に進むんです。足を上げれば登れるんです。手を伸ばせば近づくんです。たとえ小さくても、確実に糧になるんです。どこに諦める必要があるんですか」

「……君はここまで来たんだ。死んだって誰も責めないよ」

「残念ですね。私は今、とても幸せです」

 悪魔が、怪物が、死神が、『死』という凶器をたずさえてやってくる。どんな小細工も、抵抗も、悪あがきを以ってしても、その行進を止めるまでには至らない。彼にはもう、その歩みを止める手段はない。


     ◇


【ねぇ京香。久々に会えたんだし、昔話でもしよっか】

「う、うん」

 いつもと様子が違う母に彼女は内心脅えながらも、この機会を逃すまいと興味津々に訊く耳を立てる。

【あたしね、昔、一つのメモリにあたしのありったけの頭脳を入れたの。研究成果・研究結果・研究材料・研究内容。机上の空論の現実化の方法や新しい技術、新薬。そして人体への新薬投与の記録。それに伴う主作用・副作用。その他もろもろ。取り敢えずあたしが持っていた全部の科学に関するものを入れたわ】

 自慢げに母は語る。

【実はさ、そのメモリっていうのが京香に渡したペンダントなのよね】

 初耳だった。橘霙の全頭脳が詰まったデータ。つまりはそれ一つで世界を塗り替えられる。そこまでの価値を持つ物が、まさか自身の首に無防備に下げられていたとは思いもしなかった。

「なんでそれを私なんかに……」

【それはこっちが知りたいわ。まぁ、霙の性格から推測するに、多分、あたしの手元に置かせたくなかったんだろうさ。あたしが悪用するかもしれないからね。だからあたしが手出し出来ないよう、実の娘であるあんたに渡したんだろうね】

 まただ。また言った。自分自身を『霙』と、他人行儀に呼んだ。

【結局、無意味なんだけどね。あたしの頭脳はいつだってここにあるんだから】

 そして、そのメモリのもっとも重要な部分は個々の内容ではないと彼女は続ける。

 それは、ヨタバイト級の膨大なデータたちが生んだ相乗効果。AのデータがCのデータに反応しデータαを生み、DのデータがBのデータに干渉しデータβを生み、データαとデータβが共鳴し未知数のデータを創り、さらにそのデータが違うデータに触れ、また新しいデータが生まれる。というようにメモリの中に詰まっているデータが複雑に絡み合い互いがシナジーし合い、彼女本人も予期しない効果をもたらした。

 強さの概念すら壊す限界突破という副作用を。

 比喩するなら拳銃が戦車を貫き、ガラスがミサイルの直撃に耐え抜く。強いとか弱いとか堅いとか柔らかいとか速いとか遅いとかの優劣関係は崩れ、これを組み込まれた“もの”が頂点に君臨する。

「っ…………」

 言葉が詰まる。呑み込めない。

 京香を置き去りに彼女の話は進む。

【ただね。あれ、毒なのよ】

 彼女はさおも当然のようにサラっと、

【あれ使ったら廃人決定ね】


     ◇


 グラリと、ウィンネルの身体が揺れた気がした。

 ユラっと、ウィンネルの足元がふらついた気がした。

 突然、ウィンネルの前進が止まった気がした。いや、止まった。頭を抱えながら。額に汗をたらして。

「……っ……!?」

 顔を強張らせ、額に汗を流し膝をつく。

「あ、頭が……頭の中が……!!」

「……っ……」

 無闇には動けない。これが何らかの作戦である可能性もあるだろうし、それに何より、力の差は身をもって体験済み。迂闊には手を出せない。状況を把握できていないという理由もあるが。

「なんだ、これ……一体、何が……」

 次だった。彼が狂いだしたのは。

「アぁぁああぁァぁあアアァぁああぁぁああァアああぁぁああァァぁぁあアア!!」

 突如奇声を上げたのだ。さらには爪を立て傷跡を刻んだり、拳を手が壊れるほど握り床を殴ったり、額を何度も叩きつけるといった奇行を繰り返す。

 完全に正気を失っていた。目の焦点も合っていない。

「ぐぁぁあああぁぁアアァあぁぁぁアアああああぁぁあぁァアアああぁあぁぁぁあぁ!!」

 グォッ!!と、瞬きの間、風が屋上に大きな溝を作った。

「ヴゥォオオアァアァアアァアァァッ!!」

 続けざまに複数の木枯らしが生産される。それもカマイタチの切れ味を持つ凶悪な木枯らしが。自我を失ったのに伴い制御不能に陥ったそれらは、不規則で変則的な軌道を描きながら暴れまわった。

 制御下に置かれたなんらかの規則性を持つ動きなら予測もたやすいのだけれど、本人の手元を離れてしまってはそうもいかない。だからここからは考える事を止め、本能に従い回避に全力を注ぐ。

 まずは一撃目。馬鹿正直に突っ込んできた木枯らしを飛躍して大きく避ける。木枯らしは周囲を切り裂きながら進んでいるためギリギリで避けるのは危険。

 続いて二撃目。空からカーブを描いて迫るそれをまたも跳躍して見過ごす。

 三撃目。それは直だった。狙い図ったように彼の着地点目掛けて飛び込んできた。周りを確認するも包囲されており逃げ場がない。それに、着地の前後という中途半端なタイミングで襲って来るそれを避ける暇もなかった。射った矢が軌道を変えないように、動いてしまったらもう取り消しはきかない。

 カマイタチは彼の鼻先を刈り取って、

「――――」

 消滅した。他のも同様、空気に溶け込み消滅。消えるのがあと一秒でも遅れていたら、確実に首が飛んでいた。

「はぁ、はa、……」

 同時にウィンネルが息を吹き返す。汗水を垂らしひどく体力を消耗した様子の彼ではあったけれど、話せる最低限の自我は取り戻しているよう。

「君wo倒saなくchaいけnai。それga……」

 言語機能が支障をきたしたのか、言葉にノイズが走る。

「それ、がboくが唯、一mitukeたや。りtoげたいkoと」

 聞き取れなくなっていく。

「だったのに――」

 途切れ途切れになっていく。

「koんなとこで終わらseてnaんか……」

 次第に弱弱しく、言葉が朽ちていく。

「――ti、っくしょォォo……」

 ゆっくりと静かにと、倒れた。


――生命反応消失。同様ニ熱源反応、生体電気ノ反応モ完全ニ消失――


 そうグレイヴの中で報告があった。無音が訪れる。

「一体、何が」

 彼の身体は自然にウィンネルの亡骸に近づいていた。まるで興味に沸く野次馬のように。

「…………」

 そして一触。

 ドッ!! と、ウィンネルの身体を介して、大量の情報が彼の中に押し寄せた。


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 解読不可能な文字。

 意味不明な羅列。

 解析不能な記号。

 正体不明な単語。

 認識不可能な内容。

 多大で膨大で莫大な無尽蔵ともいえるデータが脳を巡回し所狭しと埋め尽くし汚染する。口の中に無理矢理食べ物を詰め込まれるような感じだった。これ以上は危険と判断し、たまらず離れた。

「これは……!!」

 即座にペンダントが頭の隅を過ぎった。ウィンネルはあれが『限りなく人間に近い機械』の強化用データだと公言していた。だとすればペンダントは諸刃の剣そのもの。強さの概念をぶち破る絶大な力を約束される代わりに、決して安くはない代償を払わされる。

 命という代価を。

 彼はその場を後にし京香の下に降りた。




「御嬢様!!」

 声に誘われ、京香と創造主の視線が彼に集まる。

「御怪我はありませんでしょうか」

「あ、うん、大丈夫。お母さんと話してただけだから……」

 彼女は弱く笑う。

【驟だけが帰ってきたって事は】

「私の勝利です」

【ふぅ~ん、そっかぁ。じゃあ――】

「――――!!」

 戦慄した。背中に氷を入れられたような鋭い冷たさが走った。


【今度はあたしと一発ヤっておく?】


「御嬢様!!」

 京香をかばうようにして彼女を抱く。それは危険を感知して動いた。というよりもむしろ、爆音がしたときに耳を塞いでしまうような、眩しいときに目を閉じてしまうような反射的行動に近かった。

 が、何も起きない。不思議に思い、意識を張り巡らせると、あれほど死を真っ先に連想させる威圧感は嘘のように消えていた。

 代わりに冷水のような冷たい肉声が身に染みる。

【懐かしいなこの光景。霙の中で何度見た事か。相変わらず、お前達兄妹を見てると微笑ましいのを通り越して吐き気すら沸いてくるな】

「兄、妹?」

【何言ってんだ。そこにいる『限りなく機械に近い人間』があんたの兄『橘驟(たちばなしゅう)』だろ】

「は」

 京香は絶句した。

 硬直し、瞳孔が開き、ピクピクと、瞳を含んだ身体全体が微動。困惑が見え隠れする。

「な、何言ってるのよ。い、一体何の話をして」

【……まだ、なのか】

「どうしてグレイヴが私のお兄ちゃんなの。私は一人っ子だよ」

【やっぱり、認めたくないんだな】

「あ、アレ。おカシいな。お兄ちゃんはいナイずなのに。どうして顔が……」

 嘆息気味に、

【ならあたしが引導を渡してやる】

 ふぅ、と、息をこぼす。

【京香、もう一度昔話をしようか】



 それはまだ、家族が散り散りになる前の話。


 橘霙は、二人の子供を授かった。兄『橘驟』と、妹『橘京香』。


 兄妹は微笑ましいまでにとても仲が良かった。遊ぶときも食事中も寝るときも片時も離れないくらいに仲良しだった。


 でも、そんな微笑ましいまでの仲は長くは続かなかった。


 いつも通りに遊んでいた二人はいつも通りに帰ろうとした。微笑ましく手を繋いで。


 だけど家に帰れたのは一人だけ。妹の京香だけだった。


 兄の驟は事故に遭い帰らぬ人となった。


 その日を境に妹は兄を亡くしたショックから心を閉ざした。食事は喉を通らず水も飲めない。入院先の医者からは回復の見込みがないと見捨てられた。


 人生が破綻するくらいに、兄は妹の中で重要で大切な存在だった。


 母は自分の無力さをとことん呪った。


 ところがある日、医者がサジを投げるまでの妹の容態が回復した。兄が死ぬ以前の元気で活発な妹に。


 考えれば簡単な話だった。医者なんて必要ない。治療も必要ない。兄が死んだ事が原因だったのなら、その事実を忘れてしまえばいい。たったそれだけの単純な話。


 妹は兄を自分の中からも殺したのだ。



「お兄――ちゃん、?」

 京香は驚愕と動揺の眼差しをグレイヴ、もとい兄に傾ける。確かにその視線は実の兄を見るもの。けれど、その行動は真実を押し付けられて頭の中で整理がついていない現実と、自分が信じていたい空想を再確認しているようにも感じ取れる。

「お兄ちゃん、なの? え、何で。嘘でしょ。どうしてお兄ちゃんが。あれは、夢? ――いいえ違う。お兄ちゃんは確かに……」

【あたしがやったんだよ】

 京香は事前にグレイヴから直接うかがっていた。『限りなく機械に近い人間』は人の死体をベースにして造られると。

「何で。どうしてこんな事」

【おいおい。忘れちゃ困るな。あたしは科学者だぜ?】

「……私、今までは全然気にしてなかった。グレイヴが誰なのか。けど、何で。どうして。科学者ってだけでここまで出来るものなの」

【バッキャロ。ここまで出来なきゃ科学者なんて引退だよ】

 虚像を掴むような目で、

「変わったね。お母さん。まるで別人みたい」

【お?】

 冷笑

【まさかあんた、あたしが霙だって。そう思ってんのかぁ? なら傑作だなこりゃ】

「はは。もう笑えないよ」

 脱力気味の京香に、創造主は追い討ちをかける。

【見当違いもいいとこだな。――勘違いしてもらっちゃあ困るぞ。オイ、小娘ども】

 チリチリと、創造主の眼光が肌を刺激する。

【あたしは橘霙じゃない】

 京香を置いてけぼりに、創造主の口は止まらない。

 高らかに。誇るようにいやしむように。

【あたしは『橘時雨(たちばなしぐれ)』。橘霙その人自身であり赤の他人。霙のマイナスの感情を色濃く写し取った鏡。霙のプラスの感情を一切合財排除した醜い生き写し。生まれながらにして完全な母である霙の劣化品であり、生まれながらにして生粋の嫌われ者。いうなら霙が光で表で、あたしが闇で裏だ】

 多重人格者。一つの身体に二つ以上の人格が宿った人の意。橘霙が処理しきれなくなった負の感情の醜悪な寄せ集めが彼女、橘時雨。生まれながらにしていびつに歪みきった精神の持ち主であり、自他共に認める嫌悪感・不快感の集合体。狂気・猟奇の体現者。

【あたしはあんたの母みたいな綺麗で真っ白な人間じゃねぇよ。どこまでもドス黒くて、けがれきった人間さ。そんなあたしと一緒にされたら、あいつが可哀想だろ】

 グレイヴに引き続き、京香はもう慣れたといった感じだった。

「じゃあ……」

【ん】

「どこなの、本当のお母さんはどこなの」

【それを訊いてどうする気だ】

「決まってるわよ。お母さんを取り戻すわ」

 ふぅ、と嘆息。彼女は自分の運命を呪った。

【……そうか、やっぱりか】

 無論、覚悟はしていた。どんな現実でも、どんな答えでも受け止めると決めていた。でもやっぱり無理だった。ここで、娘を目の前にしてまで自分に嘘はつけなかった。

 殺したいほど霙が憎たらしい。

 切り刻んでやりたいほど霙が妬ましい。

 解体してやりたほど恨めしい。

 娘の愛情を独占している彼女がとても羨ましい。

 自分は求められていない。望まれていない。娘が求めているのは霙。優しい優しい聖母なる母。無論、自分ではない。

【やっぱり、こうなっちまったか】

 感情を押し殺して押し込んで押さえつけて、

【残念だが、それは言えないな。あんた達に教える気はサラサラない。――まぁ、それで諦めるあんたらじゃないのは分かってる。だから、霙を求めるのなら、あたしを殺してから行きな】

 臭気にも似た重圧を感知したグレイヴは意表を突く勢いで時雨に殴りかかった。

【おいおい】

 止めた。創造主を止めようと飛び込んできたグレイヴを、機械である彼を人間の彼女がたやすく止めた。その柔らかく細い腕で。

 火花が散った。

 時雨がグレイヴを蹴り上げたのだ。

 蹴られた本人はわけが分からない。彼女に『限りなく機械に近い人間』に対抗できる道理はない。

【開始早々飛び掛るたぁいい根性してるじゃないか】

 怯んだところへ真上から後頭部に向かってかかとを落とす。地に伏した彼をサッカーボール感覚で振り出しに戻した。

【ちっとは楽しめそうだ】

 コン。と、息つく暇もなく彼女は二人の前に足を添えていた。驚く暇もなく蹴りを彼に浴びせる。ゴンッと鈍い音がした。脚力は人間の非ではなく彼は部屋の端まで爽快にスッ飛んだ。

 傍にいた京香に視線を移し、

【まぁ、あれだ。てめぇはすっこんでろ】

 威圧。槍のような殺気が京香に突き刺さった。

【んぁ? これはあれか、あたしとじゃれあおうってのか】

 彼女の身体に三倍の重力がかかった。単純計算にして約百五十キロ。大抵の人間ならそれだけでもう身動きが取れず立つ事すらままならない。だけどそんな一般的な常識は創造主には適応されなかった。

【“重力操作の禁止”】

 たったそれだけで身体の重みがスッキリと晴れる。彼女を縛るものはない。

【久々に、本当に久々に興奮してきちゃった。アハッ!!】

 距離を歩きグレイヴの胸倉を掴み、頭突く。生きてる実感を噛み締めながら拳を固め、

 殴る。蹴る。打つ。ひねる。貫く。潰す。殴る。殴る。殴る。蹴る。蹴る。貫く。打つ。潰す。殴る。蹴る。打つ。打つ。ひねる。殴る。ひねる。蹴る。潰す。ひねる。殴る。殴る。打つ。打つ。蹴る。殴る。

 一行に止む気配のない容赦ない怒涛の嵐。もはや戦いではなく一方的な暴力と化していた。反撃も迎撃も防御も攻撃も許さない。気が済むまで、気が晴れるまで徹底的に苛め続ける。ただただ痛めつける。本人は純粋に快楽すら感じていた。ゆえに止まれない。止まらない。歯止めが利かない。

【あぁ~、あたしの自信作だからって思ってたけど、案外そうでもなかったみたいねぇ。おい、鉄、なんかしゃべれるか】

 原型すら留めていない鉄塊に問いかけるも返事はない。死人に口なし。完全に機能停止していた。

 興ざめした彼女はゴミでも捨てるような粗末な扱いで彼を放った。

 はっきり言って、彼女は自分の強さに酔いしれていた。だから、一番重要な部分を見落としていた。それは、本体が死なないように施された機能。たとえグチャグチャの鉄塊になろうとも失われない機能。

 背を向けた彼女に、初めて攻撃が通った。

【は?】

 素っ頓狂な声を上げる彼女に、お返しと、鈍器のような二撃目三撃目が綺麗に入る。

【おい。まてよ。なんでてめ――】

 立て続けにみぞおちを叩いた。

 寸前、彼女は後ろに大きく跳ね上がる。

【そういやぁ、すっかり忘れてやがったな。あんたに入れた自動再生】

「私を本当に殺したければ、粒子レベルにまで分解する事です」

 時雨が攻撃を止めた瞬間から一秒のラグもなしにグレイヴの身体は再生され続けていた。彼女が背を向けたときには既に再生は完了。勝利と慢心と油断から生じた隙を狙い、不意打ちの一撃が入った。

【にしても、結構本気で来たな】

「今の創造主に手加減は無用ですので」

【あいや、分ぁっちゃったか】

「はい」

 ずっと気がかりだった。どうして生身の人間である彼女が機械である『限りなく人間に近い機械』と対等以上に優勢に戦えたのか。

 理由はとても単純だった。

「創造主。あなた、人間を捨てましたね」

『限りなく人間に近い機械』に対抗できるのは『限りなく人間に近い機械』か『限りなく機械に近い人間』。それと『世界の全てを賄う機械』の技術で造られた武器。ならば答えに行き着く事は簡単だ。彼女は科学者。しかも上記の開発者であり製造者。

【そうよ、あんたの言う通りよ。あたしは人間の殻を捨てて鋼鉄の衣代を得たわ】

 高らかに、自慢げに、誇らしげに、

【あたしは『限りなく人間に近い機械』。人格の『限りなく人間に近い機械』橘時雨】

「人……格」

【そうよ京香。いわゆるオカルトの技術ってやつでね。輪廻転生の応用と幽体離脱の併用ってやつだ。個々の名前くらいは訊いた事はあるだろ】

「そこまでして、人間を捨ててまで創造主は何をしたいのですか。強さを手に入れるためですか」

【確かに強さを手に入れるためにってのもあるけど、本命はそれじゃないのよね。あたしはね、霙と離別したかったの。そのために魂を切り離したんだけど、どうやらうまくいかなかったようでね、完全に分割できなかった】

 霙の中で生まれた時雨は彼女の中で生きていく事に限界を感じ、霙と時雨の、別々の人間で生きていこうと考えた。その行き着いた先が人格をつかさどる『限りなく人間に近い機械』。地球を何も賄わない、私利私欲の『限りなく人間に近い機械』。

【んじゃ。雑談はそろそろ頃合にしようか】

 サッと、両者は臨戦態勢を取る。

【第二ラウンド開始だクソガキ】

 言葉と共にグレイヴは床を蹴った。

【体重を減らしての高速移動。軽い物が身軽に動けるのは当然よね】

 余裕以外の表情は皆無。不安も焦りも戸惑いもない。ただ冷静に事を分析する。

【そして一瞬だけ体重を大幅に増やして一撃を重くする】

「――――なっ」

 動きは読まれていた。真正面からの突撃という単純な行動でありながらも速さは一瞬。まばたきほどの超短時間。それにタイミングを合わせるという神業を彼女は平然とやってのけた。いうなれば、稲妻を掴むような話。

【“攻撃不可”】

 寸止め。届かない。彼女には届かない。あと数センチが果てしなく遠い。

「まさか、見えると」

【あたしを誰だと思ってる、橘時雨だぞ? 瞬速音速光速神速なんて、速いうちに入んねぇんだよ】

 攻撃がダメならばと、地を蹴った勢いで飛び散った瓦礫の雨を当てにいく。

【――――】

 一撃の名の下、一蹴。瓦礫の雨を殲滅。

 すかさず彼の首を締め上げ、グチグチと握り潰す。

【もう終わらせるよ、驟。“自動再生の使用を禁止”】

 念には念を、ダメ押しにそう告げる。

 力を入れる寸前、ピッと、首の後ろに糸が張っている感触があった。それはグレイヴの指まで伸びていた。

「御分かり、ですよ……ね」

【おまえ、そんなもの一体どこから】

 指に巻かれているのは切断用炭素ワイヤー。『切る』という実用性のみに特化した結果、安全性が犠牲になった試作品。実用性がいくぶんか削られ、肉眼で識別可能になった製品版よりも切れ味は凶悪。

「御嬢様から拝借してきた品です。まさか御嬢様がこんな物を持っているとは驚きでしたが」

 彼は人間らしく、せせら笑うように、

「まさか、こんな土壇場で小細工をするとは、盲点でしたか?」

 彼女の存命は彼の手中。采配一つで首が胴体から離れる。

【おい、分かってんのかぁ? あんたの命もあたしの手の中って事】

 ピッ。ワイヤーがさらに張る。

【……面白いじゃないか。じゃあ、最後の勝負といこうか。あたしがあんたの首を握り潰すのが先か、あんたがあたしの首を切り落とすか】

 死の一歩手前でも、それでも時雨は余裕を崩さない。むしろ愉しんでいるようにも見えた。

「分かりました」

【(ハッ、あんたのその酔狂が命取――)】

 グイッと、ワイヤーが引かれた。

「何をするつもりだったのかまではうかがい知れませんが、創造主の性格から察するに、了承直前で殺すつもりだったのでしょう」

 百キロ以上の力で引かれた切断用ワイヤーは抵抗なく摩擦なく、鋼鉄でもダイヤでも例外なく切る。それこそ、豆腐を包丁で切るように。

 眼前で、スクラップと化した鉄の塊がずり落ちた。

「忘れましたか。私を造ったのは貴方ですよ」

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