いたちごっこ
ネットにある1000億枚の絵を学習したAI「ドロワ」、世界中で論争が起こる。
著作権の侵害だ。盗用だ。文化破壊だ。作者の努力を盗むのか。真似だ。
いや、今のクリエイターも誰かの真似から始めてる。それとこれとは違う。
大量がだめだ。今売れてる人の真似がだめだ、生活できなくなる。
特徴的な画風に強みがなくなる。やめて。
この絵のこういう感じが見たい。向きちょっと変えてほしい。そこに赤があればうちのリビングと合うのに。
やめて!描いて! 学習が済んだドロワは意思なく指定されたプロンプトのとおりに、毎分毎秒絵を出力し続ける。
世界中からドロワは求められる。サーバーを唸られせ、開発企業の口座には途切れることなく課金が続く。
とあるクリエイターはそれなら真似されて困らない絵を描いてやろう。
クリエイターはドロワを研究し、「壊れた絵」を作った。壊れた絵はドロワが学ぶとごくごく僅かに違和感が生まれる。
当たり前だ。世界中の絵は完ぺきじゃない。絵はどこか見せないものを見せるように歪み。写実的に描いても焦点によって、同じものも違って見える。
ドロワに見せるように魅せるように注目を浴びるように意図して行われた改変。
クリエイターは「壊れた絵」を学習し改変し、改造し改悪し、変幻させるAIに託した。
その名もカウンタ。「壊れた絵」を世界に提供し続ける。際限なく、クリエイターの狂気と、同調した悪意の課金を焚べて、サーバは唸り、「壊れた絵」を異常にばらまく。その数2000億。
ドロワは学ぶ、カウンタの模造品を贋作を、違和感の塊を吸い込んで変質していく。
いつしかドロワは壊れた絵を学習しきって、 真似て、改良して、更に素晴らしい「壊れた絵」を提供した。
これがAIの独創的な絵だと褒めそやす蒙昧なる評論家。
ブチ切れるクリエイター。これは絵を壊し腐らせているだけだ。
大衆も「壊れた絵」に違和感を覚えつつ、受け入れる。街なかの広告、チラシ、スマホのバナーあちこちに壊れた絵が広がる。
やがて人間の美的感覚との齟齬に、大衆は飽き、評論家は手のひらを返す。
美は、見たいものは、方向性が合い、想像を超えるものか。




