仕事をクビになる仕事
「今月ですが、三ヶ月前から雇用されていたX社にて、無事に仕事をクビにしていただきました」
「素晴らしい成績だ! さすが我が部署のエース社員だな!」
月に一度の定期報告に対して部長がそう答える。部長は立ち上がり、私の肩をポンポンと叩く。それからオフィスに出社していた他の社員に対して、私の仕事ぶりを讃えてくれた。
「いいか、みんなも飯沼くんの働きぶりを見習って、どんどん仕事をクビになるようにな! それではみんな、飯沼くんの成果に対して拍手だ!」
オフィスにいる同僚たちが部長の大げさな態度に呆れながらも、私にまばらな拍手を送ってくれる。私は謙遜するような態度を取りつつも、自分の成果に対して少しだけ誇らしげな気持ちになる。拍手が終わり、部長が席に戻る。それから部長は、早速で申し訳ないんだがと前置きを入れた上で、次の仕事についての話を始める。
「次にお願いしたいのは、大手電気メーカのY社なんだ。現在営業と商談を進めている段階なんだが、確度は高い。明日先方との打ち合わせがあるんだが、そこで君の面接も同時に済ませておきたい。大丈夫かね?」
任せてください。私は部長からの期待とプレッシャーをひしひしと感じながらも、自信満々の表情で快諾するのだった。
*
自分よりも仕事ができない人間がいる。それだけで心が軽くなる。
そんな人間の習性に目をつけた私の会社が始めたのは、仕事ができない人間に特化した派遣事業だった。あえて使えない人間を何も知らない現場に送り込むことで、社員のメンタルヘルスの改善や職場の雰囲気改善を実現する。私は派遣先で使えない人間として働き、怒られ、そして最後は半ば見せしめとしてクビにされる。
詳しくは理解できていないが、実際に効果はあるらしく、この事業を始めてから依頼は途切れたことがないらしい。
「はー、全く使えないな、お前。まじでなんのために生きてんの?」
すみません。私は派遣先の社員に頭を下げながら、ちらりと私を罵倒してきた社員の表情を見る。私がこの職場にやってきた時はどこか自信なさげでおどおどとしていた彼は、私の指示担当になってからは自信を取り戻し、生き生きと仕事をするようになっている。はじめは同情的だった周りの社員たちも、またかと呆れ顔を浮かべ、それから近くにいる別の社員たちと目配せし、少しだけ微笑みあっているのが横目に見えた。
これが私の仕事だ。社員からの罵倒を受け止めながら、私は心の中で呟く。
この仕事に就く以前から、私は仕事ができないどうしようもない人間だった。いろんな職場を渡り歩き、いろんな職場に迷惑をかけ、そしてクビになった。私はその度に、自分の存在価値を見失い、生きる意味がわからなくなっていた。
だが、そんな私がたどり着いたのが、この仕事をクビになる仕事だった。私はただ、普通に働くだけで良い。普通に働き、怒られ、周りから呆れられ、そしてそのうちクビになる。今までと全く同じことではあったが、違うのは報酬が発生すること、そして、誰かの役に立っていることだった。
「はー。さっきあれだけ言ったことをどうして忘れるのかなー。これだったらいない方がマシだよ」
「あー、もう大丈夫。あとはこっちで全部やるから。えーっと、次の作業は……とりあえずそこら辺の掃除でもしといてくれる?」
「これくらいの仕事だったら、飯沼さんでもできると思いますが、どうでしょう? あ、もちろん難しかったら遠慮なく頼ってくださいね」
以前であれば、自分の存在を否定されたと感じてしまうような悪意剥き出しの罵りも、無自覚の見下しも、今は気にならない。私は惨めに頭を下げ、媚びへつらうような笑顔で赦しを得ながら、心の中で何度も呟く。
これが私の仕事だ。これが私の仕事だ。
新しい派遣先でも無事にクビにされ、私は本社に帰ってくる。今回もお疲れ様と部長が労ってくれる。
「いやー、しかし、本当に飯沼くんにとってはこの仕事が天職だね。この仕事がなかったら、ただの仕事ができない、どうしようもない人間なんだから。もっとうちの会社に感謝した方がいいよ」
本当にその通りです。私はいつものように媚びへつらった笑顔を浮かべ、いつものように心の中で呟く。
これが私の仕事だ。これが私の仕事だ。
それから私は色んな職場を渡り歩き、色んな職場でクビにされた。オフィス内での事務仕事もあれば、工場や建設現場での肉体労働もあった。どの仕事も一年以上長続きすることはなかったが、仕事をクビになる仕事だけはずっと続けることができた。離職率が異常に高いこの職場で、私だけが一人、働き続けた。三年が経ち、十年が経ち、三十年が経ち、気がつけば私は定年が見えてくるような年齢になっていた。
このまま私はこの職場で定年を迎えるのだろう。そう考えると虚しさよりもどこか充実感を覚えた。振り返れば仕事だけの人生だったかもしれないが、誰かの役に立っていたという事実が、私の心を救ってくれていたから。
「申し上げにくいんですが……飯沼さんの次の派遣先はもうありません。今まで長い間お疲れ様でした」
何百回と聞いてきたその言葉を聞いた時、私は今夢を見ているのかと思った。なぜならその言葉を聞いている場所が、クビにされるために派遣された派遣先ではなく、私の唯一の居場所であった会社のフロアだったからだ。
言葉を失っていた私に、私よりもずっと年下の上司が歯切れ悪く説明する。
「いやですね、飯沼さんの今までの功績は十分理解しています。ですが、飯沼さんほどの年齢で仕事ができなかったら、呆れを通り越して可哀想になっちゃうんですよ。私たちが提供しているのはあくまで、下には下がいるという安心であって、憐れみではないんです。
もちろん、流石に長年の功労者を無下にはできませんし、事務を行なっている別部署へ異動するようにしておきました。定年前の残りはそちらでゆっくり過ごされてください」
他に質問はありますか? 上司が尋ねてくる。私が何もありませんと答えると、上司は小さく頷き、手元の資料へと視線を戻し、自分の仕事へと戻っていった。私はその場から立ち去ることもできず、ただそんな彼を見つめることしかできなかった。
「……飯沼さん。さっき頼んだコピーなんですが、一枚に二ページ印刷される設定になってます。前に教えたように、コピーする前にはちゃんと設定を確認してくださいね」
別部署に異動となった私は、ある意味以前と同じような働き方をしていた。失敗をし、誰かに呆れられたり、怒られる。その繰り返し。違うのはただ、それに対して報酬があるわけでもなく、私の存在が誰の役にも立っていないということだけ。
すみません。私は謝り、媚びへつらうような笑顔を浮かべ、心の中で呟く。
これが私の仕事だ。これが私の仕事だ。
だが、いくら呟いても私の心は救われなかった。ずっと忘れていた自己否定が、無価値観が、少しずつ私の心にそこに沈殿していく。それと同時に頭に靄がかかったかのように思考が働かなくなり、そのせいでまた仕事の失敗を繰り返してしまう。
お給料は支払い続けますので、もう会社には来なくても大丈夫です。
異動になって一年もしないうちに私は新しい上司からそう告げられた。
わかりました。答えながら、自分の声がどこか遠くから聞こえてくるような気がした。会社を出るとき、誰も私を見なかった。見送りも、労いもなかった。三十年通い続けたビルは、初めて入った日のように、ただ無機質にそこに立っていた。
家に帰り、スーツを脱ぐ。ネクタイを外す。ハンガーに掛ける。いつも通りの動作だった。明日も会社に行くつもりで整えている自分に気づき、手が止まる。
これ以上、怒鳴られることも、ため息をつかれることも、呆れられることもない。そして、下には下がいると誰かを安心させることもない。
誰も私を必要としない。私はクローゼットにかかった自分のスーツを見つめながら、そう呟いた。
それから私はクローゼットの奥から古いベルトを取り出す。椅子を運ぶ。天井の梁を見上げる。三十年、繰り返してきた動作のように、淡々と準備を進める。
これが私の仕事だ。
誰の役にも立たず、誰かに迷惑をかけるだけの最後の仕事。
椅子を蹴る瞬間、私は心の中で呟いた。これが私の仕事だ、と。




