こもれびの道
「ほら、きらきらしとるじゃろう」
おじいちゃんの指さす先で、光がおどっていた。
風がふくと大きく、風がなくてもわずかに――
いっときもじっとしていないで、影とたわむれるように、複雑に、かろやかに、ダンスしていた。
それは、おじいちゃんの、お気に入りの散歩道。
両側にすっくと立った街路樹が、頭上でこずえをふれあわせて、アーチをつくる並木道。
いまにして思えば、ほんの何十メートルかの道だった。
でも、うんとちいさかったころのぼくには、もっとずっと長く、どこまでもつづいていくみたいに感じられた。
そのさきにみえる出口が、また、ひときわあかるくて、そこを目指して、はしりだしたいような気もするのだった。
ナントカセンターとかいう県の施設につうじる道だった。
地域の憩いの場に、って、税金できれいに整備されていた。
施設に用がなくても、散歩のためにだけいくひとも多かった。
移動販売のクルマなんかも、よくきていた。
夏はかき氷、ソフトクリーム。冬場はたい焼き、フランクフルト。ポップコーンや、イカ焼きなんかもあっただろうか。
いくぶんかはそれも目当てにして、おさないころのぼくと、おじいちゃんは、毎日のように、そこへ散歩にいっていた。
小学校にあがってからは、さすがにそこまで頻繁ではなくなったけれど、さそわれれば、いっしょにいった。
おじいちゃんっ子だったな、ぼくは。
だから、はじめてそこへいったのが、いつのことだったかなんて、おぼえちゃいない。
気がつくとぼくはそこにいて、それがあたりまえだった。
今でも思いだすことのできる、いちばん古い記憶も、やっぱりおじいちゃんだ。
「ほら、きらきらしとるじゃろう」
あとになってみれば、あたりまえの、ただのこもれびだった。
けれど、そのときのぼくにとっては、はじめて目にするフシギ現象で……
おどろきでいっぱいになったぼくは、かけだして、キラキラおどる妖精みたいなひかりをつかまえようと、あちこち、くるくる、追いまわしたんだ。
おじいちゃんは、杖をついて、にこにこわらって、ながめていたよ。
思い出のなかのおじいちゃんは、いつでも、そうして、わらっていたんだ。
※
その並木道がとりこわされることになったのは、ぼくが四年生になったころだった。
「老朽化で整理統合だってさ」
とうさんが、おじいちゃんに説明していた。
「解体か」
「いや、施設改修。むしろ大きくなるんじゃないかな。県の施設じゃございませんって、名義を変えるだけだから」
「けっこうなこった」
おじいちゃんは、鼻をならした。すこしも「けっこう」そうじゃなかった。
「天下りがはかどるね」
とうさんも、つまらなそうだった。
それから、こうつけくわえた。
「道幅も拡張するそうだよ」
おじいちゃんの顔色がかわった。
工事はすぐにはじまった。
センターは一時的に県庁のなかに移転され、もとからの建物は閉鎖された。
あの道も通行止めになった。
しばらくのあいだ、フェンスのむこうに、街路樹のてっぺんがみえていたけれど、ある日学校から帰ってみると、それもなくなっていた。
おじいちゃんは散歩にいかなくなった。
一階の和室で、つけっぱなしのテレビをぼんやりながめていることが多くなった。
杖はホコリをかぶっていた。
ある日、学校からかえったぼくが、なにげなく和室をみると、おじいちゃんが、いつもは仏壇の上の高いところにかけてある、おばあちゃんの写真をおろして、じっと見つめていた。
救急車がおじいちゃんをつれていったのは、それからまもなくのことだった。
夜中にふと目がさめると、くるくるまわる赤いひかりが、カーテンごしにさしこんでいた。
なにがどうしたんだろう。眠い目をこすりながら、布団をでて、ドアをあけると、階下から、なんだかせわしないざわめきがきこえてきた。ピッ、ザー、なんて……ドラマできく無線機みたいな音もしていたっけ。
夜中なのにきちんと服をきたとうさんが、階段を急ぎ足でのぼってきた。ぼくが起きているのをみると、なにもいわず、頭をなでて、隣の和室に入っていった。タンスの上の小物入れを、しばらくゴソゴソかきまわして、それからまたあわただしく、おりていった。
ぼくもつづいておりていくと、何人かの男のひとたちが、緑色のビニールシートみたいなものにつつんだ、ほそながい荷物を、玄関からはこびだすところだった。
パジャマのうえにカーディガンをはおったかあさんが、ぼくを背後からつかまえた。そのかあさんと、ふた言み言、早口にことばをかわしたとうさんが、男のひとたちのあとを追って出ていった。
赤いひかりがくるくるしていた。
びっくりするほど近くで、サイレンの音がして、やがてエンジン音とともに、とおざかっていった。
おじいちゃんがいなくなった。
一階の和室が、からっぽになった。
ぼくはなんだかぼーっとしてしまった。
何日かは、友だちとあそぶ気にもならなくて、おじいちゃんの座椅子にすわって、テレビなんかながめていた。
そんな時間にやっている、地上波の情報バラエティーなんて、ちっともおもしろくなかった。
だからといって、CS放送のアニメかなにか、見る気にもなれなかった。
おじいちゃんが、壁からおろしたままにしていた、おばあちゃんの写真が、仏壇の横にたてかけてあった。
ぼくが写真でしか知らないおばあちゃんは、いつもとおなじ、やさしいモノクロの笑顔をうかべていた。
※
おじいちゃんが帰ってきたのは、それから半年以上すぎたあとだった。
急性期病院から回復期の病院にうつって、そこで何か月もリハビリをしていたんだって。
当時はまだコロナなんかなかったから、おみまいもしやすかった。ぼくも何度かつれていってもらった。けれど、まともな話はできなかった。おじいちゃんは、「いたい」とか「ちがう」とか、みじかい単語が、ひとつかふたつ、いえるだけで、あとはもどかしそうに、あーっと奇声をあげるくらいだった。
家にかえってきたときには、車椅子にのっていた。
和室には大きな電動のベッドがすえつけられ、一日のほとんどを、その上ですごすようになった。
完全に寝たきりにはならないほうがいい。すこしでも座ったほうがいい。座るのがいちばんのリハビリだ。
訪問マッサージさんやPTさんは、そういった。
パートをやめて、昼間、家にいるようになったかあさんが、おじいちゃんを車椅子に移乗させると、隣のダイニングにつれていって、庭をながめたり、むかしの写真をみせたり、していた。
いちど、散歩につれだしたこともある。
ぼくとかあさんで、ふうふういいながら、玄関に重たいスロープをかけて、車椅子をおして……ぼくが案内して、あのころの散歩コースをたどった。
でも、並木道はなくなって、やけに広い二車線道路にかわっていた。車は一台も走っていなかった。移動販売のクルマもみかけなかった。
改修をおえたナントカセンターのまえまでくると、おじいちゃんは顔をそむけて、まだ動くほうの手を、しっしっとふった。
それ以来、おじいちゃんは散歩にいきたがらなくなった。
車椅子にすわるのもいやそうだった。
かあさんを困らせるようなことはしなかったけれど、いかにもいやいや、座ってやっているという感じだった。
いよいよ、一日中、ベッドでばかりすごすようになった。
とうさんと、かあさんが、夜中に、むずかしい顔で、ひそひそ、話をするようになったのは、そのころのことだった。
ぼくは、なにをやる気もおきなかった。
友だちと遊ぶ気にもなれなかった。
家にかえると、寝たきりのおじいちゃんのベッドの横で、携帯ゲームなんかいじっていた。
ときどき、かあさんが、「宿題は?」「外であそんできたら」なんて、いってきたけど、ぼくはなま返事をかえすだけだった。
おじいちゃんが、思いだしたように、動くほうの(健側っていうんだって)手をのばして、ぼくの頭をなでた。
※
とうさんが、おおきなワンボックスのレンタカーを借りてきたのは、五月のある週末だった。
明日は朝からでかけるぞ、と、ぼくにいった。
おじいちゃんにも、そのことで、なんだか、話をしていた。
おじいちゃんは、わかったのか、わからなかったのか、だまって、おとなしく、きいていた。
クルマは、介護車両だった。
見た目は、ふつうのワンボックスカーだったけれど、後ろのドアをはねあげると、幅広のスロープがおろせて、車椅子のまま、おじいちゃんをのせることができた。
おじいちゃんも、散歩のときみたいには、いやがらなかった。
すこし苦戦しながらも、なんとか車椅子を固定して、ドアを閉めると、ぼくを運転席のうしろに、かあさんを、車椅子の横の補助いすみたいな席にすわらせて、とうさんが、ハンドルをにぎった。
まもなく、高速にのった。
ブオーっと低い音がずっとつづいて、耳のなかに空気のわたがつまったみたいな感じがした。
午前中に一回、サービスエリアでトイレ休憩。
お昼は、もうちょっと先の、すこし大き目のサービスエリアでとった。
おじいちゃんのパッド交換も、おなじサービスエリアの多目的トイレで、とうさんと、かあさんが、すませた。
そのあと、また、しばらく走った。
高速をおりたのは、午後二時か、もう三時に近かったろうか。
空がひろかった。
いつもの町より、高い建物がすくない気がした。
その建物も、だんだん、まばらになって、ついには、いちめん、緑の草みたいのがゆれる、田園風景になった。
「そりゃあ、まあ、草といえば、草だけどな」
とうさんがハンドルをにぎったまま、わらった。
いまはまだ草みたいにしか見えないけど、これから気温が上がっていくにつれて、どんどん成長して、やがて夏になれば実をつける。それがだんだん重たくなって、おじぎをするようになると、だんぜん、稲らしく見えてくるぞ、って、おしえてくれた。
朝からずっとだまって運転していたとうさんの口が、ここへきて、きゅうに軽くなったみたいだった。
「おまえ、お米の花って、どんなだか、知ってるか」
そんなことまで、いっていた。
「くわしいね」
「むかしは、よく手伝わされたからな」
その町は、とうさんとおじいちゃんが、むかし、すんでいた、ふるさとだったんだ。
※
たどりついたのは、みわたすかぎりの田んぼのなかに、数軒の家がかたまって建っている、集落みたいなところだった。
そのうちの一軒の庭先にクルマをとめて、とうさんと、かあさんが、その家のひとをたずねた。
「いやー」「ひさしぶりー」「きいたよー、たいへんだったねえ」なんて……知り合いらしいやりとりがきこえた。
このぶんだと、ぼくもひっぱりだされて、「何年生?」だの「学校、楽しい?」だの、きかれるのかとうんざりした。
けれど、あいさつがすむと、とうさんたちは、すぐにひき返してきて、おじいちゃんを降ろしにかかった。
相手の人たちも、軒先から見守っているだけだったので、ぼくはかるく会釈するくらいですんだ。
クルマをあずけて、田舎道をあるいた。
とうさんが車椅子を押した。
でも、舗装路をはなれて、むきだしの土の道に入ろうとすると、車輪のほそい車椅子では、どうにも、むりがあった。
そこからは、とうさんが、おじいちゃんをおんぶした。
折りたたんだ車椅子は、かあさんがひきずっていった。
だから、たいした距離ではなかったのかもしれない。
でも、まわりは、見わたすかぎりの、田んぼだ。
日ざしをさえぎるものが何もなくて、まだ五月なのに、体感的にはもう夏みたいだった。
すこし、歩きつかれてきた。
でも、まもなく、まえのほうから、すこしひんやりした風がふいてきた。
田んぼのなかに、そこだけこんもりとした、林みたいなのがあった。
「天神さまだよ」
とうさんがいった。
おじいちゃんが、とうさんの背中で、顔をあげて、むこう側をみた。
どんな表情をしているのか、あとからついていくぼくにはわからなかった。
「天神さま?」
ぼくはとなりを歩いていたかあさんにきいた。
かあさんはうなずいた。
ふりかえって、おしえてくれたのは、さきを行くとうさんのほうだった。
「このあたりの氏神さまだよ。まあ、もとの御祭神がなんだったのか、よくわからんけどな。いまは、天神さまってことになってる。あの木立ちが、右から左へ、参道だよ」
よいしょ、と、からだをゆすって、とうさんが、おじいちゃんを背負いなおした。
すこし、ふうふういっていた。
重くない、と、ぼくはきいた。
軽すぎるよ、と、とうさんはこたえた。こんなに、軽くなりやがって。
ぼくたちが歩いてきたのは、参道の途中に、横合いからわりこむ、わき道だった。
すうっと空気がつめたくなって、呼吸が楽になった。
明るいところから急に日陰に入ったせいか、一瞬、ものが見えにくくなった。
でも、そのつぎの瞬間――
「わあ……」
ぼくは、思わず、声をあげた。
両側にすっくと立った木々が、頭上でこずえをふれあわせて、アーチをつくっていた。
地面に、きらきらしたこもれびが、おどっていた。
風がふくと大きく、風がなくてもわずかに――
いっときもじっとしていない光が、影とたわむれるように、ダンスしていた。
まるで、あの並木道みたいだった。
いや、あの道より、だいぶ大きいだろうか。
木々の背も高い。
そのぶん、ひろびろとして、こもれびのダンスも、はなやかで、いきいきしているみたいだった。
ぼくは思わず、走りだした。
うんとちいさいころみたいに、キラキラおどるひかりをつかまえようとして、あちこち、くるくる、追いまわした。
とうさんの背中で、おじいちゃんが「あー、あー」と声をあげた。
頬を涙がつたっていた。
参道のまんなかは石畳だった。
とうさんとかあさんが、うなずきあって、そこに車椅子をおろすと、おじいちゃんを座らせた。
イタタ、と、とうさんが腰をさすりながら背をのばした。
おじいちゃんは、高いこずえのアーチを見上げて、こもれびのきらめきを目で追っていた。
涙はとめどなくながれていた。
そのうちに、ぼくを手招きした。
ぼくは車椅子のとなりにしゃがみこんで、おじいちゃんの手をにぎった。健側の手だったから、おじいちゃんもぎゅっとにぎりかえしてきた。
ぼくは、問いかけるように、とうさんを見上げた。
とうさんは、腰をトントンたたきながら、大きくひとつ、ため息をついた。
「ここが、おじいちゃんの、本来の、思い出の道なんだ」
※
ゆっくりと、拝殿にむかった。
車椅子は、とうさんが押した。
おじいちゃんはなつかしそうに目を細めて参道の景色をながめていた。
道々、とうさんは話してくれた。
むかし、とうさんと、おじいちゃんは、ずいぶんながいこと、けんかしていたんだって。
ゲンタンだのホジョキンだの、むずかしいことを、とうさんはいった。
ぼくは半分もわからなかった。
でも、つまるところ、
「夢みたいなこというなって、おじいちゃんはいっていたよ」
けんか別れして、家を出た。
とおくの町で、就職した。
景気はわるかった。食べていくのもむずかしかった。
だからこそ、負けたくなかった。それみたことか、なんて、いわせたくなかった。
とうさんは、意地になって働いたそうだ。
ついには結婚もして、やがてぼくがうまれた。
おばあちゃんが亡くなったのは、ちょうど、そのころだった。
親戚に知らせてくれる人がいたので、何年ぶりかで、実家に帰った。
「おじいちゃんの落ち込みぶりは、ひどかったよ」
やっと孫の顔をみせてやれると思ったのに、そのかいもなくおばあちゃんが死んでしまって、そのうえ、おじいちゃんまで、どうにかなってしまうんじゃないか。
本気で、そう心配したそうだ。
「ずいぶん、老けこんじまってなあ……」
ひとり暮らしなんか、させておけなかった。
町でいっしょに暮らそう。とうさんは説得した。
でも、おじいちゃんは、意固地になっていた。いまさら、なんだ、とっとと帰れ。そういった。
「でも、そこで、おまえが、役に立った」
てれかくしだろう、とうさんは、ちょっとワルぶって、にやっとわらった。
葬式のあとしばらくして、ぼくの首がすわるころになると、とうさんは、もう一度、こんどはぼくとかあさんもつれて、おじいちゃんをたずねた。
乳飲み子のぼくをだいて、おじいちゃんは、ぼろぼろ、涙をながしたそうだ。
そして、町に行ってもいいって、うなずいたんだ。
「……その話をしたのが、この参道だった。おじいちゃんが、おまえをだいて歩いて、とうさんと、かあさんが、つきそってな」
おじいちゃんとおばあちゃんは、わかいころ、この神社で式をあげて、結婚した。
結婚してからも、よくいっしょに、この参道を散歩した。
やがては、ひとりむすこの、とうさんも、そこにくわわった。
「とうさんは、縁日の屋台や、おみこしのほうが、すきだったけどな。まあ、ただの散歩も、わるくはなかったさ」
それは、一家の、ささやかな、しあわせだった。
おじいちゃんには、それが、なにより、たいせつだった。
だから、町にきて、あのこもれびの道をみつけたとき、よけいに、うれしかったんだろう。
とうさんは、そういった。
「思いだしたんだろうな、この参道のこと、おばあちゃんのこと」
そして、たぶん、ちいさかった、とうさんのことも――とうさんは、自分のことはカウントしなかったけど、ぼくはそう思った。
「つまり、だ」
とうさんはいった。
「あの道はなくなったが、この道はなくなったわけじゃない。こうして、つれてきてやることもできる」
それから、ぽん、と、ぼくの頭に手をおいた。
「だから、そんなに、気に病むな」
それで、ぼくにも、わかったんだ。
とうさんが、わざわざ、こんなところまで、ぼくたちをつれてきたのは、もちろんおじいちゃんのためでもあったけれど、でも、それ以上に、ぼくのためでもあったんだなって。
ぼくはとうさんを見上げた。
なんだよ、と、てれかくしみたいに、とうさんが、ぼくの髪の毛をわしゃわしゃとかきまぜた。
その手が、やけに大きく感じられた。
※
「ま、きれいではあるよな」
とうさんは、こもれびにキラキラするこずえを見上げて、目をほそめた。
「おれだって、なつかしいと思うさ」
いつのまにか「とうさん」が「おれ」になっていた。
ぼくじゃなくて、おじいちゃんを、見ていた。
「なあ、きいてるか?」
おじいちゃんは、答えなかった。
車椅子のなかで、眠っていた。
疲れたんだろう。からだだって痛いのに、あんなに長い時間、クルマにゆられて。そのあと、ずっと、おんぶで。
それでも、帰ってきたかったのかな?
つれてきてもらって、うれしかったのかな?
寝顔は、満足そうに見えた。わらっているみたいだった。
「いい気なもんだ」
とうさんが、苦笑した。
あとは、黙って、車椅子をおしつづけた。
拝殿が近づいてきた。
こもれびのむこうがわの、開けたばしょで、ひときわ明るく、かがやいていた。




