食いしん坊令嬢 〜金のローストビーフを落としたら、崖下で運命が待っていた話〜
サクッと読める短編です。食いしん坊令嬢。
あたしの名前はアマリエ・グランツ。
よく言えば伝統的な、本音で言うと少し古臭い、グランツ公爵家の三番目の子。
まあ、王族なんかは雲の上だけど、貴族の中ではそこそこの『お嬢様』って感じだ。
兄たちは王城で住み込みの仕官をしていて、娘のあたしだけが両親と使用人たちと一緒に屋敷に暮らしている。
ただ、あたしにはちょっと困った癖がある。
食べもののことになると、どうしても我慢できないのだ。
ううん、たくさん食べたいってわけじゃない。
良いモノを少し、が哲学。
美食って、そういうものだと思う。
神様が人に味覚をお与えになったのは、食べるため。
食べることは、生きること。
つまり、美食こそが生きるエネルギーなのよね。
それを「淑女は美食など控えめに」なんて言われるのは、あたしにとってはもう神への冒涜に近い。
嫌なことがあっても、悲しいことがあっても、美味しいものを食べたら元気になれる。
やっぱり、食事は正義!
*
その日、あたしは森にピクニックに来ていた。
護衛のマークはちょっとおじいちゃんだけど、頑張ってついてきてくれた。
まあ、ここって公爵領地だから、危ないこともそんなに無いはずだけど。
と、思っていたら。
「キャッ」
ぴょこんと飛び出してきた野ウサギにびっくりしてしまった。
その拍子に、ポロッと……。
「うわああーっ!?」
うっかり、令嬢らしからぬ声が出た。
最悪だ。
崖下にランチの入ったバスケットを落としてしまった。
でも、あたしは未練がましく崖を見ていた。
だって、だって。
今日のランチはシェフのマツダが腕によりをかけて作ってくれた、『金のローストビーフ』なのだ。
崖はとても高い。
けれど、下のバスケットはかろうじて見える。
普通に考えたら無理だ。
いや、だけど、『金のローストビーフ』が……。
まだ一口も食べてない。
よくみると崖にななめに木々が生えている。
近くの木を掴んで降りたら、なんとかなるのでは?
ちらりと後ろを見る。
おじいちゃん護衛、というか実質あたしのお目付役のマークはまだ来てない。
うん、イケる!
では、お出かけ用のドレスをたくしあげて、いざ!
崖下へ!
「やめとけ」
「ヒエエエエェッ!?」
誰の声!?
と振り向いてみたけれど、誰もいない。
何これ、怪奇現象!? 怖い!
「その崖は深いぞ。そんな底がつるつるの靴で、お前は何を考えているんだ。足を滑らせて一瞬で亡骸になるぞ」
やけに小うるさい、いや、親切な幽霊だ。
「ええ……教えてくれてありがとう。でも、どうしても諦められないの」
「なんだ。形見の品か?」
「いいえ、父も母も健在よ」
「では何を落としたんだ。宝石か?」
「金の……」
「ああ、アクセサリーか」
「金のローストビーフを……」
「お前は何を言っているんだ?」
幽霊にお前呼ばわりされるなんて、ちょっと心外だ。
でも、これは譲れない。
「最高のランチにちがいないの。楽しみにしていたわ。もうあんなのは食べられないかもしれない」
「やめとけ。命とどっちが大事なんだ」
「……それは」
「迷うな!」
「そりゃあ、命、だけど」
「迷う要素がどこにあるんだ!? ばからしい、食事なんぞまた食べられるだろう」
「違うの! あの金のローストビーフはうちのシェフの幻の一品なのよ!」
私は幽霊相手に力説する。
「あの厚み! 一口かじれば肉汁がじゅわーってあふれて、口の中が幸せでいっぱいになるの。あれはもう、神様が人間に与えてくださった、究極の喜びっていうか……贈り物っていうか……神聖な宝物なの! (※以下、読み飛ばし推奨) ああ、想像するだけで胸がドキドキするのよ! そしてシェフ・マツダが表現する世界! あの表面に振りかけられた金粉。光に反射して、まるで小さな星が踊ってるみたいなの。食べ物がこんなに美しいなんて、世界はなんて罪深いの! 神様は、こうやってわたしたちに食べる喜びを与えつつ『堪能せよ』という試練を与えているのね! ああ、そうよ、あたしたちはそれに従うの! まさに感謝! 感謝の味わい」
「おい」
「そして香草バター! 香りを嗅ぐだけで、もう鼻先から幸せが溢れるの。口に入れた瞬間、甘くて香ばしくて……もう、言葉が追いつかないわ! ああ、どうしてこんなに完璧なの! なんで世界にはあんなに美味しいものがあるの!? あたしの全ての昼の祈りは、あのローストビーフのためにあるといってもいいわ」
「いや、待て」
「しかも今回はただの肉じゃないのよ! 幻の四元牛! これは、マツダの伝手を使って王家から分けていただいた幻の牛なの! 柔らかくて、口の中でとろけるらしいの! 噛むたびに広がる肉汁は、まるで宝石箱をひっくり返したみたいにキラキラ光るという噂の……ああ、神様、なんでこんなに幸せをくれるの? こんなに美味しいものを食べられるなんて、あたし、生きててよかった。本当に、これ以上の喜びがあるのかしら。いや、これほどの悲しみもないわ。思い出すだけで涙が出そう。だって、昨日の夜から楽しみにしてたのに崖下に落ちちゃったんだもの」
「……ちょっと、待ってくれ」
「ねぇ、わかる? あのローストビーフのためなら、あたし、何だってしてしまうわ。崖から落ちかけたって、命がけだって、あれを食べる瞬間こそ、あたしが生きてることを実感できるとしたら、味わうたびに、神様が微笑んでいるような気がするの。ああ、お願い、どうか今日もあたしに、あの至福のひと口を……」
「うるさい!!」
「ヒエッ」
お腹の底から響くような低音だ。
幽霊は怒っていた。
「さっきからペラペラペラペラと! お前はいったい何なんだ!」
「グランツ公爵家の娘、アマリエと申します!」
反射的に名乗ってしまった。
うん、礼儀は大事だもの。
「いいところの令嬢じゃないか……ハァ……全く仕方ないやつだな」
すると、ざわざわと風が木々を揺らした。
不穏な空気に急に恐ろしくなってくる。
本当に幽霊とか、悪魔とかだったらどうしよう。
ザッ!
ひときわ大きな風の音と共に。
それはそれはおそろしい、大きなオオカミが姿を現した。
あっ……し、死んじゃう?
ちょっと死を覚悟した。
オオカミは泣き出しそうな、いや、もう半分くらい泣いているあたしをじっと見た。
ゆでた卵くらいありそうな大きな瞳だ。色は緑色で宝石みたいに光っている。
鋭いナイフのような犬歯を剥き出しにしながら、オオカミが喋りかけてくる。
「もうさっさと屋敷に帰れ」
怖い声。
「うっ……うう……」
「屋敷に帰れ」
ローストビーフ……。
「うう……う……」
「聞こえないのか? 帰れ」
金のローストビーフ……。
「う……しくしく……」
「……」
「しくしく……しくしく……」
「帰れと言っている! あー、もう、俺が泣かせてるみたいじゃないか」
「……金のローストビーフ」
「まだ言っているのか。筋金入りだな。ここまでいくといっそすがすがしい」
「うううっ……そこに見えているのに……私が弱いばかりに……ごめんなさいマツダ……ごめんなさい犠牲……ごめんなさい神様」
「なんてくだらない祈りなんだ……」
「うっうっうっ」
後から後から涙がこみ上げてくる。
せっかく、お嬢様のために、とベテランシェフのマツダが作ってくれたのに。
最高の一口にするために、こんなところまで一時間も歩いてピクニックに来たのに。
悲しみが胸を押しつぶしそうだ。
芸術品をみすみすゴミにしてしまった罪悪感たるや、断罪された裏切り者の堕天使のようだった。
「そうだな、お前は……命を賭けるくらいなんだもんな……うん、むしろ……それなら、試してみても……じゃあ」
オオカミから、あきれたような声がした。
「俺をお前の恋人にしろ」
ん? 何か変な言葉が聞こえた。
恋人?
コイビト?
KOIBITO?
「そして、一緒に食事を取って、キスしてベッドで寝かせてくれ。約束するなら、拾ってきてやろう」
どこか投げやりに聞こえるけれど、確かに目の前のオオカミが言っている。
「恋人? 恋オオカミってこと?」
「なんでもいい。とにかく、条件をのまないと俺は助けない」
オオカミがプイッと顔をそむける。
大きいので近くの木にとまっていた小鳥が風圧で地面に落ちかけていた。
でも、これで金のローストビーフへの一筋の希望が見えた。
もう、うなずく以外の選択肢はない。
恋人なんていたことがないから、良く分からないけれど、好きですとか嫌いですとか言い合う関係のことだ。
このオオカミは少し口うるさいけれど、嫌いじゃない。
それに、恋人がオオカミだなんて、少し面白そうだ。
「いいわ!」
オオカミが、本気か、みたいな顔をする。
まだ疑ってる。
あたしはにっこりと笑顔を見せて、両手を頭の上に持っていって丸を作った。
オオカミは緑色の瞳でしばらくじっとあたしを見ていたけれど、くるりと後ろを向いた。
「よし、ちょっと待ってろ」
驚くことに、オオカミはひょいっと崖下までいってランチバスケットを持って帰ってきてくれた。
さすが獣。
「わああああ! ありがとう!」
おかえり、あたしの金のローストビーフ!
そのとき、来た道の方から声が聞こえた。
「お嬢様!? どちらです、お嬢様!」
「こっちよマーク!」
「ああ、こんなところに……ものすごく足がお早い、お待ち下さいと申し上げたではないですか。熊だの猪だの出たらどうするのです」
そう言ったマークは、顔をあげて、巨大オオカミと目が合ったらしい。
「な……」
オオカミはじっとマークを見ていた。
圧がすさまじい。
若い頃は騎士団で活躍したマークが押されている。
マークは震える手で私を背後に隠そうとした。
剣に指をかけようとしている。
次の瞬間、オオカミは風の音をたてて藪に消えた。
マークがへたりこんだ。
白髪から汗がぽたぽた落ちている。
「なんなんだ……あれは……」
「オオカミじゃなかった?」
あれを犬というにはあまりに大きいだろう。
あたしはマークに半ば抱えられるようにすぐさま家に戻された。
そして屋敷の食堂で、たっぷりとマークとお父様とお母様の小言を聞きながら、バスケットの中の素晴らしいランチを楽しんだ。
本当は外で食べたかったけれど、贅沢は言えない。
*
翌日。
夕食を取っていると、悲鳴が聞こえた。
「玄関だわ」
お父様たちと一緒に行くと、オオカミが屋敷の玄関に立っていたのだ。
メイドが腰を抜かしている。
マークが走り出て、銃を構えた。
オオカミは動じていない。
けれど、あたしはものすごく焦った。
「わー! 待って、待って!」
「お嬢様!? そこをおどき下さい! 危ないです」
「ちがうの! このオオカミはあたしを助けてくれたの。撃っちゃダメ」
今にもかみ殺されそうな距離だけど、怖いとかは言ってられない。このままオオカミがマークに撃ち殺されたら、あたしのせいだ。
数年前に亡くなったお祖母様が言っていた。
約束は守りなさい、と。
ここは筋を通さなければいけない。
「どういうことだ、アマリエ」
と、お父様が言った。
「実は……」
食堂でお小言をきいていたときは、『オオカミに襲われそうになった』と言ってお茶を濁していた。
でも、もう今回はあらいざらい全てを正直に喋らなければいけない。
「あの、実は、昼ごはんを落としたところを、このオオカミが助けてくれたんです」
金のローストビーフのくだりを聞いているうちに、お父様は泣き出し、お母様の顔は赤くなったり青くなったりして、マークは銃を構え続けながらも遠い目をしていた。
オオカミはおすわりの姿勢で待っている。
お母様は怒りに満ちた声で静かに言う。
「アマリエ・グランツ」
こうしてフルネームで呼ぶときは本気で怒っているときだ。
オオカミが耳を伏せている。
あたしだってしっぽがあれば、足の間に挟んで縮こめていただろう。
「公爵令嬢たるあなたは、ローストビーフごときのために、命を投げ捨てようとしたのですか……?」
「えーと、えーと、いえ、その、あの、投げ捨てるとかではなく、むしろ投げ捨てたのはローストビーフで」
「そんなことを言っているのではありません!」
お母様の雷が落ちた。
ものすごく怖い。
「あなたは! 今日という今日は許しませんよ!」
オオカミがキューンと鳴いた。
お母様がハッとして犬、じゃない、オオカミを見る。
「おおむね、アマリエ嬢の言った通りです」
と、オオカミが喋った。
こうして聞くとかなりの良い声だ。
お母様は一瞬毒気を抜かれたような顔をして、声の発生源をさぐろうとオオカミのふさふさした銀色の喉元を食い入るように見ていた。
「ただし、覗き込んでいたのではなく、『革靴で下が岩場の崖を』『ドレスをたくしあげて』木を掴んで降りようとなさっていたのです」
おっと?
雲行きが怪しい。
「私は何年も森の生活をしているものですから、慣れぬ者がそのような無謀なことをすればどうなるか想像がつきました。そこで、おやめになったほうがよろしいですとお声がけしたわけです」
お母様がにっこり微笑んだ。
だけど目は笑ってない。
笑いどころか、戦場で突撃する直前の曹長のような気迫を感じる。
いや、呪いで人間を凍らせる魔女の方が近いだろうか。
どちらにしても、まずい状況に変わりない。
「なるほど、よく分かったわ。マーク、銃を下ろしなさい。こんなにご立派な紳士は、オオカミだろうがカエルだろうが、丁重におもてなししなければいけませんわ。先に食堂にお通しして。うちの常識知らずのじゃじゃ馬娘がご迷惑をかけたのですから、しっかりとお礼をしましょう。ええ、私は少しばかり、アマリエとお話がありますから、後から参りますわ」
断言する。
一口で頭をかみ砕かれそうな牙のオオカミよりも、うちのお母様の方が千倍、いや、一万倍は恐ろしい。
*
お母様に激怒されたあたしが半べそをかきながら食堂に戻ると、オオカミが食卓についていた。
わあ、前足を使って器用に食べてる。
こってりしぼられたあたしも、隣に座って続きの食事をいただく。
うーん、美味しい。
涙で出た水分を、ブイヨンスープで取り戻していく。
食べているうちに、オオカミが可愛く見えてくるから不思議だ。
品が良い。
くちゃくちゃ食べないし、全然こぼさない。
それに、あのお父様と対等に話している。
相槌も会話もうまいのだ。
「最近の政治はなっとらんよ」
「いや、全くそうですね」
「食料供給を安定化させるべきだ」
「ええ。災害と食料は相関関係がありますからね」
「分かるじゃないか、君!」
気難しく理論家で有名なお父様がすっかり盛り上がっている。
デザートの段になって、お母様が口を開いた。
「ねえ、あなた。王妃様の誕生パーティーのドレスの色を迷っているの。桃色がいいかしら。お好きらしいのよ」
「どっちでもいいんじゃないか」
「まあ、あなたはいつもそうじゃない。ヴァルトハイトの王妃様といえば、もう好き嫌いが激しくて有名よ。不興をかって一族路頭に迷うはめになった貴族は片手じゃ足りないわ。数年前から気難しさが跳ね上がって……貴族は王族に嫌われたら生きていけないわ。ドレスや宝石はおしゃれじゃない、私たちの武器なの。ちょっとは真面目に、ねえ、お聞きになってる?」
あたしは目の前のタルトに夢中だった。
オオカミは甘い物は食べないらしい。
「王妃は確かに桃色が好きですよ」
と、オオカミが言った。
「あら? そうなの」
「だけど、着ないようにしているんです。若い頃の思い出にこそ映える色だと思っているらしいので。だからむしろ、若い女が着ていると喜びますが、結婚した後のご婦人方が着ているのは良い顔をしないでしょう。王妃は、婦人方がご自分に似合う色を選んでいるほうが好きなんだ。そこで自立心やセンスを見ているから」
お母様が瞠目した。
「まあ。まるで見てきたようね」
オオカミは続けた。
「マダムであれば、ラベンダーがいいのではないでしょうか。少しくすんだ紫の質の良い生地に、小娘には手の届かないような優雅なレースの意匠を凝らす」
「あら、ラベンダー?」
「色の白い御婦人にこそ似合う気品のある色味です。そこに同系色のアメシストを合わせるなんてどうですか?」
「まあ! なんて素晴らしいの」
今度はお父様は完全に沈黙した。
あたしたちをそっちのけにして、オオカミはすっかりご機嫌になったお母様と服飾トークをしている。
結局、お父様とお母様はオオカミをすっかり気に入ってしまった。
*
その夜。
客間に泊めるはずだったオオカミは、なぜかあたしの寝室にやってきた。
月明かりに毛並みが銀色に光って、少し神秘的に見える。
「あら? あなた、どうしてここに?」
と尋ねると、オオカミは当たり前のように言った。
「約束を果たしに来た」
「や、約束……?」
「俺を恋人にして、食事を共にして、キスして、同じベッドで寝る。そう言っただろう」
あっ。
言った。確かに。
でも、あれはローストビーフを取ってもらうためで――。
いや、約束は約束だ。
お祖母様との誓いを思い出す。
『いいね、アマリエ。約束は守りなさい。守れない約束はしたらいけないよ。相手の心を貸してもらっていると思いなさい』
口にした言葉には責任を持たねばならない。
「……わかったわ」
と、あたしは覚悟を決めた。
部屋の隅に置いてある寝台を指さす。
「でも、あなたは大きいから、足元で寝てね」
「同じベッドに入るんじゃなかったのか」
「足元もベッドのうちよ」
オオカミが少し目を細めた。
「……まあいい」
ふかふかの毛並みを揺らして、オオカミが寝台に乗る。
あたしも反対側にそっと横たわった。
がぶりと噛みつかれたら一巻の終わりだ。
(怖くない、怖くない……)
と心の中で唱える。
毛布の下で、オオカミの体温がじんわり伝わってくる。
あたしはそっと視線を向けた。
その横顔は思ったよりも穏やかで、瞳は森の夜のように深く静かだ。
……案外、かわいい。
「お前、裸足なのか?」
「え?」
「冷えるだろう。足、出してみろ」
「い、いいわよそんなの。靴下は……」
「ほら」
有無を言わせず、大きな前足で布団をめくられた。
冷えた足先が毛皮に触れた瞬間、オオカミがびくっと跳ねた。
「……冷たい! びっくりしたじゃないか!」
「だから言ったじゃない。冷え症なのよ。それに、あなたが出せって言ったのよ」
オオカミはぴょこん、と寝台から飛び出した。
「なかなかガッツがあるやつだな。こんな怪物と一緒なんて恐ろしくないのか。食われるかもしれないんだぞ。それこそ、お前自身がローストビーフのようになってもおかしくない」
「あたしは言った約束は守るわ。それに、あなたはそんなことしない」
オオカミは、なんとも言えない顔をした。
照れているのか、耳の先がほんのり赤いように見える。
その瞬間、なんだかこの生き物がとても愛しくなった。
思い切って、ふわふわの体に抱きついた。
あたたかい。
まるで、冬の陽だまりみたい。
「あなたは、優しいもの」
「……そんなことはない」
「ううん、優しいわ。助けてくれた」
その声に、オオカミの大きな胸がゆっくり上下した。
息が合っていく。
どくどくと鼓動が近い。
怖くない。
怖いわけがない。
「あなたは、あたしの恋人なんでしょう?」
オオカミの鼻先が少し動いた。
息が触れる距離。
あたしは、そっと目を閉じて、ちゅっとキスをした。
その瞬間――。
ぱあっと光が弾けた。
毛皮が消え、温もりが変わる。
え……柔らかい?
マシュマロ?
違う。これは……?
目を開けると、そこにいたのは。
全裸の男の人だった。
「えっ……えええええええっ!?!?」
金色の髪に、緑の瞳。
昼の陽光を溶かしたような肌。
あたしの腕の中で、困ったように笑っている。
「魔法が、解けた。ありが――」
「お母さまぁぁぁぁぁあああああーーーっ!!!」
あたしは飛び起き、寝室の扉を蹴破って逃げた。
夜着の裾をひるがえし、素足のまま廊下を全力疾走。
「待て! 誤解だ!」
という声が背中から聞こえるけれど、誤解も何も、あんな状況、説明できるわけがない。
「クソっ! なんて後味の悪い呪いなんだ!」
その後、わかったこと。
彼は魔女の呪いで、オオカミの姿に変えられていたらしい。
心から自分を恐れぬ者と、愛の口づけを交わすことが解呪の条件だったんだって。
服を着たオオカミは、レオネル・フォン・ヴァルトハイトと名乗った。
って、えっ!?
「そ、それって、王子ッ!?」
「2番目のな。さ、母さんに電報を送ってくれ」
「か、母さんって」
「ラベンダーのドレスを着るまでもなく、母さんは夫人を気に入るさ。なんせ息子の恩人の家族なんだからな。嫌われ者だが、情には厚いんだ。うちの母さんは」
数年前に失踪した息子をずっと探していた王妃様から、直々に熱烈な訪問を受けたうちのお母様が、玄関先で卒倒したのは言うまでもない。
END
カエルの王子様の話を、小さな頃に歯医者さんの待合室で読んだのを思い出しつつ書きました。
読了ありがとうございます! リアクション、ブクマ、評価など感謝感激です。読者様の幸せを願って。




