【短編小説】言い訳
昼下がり。缶コーヒー片手に、男は考えていた。
「今日も一日、なんと報告しようか」
営業とは大変な仕事である。
ひとことでコミュニケーション能力といっても、話上手であればいいってものでもない。目の前にいる相手の特徴を瞬時に掴み、自然な流れで接し方を変えていく。それは、口調、スピード、声質、身振り手ぶりまで。ある時は少し砕けた様子で、ある時は端的に結論から。用もないのに、最近はどうですかと機嫌を伺いに行かなくてはならない。観察力、適応力、会話力、行動力、提案力、精神力、人から好かれる力まで。あらゆる能力を搭載している必要があるのだ。
しかし男は口下手で、必要な能力をなにひとつとして持ち合わせていなかった。それどころか、いつも気弱で、丸まった背中からは湿っぽい雰囲気を放っていた。
ではなぜ営業になったのか。人員不足により強制的に営業部に配属されたのである。
雨の降る夕方。オフィスに雷鳴と怒号が響きわたった。
『今日も一件も回っていないだと!まったく、君以外はみな、汗水流して何件も訪ねているというのに、これは一体どういうことだ!』
「あ、す、すみません」
『いい、いい。もうその言葉は聞き飽きた。営業のくせに上手い言い訳ひとつできないのか。とにかく明日以降の君の態度次第では、このことを上に報告させてもらう』
部長は、怒りを通り越し呆れた様子でオフィスを後にした。
席についた男は、明日からの行動について考えた。飛び込み営業してみるか。しかし飛び込みなど、気弱な男にできるはずもなかった。だが、明日以降なにかしらの成果をあげないと、会社をクビになってしまうかもしれない。
男はしばらく考えたのち、パソコンでなにかを調べ始めた。営業に行ったように見せかける必要がある。あるいは、行けない事情を見つけなければならない。調べ始めたのは、営業に行かなくて済む理由。すなわち、言い訳であった。
『Aくん、今日の報告は。まさか今日も一件も回ってないわけじゃあるまいな』
威嚇するように机を叩いた部長に、男は声を絞り出した。
「ほ、本日は2件訪問予定でした。しかし、事前にある情報が手に入りました」
『ある情報?』
「はい。1件目の会社は、社内での不正が問題となり対応に追われているようです。今は我々の相手などできない状態でしょう。もう1件は、代表が不在でしたので帰ってきました」
『つまり、訪問できない事情があったというわけか。まぁ、それは仕方がないな。今日のところは分かった。それでは明日、必ず頼んだぞ』
男の言い訳は、意外にもすんなりと受け入れられた。席に戻ると、男は資料を作るふりをして、明日の言い訳を調べ始めた。
『Aくん、今日の報告をしたまえ』
「本日の訪問先は、代表が病気で入院中ということで、訪問を控えました。残りの1件は、代表不在のためお話ができませんでした」
『今日こそは訪問し、成果を報告する約束だったはずだ。不在であれば、代表が帰ってくるまで待たせてもらえばいいだけの話。根性が足りないのではないか。とにかく、早く成果を報告してくれ』
部長は、やれやれと頭を横に振った。
二日もった言い訳も、明日には通用しなくなるだろう。男は、言い訳に深みを出すためのスパイスが必要であると考えた。
『Aくん、報告は』
「はい。今日も訪問しましたが、代表は不在でした」
『それで?のこのこと戻ってきたのか。昨日帰ってくるまで待っていろと伝えたはずだが』
「それについてですが、あの会社の受付は神経質で、マナーについても厳しい方です。代表が帰ってくるまで待つといえば、我々の会社の評判は間違いなく下がります。それは受注の角度を下げることに繋がると考え、私は待たずに帰ってきたのです」
『ほう。それでは、そうすることが最適であったと』
「はい。私はそう考えました」
『そうか。君が考えてそうしたのであれば、一旦様子を見ることにしよう。明日からもしっかりと訪問してくれよ』
少しのスパイスでも、非常に効果的であった。
それから男は、訪問できない言い訳を報告し続けた。
「B社に昼過ぎに訪問しましたが、来客が多い時間帯だったようで忙しそうでしたので、資料だけお渡ししました。改めてご連絡します」
「本日訪問予定でしたがD社ですが、取引について現在Aカンパニーとひどく揉めているようです。今はカリカリされているようなので、改めて提案に行こうと思います」
不思議なことに部長はそのほとんどを簡単に飲み込んだ。責められそうになった時は、次回からの動きについて改善案を出した。そうすれば、それ以上責められることはなかった。
男はみるみると言い訳の腕を上げていった。
今日も男は、言い訳を報告する。
「本日は訪問2件の予定でした。しかし花屋に寄ったため、1件は訪問できずでした。先日入院されたS社の代表に、退院の祝いの花を届けたかったのです。まだ完全ではないようで本日はお会いできませんでしたが、出社された際にはご連絡下さいとお伝えしました」
『うむ。よかろう。そういった行動の積み重ねがやがて大きな信頼となる。ところでA君、少し尋ねたいのだが』
「はい。なんでしょう」
『君は以前は口下手で、考えを上手く伝えられない人間だったと思うが、最近はみるみると腕を上げているようだね。その様子なら、営業先でも上手に説得してくれているのだろう。なぜ突然話せるようになったのだ』
男は答えに困った。
営業に行かなくてすむ言い訳を考えているうちに上手く話せるようになりましたなんて、口が裂けても言えなかった。