会社にて
月曜日
新調した服を着て、出勤する。
隣の席の後輩である田中が驚いた様子を見せた。別部署の部長の娘でありコネ入社と専らの噂だ。実際の働きっぷりを見ると……まあ、そうだろうな、と。
「栗花落さん、服新しいの買ったの?」
「うん。いつもの駄目になっちゃって」
「かーわーいーいー!誰かに選んでもらったんでしょ。お母さんと行ったの?」
暗に結が自分でセンスのある服を選べるわけがないと言っている。
まあ実際そうであるから仕方がない。
まあねーと流して席につく。
田中は少し表情を歪めてPCのモニターに向き合った。
「おはよー」
後ろから散々聞いた和やかな声がかけられる。
スーツに童顔を少しでもと前髪をかきあげてセットした亮がいた。
結は椅子を回転させて振り向き、田中は自分に挨拶されたと思って笑顔を振りまく。
「亮君おはよー!珍しいね、こっちの席寄ってくなんて」
亮の席は入口近くで、上司に用でもなければ奥の方であるこの席まで来ない。
なので彼女の発言はもっともだった。
「うん、……ねえ、栗花落さん」
「どうしたの?」
亮はムッとした表情で結の顔を覗き込む。
「少し待っててくれてもいいじゃん」
「……は?」
意味が分からず素っ頓狂な声を出す。
田中は二人の距離の近さに何かを察して、ギッと歯を食いしばった。結にして見れば恐ろしい勘違いだが……。
それを見て思い出したが、田中は亮のことを常々格好良いと言っていた。かと言って、気を使うほど隣に親切にしたいわけじゃない。だが面倒は嫌だ。さてどうするか……。
「どうせ一緒の電車なんだからさ」
「あ?……いや学生じゃないんだから」
一緒に出社なんて……と言いかけて、横からの圧力に気が付く。
これは面倒になる。結は始業を理由に亮に席につくよう促す。
「……分かったよ」
亮は渋々席に向かっていった。
歯ぎしりが聞こえてきそうな食いしばりをするお隣様は般若の様相だ。
「偶然同じ路線だって知っただけだから」
引きつった笑顔で伝える。このまま続けられたら業務に支障が出る。
すると露骨にお隣さんは反対側へ首を向け、向こう側の職員と話し始めた。
あー……これは……
「手遅れですね……」
噛みつかれるよりは良いや、と仕事を始める。
結はパソコンに向かいながら左の薬指を見つめる。ハムスケがかけた魔法の煌めきはそのまま、リボンの石が付いた指輪がはまっている。
けれど田中から何も言われなかったのは魔法が効いているということでいいんだろう。じゃなければ連鎖的に大騒ぎが起こる。
そうならなくてよかった。と安堵のため息をつく。
時間は経って昼食。
田中はいつも外食しているため既にいない。無視するくせに威圧感だけはこちらに向けてくるのだから気疲れする。
結は伸びをして、給湯室のレンジで弁当を温める。もちろんコンビニで買ったものだ。
「栗花落さーん」
「うぐ…」
人懐っこい声がして振り返る。亮がニコニコでレンジの順番待ちをしていた。手には手作り弁当を持っている。
「その弁当作ってくれる彼女に悪いからあんまり話しかけないでくれると嬉しいんだけど」
「?これ僕が作った弁当だよ」
「まじで……なにそれ女子力高い」
チンッと結の弁当が温まって、交代で亮の弁当をレンジに入れる。
「じゃあ切り口変えるけど、小鳥遊さんのファンに睨まれるから職場では今までどおりの距離感でお願いしたいんだけど」
つまりは居てもいなくても変わらない関係で居てほしいと結は言った。
けれども……
「うーん……せっかく栗花落さんみたいな面白い人と知り合えたのにそれは嫌だな」
「面白……?」
「アレでしょ?君の隣の田中さんに気使ってるんでしょ?」
あー分かっててやったのか。少し苛つく。
態度を表に出すが、亮はニッコリと笑っていた。
「僕としては勘違い結構だけども」
「私はよくない」
隣が鬱陶しいのもあるが、結は別に親しい男性は必要としてない。変に噂を立てられて居心地の悪い思いはしたくない。何より、こんな気持ちのいい人が迷惑を被るのを見たくない。
「……守るって言っても?」
「バカ、そう言うのは相手考えて言って」
「……考えて言ってるつもりなんだけどな」
チンッと音が鳴る。
いい匂いが給湯室に充満する。
「そこの休憩スペースで食べようよ」
「人の話聞いてた!?」
聞いてる聞いてる、と結の手を引いて休憩スペースにエスコートした。
休憩中とは言えど、流石に社内に社員は残っている。
給湯室から出てきた2人を見た数人が、どよめく。関わりがあったのかこの2人……と。
「ほらー……」
「もっといろんな人と仲良くすれば良いんだよ」
「む、り!」
スパッと言いのけて弁当のフィルムを剥がす。
気は強いのにどうしてこんなに一匹狼を決めたがるのか。けれど面白いと亮は笑う。
何か失礼な事を考えてるな……、と結は口元をひくつかせた。
「さっさと食べて離れるからね!」
ガツガツと弁当を食べて、ペットボトルの茶をぐっと飲む。
ふと視界に入った亮の弁当は男らしく量は多いが、カラフルで可愛らしい。茶色では無い。
こいつ……女子か?と思ったが口には出さずにいた。ハムスケがいたら食べたがるに……いや、アレは質より量だった。
「一口食べる?」
「……辞退します」
憎い憎い憎い憎い
ズルいズルいズルいズルい
ゴミを纏めて席を立とうとしたところで、寒気に襲われる。それとほぼ同時に悲鳴が上がった。
「!?」
「ちょっと様子見てくる!栗花落さんはじっとしてて」
「あ、ちょっ……!」
止めるまもなく亮は階段から悲鳴のした方……下へ走って行った。
「……結、黒化精霊の気配がする」
「知ってる。結界も張られた」
足元に置いてあったカバンからコソッと顔を出してハムスケは訴える。
声で何人か下に降りたが、まだ人目がある。
出来るだけ自然な所作で、目につかぬよう、非常階段から外へ出る。
「結、変身して!このビルの出入り口らへんだよ!」
「知り合いの多いここで戦えってか!?」
「逆に言えば知り合いが襲われる危機だよ。小鳥遊とかいう奴とか……」
「アレは他の雑多な知り合いと一緒!【解放せよ】」
呪文によって出現した杖を握って変身する。
手っ取り早く階段から飛び降りようとして、結はハムスケに首を向けた。
「正体バレないって本当でしょうね?」
「今の所ニュースにもならずに誰にもバレてないでしょ!?」
「そうだけど……、実際に見られるのとはわけが違うんだって!」
「グダグダ言ってないでゴー!」
ハムスケに後頭部へ小さなキックを入れられて、渋々と階段の柵をひらりと飛び越えた。
そのまま自由落下し、アスファルトへ着地直前に速度を緩め、フワッと着地する。
昼時で人通りの多い道に着地したものだから、下での騒ぎと別にどよめきが起こる。
赤面しそうなのをぐっと堪えて、状況を把握する。
憎い憎い憎い憎い
ズルいズルいズルいズルい
また声が聞こえる。
声の先にいるのは……
隣の席の田中が倒れているのを彼女の友人が介抱しようとしている。
じっと集中して見てみると、黒化精霊の影が田中からにじみ出てきている。
「た……!っその女性から離れて!」
「何言ってるのその派手な人、誰よ」
介抱している同僚から冷たく言われる。
まあ、同類ではある。しかし……。
「早く!アンタまで食われ……!」
田中からにじみ出た影がぐわっと同僚の頭から噛みつく。
「あっ…あぁ……あーーーーーっ!!!」
同僚が叫び声を上げて倒れる。
初めてマトモに人が食われる瞬間を見て、吐き気に襲われる。
ズルリと、黒い影が同僚から這い出してくる。ソレは2人の魂を食らった分膨張してハートにヨダレを垂らした口が開いている浮遊物体になった。
その光景を見た群衆は、悲鳴を上げて逃げ出す者、座り込んでただ怯える者、様々だ。
群衆を飛び越えて黒化精霊に近寄ろうにもやはりその他大勢が邪魔だ。
「このっ…!早く逃げて!!」
魔法で声を大きくして叫ぶ。
ビクリと動きを止める群衆。
「この場はあの化け物に封鎖された!でも私が逃さないから出来るだけ遠くで隠れてて!」
「そういうお前は誰なんだ!?」
「そーだ!警察や自衛隊に任せたほうが安心だ!」
呼べないことに気づいてないのか馬鹿が……と口に出さずに悪態をつく。
「私は……私は魔法……少女!こういうのと戦う専門の戦士!」
魔法少女…?確かに見た目は少女だけど……いや、少女か?とざわめきがおこる。
その間にもまた腰を抜かしてる一人に黒化精霊が噛みつこうとしていた。
「Navi、【バリアー】」
『【バリアー】インストール完了』
そこにはいつの間にかクロがいた。
スマホ型の魔法具から射出したネット状のバリアーに捕らえられた腰を抜かした一人がクロのスマホの動きに合わせて釣り上げられ、放り投げられる。
どこかのビルの屋上に優しく落とされたようだ。
ふわりふわりと浮いているクロの姿を見た群衆は、言うことを聞いて、と言うよりもわけの分からない生き物が3体も現れた事で逃げ出した。
中にはバケモノと叫ぶ者もいたが、まあ、結果オーライだ。
「クロ、サンキュー!」
黒化精霊に向かって杖を振る。先の戦いで見せたよりも幾らか強い散弾が黒化精霊に降り注いだ。
悲鳴を上げてハートの形が歪む。
「効いてる!」
「威力が強くなってきてるね」
ハムスケが満足そうに結のそばを漂う。
結は邪魔とばかりに杖を振り回して、ついでとばかりに魔力砲を放つ。
しかし、黒化精霊も学習するのか、ひらりと避け、魔力砲は職場のビルに直撃する。
「やばっ……」
亀裂が入って瓦礫がいくつか落ちる。かなりのダメージを与えたようだ。
「結界が解ければ修復されるから大丈……結!」
ハムスケの叫びで思い出した。
黒化精霊は結が美味しそうに見えるんだったと……。
「あっ」
目の前でガバっと開けられる黒化精霊の口。
……ああ、この光景アニメで見たことある。
走馬灯が走るように呑気にそんな事を考えていた。
「結!」
「っ……!?」
横から何かがぶつかってきて、結は吹き飛ばされる。
アスファルトにしこたま背中を擦って痛みに顔を歪めると、体の上の重みに気付いた。クロだ。クロが乗っている。
ありがとう、助かった、彼の肩に手を置くとヌルリとした感触があった。
「クロ……!?」
「ッ、……」
それが血だと判断した時には、クロは肩を擦って起き上がっていた。
自分が怪我をしたわけでもないのに顔から血の気が引く感覚……、どこかゲームじみていたと思っていた小さな思いが砕け散る。
「……大丈夫、歯がかすっただけだから」
「でもそんなに血が……!」
結の手袋にも血がべったり付いている。絶対にかすったレベルではない。
「……ッそうだ治療魔法……!」
「いいよ、要らない」
そう言ってクロは身に纏う黒の外套を脱ぎ捨てる。背中にかけて破けたシャツから見えるのは血液に浸された肉片……ではない。治りかけの傷だ。それがどんどん治っていく。
脳の処理が追いつかない。だけれども、クロは端末を精霊に向けて魔法を放つ。
黒い槍が地面から幾本も突き出され、ハート型の黒化精霊は串刺しになる。
しかしどうやら急所は避けているらしく、激しい攻撃の割に霧散しない。
「今だ結!」
「へ?」
「君のあの攻撃じゃないと奪われた魂が被害者に戻らないんだ!」
「マジで……!?」
結は立ち上がる。足が震える。今しがた死にかけた実感が膨らんで怖い、しかし……
パチーンと結は両頬を叩く。自分の命だけじゃない、結界内に閉じ込められた一般市民の命もかかっている。震えている場合じゃない。
顔にクロの血液がついて、乱暴に反対の手で拭った。
つかつかと黒化精霊に歩み寄って、周りにいる者は皆、ツイストフェイトを発動すると思ったが……
振り上げられる杖、鈍い打撃音、漫画のように脳天が凹んだ黒化精霊。
誰が驚いたって一番混乱しているのは黒化精霊だろう。
「……田中さん、聞こえてる?」
結は吐き捨てるように声をかけた。
ギギギ……と黒化精霊は動揺する様子を見せ、クロの穿った槍から逃げようとする……、と、再び杖で殴られる。
さらに深く槍に食い込む形になった。
消滅しない様に手加減はしているようだ。
「アンタの自分本意、他人を下に見る性格が呼んだのがコレだよ。なんとなく精霊が黒化するのに必要な餌が分かったわ。馬鹿じゃないの?悪いのは周りで、自分は悪くない?惚れた男を盗られたと思って憎悪を募らせたんでしょうけど。食事に誘うだけで、毎回やんわりとグループ食事会になって。酔ったふりしてもたれかかって、介抱役を自然に女性に回す。優しくしてくれてる?アイツは普段のアンタ見た上で、大人の対応してるだけなのに気づかない?それがわからないなら私はアンタとアイツの縁を切る。それだけじゃない、この目が本当の縁でないと認識したものは全部切る。残った縁の少なさに少しは反省するといい」
「ギエ……ッ、ギエエエエエ!!」
ハートの胴体から棘を発射して抵抗する。
しかし、結が杖を前に構えるだけで全て弾かれてしまった。
結は足を踏み鳴らす。青いリボンが黒化精霊に巻きついて動きを抑制する。
「ーー紡ぐ。我は縁を結ぶ者。縁は心、縁は世、縁は生命……心無きモノは良縁に非ず、世を儚むものは愛縁に恵まれず、尊き生命は悪縁を退けよう「運命を捻じ曲げよう!」(ツイストフェイト)
方々から飛んできた様々な色のリボンが黒化精霊に突き刺さる。色合いも濁ったものが多い、中には結は何もしていないのに既にボロボロのリボンもある。
相手の方はもう縁を切りたがっている証拠だ。
「可哀想に……悪縁をたたっ斬る!」
杖の先に剣を顕現させて振り下ろす。剣圧で黒化精霊の縁も田中の縁も断ち切られた。
霧化した黒化精霊のあとに残った2つの光、綺麗とも言えない石ころのような光だが、それらが田中と、その友達に還っていく。
そして、黒いモヤが結の杖に吸い取られる。
「あっ…!?コレはクロに……!」
怪我を負って助けてくれて、黒化精霊の動きを止めたのはクロだ。
だからクロが報酬をもらって然るべきなのに……、結は聖杯の欠片の元を取り出そうと杖を振ったり念じたりするが出てこない。
「いいよ、結が持ってて」
「でも……」
「俺、コレでもベテランなんだよ。シロの餌なんて沢山ストックあるから大丈夫!」
「でも!願いが叶うんでしょコレ!」
ならば一個でも多く欲しいはず。命を賭けた代価なのだからそこはしっかりしておきたい。
だが、クロは一瞬きょとんとした顔をして、
「そういえばそんな効果もあったね」
と納得した様子を見せた。
「えっ」
反応の薄さに結は言葉を詰まらせる。ハムスケから聞いた聖杯の欠片の効果はそれだけだ。あと餌。
「それはどういう事?」
「キスしてくれたら教えてあげる」
ニコッと無邪気に笑って自分の唇をトントンと指す。
結は反射的にクロの額にデコピンをお見舞いした。
結構な痛みがあったようでクロは額を押さえてしゃがみ込む。
「いった……、回復力全振りでも痛いんだよ……」
「ふざけるからこうなるの」
ぶうっとむくれて結はそっぽを向く。
やれやれとクロは立ち上がり、
「俺はもう願いが叶ってるから」
「へ?」
「それ以上は秘密ー」
クロはヘラヘラと笑う。結は追求しようとしたが、人気が戻ったかのように騒がしさが遠くから帰ってくる。
「じゃあね結!」
「あっ……!」
クロは当たり前のように飛翔して、ビルの屋上に隠れて見えなくなってしまった。
結は追うのを諦め、建物につけたヒビ割れが薄くなっているのを横目にビルの隙間に入って変身を解いた。
そしてこっそり非常階段を登り、人目が無いことを確認して元の席に戻った。
だが騒ぎは収まらない。ガヤガヤとした喧騒はまだ続いている。
結は昼食を片付けて先日狐美に貰ったスティックのコーヒーを淹れて待った。そういえば加賀狐美を見かけない。昼休憩はいつも小さな弁当を持ってきていたと思うのだが…
「騒ぎの中にいるのかな…」
まあ、あの目立つピンクの髪は見かけていないのだが。
「いやー凄かったな」
その内に亮が帰ってきた。
「何があったの?」
白々しく聞く。
亮が言うには、田中がビルの前で倒れ、介抱していた同ビル他社の友人も倒れ、救急車が来る前に2人とも気付いたが、そこから大喧嘩していたそう。
「何か田中さんが友達のことを下に見てたとかそんなこと口走って、せっかく介抱していた友達がキレちゃって大喧嘩!ありゃ仲直りムリだな……」
「そっか」
そうか、あの友人も切れたか……
きっとこの先どんどん友人が減っていくんだろう。そうしたのは結だから。
軽い罪悪感に苛まれるが、あの時は頭に血が昇っていた。黒化精霊の性質が生気を吸った田中そのものだと、魔法少女としての青い瞳はそう告げていた。あのままだと羨ましいと思うもの全てを食って行ってただろう。
「んで、田中さんはどうしたの?」
「一応友達と一緒に救急車で運ばれてったよ。父親の部長も付き添って行った」
「そっか。まあ倒れたものは仕方がない。静かに仕事ができるから私にとっては良かったかもね」
そう言って席を立つ。
何か言いたげな亮に結は吐き捨てるように最後に一言告げた。
「……私冷たいでしょ」
するとすれ違いざまに亮は一瞬結の肩を抱く。
「一より全をとる、ソレも優しさだと思う」
それだけ言って手を離した。
言われた気がした。他者の縁を切った事を許すと。
少し泣きそうになったがぐっと堪え、仕事の席へ戻った。
数日後、青い顔をした田中が出勤してきた。
入院中、誰も見舞いに来ないどころか、介抱してくれた友人に暴言を吐いたことで友達だと思っていた人たちから距離を置かれたらしい。数週間しおらしく仕事をしていたが、経費の水増し請求の容疑がかかり、気付いたら辞めていた。事実だったらしい。
父親も一緒に辞めて田舎に引っ込んだとのこと。
新しい縁は良き縁でありますように、結は祈った。
数年後、放置していた彼女の連絡先から、謝罪と、優しい人と結婚したと連絡があったのはまた別の話。




