ユーリと氷の女王 12
私がシェラさんと一緒の馬で駆けて行く遥か先を、
ヒルダ様はバルドル様の馬と並走しながら走り出すと
あっという間にその姿は見えなくなってしまった。
ダーヴィゼルドの騎士さん達数人が私達を
カイゼル様の所へ案内しながら、
護衛をするように同行してくれている。
すると、やがて走るうちに周りにキラキラした
何かが転がっているのに気が付いた。
その数は少しずつ増えている。
「ガラス・・・じゃなくて氷?」
よくよく見れば、それは大小に砕けた氷が
あちこちに転がっているのだった。
「ヒルダ様の魔法ですね。魔物を凍らせながら
砕いて進んでいるようです。
おかげで良い道標になりますが・・・。
カイゼル殿の所まではまだ距離があるはずなのに、
それにしては魔物の数が多いです。
先日も演習の際はこの山に入っていますが、
ここまでの数ではありませんでした。」
シェラさんの言葉にデレクさんも頷く。
「痕跡から分かる魔物の種類も、先日までの演習で
見たものとは違うように思います。
・・・肉食コウモリも混じってますね。
囲まれて一斉に襲われたらかなり厄介ですね。」
肉食コウモリは魔物図鑑で見た記憶がある。
血の匂いに寄って来ては集団で噛み付くと肉を
食いちぎってしまう、ピラニアや軍隊アリみたいな
怖いコウモリだ。
一匹一匹は小さいけど、牙が鋭くて噛まれたら
すごく痛そうだったのを、図鑑で見た時に
よく覚えている。
「そんなのまでいるんですか・・・」
事前にシェラさんから聞いていた北方によくいる
魔物は、凍り狼という噛み付かれたり爪で
引っ掻かれたりするとそこから凍ってしまう狼や、
サーベルタイガーみたいに大きな牙を持つ虎などの
魔獣の話だった。
それらも徒党を組んで襲ってくるけど
序列意識が強いので、自分より強いと思う
相手にはなかなか向かって来ないから今回
ヒルダ様が同行するなら襲われる心配は少ないし、
万が一襲われてもシェラさんやデレクさんで
充分対応できるという話だった。
でも肉食コウモリにはそこまでの知恵がない。
とにかく無差別に襲ってくると聞いている。
砕けて転がっている氷には、凍り狼も混じっている
けれど肉食コウモリも結構な数が入っているらしい。
ヒルダ様達は大丈夫かな、と思った時だ。
ごおぉっ、と言う山鳴りのような低い音が
聞こえてきて冷たい雪と風が舞った。
ダーヴィゼルドの騎士さん達がお互い
顔を見合わせ青くなっていて、
シェラさんもおっと、と言って馬を止めた。
「な、何ですか⁉︎」
何か大きな魔物でも出てくる予兆だろうか。
そう思って慌てたら、
「ヒルダ様が大掛かりな魔法を使ったようです。
恐らく予想以上に肉食コウモリなどの
細々した魔物の数が多かったのでしょう。
カイゼル殿がいる山ごとそこにいる魔物を
凍らせることにしたようですね。
それで運良くカイゼル殿を捕らえられるか
魔物の湧いて出てくる泉のようなものを
凍らせられれば儲け物ですが、さて・・」
「山ごと凍らせるんですか⁉︎」
ぎょっとして思わず目の前にある山を見つめる。
かなり大きな山だけど、確かに今そこには暗雲が
垂れ込めて空気がどんどん冷えていっている。
ヒルダ様は大層な魔力持ちだとシェラさんは
言っていたけど、まさかこんなに大規模な事が
出来るなんて驚きだ。
「大丈夫ですか?魔力切れで倒れたりしない
ですよね⁉︎」
心配になってそう聞けば、
「氷雪系魔法に限って言えば、これぐらいなら
まだヒルダ様には余裕があるはずです。
山が完全に凍りましたら、徒歩にはなりますが
オレ達も後を追いますよ。」
邪魔な魔物はヒルダ様が始末しているはずです。
そう言ったシェラさんは馬から降りると
野球のスパイクみたいなギザギザがついた
金具を靴底に装着し始めた。
凍った道でも転ばないようにする滑り止め用の
ものだろう。他の騎士さん達も同様だ。
ついでにシェラさんはまだ馬に跨ったままの
私の足を取ると、私のブーツにも子供用の
小さな金具を取り付けてくれた。
そしてひょいと私を縦抱っこで馬から降ろす。
「デレクは遠距離からカイゼル殿の足止めを。
オレはユーリ様を連れてカイゼル殿のいる所を
目指します。」
そう言って、これから踏み入ろうとしている
目の前の山道がピシピシと凍り始めたのを
シェラさんはじっと見つめている。
周りの騎士さんの中には体を暖めるためか、お酒の
入っている小瓶を開けてぐいと煽っている人もいた。
気絶した時や消毒用に、この世界の騎士さん達の
中には度数の高いお酒を持ち歩いている人もいるけど
これだけ寒ければ体を暖めるのにも有効なようだ。
そのまま様子を窺っていると、山が凍り始めるのに
比例して周りの空気もどんどん冷えて来て
底冷えのする寒さが足元から立ち上って来ている。
「そろそろ行きますよ」
山道がある程度凍りきったのを見極めて、
そう言ったシェラさんは私を片手に
抱いたまま山の中へと足を踏み入れた。
ツルツル、というほどではないにしろそれなりに
凍っている道を他の騎士さん達の案内の下、
どんどん山中へと入っていく。
どれくらい歩いただろうか。
前方からヒルダ様の声と剣の音が聞こえてきた。
「やめろカイ‼︎フレイヤも心配している、
正気に戻って早く一緒に帰ろう‼︎」
そこには無数の砕けた氷と共にぼろぼろの上着で
大きく剣を振るうすらりとした体躯の男の人と、
その剣を受け止めて必死に呼びかけているヒルダ様、
凍り狼の群れを相手にしているバルドル様と数人の
騎士さん達がいた。
「・・・なぜ氷から復活を?
だから砕かなければいけないのか?」
シェラさんが独りごちた。
どういう意味かと思って見てみれば、ヒルダ様の
魔法で凍った魔物は粉々に砕かれない限り、
少し経つとバリンと解凍しては復活してまた
ヒルダ様達に襲いかかっていた。
その度に魔物は再度魔法で凍らされているけれど、
カイゼル様を説得しながら魔物を相手にする
ヒルダ様は大変そうだ。
「どうしてですか?ヒルダ様の魔法が
効いていないって事ですか?」
「カイゼル殿はヒルダ様の魔法を破って城を
抜け出したそうですから、ここにいる魔物も
カイゼル殿の影響を受けてヒルダ様の魔法の効きが
弱いのかも知れません。
ということは、ただ凍らせただけの肉食コウモリも
すぐに復活してまた襲いかかってくる可能性が
ありますね。早く始末をつけなければ。」
ヒルダ様達の周りには負傷した騎士さん達が何人か
いる。その体は傷付き、血が滲んでいる人もいた。
コウモリに血の匂いを嗅ぎつけられたら大変だ。
「私が治します!ケガをした人達を
出来るだけ1ヶ所に集められませんか⁉︎」
シェラさんの腕から飛び降りる。
ヒルダ様がカイゼル様の注意を
引きつけてくれている今のうちだ。
「お安いご用です。」
私の言葉にシェラさんは例の鞭を取り出すと、
瞬く間に私の側まで数人纏めて鞭で縛り上げ
放ってよこした。相変わらず華奢な見た目を裏切る
力持ちぶりだ。
あと、あの鞭って人間をスパンと切り刻むだけ
じゃないんだ。
一瞬何をするのかと思ってあせってしまった。
王都の惨劇再び、かと思っちゃったよ。
私の側に突然放り投げられた人達は
一体何が起きたのかと呆気に取られている。
「すぐに治しますからね!」
言って、いそいで手をかざす。
この手をかざす範囲の人達のケガが治りますように。
そう願えば、まとまって座る騎士さん達の体が淡く
金色に光りケガは綺麗さっぱり消えてしまった。
血の滲む跡も消えている。これなら肉食コウモリも
ここには集中して来ないはずだ。
あとはカイゼル様と例の魔物が湧いてくるという泉。
「ユーリ様、あれを。
カイゼル殿の後ろを見て下さい。」
凍っている魔物を鞭を振るい砕きながら、
シェラさんがそう言った。
ヒルダ様と剣を交わしているカイゼル様の
向こう側に、うっすらと濃い紫色の水溜まり
みたいなものが見える。
「あれが・・・?」
1、2メートル四方のそれはそんなに大きくもなく、
ドロリとして見える様子は泉というよりも沼のようだ。
紫色、という点ではシェラさんの髪の色も
そうなのに、シェラさんの綺麗な紫色とは
似ても似つかない。
こちらの濃いドロリとした紫色は見ているだけで
落ち着かなくなる、嫌な胸騒ぎを覚える色だ。
そして見ているだけでなんだか不安な気持ちに
なってくるそれは、何かを連想させると思ったら
ヨナスの髪の色だった。
イリューディアさん達と話していた時に突然現れた
ヨナスの、ゆらりと揺れていたあの濃い紫色の
長髪を思い出させる。
「ヨナスの色だ・・・」
思わずこぼした私の呟きをシェラさんは聞き逃さない。
「ではカイゼル殿はヨナス神も絡んだ魔物の影響下に
あるという事ですか。通りでヒルダ様の魔法も
効きが悪いわけですね。想定していた中で
一番最悪な状況です。」
そう話している時に、突然数本の青い光を纏った矢が
カイゼル様に向かって飛んで来た。
あっ、これはデレクさんの。
そう思って見てみれば、正確にカイゼル様の
両手両足を狙って放たれたその矢はヒルダ様を
剣で弾き飛ばしたカイゼル様にあっという間に
叩き落とされた。
目にも見えない速さだ。
続けて二撃、三撃と追撃の矢が何本もどこか
遠くから矢継ぎ早に放たれたけど、
その度にその全てをカイゼル様は叩き落とした。
最後なんて、自分の両肩めがけて飛んで来た矢を
2本まとめて素手で掴むとそのままへし折って
しまった。
その様子に、さすがのヒルダ様と
バルドル様も呆然としてしまっている。
当然だ。目の前に立つカイゼル様は白い細面で
すらりとしていて、とてもそんな力があるようには
見えない。
でも、上質なメープルシロップみたいに濃い琥珀色の
髪の毛はボサボサだし同色の瞳もどこか虚ろで、
素早い動きで矢をへし折った人とは思えない
アンバランスさがいかにも操られています、って
感じで怖い。
矢をへし折った両手は傷付き血が滲んでいるのに、
痛みを感じている様子も微塵もない。
「デレクの矢をあそこまで完璧に捉えるのも、
魔法付与されている矢を素手で折ってしまうのも、
普通の人間ではあり得ませんね。
ヨナス神の加護でもついているんでしょうか?」
シェラさんが恐ろしい事を言った。
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