一日一夜物語 5
商工会議所へ向かって屋台のおじさんと
一緒に私は走っていた。
人波を避けるように、大通りは通らずに
メインストリートから逸れた道を行く。
曲がりくねった道をあちこち
走るうちに、喧騒は大分遠くに
聞こえるようになっていた。
いつのまにか周りには誰もいなくて、
走っているのは私とおじさんだけだ。
目の端で塔を確かめながら移動して
いたんだけど、建物の陰からたまに
顔を覗かせる商工会議所のあの塔が、
なんだか遠くなっているような感じが
するのは気のせいだろうか。
おじさん、と声を掛けようと
手を繋いでいる隣を仰ぎ見た時に
おじさんの着ているマントが
ひるがえってその腰に差す剣と
ロープがちらっと見えた。
やけに使い込まれたような剣に
どきりとする。
・・・屋台の人が剣なんて使うの?
それは使い込まれている割に
汚れているし、手入れは行き届いて
なさそうだ。
なんだか乱雑な扱いを想像させる。
レジナスさんやリオン様、騎士さん達は
自分の剣はどんなに使い込んでいても
もっと丁寧に手入れをしている。
さっき私やマリーさんに丁寧にお菓子を
渡してくれた人当たりのいいおじさんと
手入れの行き届いていないその剣は、
同じ人が扱っているとは思えない
ちぐはぐさを感じさせた。
なんだろう。胸騒ぎがする。
いつのまにか周りは随分静かで薄暗く、
私達の駆けていく足音だけが
やけに響いていた。
「・・・おじさん、なんだか少し
商工会議所から遠くないですか?」
そう聞いてみれば、何でもないような
口調で
「おや変だな。少し道を逸れたかな?」
道を間違えてしまったかのような
返事が返ってきた。
「おじさんは屋台の人なのに、
どうして剣を持っているんですか?」
「それは護身用だよ」
「ロープは何に使うんですか?」
「狩りで捕まえた獲物が
逃げないようにするためだよ。
・・・お嬢ちゃん、よく見てるねぇ」
ああ、この問答はまるで
赤ずきんちゃんだ。
嫌な予感がどんどん大きくなる。
おじさんと会話を重ねながら、
私は思い出していた。
いい匂いにつられて
初めておじさんの屋台を見た時。
屋台を離れた後にマリーさんと
騎士さんが話している後ろで、
ベンチに座って庭園に集う人達を
眺めていた時。
どちらの時も、おじさんの屋台で買った
ミニケーキを持つ子供達を見ている。
でもその子達、誰一人として
おじさんが私にくれたような
赤い風船は持っていなかった。
おじさんは間違いなく私に言った。
『ミニケーキを買ってくれた子達
みんなに風船をあげているんだよ』
ウソだ。ミニケーキを買った子は
他にもたくさんいたのに、
風船を持っているのは私だけだった。
手を離しても飛んで行かずに
私の後をついて回るあの風船は、
まるで私がどこにいても分かるように
目印を付けたみたいだ。
そこまで思い至り、初めて怖くなった。
「おじさん、ちょっと待って。」
「どうした?お嬢ちゃん。」
優しげなその声すら怪しく感じ始めた。
「ちょっと疲れちゃったから、
歩いてもいいですか?」
そう言って立ち止まるけど、
おじさんは私の手をしっかりと
握りしめて離してはくれない。
どうしよう。
嫌な予感しかしないのに、
どうしても気になって聞いてしまう。
「・・・おじさん、どうして私にだけ
風船をくれたんですか?」
「へえ。そんな事まで
気付いちまったのかい?賢いなあ。
・・・本当に、お嬢ちゃんはなんでも
ちゃんと良く見てるねぇ。」
それはね、と続けるおじさんを
見上げる。
その目はさっきまでの優しさは
消えていて、なんだかぎらついていた。
しかも顎ヒゲが僅かにズレている。
まさか変装⁉︎
「かわいいお嬢ちゃんを逃がさないように、
しっかりと捕まえるためだよ‼︎」
あっ、と思った時にはもう、
ぐいと手を引かれて小脇に
抱え上げられてしまった。
「は、離して下さいっ‼︎」
助けて、と大声を上げるが周りには
誰もいない。
「無駄だよお嬢ちゃん。
みんなあの騒ぎで逆方向に
避難させられてる。誰もここには
来やしないし、気付かない。」
ひひっ、とさっきまでとはまるで違う
いやらしい笑い方をする。
「さ、おじさんと一緒に行こうな。
なァに心配するこたぁない、
お嬢ちゃんみたいな小さい子が
好きで好きでたまらないって言う
お偉いさんは、海の向こうにも
山の向こうにもいっぱいいるんだ。
田舎貴族のお嬢様でいるよりも
遥かにいい暮らしができるし、
毎日嫌って言うほど
可愛がってもらえるよ。」
ひぃっ、それは少女好きの変態に
売るってことじゃないの‼︎
可愛がるって、その、そっちの意味しか
思い浮かばないんですけど⁉︎
そんなの絶対イヤだ。
どうしよう、この世界に来てから
こんなに怖いと思った事はない。
擬似魔物よりも悪意を持った
人間の方が怖いなんて。
恐怖で泣きたくなるのも
この世界では初めてだ。
目の端に涙が滲む。
誰か助けて。
そう思った時、頭に浮かんだのは
レジナスさんだ。
この世界に来た時からずっと私を
何かにつけ守ってくれている人。
こんなにもあの安心感のある
腕の中を恋しくなるとは
思わなかった。
・・・レジナスさん。
レジナスさん、どうか助けて!
このまま攫われてしまったら、
レジナスさんだけじゃない。
リオン様にもルルーさん達にも
二度と会えなくなってしまう。
そんなのは嫌だ。
「~だれかっ!」
助けて、と言って往生際悪く
暴れようとした時だった。
「はい、そこまで。ご苦労様でした。」
あの物腰柔らかな丁寧な声がした。
暴れる私を押さえ込もうとしていた
おじさんの動きが止まる。
私も思わず固まってしまい、
声のする方を見た。
「そのまま動かないでもらえますか?」
その声はどこまでも静かで
凪いだ海のように穏やかなのに、
なぜか有無を言わせず
従わせる雰囲気があった。
目の前にはあのローブ姿の人が
立っている。
「かわいいお嬢さん、そんなに
暴れるとその綺麗な顔が汚れますよ。
そこの君も、レディをそんなに乱暴に
扱うものではありません。
ですから2人とも、そのまま動かず
大人しくしましょうか。」
そう言うその人に、私を抱えたままの
おじさんが我に返って声を上げた。
「へっ、テメェ一人で何ができる!
邪魔すンじゃねぇっ‼︎」
そう言うと、口元に指を寄せて
ピィッ!と指笛を吹いた。
私達を囲む建物の屋根や路地裏から
途端にわらわらと数十人の男達が
現れる。
「あのお付きの女と騎士2人だけ
始末すればいいかと思ったが
もう1人増えたとこで、
どうってことねェわな。やれお前ら!」
おじさんの言葉にゾッとする。
「マ、マリーさんまで⁉︎なんで⁉︎」
騎士2人、という言葉からも
おじさんは私達が屋台を離れた後、
庭園に行った時もずっと
見てたに違いない。
やっぱりあの風船が目印だった。
「あのお嬢さん、なんでか知らねェが
屋台持ちの行商人が魔法を使えるのは
おかしいと勘付きやがったからな。
ま、元より目撃者は消すことに
してるから死んでもらうのには
変わらねぇから気にすんな。」
まあおかげで多少計画は早めてさっさと
始末しなきゃいけなくなったけどな、と
言うとまたひひっ、と楽しげに笑った。
マリーさんは大商会のお嬢様で
そういう事にも詳しいから
ついうっかりそれを口にしてしまい、
おじさんを焦らせたらしい。
どうしよう。あの混乱のどさくさに
紛れてマリーさんと騎士さん達は
殺されてしまったの⁉︎
胸が詰まってまた泣きそうになった
私に、目の前のローブ姿の人が
声をかけた。
「大丈夫ですよ、かわいいお嬢さん。
3人とも無事ですから。
だからお嬢さんも帰りましょう。
言いましたよね?お嬢さんはオレが
きっちり家まで送り届けるって。」
顔が見えた方が安心しますか?
そう言ってローブのフードを脱ぐ。
初めて見えたその素顔は、
紫色の髪の毛とその長めの
前髪の間から覗く金色の瞳が
白い肌に映えて、なんだか
妖艶な雰囲気を漂わせている。
氷の美貌のシグウェルさんも
綺麗な人だけど、あの人の
他人を拒むような彫像みたいに
凍てついた美しさとは
真逆の方向性の、
色気ダダ漏れ・・・
いや、垂れ流し?みたいな
人を誘惑してくるような妖しい
美しさを身に纏っている。
顔を見せただけなのに、また妙に
その存在感が増してすでに夜に
なりかけている薄暗い中でもその姿は
くっきりと浮かび上がっていた。
そんなに背は高くないし、すらりと
細めな背格好は騎士団の人達みたいな
体育会系の迫力や威圧感もない。
それなのにその不思議な存在感に、
おじさんもその手下達も手を出せずに
怯んでしまっている。
「さっき君はそのお嬢さんに、
聞くに耐えない話をしていましたね。
子供に手を出し売り買いする
そんな醜い輩が存在するなど、
かわいいお嬢さんの耳には決して
入れてはいけません。
耳が穢れてしまいます。
本当に、君達悪党と言うのは
なんて醜悪、
なんて美しくないのだろう。
ああ、度し難い。」
そう言って右手を静かに振ると
いつの間にかその手には
金色の棒のようなものが
取り出されていて、
その人はそれを握りしめていた。
「オレは美しいものが好きなんです。
君がその汚らわしい腕に抱えている
お嬢さんなんて、髪の毛一本たりとも
君が触れてはいけない尊い存在だ。
君が触れているだけで、その美しさが
刻一刻と穢されていってしまうかと
思うと、オレは腹が立って腹が立って
仕方がない。」
物腰の柔らかさは変わらないのに、
どうやら本当に怒っているみたいだ。
いつの間にか敬語が外れている。
この人はこの人でその独特な思考が
なんだか怖い。
流れからいって、私を助けようと
してくれているはずなんだけど。
ローブ姿のこの人が自分の考えを
述べている間に、おじさんの手下達は
じりじりとその囲みを狭めてきている。
「だから」
その人は金色の棒を握った右手を
もう一度振った。
ヒュン、と鋭く風を切る音がして
オレンジと赤のグラデーションの
何か長いものが棒から伸びると
ピシリと地面を打ちつけたのが見えた。
・・・鞭?
「醜い君達はこれ以上この世界に
存在していてはいけない。
オレとかわいいお嬢さんの世界から
今すぐその存在を消し去ってやろう」
なぜならこの世界はお嬢さんのような
美しいものだけで満たされて
いなければならないからね。
そう言ってその人は妖艶に微笑んだ。
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