何もしなければ何も起こらない、のだ。 12
風呂上がりにリオン様を訪ねてきたユーリは、
どうやらリオン様がジュースを飲んでいると思って
自分も一緒に飲もうとやって来たらしかった。
飲んでいたのがジュースではなくワインだと知って、
少しがっかりしたようだがそれでもなお飲みたがった。
・・・大丈夫だろうか。
あの小柄な体に、リオン様の目の前に並べてある
ワインはどれも度数がいささか高いような気がする。
心配する俺を尻目に、リオン様はユーリに
試しに飲ませてみようとしていた。
ワインの入った小皿をリオン様から受け取ると、
ユーリは嬉しそうにそれに口をつける。
すると、あっという間に真っ赤になってしまい、
明らかに酔っていた。
やっぱり。さすがにリオン様もまずいと思ったのか、
小皿を取り上げようとしたがなぜかユーリはそれを
二口、三口と続けて飲んだ。
なぜ飲む⁉︎
驚いて俺も小皿を取り上げようと
前に踏み出した時だった。
ユーリが突然、自分が光っていると言い出した。
その言葉に、よくよく見てみれば
確かにうっすら発光している。
光は段々と明るさを増していき、一際明るく輝いた。
まさかこのまま消えてしまうのか⁉︎
そんな考えが頭をかすめて、慌ててユーリを
捕まえようと手を差し出した。
リオン様も俺と同じように手を伸ばしている。
あまりの眩さに思わず目をつぶってしまったが、
光はすぐに消えた。
ーそして次の瞬間、俺の目の前にはさきほどの
光の眩さにも引けを取らないほど
美しく輝く1人の少女が座っていたのだった。
・・・これは一体誰なんだ?
いや、状況と服装からしてユーリのはずなのだが。
あの光のせいで突然成長してしまったとでも
いうのだろうか。
手を伸ばした時の体勢のせいで僅かに
見下ろす形になっている少女の顔は潤む目元を
うっすらと赤く染め、頬は薔薇色だ。
ふっくらと柔らかそうな唇は濡れたような
艶を持って赤く色付いている。
まるで口付けを誘うかのようにその唇は
僅かに開いていて、つい見つめてしまう。
そして彼女は、その姿から目を離せなくなっている俺に
気付かずにガラスに映る自分の姿をしばし見つめていた。
と、次の瞬間には突然勢い良く立ち上がった。
羽織っていたケープが肩から落ちる。
今まで見下ろしていた彼女の顔が視界から消えて、
かわりにその豊かな胸が自分の目の前に突き付けられた。
・・・は?
突然のことに頭が真っ白になる。
伸ばしていた自分の手が、まるで彼女の
たわわに実る胸を鷲掴もうとでもしているような
錯覚に落ち入り、びくりと体が震えた。
手を降ろさなければ。
頭ではそう思っていたが、
目の前のものから目を離せなくなり
まるで石化でもかけられたかのように
固まってしまって少しも動けない。
目の前には白く細い首。
その下には鎖骨がくっきりと浮かび上がり、
その真っ白な胸元に陰影を作り出し
悩ましげな色気を醸し出している。
・・・その頼りなげな鎖骨が浮く白い肌に、
赤い跡が残るほど強く口付けたら一体彼女は
どんな反応をするだろうか。
ふと、一瞬そんな不埒な考えが頭を掠めてしまった。
そんな自分のやましさから目を逸らすように
僅かに視線を下げれば、白く滑らかな肌には
胸の谷間がまた別の陰影を作っていて
その豊かさを主張している。
目の前に突き付けられた、柔らかに見えるのに
その反面しっとりとした重みも
感じさせるような大きな2つの膨らみ。
そしてその豊かな胸のせいで
ぴんと張り詰められた薄い上衣。
胸の大きさのせいで限界まで
布地が引き伸ばされているために、
その胸の先まで形が露わに
なってしまっている・・・?
いやユーリ、下着はどうした⁉︎
いくら風呂上がりだからって、
直接上衣を着ているのか⁉︎
下はちゃんとはいているんだろうな⁉︎
頭が混乱して、一瞬よく分からない事を
考えてしまった。
そう。頭の中では忙しなく
色々な思いが駆け巡っていたのに、
現実では俺の体はまったく
動かずに思うようにならなかった。
まずい。どうすればいいのか全然思い浮かばない。
その時だった。俺の耳にふふふっ、と
ユーリの楽しげに笑う声が聞こえた。
そこでやっと彼女の顔に視線を動かせた。
信じられないことに、それまでずっとユーリの胸を
凝視していたのだ・・・。
いや本当に、自分で自分が信じられない。
見上げたユーリは、あの美しい瞳を三日月型に
笑ませるとこの上なく妖艶な微笑みを浮かべていた。
今までに見たことがないとろけるような笑顔を
こちらに向けられて、その色気に当てられる。
自分の心臓の音が耳に響いてやけにうるさい。
そう思っていたら、ユーリはその赤く色付いた
つやつやと輝く唇をゆっくりと開くと、
元の姿に戻れた喜びを口にした。
そしてそのまま大きく両腕を上に振り上げて喜んだ。
その拍子に俺の目の前に更にぐいっと、
あの豊かな胸が押しつけられるかの
ように突き出される。
その瞬間、俺は全ての思考を手離した。
そのあとの記憶はない。
・・・次に意識を取り戻したのは、首の後ろに
ピリッとした刺すような刺激を感じたからだ。
はっとして思わず首に触れると、
「正気に戻ったみたいで良かったよ」
とリオン様が苦笑していた。
いくら呼び掛けても返事がないから雷魔法で
ちょっと刺激を与えたんだけど、大丈夫かい?
そう話してくれたが、仮にも護衛騎士ともあろう者が
己の主を1人にして意識を失くすなど情けない。
どうしてそんな事に・・・?
記憶を掘り起こすと、最後に目にしたものを
思い出してしまった。
「あっ・・・あれは、ユーリですか?」
絶対に今俺の顔は赤い。
主の前だから顔を覆うことはできないが、
本当はこんな無様な顔を
リオン様に見せるのも護衛失格だ。
が、そんな俺に同情するかのように
リオン様はぽんぽんと肩を優しく叩いてくれた。
気持ちは分かるよ、と言うその顔はよく見ると
うっすらと赤く染まっている。
今更ながらに気付いたが、
そういえばあの場にリオン様もいたのだ。
俺と同じもの・・・いや、ものと
言ってしまっていいのか分からないが
同じ体験をしたはずだ。
「ユーリは僕がベッドに運んだけど
まだぐっすり眠っているんだ。」
そう言って、俺を伴ってそっと寝室の中へ入ると
ベッドの中で気持ち良さそうに眠っている
ユーリを見せてくれた。
「ここまで運ぶのも、いつものユーリとは
勝手が違うから少し緊張したよ。」
ベッドサイドに腰掛けてそう言ったリオン様は
苦笑いをしながら静かにユーリの頭を撫でた。
改めて見てみても、やはりいつものユーリより
かなり大人びた風貌の少女だ。
ただ、眠っているその姿は無邪気な可愛らしいもので、
先程までの妖艶さは微塵も感じられない。
「・・・もしかして、これがユーリ本来の姿ですか?」
俺の問いかけにリオン様が頷いた。
「きっとそうだよ。眠ってしまう前にユーリ本人が、
元の姿に戻れたって喜んでいたから」
そこで何かを思い出したかのように、
リオン様はユーリからふいと視線を外して頬を染めた。
まったく、この姿で無邪気に
振る舞われるのも考えものだよね、と
呟いているから俺の知らない
何事かでもあったのだろうか。
「これからどうしましょうか。」
問題はそれだ。突然大きくなってしまったが、
ずっとこのままなのだろうか。
ふと不安がよぎった。
この姿が本来のユーリならば喜ぶべきなのだろう。
だが、いつものあの小さなユーリの笑顔が頭に浮かんだ。
あのユーリは消えていなくなってしまったのか?
そう思うと、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。
そんな俺を見てなんて顔してるんだい、と
リオン様が少し呆れている。
「君の考えていることはなんとなく分かるよ。
でも多分大丈夫。しばらくここで休ませよう。
お酒が原因なら、それが抜ければ
元のユーリに戻るんじゃないかな。」
喜んでいたユーリにはちょっとかわいそうだけどね。
そう言われて安心した自分に気付く。
・・・そうか。どうやら俺は自分で考えている以上に
あの小さな姿のユーリのことが好きらしい。
今俺の目の前にいる美しい少女もユーリなのに、
共有してきた時間の違いなのだろうか。
早くいつものユーリに会いたい。
そう思って眠る彼女の髪の毛を
一房手に取ると、そっと口付けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ゔ・・・ゔゔ~、ん?」
誰かが私の頭を優しく撫でてくれている気がする。
瞼がぴくりと動いたのが自分でも分かって、
段々と目が覚めて来た。
「お目覚めですか?ユーリ様。」
「・・・シンシアさん。」
頭を撫でてくれていたのはシンシアさんだった。
「ユーリ様、だいぶぐっすりお休みされてましたね。
お疲れが溜まっていましたか?もう夜ですよ。」
私が目を覚ましたのを確かめると
お腹がすいたでしょう?と微笑んで
軽食を用意します、と私をベッドの上に
起こしてくれた。
・・・自分の部屋だ。
あれ?確か私、リオン様の所にワインを
飲みに行ったはず。
それでその時、お酒に弱い体だなって
思ってそれで・・・。
そこでハッとする。
そうだ、元の姿に戻ったんだった!
あのイリューディアさん渾身の作の
「美少女‼︎」
「はいっ⁉︎」
思ったままのことをつい口にしてしまい、
シンシアさんを驚かせてしまった。
「いえ、あの、シンシアさん!
私どうやってここに?
シンシアさんが運んでくれたんですか?
大きくなってるから大変でしたよね、
迷惑をかけてごめんなさい‼︎」
一息に謝り倒したら、シンシアさんは
目を丸くしてきょとんとしている。
「いえ、ここまで運んできたのはレジナス様です。
それにユーリ様、今はいつもの可愛らしいお姿ですよ。」
「え?」
そこで布団を握りしめている自分の手を見て気付いた。
手が小さい。・・・これはまさか。
「覚えておられないのですか?ユーリ様が
リオン殿下のお部屋でワインをねだられたので、
飲みやすくするために私が蜂蜜を準備している間に
ワインを口にしたユーリ様は寝入ってしまったのですよ。」
カチャカチャと、サンドイッチにスープの軽食と
カトラリーを用意しながらシンシアさんが教えてくれた。
蜂蜜と水差しを持ってリオン様の部屋へ戻ったら、
大きくなった姿の私をリオン様達に見せられたこと。
もしこのまま戻らない場合はどうするべきかなど
話していた時に、私の体が淡く光っていつもの
サイズに戻っていたこと。
そしてそんな私をレジナスさんがここまで運んでくれて、
あとはひたすら眠り続けて今目覚めたこと。
「本来なら今日の夜も領事館での夕食会に
誘われておいででしたでしょう?
アントン様方には、ユーリ様は疲れが出て
休んでいるということにしてありますので、
ゆっくり体をお休め下さいね。」
なんてことだ、眠り続けた結果アントン様主催の
夕食会をすっぽかす羽目になるだなんて!
青くなった私に、何を考えていたのか
分かったシンシアさんがご心配なく、と微笑んだ。
「本日の夕食会はリオン殿下のみがご出席になりますが、
明日開かれる最後の夜の夕食会には体調を整えた
ユーリ様も必ず出席することを話してくると
仰っておりましたよ。」
あ、そういえばノイエでの最後の夜はここに保養に
来ている貴族も招待して少し大きな夕食会が
開かれるって行程表にあった。
明日の夜はこんなことがないように気を付けないと。
はあ、とため息をついて反省する。
それにしても、せっかく元の姿に戻れたと思ったのに
いつの間にかまたこの大きさになってしまうとは。
あの時、ワインを口にしたら頭がぼうっとして
自分で自分を制御出来ない感じだった。
なんていうか、抑えられていた力が
勝手に開放されたみたいな。
今までになく体の中から
力が湧き上がってくるのを感じた。
お酒で意識を手放したことで
力が暴走でもしたのかな。
でも、お酒に弱い体だと仮にお酒を飲んで元に戻れても
すぐに前後不覚に陥って何もできない。
しかもお酒が抜けると元に戻るとか、
とんだ酔拳の使い手だ。
そんな役立たずでは酔っ払いの一発芸と変わらない。
いや、でも念のためにもう一度試してみた方が・・・?
「もう一回・・・」
「ダメです」
私の考えを読んだシンシアさんに
きっぱりとダメ出しされてしまった。
「次も同じ事が起こるとは限りませんし、
もし何かあったらどうするのですか?」
何があったか詳しくは存じませんが、
あのリオン殿下が相当心配されて
おいででしたよ、と言われた。
え?何かやらかしたの?
元に戻れたのが嬉しくて万歳した
ところまでしか覚えていない。
あ、謝らないと・・・‼︎
「今後のことはリオン殿下に相談なさってから
お決めになるのがよろしいかと思います。
・・・よろしいですか、くれぐれもご自分の
判断だけで何かなさろうとしてはいけませんよ?
それから、お風呂上がりはどんなに暑くても
これからはすぐに下着を付けていただきます。」
「はい・・・」
仕方がないか。大きくなった私が
何をやらかしたのかは知らないけど、
シンシアさんがここまで念を押すってことは
絶対何かろくでもないことをやってしまったに違いない。
ついでに全然関係ないお風呂上がりの
格好についても注意されたのが謎だけど。
「明日は選女の泉に行かれるのでしょう?
私も同行いたしますから、
よろしくお願いいたしますね。」
ピシリと注意し終えたシンシアさんは
そう言ってにっこり微笑むと、
私に温かいハチミツ入りのミルクを手渡してくれた。
どうやらこれを飲んでベッドの中で大人しく
寝ていなさいということらしい。
さっきまで寝てたから、全然眠くないんだけどなぁ。
でもやらかしたからには仕方ない。
騎士団迷子事件といい今回といい、
どうも最近の私はやらかしが多い。
子どもらしさを偽装しているうちに
まさか精神年齢がどんどん
子どもに近付いているのだろうか?
ちょっと怖くなって、
大人しく布団の中に潜り込んだ。
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