マイ・フェア・レディ 8
『謹慎の解除か・・・。そうだな、
では交換条件として一つ仕事を
頼まれてくれないか?』
リオン殿下が白く濁った薄水色の瞳で
オレを見てにこりと微笑んだ。
この人はほとんど何も
見えていないはずなのに、
いつも人の心の奥まで
見透かすような目をしている。
今もそうだ。
謹慎を解除してもらえるならオレが
どんな無理難題でも引き受けると
分かっている。
くそ、人の弱みにつけ込んで
面倒ごとを押し付ける気
満々じゃないか。
・・・召喚された癒し子が本当に
女神イリューディアの加護を
受けた者かどうか確かめに行った
数日後、何故かオレとユリウスは
当分の間の王宮への出禁という
謹慎処分を受けた。
だから言ったじゃないですか、
あの時ちゃんと謝っておけば!とか
なんとかユリウスの奴が騒いでいたが
意味が分からない。
あの時の結果はイリヤ様に
報告していたが特にお咎めも
なかったというのに。
まあ処分が下されたなら仕方がない。
王宮への面倒な出仕も依頼も
受けなくて済むのだから、
魔導士院にこもって
じっくり自分の研究に打ち込める。
しかし、当分の間っていつまでだ?
「おいユリウス、オレが間違って王宮に
竜の咆哮を真似た魔術を撃ち込んだ時は
どれくらい謹慎していた?」
「あのイリヤ殿下のいた所まで
危うく壊しかけた時っすか?
確か1か月だったかなあ」
つーか自国の皇太子を殺しかけたのに
よくそんな謹慎期間で済んだっすよね、と
ユリウスが呆れているが何を今さら。
昔の事を嫌味ったらしく言うな。
「じゃあ魔法陣の実験で魔物の群れを
召喚した時は」
「えぇ~と、3週間?」
「ふん・・・そんなものだったか。
それじゃあ国中の魔導士の魔力を一時的に
使えなくしてしまった時はどうだった?
多分それがオレの最大の謹慎期間のはずだ」
「はっ⁉︎国中の魔導士ですか?
王都じゃなくて⁉︎
アンタ一体いつの間にそんな
大それたことしでかしてたんですか‼︎
そんなの俺全然知らないっスよ⁉︎」
「・・・ああ、それはお前が
入団する前の出来事だったか?
悪い、忘れろ」
「いや気になりますよ!
国家存亡の危機じゃないっすか‼︎
あっ、俺のいた魔術学院が一時期
休校したのってそれが原因かぁ‼︎
講師が軒並み体調不良で魔法が
使えなくなったからって言われて、
てっきり集団食中毒でも起きたのかと
思ってたんすよ⁉︎」
うるさい。そんな何年も前の話でまで
説教しようとするんじゃない。
しかし、今までのオレのやらかしと
その謹慎期間の長さから考えるに、
今回の出来事はそんなに大したことじゃ
ないように思えた。
だから長く見積もっても3週間、
最大でも1か月と読んでいたのだが。
1か月が経とうというのに
何の音沙汰もない。
おかしい。不思議に思っていると、
癒し子が癒しの力を使い始めて
後見人についたリオン殿下が
指導役の魔導士を1人彼女に付けたと
いう話が聞こえてきた。
何故だ。癒し子を導くなら
少なくともユリウスほどの
実力を持つ魔導士が必要だ。
その辺の凡庸な輩に
何が指導できるというのか。
それに、オレだって間近で
癒し子の力を見てみたい。
面会した時に、頬を真っ赤に染めて
黒く潤んだ瞳で上目遣いに
見つめられたのをふと思い出した。
その時は妙な雰囲気はあるが
普通の子どもに思えた。
だが聞けば、今は草木から動物に
至るまで万遍なく
その癒しの力は発現しているらしい。
たまらずリオン殿下のところへ赴くと
『やあ、思ったより来るのが遅かったね』
と言われた。オレの性格的に、
好奇心に負けてもっと早く来ると
思っていたらしい。
謹慎解除の条件は南西部の辺境にある
鉱山で見付かった魔石の発掘。
厄介な魔物の群れが鉱山の一角に
陣取っていて、
開発が進まないでいるという。
『兄上の即位まで一年を切っただろう?
前祝いとして良質な魔石で装身具を
あつらえて贈りたいと思っていたんだ。
魔石の大きさにもよるだろうけど、
ついでにユーリにも何か贈り物が
できればいいよね』
これは質の良い、最低でも2人分の
魔道具が作れるサイズの大きい魔石を
取ってこいと言っているのと同じだ。
くそ、性格が悪いな。
受けて立とうじゃないか。
『3日で戻ります』
内心、悪態をついて頭を下げた。
辺境に行き、魔石を取り、
鉱山の魔物を倒して
ついでに周辺の魔物も一掃した。
これなら殿下も文句がないだろう。
満足して王都に戻ると、
信じられないことを
ユリウスから報告された。
リオン殿下が治ったと。
聞けば、癒し子であるユーリにより
奥の院で発揮されたその力は、遠く離れた
魔導士院のユリウスにも目視できたという。
しかも、それだけの力を使いながら
意識はしっかりと保ち、
起き上がれないだけの
魔力切れで済んでいるらしい。
ありえないだろう⁉︎
オレもぜひ見てみたかった。
鉱山周辺の魔物など放っておいて
さっさと帰ってくるべきだった、と
自分に腹を立てていると
ユリウスが気になる事を言う。
回復したリオン殿下に僅かな違和感を
感じるので、オレにもう一度
確かめて欲しいというのだ。
何だそれは、とリオン殿下に面会して
その体の変化に驚いた。
目と顔の傷が治っているだけではない。
ありとあらゆる魔法耐性が身に付き、
あれではまるで癒しと言うよりも神の祝福だ。
異世界から召喚された癒し子の、ケタ違いの
力の凄まじさにさすがに言葉がない。
100年前に勇者の力を目の当たりにした、
当時のルーシャ国の人々も
こんな気持ちだったのだろうか?
一国の王子を治し、更には数々の
魔法耐性までその身に与えたのだ、
さぞかし本人は意気揚々と
自慢気だろうと思っていたが、
その予想に反し、癒し子であるユーリは
今にも死にそうな顔で俺達に謝ってきた。
・・・意味が分からない。
一体どこに謝る必要が?
彼女の話からすると、
数々の魔法耐性は
どうも与えようと思って
与えたものではないらしい。
どこまでが意識的で、
どこからが無意識なのか。
興味深い。
色々な状況下でそれを
もう一度試せないものか、
実験に協力してもらえないか
申し出ようと思っていたら、
そんなオレの考えを読んだように
レジナスがユーリを殿下に預けた。
カンのいい奴め。
ユーリを膝に乗せてオレを見る
殿下の笑顔も、
一見するとユーリが
自分の膝の上にいて機嫌が良くなり
笑みが深まったようにも見えるが、
同時に無言の圧力も感じて薄ら寒い。
前のような無礼はするなと言うことか。
仕方がない。この話はひとまず保留だ。
気持ちを切り替えて、リオン殿下の
目が治った時のいきさつや
その時の奥の院の状況を聞いた。
それから菓子を食べ終えて
一息ついたユーリにも、
彼女が話したいと言っていたことを
改めて聞くことができた。
それはオレだけでなく、
リオン殿下始めその場にいた
皆の想像を越える、異世界から
召喚された者だけが
体験できる天上の世界での
出来事だった。
だがユーリのその話を聞いて
なぜオレが彼女を
ヨナスの遣いと見誤りそうに
なったのか、
なぜ召喚の儀式があそこまで
文献とかけ離れた様相を呈したのか、
全てが理解できた。
更にユーリは驚くべきことを言った。
自分は癒しの加護を受けたと同時に
戦神グノーデルの加護も受けたと。
同時に二神の加護を受ける?
そんな話、100年前のあの偉大なる
勇者ですらあり得なかったことだ。
それに、もしユーリにヨナスの呪いの
残留思念が残っているならば、
それはヨナス神の力もその身に
宿している事になる。
それが1人の人間に一体どんな影響を
与えるのかさすがのオレでも
考えもつかない。
試しにグノーデル神の力を
使ってもらうにも彼女は全く
使い方が分からないという。
ではヨナス神の力を使えるか
試してもらおうか?と思っても、
ヨナス神の力はこの世に混沌を
生み出すものなので、そんなもの
恐ろしくて簡単に
使わせるわけにもいかない。
結局、今あるイリューディア神の
加護の力の制御を完璧に覚えて
もらってから他の力を使えるか
試すのが一番いいような気がした。
また、ユーリがグノーデル神の
加護の力を全く感知できないのも、
もしかすると三神の力が
1人の人間の中に入ってしまっている
せいなのでは?
そんな事をあれこれ考えていたら、
ふとリオン殿下がオレに問いかけた。
『このチョーカーはヨナスの力
そのものとは言えないの?』
そして、もしヨナスの力そのものだと
したらユーリに悪影響はないのかとも
聞かれた。
その言葉にハッとした。
そうか、もしヨナスの力がより集まり、
チョーカーという装身具の形を
取っているのならそれを解呪という
方法で外すことによってユーリを
ヨナスから解放できるのではないか?
そうすればグノーデル神の力を
使えるようにならないだろうか。
そう思い始めると、解呪は試して
みなければいけないように思えた。
さっそくそれを提案すると、
ユーリもその有益性に
気付いてくれたようだった。
自ら殿下の膝を降りると、
タタタッと走り寄ってきて
進んでその首元を差し出してきた。
解呪が体にどんな影響を与えるか
知らないまま危険な目に
合わせるわけにもいかないし、
さっきリオン殿下からも笑顔で
無言の圧力を受けたので、
ユーリにはなるべく丁寧に
解呪について説明した。
全てを理解し、納得した上で
オレに身をまかせたユーリは
小さいながらに度胸があると思う。
感心してさっそく解呪に取りかかった。
・・・解呪というのは、
呪いをかけた者の力が強いほど
それを解こうとした時に
呪われている者に苦しみをもたらす。
ユーリも解呪を始めてすぐに
ひどく苦しみ始めた。
が、よく耐えていた。
むしろ見ていた殿下の方がその
苦しむ様を見るのを
耐えられなくてやめて欲しいと
先に声を上げたほどだ。
それでもユーリは大丈夫だと言ったので、
続けようとしたその時。
チョーカーに異変が起きたのだ。
チョーカーの真ん中の赤い宝石が
一際明るく輝いたと思うと、
黒いリボン部分が鞭のようにしなり
帯状になって四方八方へ
飛び出そうとした。
それは明らかに意志を持って
オレとユーリ以外の、
リオン殿下達3人を絡め取ろうと
していた。
ほんの一瞬の出来事だった。
ーまずい、3人が呪われるかも知れない。
ユーリの首に当てていた右手を
急いで振り上げ、
風魔法でその黒い帯状のものを
巻き取り右手で握り潰すと、
激しい静電気のような音が弾けて
オレの右手がズタズタに切り裂かれた。
危うく指の何本かが切断されて
落ちそうになったので
回復魔法で修復したが、
その様子を見たユリウス達が
悲鳴のような声を上げた。
騒ぐな、この程度。
神たる者の呪いに手を出したら
こうなることくらい元より想定済みだ。
ただ、残留思念のはずなのに思ったよりも
強力な反発力で、まさかオレ以外の人間まで
害そうとするとは思わなかった。
ヨナスの力とはここまで厄介なのか、と
思わず舌打ちが出た。
しかも握り潰せたのはチョーカーの
ほんの一部らしくユーリの首には
何事もなかったかのように
チョーカー本体が嵌まったままだ。
その時ユーリが目を開けて、
右手を修復途中の
オレの姿を見てしまった。
・・・リオン殿下の体を癒しの力で
作り替えただけで死にそうなくらい
謝り倒して自分を責めていたユーリの事だ、
自分が解呪を望んだせいで誰かが傷付いたと
知ればなおのこと落ち込むに違いない。
冗談ではない。
解呪はオレの提案で彼女には
責のないことだ。
脳裏にはさっきまで幸せそうな顔で
菓子を食べていたユーリの姿がよぎった。
その菓子を食べる姿を見た時に、
子どものくせになぜか目を惹く表情で
彼女にはああいう幸せそうな笑顔が
良く似合うと思った。
なぜかは分からないがその姿を
見ているとオレまで幸せな気分に
なるような錯覚に陥った。
だからさっきはその幸せそうに
菓子を食べている姿をなるべく
長く見ていたくて、
彼女が菓子を食べ終わるまで
わざと殿下達と話を続けていた。
・・・幸いにもユーリが見たのは
オレが自らを治癒した最後の
場面だったからそんなに
悲惨なところは目撃していないはず。
それなのに、やっぱりユーリは
自分のせいだと
ものすごく落ち込んでいた。
そういう顔をさせたかったわけじゃない。
あの、菓子を食べていた時のように
笑っていてくれ。
だが、励まし方も慰め方も思い付かない。
その時頭に思い浮かんだのは、
彼女に初めて面会した時にその頭を気安く
撫で回していたユリウスの姿だった。
あの時のユーリは、恥ずかしがってはいたが
嫌がってはいなかった。他人の頭など
撫でたことがないから加減は分からないが、
ものは試しとユーリの頭を撫でてみた。
するとその行為が予想外だったのか、
さっきまでの死にそうな顔付きが一変して
驚いたような表情になった。
パチパチと瞬きしているユーリに、
気にすることはないと声をかける。
・・・そして、さっき解呪の最中に一つ
気になる事ができたのでそれを伝えて
次は魔導士院で待っていると言った。
これでまた近いうちに会えればいいのだが。
初めて他人の頭を撫でたその感触を手に
奥の院を後にする。
手に残る柔らかでなめらかなその温もりは
不思議な感覚で、悪くないなと思えた。
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