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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雪解けは冬の終わりに

作者: 東 楓

 第一章



 電車の到着のアナウンスで僕はスマートフォンから目線を上げ、電車が止まるまで空を眺めていた。灰色の雲が空全体を埋め尽くし、雪が降っていた。まるで雪雲が泣いているような、寂しい雰囲気があった。僕はカメラアプリを起動し、その風景を一枚写真として納める。

 彼女はこういう儚い日常の一瞬を撮るのが好きだった。

 僕は彼女が死んでから、その行為を受け継ぐように始めた。

 そして、二度と返信の来ることのないLINEのピン止めしたアカウントにその写真とメッセージを送る。


 >毎日退屈で仕方ないよ


 今日もやりきれない思いで僕は電車に乗り込んだ。



 *



 冬が、嫌いだ。指が冷たくなって思うように動かないのも嫌だし、何よりすべてに対する活力が「寒い」の一言で失われる。今日という日を生きるのをやめたくなる。夏から秋に入ったくらいのあの涼しい日が一生続けばな、と思う。

 そう願ったところで日本から冬が消え失せるなんてことはない。僕は考えても無駄な事をよく考えてしまう。

 今乗っているこの電車でナイフを持った男が暴れまわる所を僕が足を引っかけて転ばせ、逮捕に貢献するだとか、外の風景で見えない何か同士の超能力バトルを展開するだとか。本当にくだらないことだらけだ。そしてその度に、僕、なにやってるんだろうと虚しくなる。死にたいな、って思う。

 今でこそ誰もが常套句のように使う言葉、死にたい。

 やらかしたときとか、物事がうまくいかなくなったりすると人は当たり前のように死にたい、と言う。

 勿論、本当に死にたくて言っているわけではないのがほとんどだろう。ただその状況に対して一番表しやすい表現が死にたいって言葉なだけだ。

 僕は死にたいと思うと本当に死ぬことについて深く考えてしまう。どうやって、どこで、死のうかとできもしないくせに自分の死ぬことに鮮明なストーリーを描く。

 こうなったのは多分、彼女が死んだからだろう。

 僕は電車の窓の外を見つめ、一年前の日々を思い出す。

 雪乃との日々だけが僕の脳裏に焼き付いている。

 出会った時の事、二人で学校をサボった事、夜中に星を見に行った事。何気ない思い出も全部が僕の頭で動画のように記憶されている。

 あの頃に戻りたい。

 もっと君といたかった。

 また君と馬鹿をしたい。

 君の笑顔をまた、見たい。

 願っても無駄なのに、僕は毎日叶いもしない夢を望んでいる。

 もうずっと生きている感覚がない。

 死ねば、彼女のもとへ行けるだろうか。

 勇気はないのに死にたい気持ちだけは一人前だ。

 今日も僕は電車で一人、過去に縋り付いていた。


 教室に入るといつもと変わらない風景が広がっていた。朝練があって既に爆睡している運動部とか、学校ダリーとか言うくせに毎日学校に来ている奴らとか。何の変哲もない、普通の高校生活が目の前で展開されていた。

「ごきげんよう、ミスター冬夜。調子はいかが?」

 そこそこ仲のいい友人、佐山弘毅(さやまこうき)が気持ち悪い口調で声をかけてきた。正直、ウザい。

「普通」

 僕は一言で返し、席へと付いた。そして読みかけの小説を鞄から取り出し、(しおり)の挟んであるページまでパラパラと本をめくった。

「ご機嫌斜めかしら?失礼しましたわね」

「ウザいよ。お前」

 一応、これは普段のやり取りだ。佐山は俗にいう面白い奴という感じだった。クラスの人気者で、少々アホっぽいいじられキャラとして定着している。どんな人にも変わらない態度で接する、そしてその態度がいいものだから彼のことをよく思う人は多い。

 そんな佐山が僕と何故仲がいいか、それはごくありふれている。小中高が一緒。それだけだ。

 家が近所なのもあって親同士が仲が良かった僕と佐山は当然のように仲良くなった。おまけに学力もほぼ同レベルだから高校までお互いに同じところを選んでいた。意外と心細いのが苦手な佐山は俺と高校が一緒で大層安心していたらしい。

「んで、何か用?」

 佐山はクラスの中では比較的暗い方の僕を気遣って佐山の方から喋りかけてくることは少ない。だから、佐山から来るということは何か理由がある、というのが僕らの暗黙の了解だった。

「お前、西高の山崎(やまさき)すみれって知ってる?」

 佐山は俺の全く知らない人の名前を口にした。

「知らない。誰」

「この前西高の奴らと遊んだ時に会って、冬夜の名前を口にしたらお前の知っていてお前に会いたいって」

「訳が分からない。僕はその人のこと知らないのに向こうは何で僕のこと知ってるんだよ」

 勝手に僕の名前を出すなよと内心ツッコミを入れつつ、その名前の主について少し考えるが、本当に心当たりが無かった。割と記憶力はいい方なので小中のクラスメイトの名前を思い出していってもそんな名前の女子はいなかった。

「実は昔怪我したところにお前がいてハンカチ貸してあげたとかじゃねえの」

「生憎俺は小さい頃からインドア派だ。知ってるだろ」

「だよなあ」

 僕らがその山崎のことについて考えていると始業のチャイムが鳴った。

「ほい、席付け」

 テンプレのような担任のセリフでこぞってクラスの奴らが自分の席へと着く。

 朝のホームルームを僕は小説の続きを読んで聞き流しながら山崎すみれという女子について考えていた。

 いったい誰だろう。なんで僕の事を知っているんだろう。どれだけ思い返してみても思い当たることはなかった。

 第一僕の事を知っていたところで僕会いたがる理由がわからない。僕はイケメンではないし、明るく楽しい奴でもない。つまらない話しかできないし、楽しいことも全然知らない。僕に会う理由なんてそれこそ陰キャとはどういうものか、というのを直接確かめるというのがお似合いだ。

 正直会うのはめんどくさいし、あって何をすればいいか分からない。どうせこの件は佐山の聞き間違いか何かだと思うようにして僕は小説を読み進めた。


 気づいたら今日の授業は終わっていて、帰りの電車に乗っていた。

 電車の中で、小説の続きを読んでいた。

 今更電車で本を読む人なんてそんなにいない。ほとんどの人がスマートフォンを眺めている。

 そりゃそうだよな、って思う。小説だって漫画だってスマートフォンの電子書籍で済む話だ。薄い板一つにどんどん色々なものが詰まっていく世の中で、わざわざかさばるものを持つ必要性はない。

 それでも、文字が連なったあの紙を一枚一枚めくって読み進めていくあの感覚は簡単には失えない。だから僕は紙の本が好きだ。

 そんなことを思いながら小説の感想を沢山考えていて、我に返った時は僕が降りる駅を四駅も通り過ぎてしまっていた。やっちまったなと思い、次に止まった駅で僕は電車を降りた。

 降りた駅の駅名を見てあることに気が付いた。この駅は佐山が言っていた西高の最寄り駅だった。途端に山崎すみれという名前を思い出す。

 彼女は僕に会いたいと言っていた。知らない人に会うって勇気がいるし、一方的に知られているって気味が悪い。

 でも僕は何故か彼女に会ってみたい、という思いが強かった。それは単なる好奇心ってのもあるが、

 僕は携帯の地図アプリに西高校と打ち込んでナビに従って学校へと向かった。

 西高はちょうど終業したらしく、僕が到着したころには帰宅する生徒がたくさんいた。違う学校の制服だから浮いていて、奇妙な視線を向けられるのが恥ずかしかった。

 校門まで歩いたところで僕は気づいた。よっぽど大した理由がないと他校の学生が入るなんて無理じゃないか、と。まさか馬鹿正直に山崎すみれさんに会いたいんですけどとかいうわけにもいかない。失敗したなと思った。

 まあそもそも興味本位だったし、会えなかったところで何かが変わるわけでもない。ここはおとなしく帰ってきれいさっぱり忘れようと僕は向きを変え、駅まで戻ろうとした時だった。

「真嶋冬夜くん?」

 僕の名前を呼ぶ女子の声がした。

 そしてその女子は速足で僕に近づいてくる。

「だよね?真嶋くんだよね?」

「そ、そうだけど...」

 西高、僕の事を知っている女子、答えは一つだった。

「山崎すみれさん?」

「そう!よかったー会えた!」

 どうやらこの人が山崎すみれらしい。

 容姿は誰が見てもわかるほどの端麗で、艶のある黒髪が昼から顔を覗かせていた太陽に照らされ、煌めいているように見えた。

 明るい口調に、不快感の無い仕草。まるでそれは美女を体現しているようにも思えた。

「なんで、僕がだって分かったの」

 遅れて気づいたがなんで僕の容姿を知っているのかと少し怖くなった。

「前遊んだ時、君の友達が写真見せてくれて」

「あの野郎」

 佐山を肖像権の侵害で訴えようかと思った。

「でも会えてよかった」

 ここで僕はなおさらわからなくなった。こんな美女が僕に一体何の理由があって会いたいと思ったのだろう。まさか僕が覚えていないだけで本当に昔あったことがあるのか?そうでもないと会う理由はない。

 ここで僕はある一つの可能性に気が付いた。これは佐山が仕組んだ罰ゲームかドッキリかもしれない。僕とこんな人に接点なんてあるわけがないし、そう考えた方が割としっくり来る。またダルさを感じたが素直に引っかかったフリをしておくのが一番楽だろうなと思ってここはしてやられてやろうと思った。

 とドッキリにかかったリアクションを考えていたら山崎から爆弾級の発言が飛び出た。

「ねえ、ここで話すのもあれだし、私の家来てよ。すぐ近くなんだ」

 いきなり家に招かれたことの動揺とそれを気にしてない山崎の態度に僕は困惑した。

「は?ちょっと待てよ」

「何?なんか問題あった?」

「いや、普通、初対面の男を家に誘うなんておかしいだろ」

「そうかな?まあ細かいことは後にしてさ、とりあえず来てよ」

 山崎はそんなことよりも言いたいことがあるというような感じで僕を急かすように家へと向かわせた。

 仮に山崎の親とかがいたらどう言い訳すればいいか分からない。さっき会ったばかりですとか言ったら警察でも呼ばれるんじゃないかと僕は怯えながらも彼女についていった。


 山崎の家は西高から徒歩で五分程だった。玄関に入る前、僕は覚悟を決める意味合いも込めて大きく深呼吸をした。

「もしかして緊張してる?別に親もいないし変な気使わないでいいよ」

 それを見た山崎は馬鹿にするように言った。

 どうやら僕の心配は杞憂だったらしい。一気に不安が晴れたと共に、最初からそう言えよと少しイラついた。

「んで、なんで僕に会いたかったの」

 僕は平静を装ってソファに腰かけ、本題に入った。

 山崎は少々戸惑っているような素振りを見せた。本当に言っていいのかわからないという風な感じをしている。それでも僕は特に言及せず彼女が話し出すのを待った。

 少しの間の沈黙を挟んで山崎は口を開いた。

「白川雪乃、覚えてるよね?」

 頭を金づちで殴られたような気分になった。

 その名前が彼女の口から出てきたことに僕は驚きを隠せなかった。

「なんで、その名前を」

「良かった。やっぱり忘れてない」

 山崎はどこかホッとしていた。

 訳が分からなかった。彼女から雪乃の名前が出るなんて思ってもみなかった。

 僕は死んだ彼女とのことを誰にも話していない。

 もしかして心が読めるとかなのだろうか。僕の弱みに付け込んで何かしようとしているのだろうか。

 僕は警戒心がかなり高まっていた。

「なんでお前が、その名前を知っているんだ」

 僕は少々強い口調で詰め寄る。だが山崎はそれを遮るように言った。

「ねえ、真嶋くん」

 山崎は強い眼差しをしている。

「雪乃ちゃんを助けに行こうよ」

「...は?」

「私と真嶋くんで雪乃ちゃんの自殺を止めに行くの」

 またもや訳の分からない発言にとうとう呆れてしまった。

 雪乃はもう死んでいてこの世にいない。助けに行くとかそういう話じゃない。僕は馬鹿にされてる気分になってイライラしてきたのもあってつい本音が漏れてしまった。

「お前、頭おかしいよ」

 そう言われた山崎はどこか朧げな顔で呟いた。

「分かってる。私は普通じゃない。雪乃ちゃんが死んでから、何もかもが壊れちゃった」

 想定外の反応が返ってきて思わず彼女の顔を見つめた。

 それは僕と同じ、大切なモノを失った人の顔だった。

 僕はそれを見て少し状況を察した。

「もしかして、雪乃と何かあったの」

「まあね」

「友達だったとか?」

「友達なんてものじゃないよ。本当に唯一の親友」

 ここである辻褄があった。

 雪乃は生前、とても仲がいい友達がいるという話をしていた。名前こそ言わなかったが、雪乃はその人を心底大切に思っているということを僕に話してくれた。それが彼女、山崎すみれだったのだろう。

 なら、僕の事を多少知っていてもなんらおかしくはなかった。

「ごめん。僕知らなくてあんなこと」

 僕は酷いことを言ってしまった、と思った。唯一の親友と呼べるほどの雪乃が死んで、情緒が不安定になってしまうのも無理はない。

「気にしてないよ。真嶋くんと私の立場が逆だったら私もそうしていたと思う」

 山崎は本心で言っているようだった。それを見てヒートアップしていた僕の感情は急激に落ち着きを取り戻した。

 そして、僕はどうしても理解できないことを尋ねた。

「それで、雪乃を助けに行くって、どういうこと」

 死んだ人を助けに行くなんてできるわけがない。ここは現実でSFの世界じゃない。少しでも彼女の心を刺激しない様にと僕は彼女に話を合わせることにした。

「私、過去に戻れる能力があるんだ」

「そうか」

「信じてないでしょ」

「まあ、そりゃあね」

 そんな現実離れしたこと、信じられない。でも、僕は彼女が嘘を言ってる様には思えなかった。話し方や表情を気にして生きてきた自分の勘がそう言っている。

 なら、僕は実際に体験してみるのが一番だと思った。

「本当ならさ、過去に飛ばせてくれよ」

「いいよ。いつの日に行きたい?」

 彼女は何のためらいもなく了承してきた。

「...じゃあ、僕と雪乃が出会った日」

「分かった。ちょっと待ってね」

 そういうと山崎はあるノートを取り出した。僕はそのノートにひどく見覚えがあった。

 それは、雪乃が毎日書いていた日記。

 彼女の人生を彼女自身が綴った、ある意味雪乃の人生そのものだ。

 雪乃は、何かを残すことに囚われていた。

 死んだら、消えて何も残らない。そんな残酷な人の運命みたいなものに抗うために、少しでも形に残る何かを残そうとしていた。そうして始めたのがこの日記だったらしい。

 普通の人ならただの記録だとしても、彼女にとってはこの日記がたまらなく大切なものだった。

 昔、僕はデリカシーがなかったから、日記を見せてくれよと雪乃に言ったことがある。その時にすごい形相で絶対見せないと言われてしまった。雪乃が書いているのだから、到底理解できない内容だとかが書いてあるのだろう。でも、誰かに何かを残したいのなら日記にする必要はなかったと思う。だから彼女がそこまで拒否する理由が分からなかった。

 だからその日記を山崎が持っているというのは雪乃と山崎の間には確かな絆があったということだ。

 そんな彼女のすべてと言ってもいい日記を預けられるほどの仲だったと思うと僕は何処か嫉妬のような、醜い感情が湧いた。

 雪乃のことを本当にわかっているのは僕だけだと思っていた。いや、僕ですら分かってあげられていなかった。

 僕は雪乃の日記から何かを探し出す山崎を横目に雪乃と出会った時の事を思い返していた。



 *



 出会いは高校一年の春だった。

 高校生になんてなりたくなかった。勉強も友情も恋愛も、全部が嫌いだった。

 一時の勘違いでそれが全てなんだと錯覚している奴らに囲まれて過ごすのは心底ダルかった。

 だから、これからそんな毎日が続くのだと思うと憂鬱で仕方なかった。

 入学式の翌日、最初のホームルームで自己紹介をすることになった。皆○○部に入るつもりですとか○○中学から来ましたとか言っていて、僕もその例に漏れず、「真嶋冬夜です。○○中学から来ました。よろしくお願いします」と三言で終えた。

 僕の自己紹介から四人ほど終わった後、クラスが少しざわついた。あの子可愛くね?とかめっちゃスタイル良いとかそういう声が聞こえる。顔を上げて見てみるとそこには誰もが口をそろえて美女と言うのが納得できるほどの女子が教壇に立っていた。

 彼女は白川雪乃(しらかわゆきの)と言った。やや長めのボブヘアーに、スラっとした体躯が完全に調和している。まつ毛は長く、唇の潤いは渇きを知らないようだった。そして何より、顔が可愛い。テレビに出ているアイドルなんかに引けを取らないくらい整った顔立ちをしていた。

 僕はああ、こんな奴もいるんだなくらいの感想しかなかった。

 こんな美少女はカーストの頂点に居座り続け、青春ってやつを謳歌(おうか)するのが決まりだ。

 対して僕みたいな顔も勉強も普通の人間はそいつらとは無縁の量産的でありきたりな生活を送る。僕らは頂点の奴らに歯向かうだとかそこに仲間入りしようだなんて思わない。住む世界が違うし、身の程をわきまえているのだ。

 だから雪乃とは今後関わることはないだろうと当時はまったく気に留めていなかった。

 僕はクラスで僕と同じ位の立ち位置の男子三人ほどとグループを作った。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、自分と同じ雰囲気だったからという理由で声をかけてきて僕を仲間に入れたらしい。まあ要するにぼっちを避けるために集まったかりそめの関係だ。グループというよりは個人の集まりと言った方が正しい。僕は友達が欲しかったわけでもないし、ただ静かな毎日を送れればいいと思っていたので彼らと一応の関係を保つことにした。これがうまくいったようで、僕はカースト上位のチャラい奴らに目を付けられるようなことはなく、穏やかな学校生活を送れていた。


 転機があったのは五月の頃だった。

 この時期にもなると各自生活に慣れ始め、ある程度クラス内の住み分けもハッキリとしていた。僕も中くらいを保ち続け、特にトラブルもなく普通に日々を消化していた。

 そんな僕も唯一の楽しみがあった。

 僕は校舎裏の誰もいない、閉鎖された裏口で昼食を取りながら本を読むのがささやかな楽しみだった。

 ここを見つけたのは四月の中頃。

 グループの奴らは他クラスに友達ができたようでそっちで昼食を食べるようになっていた。その友達は趣味もあって僕とは違う、本当の友達だったらしい。

 クラスの立ち位置を気にして僕との関係を断ち切るつもりはなさそうだけど、昼休みはそっちの方に行っていて僕は昼食はクラスで独りだった。

 別に教室で一人昼食を食べていることくらいそんな深刻に考える事でもないだろとか思われそうだけど、面倒なことになる可能性があるならその可能性は潰しておきたいタイプなので僕はどこか人目のつかない所を求めた。

 そんなこともあって校舎周りをうろついていた頃、この場所を見つけた。何回か通ってこの場所に生徒が来ることは無かったので、僕はここで昼食を取ることに決めた。

 二週間くらいこの場に通った僕はすっかりここがお気に入りの場所になっていた。

 春の柔らかい風と暖かさがあり、いい感じに眠気を感じられるこの空間を気に入っていた。

 そう風情を感じながらいつも通り食事と本を交互に楽しんでいるとどんっと少し鈍い物音がした。別に物音位あるにはあるのだが、その音は特段大きく、僕は驚いて思わず「何?」と言ってしまった。

 そうしたら物陰から「誰かいるの?」と声が聞こえた。それは聞き覚えのある声だった。

 白川がいた。

 どうやら段差でこけてしまったらしい。スカートについた汚れを払っていた。

 彼女と目が合って、「あ、真嶋くんだ」と彼女は僕の事に気づいたようだった。

 僕はまずいなとその場をすぐに立ち去ろうとした。

「どこいくの?」

「いや、自販機にでも行こうかなと思いまして」

 敬語になってしまった。スクールカースト最上位の人にいきなり話しかけられると下の者はこうなってしまうらしい。

「なんで敬語?同じクラスなんだし普通にしゃべりなよ」

 雪乃は僕をたしなめるように言った。

「で、なんでこんなところでご飯食べてるの?いじめられてるの?」

 白川は急にドストレートな質問をしてきた。

 いじめられてるの?ってここで飯食ってたら傍からはそう見えるのだろうか。

 僕はあまり変なこと言わないように気を付けながら言葉を返した。

「いや、なんとなくここで食べようかなって」

 こういう時って、いや、とか頭に付きがちだと思う。いや、意識してやってるわけじゃないけど。

「なんとなくでこんなとこ来ないでしょ」

 痛いところを突かれた。確かにこんなところは、来ようと思わない限り立ち寄ることなど無い寂れた場所だった。

 このまま誤魔化しても無駄だなと思い、僕は素直に理由を言った。

「ずっと一緒に食ってた奴らが別の所行ったからここで食ってる。それだけ」

「ハブられたってこと?」

「もうそれでいいよ」

 早くどこか行ってくれ。それしか僕の頭にはなかった。これ以上喋るとろくなことにならない気がした。

 真嶋とかいう奴、校舎裏の裏口で一人寂しくご飯食べてるんだって~とか噂されたら僕の学校生活は終わる。そうならないためにはさっさとこの場所から逃げ出すことが最適解だと思った。

「じゃあ僕はこれで」

「待ってよ」

 白川は僕を呼び止めた。

「私もまだご飯食べてないの。一緒に食べようよ」

 白川は手にぶら下げていたビニール袋を見せつけてきた。

 もうそれは悪魔の契約のようにも思えた。

 このまま彼女の言うとおりにしてもしなくても僕は学校生活が終わる弱みを作ってしまう気がした。断れば彼女のプライドに傷をつけ、仮に言うとおりにしても変なことを口走ればそれが広まる。

 さっき見つかった時点で僕は詰んでいた。

 さよなら、僕の平穏なスクールライフ。

「真嶋くん?聞いてる?」

「もう好きにしろよ...」

「何その言い方」

 もうどうにでもなれ、と思った。


「真嶋くん?」

 山崎の僕を呼ぶ声で飛びかけていた意識が現実に引き戻された。

 そういえば過去に行くとか何とか言っていたなと僕はまだ半分信じていない風に聞いた。

「準備、できたのか」

「うん」

 山崎は本当に過去に行く準備ができたらしい。

 ここまで壮大なドッキリを仕掛けてくれた佐山には後でたっぷりお礼をしてやろうと思っていると山崎は僕の手を握ってきた。

「何するんだよ」

「過去に行くために必要なの。これくらい我慢して」

「わかったよ....」

 女子と手をつなぐとか普通しないのでこういう事にはあまり耐性がない。頑張って普通のようにしてもどうしても緊張してしまう。

「じゃあ行くよ」


「二千XX年 五月七日」


 山崎は僕にとって忘れられない日付を口にした。

 途端、意識が朦朧とし始め、ソファに倒れこんだ。

 眠いような、疲れたような感覚に襲われ、僕の意識は途絶えた。





 それは、僕と雪乃が裏口で出会った、日付だった。







 第二章


 目を覚ますと僕は見覚えのある場所にいた。

 あの日、雪乃と出会った裏口の近くだった。

 裏口辺りは手入れが行き届いておらず、隠れようと思えば隠れられる場所がいくつもあった。

 ちょうどその隠れられるところ僕たちはいた。

 信じられない。本当に過去に来たのだろうか。

 でもあんなに急に意識が飛んで気づいたらここにいるってなるとそうでもないと説明がつかない。

「ちょ、真嶋くん、隠れてよ」

 動き回ろうとした僕を山崎が静止したその瞬間、一人の女子が前を通った。

 忘れたことなど無い、雪乃の姿だった。

「何?」

 僕の間抜けな声がする。

「誰かいるの?」

 雪乃の透き通った声がする。

 目の前で起こっていることは、さっき僕が思い出していたあのシーンそのままだった。

「ね、言ったでしょ。本当に過去にこれたんだよ」

「そう...だな」

「って真嶋くんなんで泣いてるの!?」

 僕は泣いていた。

 もういなくなってしまった雪乃が目の前にいて、雪乃の声が聞こえる。これは現実でなくても、それは今の僕の心を奪うには充分過ぎた。

 雪乃が死んでから、どこか人生が終わったような気がしていた。何をしてもつまらなく、世界が一気に色褪せてしまった。毎日を消化するように生きて、同じことの繰り返しをしている。自分がどうやって生きていたのか分からなくなっていた。

 それくらい、雪乃と過ごした日々は僕を大きく形成していた。

「なんでもないよ」

 僕は目元を拭いながら言った。

 山崎は薄々察したようで何も言わなかった。



 僕と山崎は隠れながら過去の僕と雪乃の出会いの続きを見ていた。先ほど思い出していたその通りに事は運び、僕と雪乃は今二人で昼食を取っていた。

 どこか照れくさかったが、僕らは黙ってその一部始終を見届けていた。

「この真嶋くんって、傍から見るといじめられてるみたいだね」

「ほっとけ」

 やっぱり誰もいないところで一人飯を食っているといじめられているように見えるらしい。

「この後、どうなるの?」

「確か、話が弾んでまた明日もここで一緒に食べようってなる」

「へえ、なんかアニメみたいだね」

 僕らは本という共通の趣味で意気投合し、毎日ここで昼食を取るようになった。

 お互いの好きな本を交換して読んだり、その日の学校生活の愚痴を言いあったり、本当にいろいろなことを話すようになった。

 最初は保身のために渋々付き合っていたものの、話していくうちに彼女が僕の生活を脅かすようなことをしない人間だと感じていった。そして、雪乃と昼休みに話すことが楽しみになっていた。

「ちょっと早いけど、今回はもう帰ろうか」

「もうちょっとだけいさせてくれよ」

「いや、とりあえず今回は証明だけだし、またちゃんと準備してこよう」

 正直まだこの世界に浸っていたかった。このまま時が止まればいいと思った。

 それでも無理なものは仕方ない。

「帰りはどうするんだ」

「来た時と同じようにする」

「便利な能力だな」

 そう言って山崎は僕の手を握った。僕らがいた時間の年月を呟く。

 そうするとここに来た時と同様に意識が朦朧とし始めた。僕と山崎はその場に力なく倒れこみ、その感覚に身をゆだねる。

 どうやら過去の僕たちは昼食を食べ終え、教室に戻る所らしい。二人の背中を物陰から見送って、僕はどこか安心感を覚えた。

 また、君に会いに来るよ。

 そう僕は心の中で呟いて静かに目を閉じた。



 目を覚ますと山崎の家のソファに寝転がっていた。

 山崎は先に目覚めていたようで、キッチンで飲み物を注いでいる。

 まだどこか、信じられないという気持ちがあったが鮮明に雪乃と僕のやりとりを見たのを覚えていて、あれは現実だったんだと思うほかない。

「本当に、過去に行ったんだな」

「これで信じてくれた?」

「ここまでされたら信じるしかないよ」

 山崎はコップに注いだ烏龍茶を渡してきた。それを受け取り、一口飲む。

 僕の頭にはいろいろな考えが渦巻いていた。

 また、雪乃と出会い、話すことが出来る。なんで彼女が死んだのかその理由を知ることが出来る。もう無理だと諦めていた望みが少し叶いそうになっていて、僕は嬉しかった。

 あの時の無力だった自分を変えられると思うと僕は雪乃を救おうという活力が湧いてきた。

「山崎、ありがとう。少し希望が持てた」

「絶対雪乃ちゃんを助けて新しい未来を創ろうね」

「でも僕だって雪乃の事を何も知らなかった。簡単にはいかないと思う」

 僕はこういう時に現実を見てるように少し否定的になってしまう。綺麗事を言うのが、苦手だ。

「分かってる。どれだけ難しくても絶対諦めない」

 山崎の目は覚悟に満ち溢れていた。すべてを捨て去っても構わないような、狂気的な眼差しに僕は少し恐怖を覚えた。

「無理はせずにな」

 気休めにそう言ったが、山崎には届いていないだろうな、と思った。

「そうだ、真嶋くん、LINE交換しようよ」

「まあ、いいけど」

「QRコード見せて」

 こうして僕たちはLINEを交換した。すみれと名前のあるそのアカウントのプロフィール画像は、雪乃とのツーショットの写真だった。

 本当に、仲が良かったのだろう。

 僕はいたたまれない気持ちになった。

「とりあえず今日は帰るよ」

「うん。また会おうね」

「都合が合えばな」

 僕は荷物をまとめ、山崎の家を出た。

 辺りはもうすっかり暗くなっていて、空には満月が浮かんでいた。

 僕はカメラを起動し、その夜空を写真に収め、雪乃とのトークに送った。

 この無意味で過去に縛られながら行っていた行為も、報われる日が来るかもしれない。そう思うと僕は雪乃が死んでからの自分を少し許してあげられる気がした。

 駅に着いたところでスマートフォンに通知が一つ来た。

 一瞬、雪乃から返信が来たのかと思ったけどそんなことはあり得るわけもなく、先ほど登録したばかりの山崎からのメッセージだった。

 >今日はありがとう!今週末予定空いてる?その日にまた過去に行こうよ

 買い物いこうよみたいなノリで過去に行こうとか言うのはこの世で山崎一人だろう。

 僕は可笑しくて吹き出してしまった。隣に立っていたサラリーマンが一歩横にそれた。

 >わかった

 僕はそう一言返し、また空を見上げた。

 あの空の向こうに雪乃がいるのだろうか。

 いや、そうとは思わない。

 僕は天国も地獄も無いと思っている。死んだら消えてなくなるだけだ。

 どれだけ人を助けようと、どれだけ人を殺そうと、行きつく先はすべて同じ、無。

 僕らなんて長い歴史の地球のほんの数瞬に存在した生物だ。

 誰の記憶にも、どの記録にも残らない、儚い存在。

 なら、なんで僕らは生きているんだろう?遅かれ早かれ人は死ぬのならいつ死んでも変わらないじゃないか。長生きして死んで何もかも消えるなら生きる意味なんて何一つ分からない。

 死んだ後の事なんて誰にもわからないし、それを知る術はない。消えて無になるということがどのような事かなんて何もわからない。

 それでも確かに分かることは、生きていることは虚しいってことだ。

 僕はいつからこんな考え方をしてしまうようになったんだろう。

 物事をすべて究極的に考えるようになってしまった。ならすぐ死ねばいいくせに、僕は何故か死ぬまでに踏み切れていない。

 気持ち悪い。そんなの分かったうえでみんな生きてんのに、自分だけ変に深く考えるなよ。

 そう自分を戒め、僕は帰りの電車に乗り込んだ。


 山崎と出会ったあの日から一か月程経ち、冬休みに入っていた。

 山崎とは毎週土曜に会い、過去に行くのが習慣となっていた。別にそれだけなら何もないのだが、山崎は会うたびにここでご飯おごれだのこれ買ってこいだの僕をいいように使っていた。

 嫌々従うが、正直ダルい。逆らったら過去に行くことが出来ないかもしれないので僕は半ば諦めて彼女の要望に応えていた。

 今日は都心の喫茶店でパフェを奢ることになった。甘いものが好きらしく、期間限定だから今日はこれでと言われその場所まで連れて行かされた。

 パフェの値段を見て僕は目を疑った。三千五百円。メロンやイチゴ、気持ち悪いくらいに乗っている生クリームになぜかよく刺さっているポッキー。こんな頭の悪そうな食べ物にこんなに金を払う価値があるとは思えなかった。

 実際にパフェが運ばれてきてそれを見るともはや気持ち悪くなってきた。こんなのを食べようなんて気にはなれそうにない。

「ん~おいしい!」

 山崎はものすごいスピードでパフェを食べていく。いや、パフェが消えていっているといった方が正しいか。

 女子の言う甘いものは別腹というのは心底恐ろしい。

「よかったな」

 見るのも嫌なので僕は窓の外を見ながら答えた。

「真嶋くんも食べる?一口だけならいいよ」

「甘いもの嫌いだからいらない」

「人生八割損してるよ」

「そう思うのはお前だけだ」

 僕はホットのブラックコーヒーを啜りながらぶっきらぼうに答えた。

 そういえば雪乃も甘いものが好きだったよな、と思い出す。


 白川は昼食のデザートにコンビニのケーキとかをよく食べていた。学校の昼休みにスイーツ食べてる人なんてそんなにいないから、割と印象に残っていた。

 僕の家族は全員甘いものが嫌いで、その遺伝子を継いだ僕も甘いものが嫌いだ。

 誕生日もよくあるホワイトのホールケーキじゃなくてビターチョコレートのタルトだったりした。

 だから、僕は甘いものが食べられない。

 そう雪乃に話したところ、「ふ~ん」と興味なさそうに答えられた。

「まあ、好みは人それぞれだし」

「僕は甘いもの食べる人が理解できないよ」

「そこまで言うほど嫌いなの?」

「甘いものを食べるか死ぬか選べって言われたら僕は死ぬ」

「なにそれ」

 白川は若干引いていた。

 僕が甘いもののデメリットを熱弁していると、白川は思いついたように言った。

「じゃあさ、今からスイーツパラダイスいこうよ。そして甘いものの美味しさを分からせてあげる」

「今から?」

「そう。今から」

 今は昼休み。学校からスイーツパラダイスを開催している会場までは電車で三駅ほどだ。遠くはないがとても昼休み中に行ける時間はない。つまり、白川は学校をサボってスイーツを食べに行こうと言っているのだ。

「なんていうか、そういうことする人じゃないと思ってた」

「いいじゃん。今が楽しければさ」

 白川は微笑んだ。

 短い付き合いだが、白川の考えていることが少し分かる。

 白川は人生に全く意味を見出していない。未来に何の希望も抱いていない。酷く残酷な現実をただ諦めて生きている。

 白川はよく今が楽しければいいと言っていた。

 それは言い換えれば、今この瞬間に人生が終わってもいいという事だった。

 いつ死んでもいい。だから後先の事なんて考えず、ただしたいことをやる。そんな後先を考えていないような生き方をしていた。

 そんな風に思っているんだと気付いた時、僕は白川と共通するところがあると思った。

 僕もずっとこんな理不尽でクソったれな世の中からいなくなりたかった。

 裏切り、排他、いじめ、虐待、自殺。

 こんなものが溢れかえっている世界で、生きていくのが苦しかった。僕もその理不尽を何度も何度も受けた。


 中学生三年の秋頃、僕はよく教室で本を読んでいた。たったそれだけのことで僕はいじめられた。

 訳が分からなった。

 本を読んでいるだけで、不快感を与えられたからといじめられるのだ。

 僕をいじめていた主犯、磯部悠馬(いそべゆうま)が脅すように言った。

「おい、真嶋。今からいつものところ、来いよ」

「...」

「来なかったら分かってるよな」

「...分かったよ」

 僕は重い足取りで視聴覚室へ向かう。

 もう諦めていた。助けてほしいとも思わない。こういうのは抵抗しても無駄だ。されるがままになっているのが一番賢い対応だ。

「で、四万、持ってきたよな?」

 僕は金をせびられていた。確か先週は三万だったか。毎週要求され、週を重ねるごとにその金額は多くなっていった。

「ない」

 僕は金を用意することが出来なかった。もう僕は自分の分の金は一円も無かった。

「あのなあ...親の財布から抜いてくるとかそういうことは思いつかなかったわけ?他の方法考えて実行する力がないと社会でやってけねえよ。俺はそれを鍛えてあげてるわけ。分かる?」

 なにが鍛えてあげてるだ。お前こそ自分で稼ぐって方法で自分で勝手にやってろよ。僕だけを金の当てにしてるくせに、どの口が言ってんだ。そう言いたかった。

 僕には勇気がなかった。

「じゃあ、わかってるよな?」

「好きにしろよ」

 そこから僕はとても文字にできない程の暴力を受けた。

 殴られる蹴られるは勿論、椅子を思いっきり体を打ち付けられもした。ガラスの破片で頬を切られたこともあった。

 そうした暴力を受け続けているうちに、僕の心は死んでいった。

 人生ってクソだな。生きるってことはこんなに苦しいことばかりとか下らなすぎる。何が楽しくて生きなきゃいけないんだよ。生まれたくて生まれたわけじゃないのに。

「お前さ、存在してるだけで迷惑って気づけよ」

 知るかよそんなの。お前にとってそうなだけだろ。

「さっさと死ねよ」

 僕だって死にたいよ。じゃあお前が殺してくれよ。

 いじめられる方にも原因があるってよく言う。

 ふざけてる。

 この世は不幸を被った人間にすら非があると言い出すのだ。どうしようもない理不尽に対して避けれてた事態だとか対処が足りてないとか理由をつける。そんなもんはいじめてるやつが勝手に作った「いじめたい理由」に過ぎないと思う。

 何が嬉しくてこんなことされてると思ってるんだ。誰が望んで殴ってほしいと思うんだ。

 僕はこの世に絶望していた。

 いじめが卒業まで止むことはなかった。

 毎日学校に行きたくなかった。

 それでも行き続けたのはそこから逃げたら何も残らないと思ったからだ。ただ空っぽの僕は学生であることすら放棄したらそれこそ何も残らない気がした。それは、死ぬことより怖いことだった。

 殴られ、持ち物を捨てられ、金をせびられる毎日。クラスの奴らも見て見ぬふりだった。

 親も先生も友達も干渉してほしくなかった。こんな惨めな自分を見せたくなかった。

 そうやって希望もない閉塞的な毎日を、僕はただ死ぬように生きていた。


 そういう事もあって僕は雪乃と通じるところがあるなと思っていた。

 だから僕は彼女と共にいることが、楽しかった。

 分かりやすい言葉でなくとも、それとなく僕たちはお互いの気持ちを少しでも理解できる存在感じていた。

「真嶋くん、今変なこと考えてるでしょ」

 スイーツパラダイスに向かう電車の中で雪乃が感づいたように言ってきた。

「常に変なことしか考えてない」

「だよね。真嶋くんって妄想の世界に逃げ込むの好きそうだもん」

「思うだけなら自由だしな」

 嫌なことがあると、自分の思考に閉じこもって現実逃避するのは僕の特技だった。

「そうだね。そしてその妄想の世界は、私たちとは遠くかけ離れた理想の世界なんだ」

 すごいロマンチックなこと言うじゃんと思った。でも、その通りだった。

「ねえ、真嶋くん」

「なんだよ」

 会話が途切れ、電車の広告をぼんやり眺めていた僕に白川はどこか虚ろな目で言った。

「真嶋くんは、死なないでね」

 まるで、今から死に逝く者のようなセリフを言い出した。反応に困った。

「何言ってんだよ」

「私、真嶋くんが死んだら嫌だな」

「なんでだよ」

「さあ、なんででしょう」

 そう言って白川は髪を指でくりくりしだした。

「白川は、死ぬのか」

「どうだろうね」

 そう言って少しの沈黙が流れる。僕は白川の考えていることが分からなかった。

 白川は、本当に死ぬつもりなのだろうか。僕だって死にたいのは変わらない。でもそれは漠然とした気持ちで、どこか嘘のような思ってもいないことのような感じがあった。白川と死にたいという言葉を口にした時に得られる共感やその共感を得て安心するあの感覚が好きで、それを感じたいから、僕は死にたいんだと思うようになっているのかもしれない。

 僕は、ただ何となく死にたいなと思っているだけな気がした。

 でも白川の死にたいは僕とは違う気がする。

 彼女の死にたいは本当に自分の命を絶ってこの世から消えたいと心の底から思っている感情な気がした。僕とは違う、本心。

 生きたくなくて、息をしたくなくて、この世にいたくない。

 そんな死への欲求な気がした。

「私たち、逃げているみたいだね。今は学校からだけどさ、いつかこんな汚くて理不尽な世の中からも逃げれる日が来るのかな」

「いつか、な」

 もう白川にどう接すればいいか分からなかった。

 今は何を言っても白川に対して無意味な気がした。

「白川はどんなスイーツが好きなの」

 僕は無理やり話題を変えた。これ以上彼女の気持ちに触れたくなかった。

「う~ん、何でも好きだけどな。ていうかさ、白川って呼び方どこかよそよそしいから嫌だな。皆みたいに雪乃って呼んでよ。私も冬夜くんって呼ぶからさ」

「下の名前で呼ぶの好きじゃない。妙に親しくしている感あって」

「私たち親しくなかったんですか~?」

「そこまでだろ」

 こういう時のカースト上位勢の常識みたいな行動が心底キツイ。

 下の名前やあだ名で呼び合うのが当たり前で、無駄にグイグイ来て強制力みたいなのを醸し出してくる。

 断ることなど許されない。古のヨーロッパの王政のように、絶対的服従と逆らったものには死(社会的な)が与えられる。僕はそういう決められた人間関係の中で生きていくというのがダルかった。

 どれだけ時代が移り変わろうと人間関係の上下というのは必ず存在していて、それに応じた振る舞いをするのがいつの時代でも求められる。その基準からはみ出たりすれば制裁が待っていて、僕らは常にその基準を気にして生きている。嫌われないように、嘘をつきながら本音を隠して生活している。

 下らない、と思う。

 でもそれを分かっていながら仕方なく従いながら生きるのが僕は賢い生き方だと思う。

 だから、その時の僕は彼女の事を雪乃と呼ぶことにしたんだ。

「分かったよ...雪乃。これでいいだろ」

「そうこないとね。冬夜くん?」

 雪乃の言い方は、とてもウザかった。



「よし、食べたしそろそろ行こっか」

 山崎の一言で視線を落とすとそこにはとんでもない光景が広がっていた。

「嘘だろ...まだ来てから五分しかたってないぞ」

 二十五センチほどの高さのあった頭の悪そうなパフェ(三千五百円)はものの五分で透明なグラスだけになっていた。

 何なの?お前の口はブラックホールか何かなの?

 こんなの見たら二度とこういうところには来たくない。何ならお代わりまで要求しだしそうで僕はすぐさまこの店を出ようと、山崎にタイムスリップする場所の提案をした。

「とりあえず、どこか個室のある所に行こう」

「漫画喫茶とかいいんじゃない?」

「勿論料金は?」

「何か言った?」

「僕持ちだろ。わかってたよ...」

 財布が軽くなっていくのに憂鬱になりながら僕は喫茶店を出た。


 漫画喫茶は喫茶店の近くに会った。

 ガラスのドアを開け中に入るとそこはいたって普通な漫画喫茶だった。漫画が多数鎮座している本棚とよくあるアイスクリームメーカー。奥の方にはシャワーブースが備えられていた。

 僕たちは受付へと向かい、何やらパソコンと向き合っている女性の従業員に話しかけた。

「すいません、ダブルの個室、借りたいんですけど」

 初めて漫画喫茶に来たのでどういうオプションがあるとかが分からない。とりあえずここは普通のリクライニングチェアとパソコンがある普通の個室を選ぶことにした。

「かしこまりました。今ならカップル割引もできますがいかがいたしましょう?」

「いや、そういうのじゃ」

「カップル割出来るんですかー!じゃあそれで!ね?」

「...そうだね」

 そう言って僕は料金を支払った。今日だけで結構お金を使っている。まだ困るほどではないけど、最近貯金が無くなってきていて少しキツイ。

 今日はストレスフルな一日だ。

 個室はダブルなのもあってそれなりに広かった。僕は疲れが一気に襲ってきた感じがしてリクライニングチェアにもたれかかり、椅子の背もたれを思いっきり倒した。このまま寝た方がもう楽な気がしている。

 僕は軽く目を閉じた。

 今日一日、山崎の横暴に突き合わされて本当に疲れた。財布は軽くなるし、普段運動しない僕にとって街を歩くのはかなりしんどかった。何回も途中で帰ってやろうと思ったが、それでも雪乃の為だと思うと投げ出す気にはなれなかった。

「疲れたね~」

 誰のせいだよ。と言いたいけど僕はただ適当に「そうだな」と相槌を打った。

 少し眠くなってきて僕はドリンクバーでコーラを注いできた。眠気覚ましにと一気飲みをしたらむせて炭酸が鼻に来てと散々な目にあった。それを見て山崎は爆笑していた。

 過去へ行く前に漫画喫茶を堪能しようとパソコンで動画を見たり漫画を読んでいたりした。そうしていると

「真嶋くんってさ、どれだけ私が無茶言っても結局付き合ってくれるよね」

 山崎は変なことを言い始めた。

「断れないし」

 自覚があってやってたのかと呆れながら僕は言った。

「ここまでしないよ普通。これだけやって何も言わないの、普通じゃない」

「前、バイトしてて。欲しいものも無かったから溜まってるんだよ」

「欲しいものもないのにバイトしてたの?」

「まあ...暇だったから」

 高校生になってすぐの頃、僕は特に理由もなくバイトをしていた。時間つぶしをしながら金が貰えるからちょうどよかったし、やりたいこともなかったからかなり多めにシフトを入れていた。それで無駄に金だけ溜まっていた。

「そっか」

 そういったきり山崎は黙った。

 僕は山崎がそう思っていたことに驚いた。意外とそういうところはちゃんとしてるんだなと少し感心した。だとしても毎回奢らせて来るのはどうかと思うが。

「とりあえず過去に行こう。今日は雪乃が死んだ日、だろ」

「そうだね」

 そう言って読みかけの漫画を机に放る。

 雪乃が死んだ日。僕のすべてが変わった日だ。

 この日に行くのは正直怖かったが、それでも僕は真実を知りたかった。

「じゃあ行こう」

「二千XX年、十二月二十三日」

 僕の意識は、途絶えた。


 雪乃が死んだと知ったのはクリスマスイブの前日だった。

 その日は二学期の終業式の日だった。

 二十四日、イブの日に僕と雪乃は一緒にイルミネーションでも見に行こうと約束をしていた。

 聖夜に男女が二人と言えば聞こえはいいが、僕はそんな気はさらさらなかった。

 いつものようにただ下らない話とどこかで適当に遊ぶ。それがたまたまクリスマスってイベントと重なったからそうしただけだった。

 それでも僕だって全く意識していなかったわけじゃない。いつも通りに少しクリスマスっぽいことくらいならいいかもしれない、と雪乃に何かプレゼントでも買って行こう、と思っていた。

 いつも馬鹿にされたりからかわれることが多いが、それでも普段の生活を楽しくしてくれているのは事実だ。感謝ってほどじゃないにしても、日ごろのお礼を込めて何か渡すくらいはしてもいいだろうなと思っていた。

 いつも通り電車に乗り込み、スマートフォンでクリスマスの贈り物のおすすめ記事とかをなんとなく流しながら見ていくが、いまいちしっくりこない。

 ネックレスだのマフラーだのそういういかにもな物はあまり嬉しくないだろうなと思う。

 かといっていつも通りのノリで本とかスイーツを送るのもどこか微妙だ。

 こういう時に経験のなさがよく現れていて、僕は溜息をついた。

 そうして、やや遅めに教室の入ると、何やらクラスの連中が暗い顔をしていたり、一部の女子は泣いていたりしていた。まるで飼っていた犬が死んだときのように、暗く重い雰囲気が教室中を漂っていた。

 何かあったんだろうかとクラスの事情に詳しい雪乃に話を聞こうと思ったが、雪乃が見当たらない。

 変だな、と思った。

 雪乃は基本遅刻も欠席もしないし、始業五分前辺りには教室にいる。僕が入ってきたときは始業二分前だったので雪乃がいないのは不自然だった。

「なあ、なにかあったのか」

 僕は隣の席の馬場海斗(ばばかいと)に聞いてみた。馬場はいわゆるガリ勉で、終業式だっていうのに問題集を難しい顔で睨みつけていた。

「ああ、白川雪乃が死んだらしい」

「...は?」

 世界が止まったような気がした。

 馬場が言った言葉が頭の中で乱反射して何度も響き渡る。

 白川雪乃が、死んだ。

 白川雪乃が、死んだ?

 なに、言ってんだよ。

 昨日まで普通に喋っていて、また明日と別れたじゃないか。死ぬなんてありえない。

「冗談、だろ」

「冗談でこんなこと言うと思うか?クラスの奴らの反応がなによりの証拠だ。俺も驚いているよ。なにせ自殺らしいし」

 自殺?なんで?

 確かによく雪乃とは死にたいだの消えたいだのよくそういう話をした。

 でも決定的に死ぬ何かがあったとは思えない。

 僕たちはただ曖昧で有耶無耶な毎日に飽きて、生きる意味を見失っていて、それで漠然とただ死にたいと感じていただけだと思っていた。

 僕だって、死にたい気持ちはあったけど、死ぬつもりなんて無かった。雪乃もそうだと思っていた。

 上手く、頭が回らない。

 雪乃は、本当に死にたくて死んだ?もしかして僕が気づいていなかっただけで雪乃はずっと死のうとしていた?ならなんで僕に言わなかった?実はSOSを出していてそれに気づけなかった?僕に止めてほしかった?雪乃はどうして死のうとした?

 いろいろな疑問がぐちゃぐちゃに浮かび上がる。

 脳がパンクしそうだ。朝食べたおにぎりを吐きそうだ。どれだけ現実を見ても頭が理解するのを拒否している。

 雪乃が、死んだ。

 僕はその言葉だけを何度も頭の中で呟いていた。何度も何度も、リピート再生のように。

 ほとんど記憶の無いまま終業式を終え、気づいたら家に帰ってベッドで横になっていた。

 どうやって帰ったか、覚えていなかった。

 窓の外は暗くなっていて、時計は一時二十三分を指していた。

 寝ていたのか、ぼーっとしていただけなのかはわからないが、僕の意識は朦朧としていた。

 頭がものすごく痛く、胃がグルグル唸っている。気分は最悪だった。

 気持ち悪さを堪え、体を起き上がらせたところで僕は雪乃が死んだという言葉を思い出した。

 混濁とした意識の中で唯一鮮明に残っている記憶だった。

 そんなことありえるわけないよな。

 あれは夢だったんだとスマートフォンを開いて雪乃にメッセージを送ろうとした。

 電源を入れ、ロックを解除しようとしたとき、画面には十二月二十四日という日付が表示されているのを見て僕は完全に意識が覚醒した。

 終業式を終えてから十数時間経っている。あれは、間違いなく現実だった。馬場の言っていたことは、夢での会話じゃなかった。

 夢じゃ、ない。

 じゃあ、雪乃は死んだんだ。本当に、この世からいなくなってしまったんだ。

 僕はそこでやっと雪乃が死んだという現実を理解した。


 雪乃の葬式は一週間後、親族とクラスメイトで行われた。クラスの人気者であったが故、彼女の死を惜しむ声はとても多かった。

 普段雪乃と親しくしていなかった奴らのすすり泣く声が聞こえた。普段そこまで仲良くもなかったくせによくやるよな、と思った。

 そんな僕はとにかく無感情だった。

 雪乃が死んだということを頭で認識してから、上手く感情が湧かない。葬式に出る前、悲しくなるとか泣くのかなと思っていたけど、そんなことは無かった。ただ、「本当に、死んだんだ」と目の前の事実を受け入れるような気持ちしか湧かなかった。遺影の雪乃を見ても、ただその写真が雪乃という人間の写真だという感想しか出てこなかった。

 そうして虚無恬淡(きょむてんたん)とした葬式を終え、冬休みへと入っていった。

 冬休みはとにかく引きこもっていた。

 誰とも会いたくなかった。

 雪乃が死んだことを受け入れてはいたけど、どこか僕は体から何かが抜け落ちてしまったような気分だった。

 言葉にはし難い、何とも言えない喪失感があった。

 食事も味がせず、眠れているのに日中にボーっとしていることが多かった。

 学校が再開し、電車に揺られながら僕は雪乃と出会う前の普通の日常に戻ると思っていた。

 どこか退屈で、どこか物足りない、でもそれ以上望むものもない。そんな今までの高校生活だ。

 雪乃といた日々は少しの非日常だっただけで、彼女がいなくなっても僕は何も変わらないままだと思っていた。

 でも、違った。

 僕は今日は何を話そうだとか、どんなことをしようかとか考えてばかりいた。雪乃はもういないのに、それを完全に忘れて、今日の雪乃と話題を考えていた。

 そして思い出す。

 雪乃は、死んだ。

 僕は、雪乃が死んだにもかかわらず、今日は雪乃と何をしようかと考えてしまっていた。ずっとそうしてきたから。僕にとって雪乃のことを考えるのは息をすることと変わらない、当たり前の事だった。

 そして、もう彼女はいないと気付いて僕は自分の中で雪乃という存在が大きなものであったかを思い知った。知らないうちに思考を支配していたほど、当たり前になっていたほど僕は雪乃との日々が楽しかった。

 その時に僕は初めて雪乃への想いを自覚した。

 涙が止まらなかった。

 僕は、雪乃との日々が大事だったんだ。毎日あの裏口で昼食を取りながら他愛ない話をするのが好きだったんだ。たまに悪いことをしたりしてスリルを一緒に感じるのが楽しかったんだ。

 一緒に過ごしているときはまったく気づかなかった。そういう風に考えたこともなかった。

 嗚咽と吐き気が溢れる。僕は体調不良者として次の駅で降ろされ、駅員に介抱された。大丈夫?と心配そうに声をかけてくる駅員の言葉なんかまったく耳に入ってこない。

 僕は吐き続けながら後悔していた。

 雪乃の気持ちに気づかなかった自分を憎んだ。雪乃はずっと死にたかったんだ。

 失ってから自覚した自分の鈍さを恨んだ。僕がもっと早くこの気持ちに気づいていれば、未然に防げていたかもしれなかった。

 助けてあげられなかった自分の弱さを恥じた。僕は雪乃が死んでしまう程追い詰められているのに、彼女を救ってあげられなかった。

 ただひたすらに自分を責めた。ああしていれば、こうしていればと昔の自分の行動に苛立つ。どれほど謝ってももう帰ってこないのに、僕は雪乃にひたすら叫んでいた。

「ごめん、ごめん、ごめん」

 僕は届かない謝罪を、繰り返していた。

 そこからはもう全てがどうでもよくなった。

 学校に行くことも、誰かと話すことも、生きていることも、何もかもが意味がないように思えていった。

 何をしていても虚無で、空っぽな毎日が続いた。

 雪乃のいない毎日はつまらなくて仕方がなかった。


「結局、雪乃ちゃんの死んだ理由は分からなかったね」

「雪乃の事を知っているようで何も知らなかったんだよ。僕らは」

 過去から帰ってきた僕はどう手を打てばいいか分からなくて頭を抱えていた。

 雪乃に会うことは当然できなかったし、なにも手を打つことはできなかった。

 何度も過去に行って可能な範囲で雪乃の行動を見てきたが、彼女が死ぬような理由のある出来事は何一つ見受けられなかった。

 正直お手上げ状態だった。

「こうなったらさ、雪乃ちゃんと直接話すしかないよ」

「それしかないよな」

「でもどうしよう?まさか雪乃ちゃんに直接死なないでというわけにもいかないし」

「雪乃が死ぬ理由ってなんだったんだろうな」

「わかんないよ」

 どうすればいいか分からない。

 雪乃はきっとこの世の中から逃げ出すために死んだんだろうと今になって思う。もう生きてなくていいやと思うような具体的な理由。それを探さないといけないような気がした。

 そこで僕は雪乃が口癖のように言っていたあの言葉を思い出した。

「雪乃は、いつ死んでもいいって言っていた。ならそう思う理由があるはずだ」

 僕はそう思う原因を探すのが手っ取り早い気がした。彼女がそう思うようになった原因が過去のどこかに必ずあるはずだと思った。

「それを探すのは無理だよ。雪乃ちゃんが生きてきた十六年全部見て回れっていうの?」

 山崎はきっぱりと否定してきた。確かにそれは途方もないことだろう。

「じゃあどうすればいいんだよ」

 と、僕は投げやりになって言った。

「やっぱり、雪乃ちゃんが死なないように私たちが関わるしかないよ」

「今までより仲良くなれって事か」

「私たちが生きているから死なないって思ってくれるようにならないとね」

 僕はその言葉を聞いて少し胸が痛んだ。

 雪乃は僕といた日々をどう思っていたのだろう?

 楽しかったんだろうか。それとも僕はただ死にたいという気持ちを共有するだけの関係でしかなかったんだろうか。

 雪乃が死んでしまった以上、僕は雪乃が生きる理由になれていなかったということだ。あの日々は、雪乃を繋ぎとめるまでに至らなかった。そう思うと、胸が苦しくなる。

 僕は雪乃に死なないでくれよと言ったことは無かった。彼女にとって生きるということは苦痛でしかなく、それを望むのは逆に彼女を傷つけてしまう気がしていた。

 そしてそれをしなかった後悔だけが募っている。

「山崎、いこう。雪乃の所に。今すぐ」

 僕は早く雪乃と話したかった。どうにかして僕を雪乃の生きる理由にさせたかった。

「いいけど...疲れとかない?」

「関係ないよ。雪乃を助けるんだろ」

 僕は覚悟のこもった声で山崎を急かした。

 その覚悟は山崎にも伝わったようで、山崎もうんと強くうなずいた。

「それで、いつ頃に飛ぶ?」

「雪乃が死ぬ前日の夜とかがいいんじゃないか。前日は僕は雪乃と別れたあとは会ってないし」

 彼女がいつの時間帯に死んだかは分からないが、それでも彼女が家についてすぐ呼び出せば手遅れということは無いだろう。

「地味に考えてるじゃん」

「だろ」

 僕らは軽口を叩きあい、準備を始めた。

「それじゃあいこうか」

「ちゃんとやれるか不安だな」

「大丈夫だよ。真嶋くんなら」

 そう言って山崎は手を握ってくる。それが暖かくて、僕は少し不安が和らいだ気がした。

 そして、僕たちはまた過去へ飛ぶ。

「二千XX年 十二月二十二日」

 そう山崎がいうと同時位に意識が薄れ始める。

 もうこの感覚にも慣れてきた。この感覚に体を預け、ソファにゆっくり倒れる。

 朦朧としている意識の中で僕は雪乃を絶対に助けたい、と柄にもなくそう思った。



 第三章


 過去に来るのはこれで何度目かわからない。とSFチックなことを思ってみる。

 実際何度も過去に来てるのだからSFチックかどうかは危ういが。

 今日は雪乃が死ぬ前日。

 時刻を見ると十六時四十七分。

 もうすぐ僕と雪乃は電車で別れ、各自帰路につく頃だ。僕は雪乃より先に電車を降りていたため、雪乃がどこで降りているか知らなかった。

 山崎が雪乃の最寄り駅と住所を知っていたため、僕たちはその駅に先回りし、雪乃の後を付けた。

 後をつけているとき、僕は雪乃になんて言おうかをずっと考えていた。どうすれば彼女を救える言葉を言えるか、どうすれば彼女の気持ちを変えられるか。

 いい言葉は思い浮かば無くて僕は焦っていた。

「ちょっと、しっかりしてよ。雪乃ちゃんと直接話すのは真嶋くんなんだから」

 山崎は僕の脇腹を肘でつついた。

「分かってるよ」

 僕は緊張と不安を抑えきれないままでいた。

 雪乃の家まで着いた。

 雪乃の家はこのあたりじゃ結構有名な豪邸らしく、家前の駐車場にはポルシェやBMWなどの有名な車が停められていた。こんなお金持ちだったのかと僕は唖然していた。

 そうしているうちに、雪乃は家へと入っていた。ドアを開けて何も言わないところを見るとどうやら両親は仕事か何かでいないらしかった。

「家、はいったよね」

「入ってすぐインターホン鳴らして僕がいたら不自然すぎないか?」

「大丈夫。真嶋くんならどうにか切り抜けられるでしょ」

 そう言って「じゃ、先に行ってる」と山崎は僕らが話す予定の公園まで向かっていった。

 人任せだなと思いつつ、僕は雪乃の家のインターホンの前まで足を進めた。

 僕は今から一年ぶりに雪乃と話すのだ。

 色々な思いが溢れて爆発しそうだけど、本題を見失わないようにしないといけない。

 僕は雪乃を救うんだ。それは答えがあるかもわからなくて、簡単にできる話じゃないけれど。

 それでもここまで来たんだから、やるしかない。

 僕は自分を奮い立たせ、大きく深呼吸をした。

 そして、インターホンを押す。

 カンコーンと鐘のような音が雪乃の家から小さく響いた。そしてインターホンのスピーカーからズズっと小さいノイズが流れた直後、「どちら様ですか?」と雪乃の声がした。

「真嶋だけど」

 僕は緊張していたのもあって少し声が裏返ってしまった。

「え?冬夜くん?てか声どうしたの」

 と雪乃が笑った。恥ずかしかったが、僕はそれを堪え、続ける。

「その、さ。明後日出かけるじゃん?だからそのことで話したくてさ」

「え、なんでわざわざ会って?LINEでいいじゃん」

 しまった、と思った。

 確かに予定の話をするなら会いに行って話す必要なんてない。

 連絡手段が発達した今、わざわざ会って話すなんて意味不明な行動だった。

「いや、そのさ、この近くに用事があって、それでたまたま雪乃の家の近く通ったし、ついでにって」

「私、冬夜くんに家の場所教えたことあったっけ?」

「え、前言ってたよ」

 嘘だ。 

 ついさっき山崎に案内してもらうまで雪乃の家は知らなかった。

「ふ~ん...まあいいや。少し待ってて。そっち行くから」

「悪いな」

 そういうとインターホンからブツッと音が鳴り、通話が途切れた。

 僕はやらかしたとその場にうずくまった。

 家知らないのに、たまたま近くにあったから会って話したいとかもはやストーカーだ。しかも裏声まで出て僕は間違いなく変なやつ認定されただろう。まあ、変なやつだけど。

 どういう顔をすればいいか分からなくて悶えていると雪乃が家から出てきた。

「冬夜くん、何してるのそんなところで」

 僕はその姿を見て言葉に詰まった。

 僕は今、生きている雪乃と直接会話しようとしているんだ。

 ずっと無駄だと思いながらも願っていた雪乃との再会が、今この場で起こっている。向こうは変わらず僕を僕だと思っていて、あの頃と変わらない二人の日常がそこにある。

 嬉しくてたまらなかった。後悔ばかりだった一年間が少し報われたような気がした。

「段差で足の指ぶつけてさ」

「ドジすぎない?足もそうだけど頭も心配だよ」

 こうやっていつも余計な一言をよく言われていた。いつもはイラっとしたりしたが今はこれすらも心地良い。

「ほっとけ。そんなことより近くの公園で話そう。飲み物は僕が奢るから」

「ラッキー。じゃあ行こっか」

 僕たちはそう言って公園へと歩き始めた。

「んで、話とは」

「ああ、イルミネーション見てぶらぶらするのはいいけど飯どこかで食べて帰るだろ?クリスマスで多分予約なしでは入れないだろうから何か食べたいものあるかって」

 当時の僕はそんなことを考えてなどいなかったが、いかにもそれっぽい理由を話した。

 こういう嘘をつくのには慣れていた。

「あー...そういう事ね」

 雪乃は儚げな顔をした。

 ここで僕はあることを察した。

 雪乃は多分、僕と出かけるつもりはないんだろう。死ぬつもりだから。だからいざそういう話題を振られるとここれに関しては無計画だったということが少し読み取れる。

 少し、悲しかった。

 別に意識していたわけではないけど、雪乃と出かける事はまるで二人だけの世界にいるようなそんな気分になれたから、今回のイルミネーションも僕は楽しみだった。本当に、僕は雪乃の死なない理由になれていなかったんだなと悔しくなる。

「別にどこでもいいよ。冬夜くんの好きなもので」

「じゃあイタリアンとかにするか」

「悪くないチョイスだね」

 そういったところで公園についた。ベンチにつく前に自販機に向かい、財布を取り出す。

 未来から持ってきた金で買い物をするのは少し不思議な感覚だった。

「何がいい?先好きなの選べよ」

 そう言って僕は五百円硬貨を投入口に入れた。ガチャンと小さい音がすると自販機のボタンのランプが全て点灯した。

「ん~どれにしよっかな」

「早く決めろよ」

「急かすなあ。じゃあホットココアで」

 そう言って雪乃はホットココアのボタンを押した。

「冬夜くんは、ブラックコーヒーだよね」

「分かってんじゃん」

 こういう変な所には気が利くよな、と思ったところ、雪乃は十二月で寒いっていうのに、つめたーいの表示の方のコーヒーを選んだ。

 雪乃は満面の悪意に満ちた笑顔でそれを手渡してくる。

 マジでぶん殴ってやろうと思ったがやめた。

「はいっ。コーヒー」

「ありがとう本当に嬉しいよ」

「あははー顔は嬉しくなさそう」

 こういうやり取りを何回も繰り返した。ウザかったし、ダルかったけどそれでも結局笑って終わらせていた。この何気ないワンシーンも思い出として強く残ることに雪乃を失ってから気づいた。それを恋しく思い、またこの瞬間を得られるならと何度も思った。

 今の僕と雪乃は昔のあの頃の僕らのままだ。

「でさ、雪乃最近どうよ」

 僕はベンチに腰を下ろし、当たり障りない質問をした。

「アイムファインセンキューって感じ」

「そりゃよかったよ」

 よく僕らは死ぬことについて語るとき、今日はどんな感じか聞くのが話の入りだったと思う。普通だとか死にたいとか元気とかいろいろ答えはあったけど、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、こう聞いたら今からそういう話をするんだという合図のようなものだった。

「僕さ、クリスマス嫌いなんだ」

 僕は適当なことを喋りだしてどうにか話題を作った。いつもは何を言うか考えるほどだったから、自分でも話のクオリティが低いなと思う。

「私も」

「キリストの誕生日ってだけなのに」

「私たちの特別なイベントデーじゃないよね」

 嫌いとかいうくせにイルミネーション見に行くのは矛盾しているような気もするけど、そこには触れないようにした。

「そういうイベントも平日だと変わらないと言い切る社会人は凄いよね」

「でもそれも人間の大切な何かを失ったような気がして悲しいよ」

「人間なんて生きてるだけで悲しいだろ」

「それもそうだね。人間なんて、無意味の中に生きてる哀れな生物」

 こういう話をするのが大好きだった。自分の中の生死の価値観を語るのが楽しかった。

 この不条理な現実に誰に言うでもない自論を言って二人で共感して、死にたいと嗤いあう。

 何でもいいから普遍的な思考を否定したい理由を考えては話し合うこの歪な関係がとても居心地よかった。

「理不尽とルールに縛られて頑張って生きて、その先に何があるのかな。私、今生きてるの無意味だと思う」

 雪乃は遠くを見ている。空に消えてしまいたいという雰囲気が感じられた。

「何も残らず死ぬだけだよ。僕らが生きていたことを誰かが覚えているわけでも記録に残るわけでもない」

「じゃあさ、今死んでも変わらないよね。冬夜くん。私、死にたいよ」

「そうか」

 雪乃の目は全てを諦めている。

 雪乃は全部のことが無意味になるのに絶望して死を望んでいる。

 全部無意味なのに、その過程では理不尽と嫌なことの連続。生きたいと思う方が無理ってものだ。

 そもそも生まれたくて生まれたわけじゃないのに生まれた時点で生きる事を強要されるのは常々納得がいかない。死ぬことは悪いことだ、誰かを悲しませるからとそう咎められ、僕たちの死にたいは否定される。

 それで、はいそうですか分かりましたちゃんと生きますと思う人が、どれだけいるのだろう。

 いるわけがない。僕たちの死にたいって気持ちは、そんな綺麗事で片づけられるほど単純なものじゃない。

 でも、僕は雪乃に死んでほしくない。

 僕は雪乃の死にたいを否定したい。

 少なくとも雪乃と僕が終わるのは一緒でありたい。

 だから、僕は言わないといけない。

「雪乃は、死なないでほしい」

「何、言ってるの?」

 急に今までとは違う僕の発言に雪乃は驚いていた。

「僕は雪乃に生きていてほしい」

「なんで、そんなこと言うの。冬夜くんは私に苦しんだまま生きろっていうの?」

 雪乃の言っていることは正しい。僕の願いは雪乃が生きている限り彼女を苦しめる。

「そうだよ。僕は、地獄を見たままでも生きないといけないと思う。どれだけ辛くっても、それに耐えていかないといけないのが人生だと思う」

「わけわかんない。冬夜くん、狂ってるよ」

 雪乃は嫌そうに叫んだ。一瞬公園にいた人々の視線がこちらに集まるがそんなことは気にならない。

 今はどれほど狂っていても、異常だとしても、雪乃が死ぬことを否定したかった。

「僕は、雪乃が死んだら、死ぬより辛いよ」

 僕はそっと声を漏らした。

 ずっと言いたかった、本心を口にした。

 雪乃が死んでから、ずっとそうだった。残された僕は死んだほうがマシなほどに苦しんで生きてきた。

 それはある種のエゴかもしれない。雪乃を苦しめるだけだとわかっているのに、それを強要したい。そうしてまでも僕は雪乃に生きていてほしかった。

「冬夜くん...」

「わかっているんだ。どれほど過酷で辛いかなんて。僕も雪乃ももっと死にたくなると思う。それでも僕は足掻きたい。君とこの理不尽に抗いたい」

「だから、死なないでくれよ。雪乃」

 僕は、ダサくクサいセリフを言った。もし仮にこれが録音されていてリピートでもされたら多分僕は恥ずかしすぎて首を切るだろう。

 でも、そうしてまでも僕は彼女を救いたかった。

 冷たいはずの缶コーヒーは僕の握る力でぬるくなっていた。

 そのぬるくなったコーヒーを一口飲み、さっきまで雪乃がしていたように空を見上げる。

 十二月は暗くなるのが早い。辺りは薄暗さに包まれ、それを灯すように街灯が淡く、力無く光っていた。闇夜に二人だけいるような気分になった。

「冬夜くんはさ、愛されてるなって思う事、ある?」

「まあ、少しは」

 親はいじめられていた僕を気遣って色々してくれていたと思う。無理に学校行なくていいと言ってくれたりしたし、劣悪な環境でも僕は孤独ではなかったとは言い切れる。

「私の、親、ずっと忙しくて家にいないんだ」

 雪乃の家に行くときに感じたあの感覚は当たっていたようだった。

「昔からずっとそうだった。家族といたより家で本を読んでいる時間のほうが多かった。卒業式だとか、そういうのにも一度も来てくれなかった。たまに会ってもただ少しだけ話して終わり。私の為だっていうくせに、私のしてほしいことは何もしてくれなかった。私も他の子みたいに普通に家に帰ったらお母さんがいて、夕方はお父さんも帰って来てみんなでご飯食べたかった。でも、そんなこと叶いやしない。忙しいからってその一言で片づけられちゃう。私は思ったよ。愛されてないんだなって。私も普通の家庭みたいな暮らしがしたかった」

 彼女は、心の底からそう願っているようだった。

 雪乃の苦悩は、恵まれていたからこその苦悩だった。

 普通にあるはずの愛を彼女は感じられなかったのだ。僕とは違って特に不自由もなく学校でも生活できて、友達もたくさんいたはずだ。少なくとも僕みたいに虐げられた人生は送ってこなかっただろう。

 そんな彼女は普通なら大体の人が受けられる「愛」を受けられず育ったことに気づいた。そして、それを彼女は欲してしまった。

 本当は雪乃の親は僕と同じように子に愛を持っているだろうけど、それをうまく伝えられなかった。

 彼女が絶望してしまった理由、死にたい魂胆はそこだろう。

 人の気持ちが分からない。だから彼女は死ぬことに抵抗が一切ない。愛されていないと思ってしまっているから生きている感覚がない。そしてずっと思い悩んだ結果、雪乃は今日死んだ。

 僕は、やっと雪乃の気持ちを知れた。

 なら、僕はどうすればいい?まさかじゃあ君を愛してあげるよなんていうのを彼女が望んでいるわけがない。可哀想だから、死なないでほしいからと偽りの愛情を向けるのは最低だと思う。そんなことをしたって虚しさと仮初めの愛で続く空虚な関係が続くだけだ。今のこの歪な関係を続けながら、彼女が愛を感じられる方法。そんなものがすぐに思いつくわけがなかった。

 僕はどうすればいいか分からなかった。

 ただ黙ったまま、時間が過ぎていった。

 早く何か言わなければ、彼女はまた死んでしまう。なのに、僕はそれを止める言葉を用意できない。

 何を言えばいい?誰か教えてくれよ。誰でもいい。彼女が死ななければそれでいい。彼女が死ぬのを止められれば何だっていい。そんな言葉を、くれよ。

 駄目だ。思いつかない。

 何も、言葉が出てこない。

 雪乃とこれまで過ごしてきて、ここまでお互いに思ってることを言い合ってきたのに、雪乃を救う言葉が何一つ思い浮かばなかった。

 自分を殺したいと思った。

 ここまで来て、雪乃を救えない自分が、たまらなく憎かった。

「なんか、ごめんね。こんな事言っちゃって。明日、終業式だね。学校でまた会おうね」

 雪乃はベンチを立ち、公園の出入り口へと向かった。

 待ってくれよ。行かないでくれよ。そう言おうとしたが、上手く言葉を喋れない。喉が接着剤でくっ付いてしまったように、言葉を発することが出来ない。

 僕は必死に考えた。

 雪乃との日々を必死に思い返し、何かヒントになるような言葉を探し続けた。

 知恵熱みたいになってきて頭痛がしてきた。気分が悪くなっていく。

 でも僕はやめない。やめたらそれが雪乃の死ぬ瞬間になりそうで怖かった。

 早くしないと雪乃は公園を出てしまう。

 僕はヤケクソになった。静まり返った夜の街に叫ぶように言った。

「雪乃」

 言ってから近所迷惑だなと思った。

 雪乃は足を止め、こちらを振り返る。

 僕はもう思っていることを全部言う事にした。どうなってもいい。ただこれを全部言えば何かが変わる。そんな気がした。

「何が愛されたかっただよ。そんなの無理に決まってるだろ。僕たちはこの世のはみ出し者で、誰からも理解されない存在だ。そんな異端児の僕らが愛されたいなんて都合が良すぎるんだよ。現実を見ろよ。お前なんて、愛されるわけがないんだよ!」

「そう...だよ。私は、愛されない」

 俯く雪乃に心が痛むが僕は喋り続ける。

「僕はお前が羨ましかった。本当に死にたいその気持ちは僕がずっと欲しかった、本物だ。そんなお前と死にたがるのが楽しかった。僕にはお前しかいなかった。この気持ちも、思いも全部お前しか分からなかった。だったら、雪乃が死んだらこの気持ちはどこにぶつければいい?死にたいのに死にたくないって思うこの矛盾した気持ちを誰に分かってもらえばいい?そんなこと、誰にもできないよ。雪乃じゃないと、だめなんだ」

 僕は死にたかった。雪乃と出会うまでは。

 でも雪乃と出会ってこの気持ちをさらけ出して気づいた。僕は漠然と思っていた死にたいという気持ちをただ肯定して欲しかったんだ。死にたいって思うのは悪いことじゃないよって思って欲しかった。

 それで死ねるなら、僕は満足だった。

 僕は普通の人間だった。死ぬのが怖い。死にたいのに死ぬのが怖くてずっと生きてきてしまった。それを雪乃に肯定されて、僕は嬉しかったんだ。

「死にたいと思うのは間違いじゃない。死にたいって思いを大事にして生きろよ。そのことを諦めなくていい。そう言ってくれたのはお前だったじゃないか」

 この世で生きたいと思って生きている人は素晴らしいと思う。馬鹿なのか全部受け入れたうえでなのかはわからない。でも、そう思う人の美しさを酷く僻んでいた。

「だから、死なないでくれよ」

 僕は気持ちをすべて吐き切った。

 正直、言い方が悪すぎたなと内心諦めモードだった。

 顔を上げ、雪乃のほうを見ると雪乃は、肩を震わせていた。僕は彼女に近づき、顔を見る。その目には涙が浮かんでいた。

「本当に、変なことばっかいうんだからさ。冬夜くん一生彼女出来ないよ」

 雪乃は泣きながらまた僕をからかった。でもそれはいつものような馬鹿にしている感じではない。

「そうだな」

 僕も特に否定せずに言う。

「最低じゃん。死ぬなってさ」

「分かってる」

「いいのかな。生きていても。結局無意味なのにさ」

「無意味になったとしても、死ぬまでに何か満足できればいいよ」

「私、すぐ死んじゃうかもしれないよ。勝手に絶望して一人フラッと消えちゃうかも」

「その時は僕に言ってくれたらなんとかする」

「頼りないな~そういうときはそうさせないっていうところでしょ」

 僕は雪乃の手を握った。彼女の体温が伝わってくる。冬の寒さで冷たいのに、どこか暖かい感覚があった。

 上手くやれたただろうか。このことを過去の僕が知らなくてもうまくやっていけるだろうかと少し心配にもなったが、きっと大丈夫だろう。

 雪乃自身が少しでも変われたなら僕もきっとそれに触発されていい方向に進むはずだ。

 雪乃が手を離した。少々名残惜しかったけど、それに合わせて僕も手を離す。

 雪乃は少し前向きな目になっていた。

「冬夜くん、ありがとう。私、頑張ってみるよ」

「僕は何もしてないよ」

「そうだね。変わるのは私自身だもんね」

「やっぱ少しは力になったよな」

 いつも通りのテンションに戻って僕らは笑いあった。

 これで、よかったはずだ。これで、雪乃が生きている未来を作れたはずだ。

 僕はやり切った気持ちになった。

 もう辺りは真っ暗だったので僕は雪乃の家の前まで付き添った。

 会話はなかった。それでも今は沈黙が一番お互いに心地いいと思っていたから、僕たちは喋らなかった。

「それじゃあ、気を付けてね」

 雪乃が軽く手を振ってきたので僕も手を振り返した。

「じゃあな」

「うん。バイバイ」

 そう言って僕は山崎と歩いてきた道を引き返した。少し歩いたところで携帯に通知が来て取り出すと山崎から

 >駅で待ってる

 と連絡があった。

 既読はつけずそのまま駅に向かって僕は夜空を見上げながら歩いた。

 冬の夜空は星がいくつも煌めいていて綺麗だった。


 山崎は駅のホームの待合室にいた。

 結構待たせてしまったのもあって、雪乃と同じホットココアをせめてものお詫びとして買ってきた。

「見てたけどなにあれ。本当に最低じゃん」

 山崎は僕たちのやり取りを陰で見ていたらしく、僕の言いように不満があるようだった。

「あれが僕たちなんだよ」

「だとしてもお前なんかが愛されるわけないは酷いよ」

「あれはその場のノリっていうか」

 やっぱり言い過ぎたよなと思った。

「でも、これで雪乃ちゃんが生きている未来になったんだよね」

「多分な」

 実際に現代に戻ってみないとどうなっているかは分からない。けれど僕は雪乃が現代でも生きている自信が生まれていた。

「じゃあ、帰ろう。私たちの時代に」

「そうだな」

 僕たちは手をつなぎ、ベンチにもたれかかる。

「二千XX年 十二月二十日」

 意識が、飛んだ。


 目を覚ますといつもの山崎の家のソファに寝転がっていた。今回は過去にいた時間が長ったからか、体に疲れが溜まっているように感じた。雪乃とのやり取りもあって、頭もぼーっとしている。すぐにでもベッドに飛び込んで眠りたい。それくらいの疲れだった。

「おはよ、真嶋くん」

「ん...ああ」

 山崎は毎回僕より目覚めるのが早い。

「とりあえず、今日は泊まっていきなよ。お母さんもいいって言ってるし」

「ええ...男が泊まって山崎はいいのか?」

 流石にここ一か月でかなり仲は深まったものの、流石に泊まるのはなと思った。

「いいよ。真嶋くん変なことしないってわかってるし」

「まあ確かにお前にはそういう気は起こす奴はいないだろうな」

「さて、どうやって死にたい?」

「すいません」

 日頃の行動で忘れそうになるが山崎もかなりの美人だ。何か特別な理由でもない限り意識してしまうのは避けられないだろうなと思った。

「とりあえず、親に連絡するよ」

 僕はそういって廊下に出た。スマートフォンを取り出し、LINEを開く。そして母親のトークを開こうとしたとき、ある異変に気が付いた。

 ピン止めして一番上に来るようになっていた雪乃のトークが無かった。間違って外してしまったのだろうかと少しスワイプすると雪乃とのトークがあった。そして僕はそのトークを開いて驚愕した。

 〔12月19日〕

 >今日は焼きそばたべたよ~ 

 >よかったね

 >冬夜くんは?

 >魚

 そこには身に覚えのない雪乃とのトークが記録されていた。

 あの雪乃に一方的に送り付けていた景色と無意味なメッセージが無かった。どれだけ過去のトークを見返しても、そんなものは一つもなかった。

 僕はここで雪乃が生きていると確信したと共に、少しの恐怖が脳裏をよぎる。

 これは、現実か?

 雪乃が生きているのわかったけど、これは僕がいたあの世界か?いろんな本を読んで無駄な雑学の知識がある僕は一つの考えが浮かんだ。

 本来あるはずだった世界とは別の新たな世界。異分子の介入により生み出された分岐した可能性。

 パラレルワールド。

 僕は今そこにいるのかもしれない。

 なら、元の世界の僕はどうなった?もしかしたら、僕はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。自分の欲求のままに行ってきたことがどれほど取り返しのつかないことなのかもしれないという可能性を考えるだけで怖かった。

「真嶋くん、どうしたの」

「ちょっと、疲れが溜まってて」

 僕は山崎にこのことを話そうか迷った。けど僕は言えなかった。こんなことを言ってどうなるか分からなかった。

「まあ今日たくさん動いたもんね。お風呂、入ってきなよ」

「ああ...貸してもらうよ」

 そう言って僕は山崎の家の風呂を貸してもらった。

 変な思考と汚れを一緒に洗い流すように髪を洗ったが、どうしても拭いきれなかった。

 湯船に浸かっても疲れは全く取れなかった。


「真嶋くーん、悪いんだけど、布団はリビングにしか敷けないからリビングで寝てもらってもいいかしら?」

 僕は山崎の母に今日の就寝用の布団を用意してもらっていた。

「構わないですよ。泊めていただけるだけでもありがたいですので」

 山崎の家に通い詰めていた僕は彼女の母親ともそれなりに仲良くなっていた。どうやら、彼女の母親は山崎がワープ能力を持っていることを知らないらしかった。僕たちはいつも彼女の母親がいない時間帯を見計らって過去へ行っていたため、それを見られるということもなかった。

「じゃあ、悪いけど今日はここでね。それじゃあおやすみ」

「はい。お休みなさい」

 僕はそう言って布団に潜りんだ。

 今日の疲れもあって睡魔が恐ろしい速度で襲ってくる。眠気はすぐにピークに達した。

 僕はその眠気に従い、ゆっくりと思考を放棄する。

 明日、雪乃に会えるのだろうか。

 僕は淡い期待を込めて、瞼を閉じた。


 夢を、見た。

 僕は広い野原に寝転がっていた。

 目を開け、真っ先に飛び込んできたのは満点の夜空だった。闇のような真っ黒な空に、たくさんの星が光輝いている。どんな星かなんて知らない。名前なんて一つも知らない。でもその空は、綺麗の一言で片づけるのは惜しいほどに美しかった。

 そんな心奪われる光景は、とても見覚えがあった。

「ね、冬の大三角ってどれ?」

 僕の顔を覗き込んで雪乃が興味なさそうに聞いた。四月の頃より伸びた髪の毛が僕の顔にかかってむず痒い。

 野原に寝っ転がったまま僕は「知らねえよ」と答えた。

 僕はこれが雪乃との思い出だと気付いた。つまり、ここは夢だ。確か、十一月の頃の出来事だったと思う。

 こんなきっぱりとした夢を見るのは初めてだった。明晰夢ってやつだろうか。

 今日は、僕と雪乃が二人で星を見に来ていた日だった。なんとなく雪乃が僕に星を見に行こうといったのがきっかけだった。勿論、天体観測なんて興味なかった。ただなんとなく、星を見ながら喋りたかったからって理由で僕は付いていった。

 天体望遠鏡もなく、防寒グッズもない。ただジャケットだけ着込んで僕らは馬鹿みたいに寒い中、空を見上げていた。

「星ってさ、昔死んだ光が今に届いてるんだって」

 合ってるかもわからない昔聞いたような知識を僕は言った。

「へー」

 雪乃は興味なさげに言った。

「なんていうか、不思議だよな。死んだ後も光って僕たちを照らしてるってさ」

 僕はぶっきらぼうに呟いた。

「死んでも残るものがあるって羨ましいよね。私たちは何も残らないのにさ」

「そうだなー」

 この手の話になると雪乃は無敵だった。ロマンチックに、ただ終わる無意味な人生の儚さを語った。それを聞くのが好きだった。雪乃の話を聞いていると、人生なんてクソったれで意味なんて無いんだなって思う。自分の存在の小ささを思い知る。

「冬夜くんは、将来何になりたい?」

「破壊神」

 特に思いつかなかった僕は今頭に浮かんだ言葉を口にした。

「うわーくだらねー」

 そう言って雪乃は僕の隣に寝転がった。

「叶いもしない下らないことが将来の夢ってやつだろ」

「それはそうだね」

 子供の頃に掲げた医者だとかプロのスポーツ選手なんて夢はとうの昔にどこかへ置き去っていくのがほとんどだろう。いつか現実を見て普通のサラリーマンになって手取り二十万くらいの生活をしていくんだろうなと思っていく。

 そうやって自分のやりたいことも理想も置き去りにしてなった大人に、どんな価値があるんだろう。そうやって生きなければいけない世の中もやっぱり嫌いだった。

「そういう雪乃は何になりたいのさ」

 僕は雪乃のなりたいものが気になった。

 死にたいと思っている彼女が未来を求めているかなんて分からなかったけど、それでも知りたかった。

「私?私はね....」

 雪乃はどこか楽しげな顔をした。

 その瞬間、僕の意識は朧げになる。そういえば、雪乃が生きていた時も、この続きは風かなんかで聞こえなかった気がする。

 まあ、雪乃の事だ。宇宙の破壊神とかだろう。まともな答えなんて期待していない。

 それでいい、と思った。

 僕は寒い夜風に吹かれながら、目を閉じた。



 やけに目覚めのいい朝だった。

 あの夢を見たせいか、溜まっていた疲れが回復したのかは分からないが、脳がやけに冴えている。

 冴えた頭で僕は少し違和感に気づいた。

 ここ、どこだ?

 いつもと違う天井。慣れない布団の感覚。僕は自分が誘拐でもされたんじゃないかとすごい勢いで飛び起きた。

 と、よくある動きをしたところで僕は昨日の出来事を思い出した。

 そうか、僕は山崎の家に泊まったんだった。それでこの状況か。

 てか女子の家に初めて泊まった割には全くドキドキしないなとかどうでもいいことを思った。

 首の骨を二回ほどゴキゴキ鳴らしながら伸びをする。

 いつもはダルくて憂鬱な朝も今日は少し楽しみだった。

 今日、雪乃と学校で会えるかもしれない。

 そう考えるだけで心が(たかぶ)った。

 制服に着替え、ジャージを鞄に押し込む。ふとテーブルの上を見ると山崎の母親が作ってくれていたと思わしきトーストとコーヒーが二人分置いてあった。片方はミルクなしだったのでそちらの席に着き、コーヒーを一口啜る。山崎母が淹れたコーヒーは、豆の種類などは分からないが、奥深い苦みと濃厚な味わいが口に広がり僕が今まで飲んできたコーヒーの中でもトップクラスにおいしいと感じるほどだった。

 そうしてコーヒーを堪能していると山崎娘が寝ぼけながらリビングに入ってきた。

「...おはよー」

「おはよう」

「ミルク入れて。二杯」

「朝からこき使うなよ...」

 そう言いつつも僕はもう一つのコーヒーにミルクを二杯注ぐ。ちょっとムカついたので少なめにしてやった。

 そうして朝食を貪るように食べているうち、山崎は目が覚めてきたのか普段通りのテンションに戻ってきた。

「うわっ、苦い!」

「ざまあみろ」

 うえっと舌を出す山崎を見て僕は少し気分が良かった。

「後で覚悟しときなよ?」

 山崎はキレ気味に言うがそんなことはどうでもよかった。

「うまくいってたら、雪乃は今も生きてるんだよな」

「...そうだね」

 雪乃が生きているかなんて確証はない。あれから一年経った未来に僕たちはいる。その一年何もなく過ごせているわけがないと思う。何度も死にたくなって、消えたくなって、傷ついただろう。そうなってまでも僕は、雪乃が生きる理由になれているか、不安だった。

「もう時間だよ真嶋くん」

 時計は八時ちょうどを指している。山崎の家から学校は、僕の家から学校より少し遠い。通学時間を考えたらそろそろ家を出る時間だ。

「分かってるよ」

「じゃあ、よろしくね」

「ああ」

 僕は先に家を出て駅へと向かった。今日は冬だというのにあまり寒くなかった。青空に一割だけ雲がある、絵に描いたような青空だった。

 なぜか僕はいつもしていたようにその空を写真に収める気にはなれなかった。


 教室の前で僕は結構ビビっていた。僕の学校はクラス替えという文化がない。つまり、雪乃は生きていたらこのクラスの中にいる。いつも早めに来て友達と和気藹々(わきあいあい)と話している雪乃が教室にいるはずだ。

 もし、いなかったら?

 そんな最悪な結末が脳裏をよぎる。あそこまでやって僕の想いが届いていなかったらと思うと辛くて仕方がなかった。でもLINEの履歴もあるし、ああやって普通の会話が出来ているのなら大丈夫だとは思いたい。

 ネガティブな考えを振り切り、僕は教室の扉を開けた。

 教室に入って左奥、いつもカースト上位勢が占有しているエリアの真ん中に、雪乃がいた。

 あの頃と変わらない、笑顔で取り繕っていい人を演じる雪乃の姿があった。

 僕が教室に入ってきたのに雪乃は気づいて、こちらを見て少し微笑んだ。僕はそれに頭を少し下げて返す。

 雪乃は、生きていた。僕は、彼女を救えた。

 その事実が僕の胸を満たす。

 嬉しくてたまらない。

 ここまで幸福感を感じたことは無かった。席について机に突っ伏しながら僕は少し泣いた。肩が小刻みに震えるのを抑えられなかった。

 今日という日を、どれほど待ち望んだだろう。

 毎日毎日生きている感覚がなかった。それでも生き続けていた理由は分からない。死ぬのが怖かったからかもしれないし、本当は死ぬ気なんて無かったからかもしれない。それでも、雪乃がいない毎日は退屈で仕方がなかった。コピーペーストしているように繰り返す毎日を無気力に生きていた。

 それも、やっと報われた。

 僕は携帯を取り出し、山崎にLINEを送った。

 >雪乃、生きてた

 既読はすぐについた。

 >本当に、よかった

 僕も、そう思った。そうして感傷に浸っていると

「よう、真嶋。ってなんで目元真っ赤なんだよ」

 と僕に話しかけてきた生徒がいた。うるせえ。今いいとこなんだよと思いながら顔を上げて声の主の方を見た。

 知らない顔だった。そいつが誰か分からなかった。

「お前、誰?」

「何言ってんだよ。名前忘れちゃったのか?加藤康生(かとうこうせい)だよ。この年でボケか?」

 加藤康生?僕のクラスにそんな奴はいなかった。それどころかあたりを見渡すとちょくちょく誰だこいつって顔ぶれが並んでいる。僕は人の顔を覚えるのが得意だ。面倒事にならないようにこいつはこういうやつだなって把握するためだけど。

 そんな僕でも初めて見る顔がいくつかある。

 そしてそこにいつものあいつの顔がなかった。

「なあ、佐山ってまだ来てないのか」

「は?佐山?誰だよそいつ」

「いや、佐山だよ。あのお調子者の猿」

「急に知らん人の名前言われても困る。お前マジで大丈夫か?」

 嘘だろ、と思った。

 クラスの奴らが佐山の名前を知らないわけがない。なんならクラス替えがないんだから一年一緒に過ごした奴の名前を知らないわけがない。

 僕は教壇に置いてある名簿を掴み、その名前を必死に探した。

 でも、何度見返しても佐山の名前はない。そしてやっぱり僕の知らない名前が多数載っていた。

 昨日頭に浮かんでいた恐怖が現実になったのを感じた。

 ここは、パラレルワールドだ。

「おい、真嶋大丈夫か?今日変だぞ」

「悪い...最近物忘れ激しくて」

 僕はそう言って席に戻った。

 まともに授業の内容が入ってこなかった。元々授業なんて聞いてないけど今日は言葉が右から左に流れ続けていった。


 クラスメイトがぞろぞろと教室を出ていくのを見て僕は昼休みになったのに気がついた。何を食べても喉を通らない気がしたが僕は無理やりにでも食わないとなと購買で昼食を買って、いつもの裏口へと向かった。

 適当に選んだめちゃくちゃ不味い購買のパンを食べていると雪乃が来た。嬉しい半分、どう接すればいいか分からない半分の気持ちだった。

「よっ」

 雪乃は明るく挨拶をしてきた。それにつられ「おう」と軽く返す。

「冬夜くん、そのパン食べてんの?あの購買の中でもトップクラスに不味いってやつ」

「これしかなかったんだよ」

 そういえば、そんなのもあったなと思い出す。購買は人が多くてダルいので僕はいつも弁当かコンビニの食材を買っていた。

 このパンはある意味僕の学校では有名な代物だった。

「可哀想に~私のおにぎりひとつあげるよ。鮭かツナマヨどっちがいい?」

「じゃあ鮭で」

 そう言って僕は雪乃が投げてきた鮭のおにぎりをキャッチした。食べ物を粗末にすんなよと小突いてから僕はラベルを剥がしておにぎりを頬張った。

「なんか、冬夜くん今日変だってクラスの人が言ってたよ」

 そう言われてぎくっとした。返す言葉に詰まる。

「変なのは、元からだろ」

「確かに」

 そう言って雪乃は笑った。あんなことがあったのに雪乃と普通の会話している自分が怖かった。でも、そのうちもうどうでもよくなって僕は生きている雪乃と会話することを楽しんだ。

「冬夜くんは、変だよ。そこが面白い」

「人間なんてみんな変だ。僕も君も」

「昔はよくそう言ったよね」

「...は?」

 昔は?雪乃が言っている意味が分からなかった。

「人間なんてみんな嫌いで、死にたくて、よくそういう事喋ったよね」

 理解ができない。なんで雪乃の言い方は過去形なんだ?

「冬夜くんも理解できていない死にたい気持ちに苦しんで、私も愛を求めて苦しんで。そんな毎日だったけど、冬夜くんは一緒に諦めてくれた。高望みなんてせずそこそこに生きようって。死にたくなんてならなくていいって。私、嬉しかったな」

「何..言ってんだよ」

「あれ、覚えてない?まあ一年位前の事だしね」

 あの公園で言った事とは違うことを雪乃は口にした。

 死にたくならなくていい?僕はそんなことを言っていない。死にたくていいから生きてくれよって言ったはずだ。僕の言った事とは真逆だ。

 僕はこんな雪乃を知らない。そしてそんな彼女にいい気持ちが湧かなった。

「人って、そんなにすぐ変われるもんじゃないだろ」

 僕は虚しい声で言った。

「きっかけが足りないだけだよ。それを得たらすぐに変われる」

 そう言って雪乃はおにぎりの最後の一口を飲み込んだ。

 僕は自分がごく普通の感性を持って生活していたらどうだったかを考えていた。

 普通に学校に通って友達を作って帰りにカラオケとか行って、恋をして、大人になっていく。人生という科目の教科書にでも書かれていそうな人生。これをきっかけを得てまでなりたいかって言われたらそんな気分には全然なれなかった。

 僕は、どうしたいのかわからない。自分が何になりたいのかもどういう風に生きたいのかも何一つなかった。

「きっかけがあったところで、どうにもならないこともある。僕みたいに」

「そんなことないよ。冬夜くんだって私と同じ人間だもん。変われないなんて、ない」

「なら、どうして僕はずっとこんなままなんだ」

「だから、そのきっかけに出会えてないんだよ」

 変わるきっかけって何だろう。僕が前向きに生きられるほどのきっかけなんてあるのだろうか。

 どれほど想像しても当てはまりそうなものはない。生きる事に希望を見出せるような出会いも出来事も、何一つ思い浮かばなかった。

 そもそも、生きる事にきっかけや理由を求めている時点で終わってる気がする。

 誰もが当たり前にできていることを頑張っているのは惨めだと思う。

 何もできないって言うのは一丁前なのに、何もしないで、してこないでそれを言うのだからさらにダサい。

 死にたいのに、死ぬことに抗って馬鹿みたいに生きる事にもがいて理解してほしくなんかないのに理解されないことを嘆いて嫌われてもいいと言いながら嫌われないように生きて。

 僕は、何をしたいんだろう。

「あ、もう昼休み終わっちゃう。先戻ってるよ。またあとでね」

 そう言って雪乃は教室へと戻っていった。

 その背中はいつも纏わせていた死への風貌はなく、ただのあどけない少女のものだった。普通に昼食をとって午後の授業へ向かう女子高生。そんな「普通」というカテゴリーに当てはまった彼女を見るのは吐き気がした。

 気持ち悪い。嫌で仕方がない。こんなのはお前じゃない。そう、言いたかったけど言えなかった。僕の知っている雪乃じゃなくても、彼女が生きているという事実が僕にはただ嬉しかった。ただ普通の高校生だとしても、僕は彼女といれてよかったと思ってしまっている。

 その姿を見送り、僕は食べかけのパンをゴミ箱に捨てた。


 なんとなく午後の授業に出る気になれなくて、サボった。

 特段サボることに後ろめたさとかもないので普通に裏口で本を読んでいた。

 いつもなら本を読みながらいろんな情景やシーンが頭に浮かぶのだが、今日はただ文字列を目でなぞっているだけだった。つまらなかった。

 そうやって文字が羅列されただけの本を読んでいると携帯に通知が来た。

 >真嶋くん、どうしよう

 山崎からだった。内容を知らせず焦りの文脈だけを送ってきているあたり、相当なものなんだろうかと思った。

 >どうしたの

 既読はすぐについた。

 >私の知ってる人がいなくなったりしてるの。人に聞いてもそんな人知らないっていうし。助けて

 マジかよ、って思った。山崎の学校でも同様の現象が起きている。これは本格的にヤバイかもしれない。

 >とりあえず会おう。家、行くから

 僕はそう打って駅にダッシュで向かった。

 そのおかげか発車目前の電車に乗り込むことが出来た。お昼時なので空いていて、誰もいない車両の席に座ることが出来た。

 久々に全力で走ったせいで頭がくらくらした。少し目の焦点が合っていないが、息を整えながら思考を巡らせる。

 ひとまず、状況を整理した。

 雪乃が生きている世界に僕たちが迷い込み、そこでは僕たちの知っている人がいないことになっていたりしている。この世界での雪乃は物事の考え方が僕が知っているものと違っていたりする。

 雪乃が生きているってだけでここまで変わるものなのか?そもそも雪乃が生きているってだけでなんで佐山たちが消えるんだ?なんで僕や雪乃はあれほど前向きになっているんだ?

 考えても何一つそれらしい答えは思いつかなかった。

 山崎の家の最寄り駅に到着し、僕はまたダッシュで向かった。こんなに走ったのは久しぶりだった。すぐに息が上がって止まりたくなったけど、そんなことをしている暇はなかった。だんだんと吐き気がしてきたが、それすらも構わずに走り続けた。

 そうしてノロウイルスの時みたいな気持ち悪さで山崎の家のインターホンを鳴らした。水を早く飲みたかった。

「真嶋くん!!」

 山崎が家から飛び出してくるなり泣き出してしまった。よっぽど怖かったのか僕にしがみついて嗚咽を漏らしている。

「落ち着け。とりあえず冷静になれ」

 走ったことによる気持ち悪さで正直それどころじゃなかったけど、ここで冷たい対応を取るのもアレなので僕は黙って山崎をなだめた。

 家に上がらせてもらって、山崎を落ち着けた。パニック状態寸前だったので変に刺激しないようにとただ背中をさすっていた。

 しばらくして落ち着いたようで、僕の隣でクッションに顔をうずめていた。

 冷蔵庫から烏龍茶を取り出し、注いで彼女に渡した。

 さっきまでの吐き気はというと山崎をなだめていたらどこかへ行ってしまって、僕も気づかぬうちに気分もよくなっていた。

「で、状況は」

 僕は戦場の指揮官みたいなセリフを言った。これを本当に言う日が来るとは思わなかった。

「私の友達がいなくなってたり...知らない人がいたりしてさ。誰に聞いてもそんな人はうちにいないし知らないって」

 僕と全く同じ状況だった。

 どうやらそれで怖くなり学校を飛び出して僕に助けを求めてきたらしい。今日、山崎は昼登校だったのでついさっきの出来事らしかった。

「僕と同じだな」

「これってやっぱりさ...」

 山崎は薄々気づいてるようだった。馬鹿っぽいのにこういうことに関しては勘がいい。

「雪乃、だろうな」

「だよね...」

「雪乃が生きている未来を作ってしまったが故に、できてしまった別の世界にいるんだと思う」

「そんなことが現実で起きるなんて、思わなかった」

「僕もだよ」

 烏龍茶を飲み、山崎はどうしようとばかり呟いた。

 いつもならここでちょっと毒を吐いたりもするがこの状況でそんなことをするほど僕も馬鹿じゃない。

 事態が事態だし、ましてやその原因が僕たちにあると思うと何も言えなかった。

「ねえ、これってやっぱり私たちのせい、だよね」

「そうだな」

 僕は他人事のように返事をした。

「なんでそんなどうでもいいみたいな風に言うの」

 山崎は少し苛立ったように言った。

「僕だって、いっぱいいっぱいだ。どうすればいいかもわからないんだよ」

 本当に、そうだった。自分が世界そのものを捻じ曲げってしまって、その責任なんてどうとればいいかなんて思いつかなかった。

 長い沈黙。

 その沈黙は解決策を探しているようにも、やってしまった事への贖罪をしているようにも感じた。

 僕は雪乃といる世界を望んだ。彼女とまた一緒にいたかった。自分の唯一の理解者の彼女とまた話がしたかった。

 それが、この事態を招いてしまった。多くの知人や僕たちの自己を捨て去ってまでただ一人彼女のために世界を狂わせた。

 僕は別に雪乃以外どうでもよかった。佐山がいなくなっても雪乃といられるならそんなこと些細な問題だった。

 この世界の人は何かを失ったことになんて気づかないし、それを嘆く人もいない。知らぬが仏というし、このまま全てを騙して生きていてもいいように思った。

 でも、そうしたくなかった。

 僕らの我儘で他人のあるはずだった幸せを奪っていいはずがない。このまま知らん顔してのうのうと生きることが許されるわけがない。そもそも僕たちの行為はやっていてはいけなかったのだ。

 神への冒涜、倫理的視点のタブー。

 死んだ人間は生き返らない。正確には生き返らせたわけじゃないけど、それでもこの人類史において白川雪乃という存在はあの時に死ぬ存在だ。それを覆すことはあってはならないことだ。

 僕はどうすればいいか一つの答えを思いついた。それは辛くて、苦しくて、耐えられない。それでもやるしかないと思った。

「山崎。一つだけ方法があると思う」

 確証はない。こうしたところで変わらないかもしれない。だとしても。

「雪乃を、殺す」

 雪乃が生きていることで世界が乱れるなら、雪乃を殺すしかない。僕は人殺しになる。それしか、この世界に対する罪を償うことはできないと思った。

「...本気で言ってるの?」

 山崎の顔には怒りが浮かんでいる。

「それしかない。雪乃が生きていてこうなったならその原因を取り除くしかない」

「なんで、そんなこと言うの!?真嶋くんだって、雪乃ちゃんといたかったんじゃないの!?」

 本当に、その通りだ。

 僕だって雪乃といられる世界が良い。いつもみたいに諦めた人生の話をして、馬鹿にしあって、慰めあって。別にそうじゃなくてもただ彼女と一緒にいられるだけでもいい。ただ傍にいてくれるだけでよかった。死にたいって言いながら生きたかった。

「そうだよ。僕もいたかったよ。でも、そうするしか、ないだろ」

「嫌だ!ほかの方法だってあるかもしれないじゃん!」

 そういって山崎は僕の胸ぐらをつかんだ。振り払う気にもなれず僕はそのまま吐き捨てた。

「どうするってんだよ」

「それを探すんでしょ」

「悠長なこと言ってんなよ」

 この期に及んで冷静を保ってる僕はどこかおかしいのかもしれない、と思った。

「そんな薄情なこと言わないでよ...」

 僕は最低な人間だと思う。大切な人を殺すのを正当化して、それで人傷つけている。それを自分の中で無理やり納得しようとしている。仕方がないことだと言い聞かせている。人間じゃなくてロボットになったような気がした。

 でも、そうでもしないと僕はどうにかなってしまいそうだった。

「だったら、だったらどうしろってんだよ...」

 俯いて言葉を漏らした。その姿を見て山崎は僕から手を離した。

「嫌だよ...嫌」

 山崎はまた泣いた。大切な人の為に泣ける山崎を羨ましく思った。

「僕だって、嫌だ」

 本心だった。雪乃が死ぬなんて、ましてや自分が殺すなんて絶対にしたくなかった。

 この世界の残酷さを呪った。こんな腐った人生を送っていてまだ僕に苦難を与えてくるこの世界の全部を恨んだ。

 それでも、僕は逃げるわけにはいかない。ここで逃げたら僕には何も残らない。

 ほんの少しだけど、この世界の雪乃と触れ合って僕はある心が芽生えていた。

「でも。そうだとしても僕はもう逃げない」

「真嶋くん...」

 ぐしゃぐしゃになった山崎の顔を見つめて僕ははっきりと言った。

 もう、自分に嘘はつきたくない。

「だから、行こう」

 そう言って僕は山崎を抱きしめた。山崎は僕の腕の中で大声で泣いた。僕は黙って山崎の想いを全部受け止めた。

 僕は、泣けなかった。とことん薄情なやつだなと思った。



 第四章


 泣き虫山崎を静めて僕はどうするか考えていた。

 殺すって言ってもどうすればいいか分からない。本やドラマで見た限りだとナイフで刺したり首を絞めたりするのがポピュラーだけど、僕にそれを実行する勇気があるかは分からなかった。多分、いざそのシーンになって躊躇でもしたらと思うとこの方法は無理だと思った。

 まったく浮かばない殺人方を模索しているとき、僕はある一つの考えが浮かんだ。

 僕はあの日、雪乃を救った。雪乃が生きる原因になったのは僕の言葉だと思う。ならその言葉が無かったら、雪乃はあのまま僕たちの世界のようになるはずだ。今この世界がねじ曲がったのものなら、この世界の過去は僕と雪乃があの公園で話すことが歴史になっているはずだ。それを止めれば、僕たちの世界にと同じ結末をたどることになると思った。

「山崎、この世界でも過去に行ける?」

「多分、行けると思う」

「良かった。じゃあ落ち着いたらいこう。僕が雪乃を救ったあの日に」

「...ねえ、本当に雪乃ちゃんを殺すの?」

 目で嫌だと訴えかけてきている。僕は山崎の辛そうな顔を見るたびに心が揺いだ。

「殺すっても直接的じゃない。あの日僕が雪乃と話さなかったらあのまま雪乃は僕たちの世界と同じ未来を辿る。殺すんじゃなくて正しい歴史にするんだ」

「そっか...」

 山崎はまだ納得したくないという顔をしている。

「ごめん」

 その姿をみるのがいたたまれなくて、謝った。

「ううん。元はと言えば私がそうしようといったのが発端だもん」

「山崎は強いな。僕なんかよりずっと」

「元から強いでしょ。比べないでよ」

「そうだな。本当に」

 過去に縛られず、前を向いて生きていく。彼女もどこかで僕のように折れたこともあったかもしれない。それでもその度に悩んで苦しんで乗り越えてきたんだろう。そんな山崎の事を美しく、羨ましく、魅力的だと思った。

「で、真嶋くんと雪乃ちゃんが出会わなければいいんでしょ?なら真嶋くんぶん殴って気絶させるとかでいいんじゃない?」

「個人的な恨み混じってるだろそれ」

「ばれた?」

 急にいつものテンションに戻った山崎に少々呆れながらも、僕はそれでもありだなと思った。自分で自分をぶん殴るってのはなかなか出来ないことなので今までの自分との決別も込めて、僕も本気で自分を殴ってやろうと思った。

 山崎は烏龍茶を一気に飲み干し、洗面台で顔を思いっきり洗った。化粧を落としたらしいけど、落とす前と全く変わらなかった。

 良く忘れるけどこいつ、素でめちゃくちゃ美人なんだよな、言動を直せばもっといいのになと思った。

「...よしっ。真嶋くん、いつでもいいよ」

 準備ができたようだった。

 山崎の目は覚悟に満ちていた。初めて僕と出会って雪乃を助けようといったときと同じ目だった。

「じゃあ行こう。この世界を終わらせるために」

「なにそれ。破壊神にでもなるの?」

「そうだよ」

 雪乃と星を見に行った時の適当に語ったことが現実になった。

 夢って叶うんだなって下らないことを思った。

「じゃあ、いくよ」

 そういって山崎は目を閉じる。それに合わせて僕も目を閉じ、山崎の手を握った。山崎の握り返してくる力がいつもより強かった。

「二千XX年十二月二十二日」


 全部、終わらせるんだ。


 この世界も、腐った人生も、ずっと縛られてきた過去も。



 意識が、飛んだ。



 目を覚ますと公園にいた。僕と雪乃が話していた公園だった。

 時計を見ると十六時二分。まだ僕と雪乃が出会うまで時間がある。とりあえずこの後の行動をどうしようかを考えた。僕はこの後家に帰らず、思い直して雪乃の家まで行くだろう。駅かどこかで待ち伏せしたら僕を見つけることが出来そうだ。

「多分まだ僕は電車に乗ってるか僕の家の最寄り駅ぐらいにいると思う。西高前の駅で待てば出会えそう」

「早くぶん殴りたいなあ」

「お前普段からそう思ってたの?」

 ちょっと悲しくなった。

「冗談冗談。日頃からあんなに良くしてもらってるんだもん。たまにウザいけどちょっとしか殴りたくないよ」

「ちょっとでも思ってんのかよ」

 普通に悲しくなった。

「とりあえず駅行く?ここにいても仕方ないし」

「そうしよう」

「あ、寒いしあったかい飲み物買ってこ!」

「一応聞くけど代金は」

「財布忘れちゃった」

「知ってたよ」

 このやり取りももう何回も繰り返した。山崎のこれ買いに行こう食べに行こう=僕の奢りみたいなのが確立していた。まあ金に困ってるわけじゃないし、使い道もないから別にいいんだけど。

 というわけでコンビニで僕はホットコーヒー、山崎は抹茶ラテを買った。

 コンビニのコーヒーは喫茶店、缶、インスタントどれとも違う味わいがあると思う。本格的な味ではないが、風味だけのチープな感じでもない。丁度いい味と香り。これが百円とちょっとで味わえるのだからとてもお得だ。僕はやけどしないように慎重に最初の一口を啜った。

 思えば、雪乃ともそうだった。雪乃にはさんざん奢らされた。

 飲み物、夕食、高いものではカメラを買ったりもした。彼女に奢ることが楽しかった。自分が他人を幸せにできていて、それに感謝をしてくれるという行為が嬉しかった。僕は無条件に他人に何かを与えることに喜びを見出していたんだと思う。

 だから、山崎に奢るのも全然嫌じゃなかった。むしろ、山崎のそういうところを雪乃と重ねていた。

 代替的行為が無意味なのは分かっていた。それでもそうすることで僕は少し救われていたのかもしれない。

「なあ、山崎」

「ん、何?」

「ありがとう」

 唐突に何言ってんだよって自分でも思ったけど、それでも言いたかった。いろんな感情が入り混じった感謝だった。

「えっ、キモい...」

「やっぱなしだ。忘れろ」

「いやだねー」

 そう言って笑う山崎の顔は雲一つない笑顔だった。

 それを見れて、良かったと思う。

「あ、そろそろ時間じゃない?」

 そう言われて携帯で時間を確認すると十六時五十七分。今の僕が過去の雪乃に干渉しに行くくらいの時間だった。

 コーヒーを飲み干し、近くのごみ箱に捨てた。そして駅へと向かう。運命の時間が近づくにつれ、不安と緊張と恐怖で胸がいっぱいになった。

 でも、やるんだ。そう自分を奮い立たせた。


 駅でしばらく待ってみたが一向に僕が来る気配がなかった。

 変だなと思った。そろそろ時計は十七時三十分を指そうとしていた。いくらなんでもここまで待ってこないのはおかしい。実は途中で見逃していたのかと思ったけどここの駅の出入口は一つしかなく、見逃すのはあり得ないと思う。

 もしかして、この世界の僕は関与してなくて、雪乃自身でああなったのか?とも思ったけどそうとも考えにくい。

「来ないね」

「おかしいよな」

「もしかして、もう既に公園にいるとか?」

 山崎は僕と同じことを考えていた。もしそうならもう手遅れかもしれない。

「なんでもありだな本当に」

 そう独り言を言って、足が動いた。

「ちょ、真嶋くん!」

 公園まで走った。

 今日何回全力疾走したんだろう。体力なんて勿論ないが僕は根性だけで走った。

 やっぱり吐き気がしてきた。それでもかまわない。吐いてもいいから、今は走ることにした。

 公園が見えてきて、走るのを緩めた僕の足は急激に疲労を覚えたように重くなった。ふらついて上手く歩けない。それでもなんとか公園の自販機近くのベンチまで這うように歩いて行った。

 目的地が近づくにつれ声が聞こえてきた。この道中で人は見なかったし、この声はどちらも嫌というほど耳に焼き付いている声だ。間違えるわけがない。

 遅かった。

 僕と雪乃は既に出会っていて僕がしたように、過去の僕もまた雪乃に生きろと説得をしていた。

「死ななくていい。生きようって思えば割とどうにかなる。そこの割り切りが大事なんだよ。人生って」

 過去の僕は寒すぎる事を言っていた。僕がこんなことを言っているとかもう死にたくなる。そんなこと言って自分を騙して生きる事になるのかよって苛立ちも覚えた。

 雪乃はそれに対して泣いていた。多分ここが転機だろう。僕の世界とは違った未来を歩む分岐点だ。僕の行動が運命を大きく変えている。

 今すぐにでも止めようとしたが、僕は声が出せなかった。

 なんでだ?この期に及んでまだ何を戸惑っているんだ?早く言えよ。雪乃に死ねって。

 それでも僕の声は出なかった。まるで首を絞められているような、喉の筋肉が攣っているような強張った感覚があって、喋ることが出来なかった。僕が雪乃を呼び止めようとした時と同じだった。

 僕は大事な時にこうなるのかよ。結局何もできてないじゃないか。ここで言わないと。喋れよ。

 自分を責め、必死に足掻くが状況は変わらない。しかも都合のいいことに僕たちの会話だけはイヤホンをしているように、どの音よりも鮮明に耳に入り込んでくる。目の前で拷問を見せられている感覚になった。

 そうこうしているうちに会話が終わり、僕たちは各々帰路につき始めた。

 もうだめだ。

 僕は、結局また何もできず終わるんだ。

 あんな大口叩いておいてこれかよ。

 本当に、駄目なやつだな。

 もうどうにでもなっちまえ。そう思って僕はその場にかがみこみ、目を閉じた。


 と絶望していたら思いっきり背中を叩かれた。あまりにも痛すぎて「いってえ!」と大き目の声が出てしまった。

 後ろには山崎がいた。

「置いていった挙句黙って見てるだけなんて何やってんの!?馬鹿なの!?馬鹿だけどさ!」

「声が...出なかった」

「見てたら分かったよそんなの!!だからってここで終わるつもり!?やるんでしょ!」

 そう言われてハッとする。

「真嶋くんにしかできないんだよ!全部!そんな君がここでへこたれててどうすんの!」

 そう言って今度は僕の顔にビンタしてきた。冬の寒さもあってめちゃくちゃ痛かった。

 でも、それがよく効いた。

 もう迷いも恐怖も消えていた。あとは僕の勇気だけだった。

「なあ、山崎」

「何」

「ありがとう」

「...私は、見たくないから離れてる」

 そう言って山崎は来た道を引き返して行った。叩くだけ叩いてどこか行った山崎は強い人間だなと思う。

 我儘で、自己中心的で、自分に正直だ。

 やっぱり、そんな彼女を羨ましく思った。

 僕は雪乃の後を追った。

「雪乃」

「え?冬夜くん?帰ったんじゃないの?」

 雪乃は驚いた顔をした。それでも気にせず僕は続ける。

「ごめん。雪乃に謝らなくちゃいけないことがある」

「なにを?」

 ナイフとかバットは持ってきていない。今ここで雪乃を殺すのに使えるのは、この手だけだ。

 僕の手で、彼女のぬくもりを感じながら、この手で終わらせる。

 人殺すなんて並大抵の精神力じゃできない。今だって、手が震えている。怖い。人を殺すのが怖い。殺していい人間なんてこの世に存在しない。人は生まれたら誰しもが尊い生命だ。それを奪っていいはずがない。

 それでも、僕はやるんだ。

「僕は、雪乃。君を殺す」

 そう言って僕は雪乃の首に手を伸ばした。大声出されて逃げたりしても、僕は諦めるつもりはなかった。どれだけ抵抗されてもやめるつもりはなかった。

 けど雪乃は、抵抗せず僕に首を絞めさせた。

「なん...で」

 僕は動揺を隠せず声を漏らした。

「冬夜くんはさ、生きたいって思って生きてた?」

 雪乃はこんな状況なのに平然としている。目の前でさっき救いをくれた人間が打って変わって自分を殺そうとしているのに、顔色一つ変えずにそれを受け入れている。

 正気じゃない。

 雪乃の心は壊れているんじゃないかと思った。

「私ね、生きたいなんて思ったことない。生きるのは、終わること。死ぬと一緒なんだよ。なのになんでみんな生きたいって思うんだろうね。何しても無駄で終わる。それなのになんでみんな必死になるんだろうね。生きろって言うのは死ねっていう事と変わらないって思うよ」

 雪乃はこんな状況でも自分の死生観について語っている。

「じゃあ、雪乃が今まで生きてきた理由ってなんだよ」

 僕はただ純粋に投げかけた。

 雪乃が、怖かった。

「分かんない。なんで生きてたんだろうね。その気になればすぐにでも終わらせられたのに」

 僕は雪乃の首を絞めた。これ以上会話したら、彼女の事を知ったらそんなことをできなくなると思った。

「じゃあ、僕が終わらせてやる。雪乃の全部を」

「うん。それでいいよ」

 雪乃は全く嫌そうな顔をせず僕にされるがままになっていた。それが怖くて、苦しくて、辛くて、僕はさらに強く首を絞めた。どんどん絞める力を強くした。

 首を潰すくらい強く締めた。喉に流れている血管を絶つくらいきつく締めた。もう二度と息が出来なくなるように絞めた。

 殺すんだ。それくらい当たり前かもしれない。それでも、僕にはつらかった。殺意があろうとなかろうと人を殺すってのは苦しい。雪乃をどんどん殺しながら僕は雪乃にずっと謝った。

「ごめん。雪乃。ごめん」

 雪乃は笑顔で僕を見ていた。

 ずっと、雪乃の体温を感じていた。


 三分くらいそうして、雪乃の膝が力なく曲がった。途端に僕の手に全体重が乗った感覚になり、手を離すと雪乃はその場にばたりと倒れた。

 どうやら、死んだらしい。

 僕もその場に膝から崩れ落ちた。

 もう雪乃は息をしていない。

 手にはずっとあの感覚だけが残っている。

 僕は、雪乃を殺した。

 あっけなかったな。

 人間ってあんな簡単に死ぬんだな。

 目の前にある死を、僕は感じていた。

 冷たくて残酷だ。

 こんなに簡単に死ぬなら、僕もそうすればよかった。

 僕はただ虚無を見つめていた。

 何も、したくなかった。

 ただ息をしていた。

 どれくらいたっただろう?

 一分?一時間?一日?一年?たった一秒だったかもしれない。

 ただ、雪乃だったものを見ていた。

 ずっと、見ていた。

 そして、

 涙が一粒零れた。

 山崎が来た。山崎は声をあげて泣いた。雪乃を見て、泣き叫んだ。

 現実は非情だなと思った。

 泣き続ける山崎の横にそっと近づき、背中をさすった。少しでも、彼女の心に安らぎを与えたかった。殺した張本人が、だけど。

 山崎に、僕は何も言えなかった。

 何か他の方法があったらって、もう何回思ったか分からない。後悔だけが残った。

「冬夜くん」

「ん...」

「ごめんね」

「...うん」

「帰ろっか」

「うん」

 僕たちは手を繋いで駅へ向かった。ただ、なんとなくそうしたかった。

 駅に人はいなかった。手をつないだまま、僕たちは待合室に入った。

 そしてそのまま現実に帰ることにした。僕たちの世界に。

「二千XX年十二月二十一日」

 視界が、真っ白になった。


 目を開けると真っ白な世界にいた。

 ただ白一色で他には何もない、そんな世界。果てがあるのか、立っているのか浮いているのかも分からなかった。

 となりで山崎が倒れていたので僕は彼女を揺すって起こした。

「起きろ、変なとこ来ちゃったっぽい」

「え...」

 そう言って目を覚ました山崎も周りを見渡して戸惑っていた。

「どこだろうな、ここ」

「わかんない」

 行く当ても意味もなく、とりあえず僕たちはまっすぐ歩いた。

「死後の世界的な感じなのかな」

「かもな」

 死ぬような心当たりはなかったけど、あんなに過去と今を行き来して過去を変えてたら神の怒りに触れて殺されたと言われても納得できる気がした。

「あ、ねえ、あれ。なんだろう」

「画面...?」

 少し先にモニターのようなものがポツンと浮いていた。電源ケーブルとかはなく、ただ液晶だけが浮いている。

 僕たちが近づいたと同時に、その液晶に文字が映し出された。

 ▼

 四月二十日

 今日は面白い人に出会った。名前は真嶋冬夜。裏口で一人寂しくパンを食べていた。最初の方はなんかきょどってたけど、少し話してみると本が好きで卑屈な人だった。

 真嶋くんは面白かった。エピソードがほぼ自虐で、本の趣味も悪い。でも、悪い人ではないと思う。


 誰かの日記、だろうか。僕について書かれている。

「これって...」

 山崎がそれを食い入るように見ていた。

 その日記のようなものは続いた。


 五月十三日

 真嶋くんが授業をサボってた。理由はだるかったから、らしい。

 単位大丈夫らしいけど、本当かな。

 珍しく本じゃなくて漫画を持ってきていた。

 読んでみると面白くてハマっちゃった。明日、全巻揃えに行こう。


「これ、雪乃ちゃんの日記だよ」

 そう言われて僕は思い出した。

 雪乃が毎日欠かさずつけていると言っていたあれだ。雪乃は、人生に意味なんてないから、何か文字に残して少なくとも何かをしていたって証を残してるって言っていた。

 それが無意味だと嗤いながら。


 六月五日

 今日はすごくいい日だった。すみれちゃんからお土産にもらったえびせんべいがすごくおいしかった。

 それもだけど一番は真嶋くんだった。

 真嶋くんも、私と同じだった。

 生きる事の無力感と喪失感に苛まれて吐きそうになりながら毎日生きている。死にたさと生きづらさを抱えて毎日矛盾した気持ちと葛藤している。

 話していて、本当に共感できた。

 彼となら、死ねるかもしれないと思った。


「なんだよ...これ」

 僕は絶句した。

 僕となら、死ねる?何言ってんだよ。僕に死なないでって言ってたじゃないか。

 その後、スイーツパラダイスの事や星を見に行ったことも書かれていた。

 雪乃は本当に毎日欠かさず日記を書いていたようだった。


 十二月二十一日


 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

 なんで生きているのかわからない。なんで息をしているのかわからない。どうして?満たされているのに空虚で死にたい気持ちが消えない。

 なんで。


 死ぬ前日の日記だった。酷く汚い字で書かれていた。

 僕はその死にたいって文字を何度も眺めた。

 僕のとは違う、恐怖や怯えから逃げたい心の叫びだと思った。

 でも、それすらも納得できないという彼女の矛盾が、とても辛いことのように感じた。

 どれ程の葛藤を抱えて生きていたのだろう。


 十二月二十二日


 もうおわり。ぜんぶ。

 さようなら。

 ごめんね


 死んだ日、雪乃の日記は全部の中で一番短かった。

 たったこれだけの文章にどれ程の苦痛と悲哀が込められているのだろうか。

 死にたさとそれを否定したい心がついに壊れてしまったんだと思う。そしてすべてに行きついた先が、死だった。それが感情や思考だったりから逃げられる唯一の手段だったから。

 彼女は死ぬことで自分の感情から逃げ出した。

 耐えれなくなって、抱えきれなくなったが故の結末だ。

 僕は、こうなってしまう彼女に何一つ気づいてあげられなかった。知ったようなふりをして彼女の事を何一つわかっていなかった。

 失ってから気づいた。

 どれ程自分を憎んだだろう。どれ程後悔しただろう。

 ああすればよかったなんて思うだけの毎日を過ごした。退屈で、虚無で、後悔ばかりの日々を過ごした。

 死にたくて、たまらなかった。

 それでも死ねなかったのは、僕は生きたかったからだと思う。

 僕は死にたさと生きたさを抱えていた。汚らしい現実からの逃避欲と、それでも懸命に生きる人生を美しいと思う気持ちの狭間で生きていた。

 僕は、きっとどちらも欲しかったのだろう。

 だから、雪乃の死への想いと山崎の生への想いどちらも僕は美しく感じたのだろう。

 僕は、ずっと二人に救われていた。

 生きる事と死ぬ事、どちらも肯定してくれているそんな二人がいることが堪らなく嬉しかった。

 急に液晶が消え、少し奥に人影が見えた。

 その姿は遠目でもわかるほど、忘れたことのない姿だった。

「雪乃」

「雪乃ちゃん」

 僕たちはその名前を呼び、近づく。

「ごめんね。二人とも。私、死んじゃった」

 雪乃は、笑っていた。

 この期に及んで死んだことを謝るのかよ、と思った。

「違うよ。悪いのは私たち。雪乃ちゃんの事、何もわかってあげられてなかった」

「ううん。二人は悪くないよ。いずれにしても、死んでたと思う」

「でも、私たちがもっと寄り添ってあげれば...」

「すみれちゃん。人はいつか死ぬんだよ。それが早いか遅いだけ。私はそれが早かっただけだよ」

 その通りだ。遅かれ早かれ人は死ぬ。死ぬ理由も死因も千差万別だ。そこをどうこう言うのは他人のエゴだ。生きるのは権利であって義務じゃない。

 だからって、死んでいい理由にはならない。

「なあ雪乃。僕は君に死んでほしくなかったよ」

 僕は想いを素直に打ち明けた。

「うん...それもわかってる」

「雪乃が死んでから毎日つまらなかった。何をしても雪乃がいないだけでワクワクしなくて、雪乃と喋っていないだけで毎日行き場のない死にたさが溢れかえって、雪乃が生きてないだけで、僕も生きている感じがしなかった」

 写真を撮って、送っていたのも僕は雪乃と何かをしているという勘違いをしたかったからだった。どういう文を送ろうか悩んでいる時だけ、雪乃がいるように錯覚できた。

「あの日雪乃が僕に死なないでって言ったとき、僕は分からなかったよ。全人類に死んでほしいと思ってそうなお前が、なんで僕にそう言ったのか分からなかった」

「そんなこともあったね」

 雪乃は懐かしそうな顔をした。その顔は優しくて、僕もその優しさを感じた。

「雪乃は僕に死ぬなって言ったんじゃなくて、僕が死のうとしてることを捨てないでくれって意味だったんだろ。生きたさも死にたさもどっちも大切な僕だから。僕たちは数少ないそのどちらも持っている人間だったから」

 死にたいなんて思って生きている人はそんなに多くないと思う。そんなこと考えず楽観的に生きている方が楽だし、実際そう生きるのが正しいと思う。

 じゃあ死にたいと思うのは間違いなのか?

 そんなことは無いはずだ。

 生きている以上死は切っても切れない。

 誰しもが直面する現実で避けて通れない。

 誰しもに平等に訪れる残酷な運命。

 でも、それは僕たちが生きていくうえでとても大きな意味を持っていると思う。

 どうせ死ぬならこうしておきたい。死ぬ前にああしたい。死とは物事の原動力になる。どうせ死ぬから、限りある人生を頑張って生きたくなるんだ。死ぬのなら、やりたいことを沢山やっておきたくなるんだ。

 死ぬから、生きたい。

 僕は、そう思ってる。

「冬夜くん」

 雪乃はこちらを見た。目には涙が浮かんでいる。

「私ね、冬夜くんが羨ましかった。死にたいくせに頑張って生きようとしている。その気持ちは誰よりも強くて、誰よりも綺麗。だから、そんな君の死ぬことの否定を止めたかった。死ぬことも悪いことじゃないんだよって。よかった。ちゃんと伝わってた」

「僕は、ずっと自分が分からなかった。死にたいのに生きている。でも雪乃と山崎に出会ってやっと分かったんだ。終わりある人生に無駄かもしれない希望をもって生きたいんだって。死ぬときには後悔が無いように死にたいって」

「雪乃ちゃんは、どうだったの」

「私はね、死ぬことで自分に意味を持たせたかった。死んだときに誰かが悲しんでくれれば、私は生きていたことに少し意味を持てた。最低だよね。私。二人が私が死んだことに苦しんで悲しんでいることに嬉しさを感じちゃうんだ。私は生きていて人の何かになれていたんだって。それを死ぬことでしか感じれなかった。死んだ人間に意味を持たせるのは生きている人にしかできない。だから、私は死んで貴方たちの「何か」になりたかった」

 雪乃は我慢していたであろう涙をこぼして話した。山崎は雪乃をそっと抱きしめた。僕はそれを見つめていた。

「ねえ、すみれちゃん。私、怖かった。ずっと何かになろうと必死で。私、ちゃんと何かになれたかな」

「大丈夫。雪乃ちゃんはずっと私たちの大切な人だよ」

「生きているときからそうだったよ。雪乃は僕たちにとってそれほど。失って狂ってしまうくらいに」

「そっか...私、ちゃんと愛されてたんだなあ」

 そうだよ。君はちゃんと愛されていた。白川雪乃は、僕たちにとってそれほど大事な人だったから。

「ねえ、雪乃ちゃん、まだやり直せるよ。一緒に行こう?」

「ごめんね。私はいけない。死んだ人は生き返れない」

「...」

「でも、もしかしたら」

 山崎は諦めたくないという声色で必死に訴えかけている。

「ごめんね。すみれちゃん」

「いやだ、いやだよ。私、雪乃ちゃんと生きたいよ」

 死んだ人間は生き返らない。それはごく自然の事だ。

 その摂理に反するのはタブーであり、倫理的にもアウトだ。現に、そのタブーを犯した僕たちは世界を歪めてしまった。どれ程望んでも、やってはいけないことがある。

「山崎、いこう」

「うぅ...」

「泣かないで、すみれちゃん。きっと、大丈夫」

 僕たちの真後ろにぽっかりと黒い穴が開いた。多分これに入ればこの世界から出られるんだろう。

 そうしたら、多分もう二度と過去には行けなくなって、雪乃に会えない。そんな気がした。

 これが、雪乃との最後なんだ。

「じゃあ、さよなら。雪乃」

 僕は淡々と別れの挨拶を済ませた。これでいい。たったこれだけで雪乃にはちゃんと伝わっているだろう。

「うん。冬夜くん。すみれちゃん。元気でね」

「雪乃ちゃん...私、ずっと忘れないから」

「私も、忘れないよ。すみれちゃんは、私の一番の友達」

「じゃあ、さよなら。雪乃ちゃん」

 そう言って山崎は黒い穴に入っていった。飲み込まれるように落ちていき、一瞬にして姿が見えなくなった。

 僕はその穴の淵に手をかけた。今度は僕の番だ。

「じゃあ、僕も行くよ」

「うん。じゃあね」

 そう別れを済ませて、僕は穴に足を入れかけた時だった。

「冬夜くん。星を見に行った日の時、私が最後に何を言ったか覚えてる?」

「将来何になりたいかって事?」

「そうそう」

「生憎だが覚えてないな」

 生きているときは寝ちゃってて覚えてないし、夢で見た時はちょうどそのシーンで目が覚めた。

「だろうね~すごい眠そうだったし」

「なんて言ったんだよ」

「それはね~」




「あなたの生きる理由になりたい。」




 人は一人では生きていけない。

 誰かから生まれ、誰かに育てられ、誰かに守られ、誰かに愛される。

 その誰かっていうのは色々あると思う。

 親、親戚、祖父母、孤児院、友達、恋人。

 完全な孤独っていうのは生きている以上あり得ない。

 僕には雪乃がいた。僕は雪乃に、愛されていた。

 駄目だ。決めていたのに、最後までこのままでいようと思ったのに、僕は耐えられなかった。今までの想いが全部溢れ出してくる。

「雪乃...僕は、僕は...君が死んで、ずっと辛かったよ。君がいなくなったってだけで僕はこんなにも駄目になってしまった。僕の世界は全部君を中心に回っていたんだ。死にたがるのも、学校サボるのも、なんか奢ったりするのも全部が楽しかった。君とだったから。それが全部いきなりすべてなくなってしまってどう生きたらいいか全くわからなかったよ。僕は、君に生きさせてもらっていた。君が僕を生かしてくれていたんだ。出会ってから、死ぬまでずっと。空っぽだった僕に、意味をくれた。

 雪乃の事を忘れた日なんて一日もなかった。毎日毎日後悔した。自分を責めた。どうして助けられなかったんだろうって。

 もう一度会いたいと思った。声が聞きたかった。

 それが叶って嬉しかったんだ。それが、僕の知っている雪乃じゃなくても」

 僕はめちゃくちゃ泣いた。男がみっともないくらいに大泣きしている。鼻水を啜って、目は真っ赤になって、大粒の涙が零れ落ち続けた。


「雪乃、僕はずっと、君が好きだったんだ」


 ずっと一緒に過ごして芽生えた友情や共通の感情はいつしか恋へと変わっていた。

 僕はそれを雪乃が生きているうちに気づくことが出来なかった。生きているうちに好きだと言って、恋人になりたかった。いろんなところにデートに行きたかった。もっといろんなことを喋りたかった。話題は何だっていい。ただ雪乃と会話できればなんでもよかった。

 もっと一緒に昼食を食べたかった。あのめちゃくちゃ不味い購買のパンを食わせて面白い反応を見たかった。

 もっと一緒にいたかった。ただそばにいてくれるだけでよかった。

 失ってからやっと気づいたこの感情が僕は大嫌いで大好きだった。

「うん。それも知ってる」

 雪乃は僕の手を自分の手と重ねた。

「ねえ、冬夜くん。私を好きになってくれて、ありがとう」

「これからも、ずっと好きだよ」

「私のそばにいてくれてありがとう」

「これからもずっとそばにいるよ」

「それは無理だよ。だって私死んでるもん」

「いいところで急に戻るなよ...」

 そう、からかわれた。でも、やっぱり僕は雪乃にこうやって振り回されるのが好きだ。

「ふふ、私たちこういうところでも変わらないね」

「少なくともお前がいる状態じゃどこでもからかい劇場だよ」

「漫才師にでもなろうかなあ」

「ソロ漫才で女はブレイク確定だな」

 ああ、この時間がずっと続けばいい。もうこのままこの世界に閉じこもって雪乃といたい。

 でも、そうしていられないこともわかっている。

 だから、僕は彼女の手を優しく剥がした。

「もう、行くんだね」

「うん」

「じゃあ、さよならだね」

「うん。さよなら」

 僕は再び穴に手をかけた。そこでまた雪乃が静止させてくる。

「最後にいいかな」

「何?」

 そう返した途端、雪乃が僕の両頬に手を添え、唇を重ねた。

 始めこそ驚いたものの、彼女の腰回りに腕を回し、強く抱きしめて再度唇を合わせた。

 そのキスは一瞬にも、永遠にも感じた。

 名残惜しさと甘酸っぱさを唇に残し、僕たちは向き合う。

 そして、お互いに満面の笑みで言い合った。

「私、白川雪乃は、真嶋冬夜を愛しています」

「僕も、白川雪乃を愛してる」


 そう言って僕は黒い穴へ体を落とした。落ちてるような、沈むような何とも言えない感覚で僕の体は宙を舞う。段々と過去に行く時と同様の意識の混濁が始まった。僕はそれに従い、目を閉じる。


 僕の意識と体は、黒い穴へ飲み込まれていった。



 最終章


 目を覚ますと相も変わらず山崎家のソファにいた。起きるたびここだし、もうワープポイントなのかもしれない。

 昼間に過去へ飛んだけど、もう時刻は二十三時四十分だった。

「おかえり、冬夜くん」

 山崎はコーヒーを淹れて持ってきた。なんともタイミングが良かったらしい。

「ああ、ただいま」

「なんかめっちゃ目元赤いけどどうしたの」

 そう言われて目元を少し触ってみると涙が滲んでいたのか、少し濡れていた。それを腕で拭った。

「なんでもないよ」

「そっか」

 そう言って山崎は僕の隣に座った。風呂に入っていたのか、フローラルな甘い香りがする。

「私たち、どうすればいいかな」

 そう呟いた山崎の目は諦めじゃなくて希望に満ちていた。

「分からないな」

「そうだね」

「分からないけど、どうにでもなれると思う」

「投げやりじゃん」

 そう言って山崎は笑った。

「ね、今日も泊まっていってよ」

「流石に二日連続は」

「お願い」

 山崎は僕の手の上に自分の手を置いた。

 今までの僕ならここで帰っていたと思う。人の気持ちに不用意に踏み込まず関わらないようにしていたから。

 でも僕はもっと、人に触れたい。

 人の心を知りたい。

 愚行かもしれないけど、彼女の気持ちにできる限り答えてあげたいと思う。

「分かったよ」

 そう言って僕は彼女の手を握った。

 こんな世界にもこうやって心の拠り所があると知ってしまうとそれの為に生きたいと思ってしまう。

 しょうもない人生だとずっと思っていたけど、今までの苦労はこの瞬間の為だったんだと変にこじつけるのも案外悪くない。というか大体の人がそうだろう。

 良いこともあれば悪いこともある。その良い悪いを決めるは自分で、偏りが出るのも仕方がない。僕はずっと悪いことしかないと思っていた。自分は不幸に偏った惨めな人生だと決めつけていた。

 それでも変わろうとして良いことに巡り合いに行きたいと思っている。ささやかでもいいから、幸せを望んで生きていたい。

 その道中で苦しいことや辛い事にも沢山ぶつかるだろう。それでもいい。

 僕にはその困難を一緒に乗り越えてくれる人がいる。山崎が、雪乃がいる。だから割とどうにかなる、とそれくらいの気持ちで行けたらきっと変われる。

 僕は一人じゃないから大丈夫だと、本当に思える。

「ねえ、冬夜くん」

「何?」

「ありがとう」

「こちらこそ」

 そう返した僕に、山崎は今までで一番の笑顔を見せた。

 この笑顔が愛おしくてたまらない。何度も救われ、何度も元気付けてくれた。

 ここ数日、山崎の存在が自分にとってどれほど大切かを自覚し始めた。

 彼女の願いに答えたくて、彼女の助けになりたい、と僕の行動原理になっている。初めはただ雪乃と重ねていただけだったけど、次第に山崎の魅力に僕はどんどん惹かれていた。

 想いを伝えたいけど、やっぱり怖い。仮にうまくいったとしても、自分の弱いところや情けないところを知られて幻滅されるんじゃないかと怯えている。

 それでも、僕は山崎が好きだ。雪乃と同じくらいに。

 あの時の様に、何もせず終わりたくなんかない。

 やらないで後から後悔は、もうしたくない。

「なあ、すみれ」

「あれ、何かな?名前で呼んじゃって」

 僕は山崎を見つめた。少し間をおいて、気持ちをはっきり伝える。

「僕は、君の事が好きだよ」

「...ふ~ん」

「人の気持ちを大事に出来る優しいところとか、誰かの為に何かをできる、そんな強い心が僕はすごく好きだよ」

 山崎がそっぽを向いて適当な相槌を打った。

 もしかして嫌だったかなとごめんと言って僕も天井をぼーっと見上げた。

「それ、本気で言ってる?」

 山崎は真剣な声色で言った。それに少し驚いて目線を戻すと、目が合った。

「冗談で言わないだろ、こんな事」

「まあ、そうだよね」

 初告白、早くも撃沈したと一人で落ち込んだ。

 しばらくの沈黙があり、気まずい雰囲気になってきてやっぱり帰ると言い出そうとした時に、山崎が口を開いた。

「ねえ、言葉ってさ、難しいよね」

「え?」

 急に哲学っぽい事を言い出した山崎に困惑したが、それでも彼女はお構いなしに続ける。

「言葉一つで人間は色々な解釈をして人それぞれ違う感じ方するの、ほんとに難しい。何が正解で間違いかなんて、さっぱり」

「うん、まあ」

「だからね、私は言葉で伝えるのが難しいから行動で伝えたいな」

 そう言って山崎は僕の背中に腕を回して抱き寄せた。

 それと同時に彼女の顔がすぐ近くに迫ってきた。

 至近距離で、見つめあう。やっぱり整った顔立ちをしていて、直視すると思わず目をそらしてしまいそうな可愛さだ。

「ね、私今凄くドキドキしてる」

「僕もだよ」

「私も、ちゃんと冬夜くんに伝えたい」

「うん」

 そう言って山崎は唇を近づけてきた。

「目閉じてよ」

 そう言われ僕は目を閉じる。

 数秒後、僕の唇に山崎の唇が重なった。



 冬が終わり、春のうららかな暖かさが草木を芽吹かせていた。

 辺りは桜が咲き乱れ、白とピンクで彩った木々が立ち並んでいる。

 その趣ある並木道を歩きながら僕は家へと帰っていた。ここまで言えばかなりいい雰囲気なのだが僕はスギ花粉症持ちなので正直テンションは最悪だった。

 マスクの下で鼻をすすりながらその並木道と空をスマートフォンのカメラに収めた。四月特有の明るさが感じられる風景が撮れた。それを確認してスマートフォンをポケットにしまう。

 僕は高校三年生になった。

 相も変わらずクラス替えは無いし、始業式と赴任式をただ退屈にすごした。ちなみに担任はあのテンプレセリフを言っていた教師のままだった。

 佐山たちは元に戻っていた。というか元の世界に戻ってきたのだからいるのは当たり前だけど、すごく安堵した。

 別に何か変化があったわけもなく、僕たちは普段と変わらない関係を保ち続けていた。

「な、冬夜。お前最近山崎すみれと仲いいんだって?西高の女子紹介してくれよ」

 佐山はいつもと変わらない明るいテンションで僕の肩に腕を回してきた。

「すみれ以外西高の奴知らない。お前の友達に聞けよ」

 腕を振りほどきながら僕は先を歩く。

「え、すみれ?お前まさか...」

「なんだよ、悪いかよ」

「冬夜が、彼女...」

 佐山はそう言ってわが子の成長に涙する母親のような素振りをしだした。

「ウッザ」

「お母さんねえ、嬉しいよ。ウチの子がこんなに立派になって」

「お前の子とか死んでも御免だ」

 何の変哲もないいつものやりとりをしながら僕たちは帰路を歩く。

 僕が僕でいられるのは今のところ数少ない人間に対してだけだ。佐山は僕という人間を知って尚僕と変わらず接してくれている。すごく貴重な存在だと思う。

 佐山も、僕の中では大切な存在だ。いろんなものを失っていろんなことを知った僕だから、それが分かる。

「冬夜、冬休み明けた頃から少し変わったよな」

「そう?」

「なんか、前向きになったって言うか悩みが晴れた感じしてる。お前一年位ずっと死んだ目してたし」

「まあ、人って変わるもんだろ」

「今にも死にそうな感じだったからなあ。地味に心配だった」

 ちゃんと僕の事を気にかけてくれていたという事実が少し嬉しくなった。

「なあ、佐山、僕たちって親友だよな」

「え、急に何言ってんの何年前からの話だよそれ」

「はは、だよな」

 僕たちは、親友だ。一番の友達だと、思っている。ウザいし、面倒くさい事ばっかだけどそれでも人としての佐山の素晴らしいところは数えきれないくらいある。そういうところに知らないうちに何度も救われていたと思う。

 いじめられていた時も、クラスで割と居心地悪く過ごしていた数か月前も、ずっとどこかで助けてくれていた。

 少しでも、恩返しがしたい。そうしたら友達だから当たり前だろって佐山は言うだろうけど、それでも僕はちゃんと感謝している。

 当たり前ということが、一番気づけない大切なことなんだって、僕は知っている。

「僕、佐山みたいになりたいよ」

 そんな当たり前をしてあげられる佐山にも、僕は憧れている。

「まあ俺みたいにイケメンになりたいよな」

「死ね」

 やっぱりダルいので佐山を置いて先に帰った。


 今日はやることがあった。

 電車で最寄りから八駅先の墓地がある地域へと向かった。

 雪乃の、墓参りに来ていた。

 今日が特段関連のある日じゃないけど、進級もしたし雪乃に話したいことが色々あったから丁度いい時期だった。

 雪乃が好きだったスイーツと花束を持って、墓地へと向かう。山の近くにあるから、少し長い階段を上ることになってちょっときつかった。

 そうして階段を登り切って雪乃の両親から教えてもらったブロックへ行った。

 墓に行く前に手桶に水を汲んでいたら、山崎がちょうど到着した。

「あ、冬夜くん」

「いいタイミング。今から行くところだった」

「花とお供え物、持つよ」

「ありがとう」

 花と供え物を山崎に渡し、少し多めに水を汲んだ手桶を持って雪乃の墓へと向かった。

 雪乃の墓の花立には花が既に刺さっていた。まだ新しく美しいところを見るに、どうやら近頃誰かが来ていたらしい。

 僕は持ってきた花束から一つ、花を選んで花立に添えた。

 添えたのは赤色のゼラニウム。周年咲く花で、小さくも存在感の強い花らしい。

 墓を水で洗い、僕たちは手を合わせた。目を閉じながら色々なことを思い出す。今まではずっと縛られていたこの記憶は、今では僕の生きていく希望になっていた。

 僕は合掌を終え、墓に向かって話しかけだした。

「雪乃、初めて君の墓に来たよ。ずっと来るのが怖かった。ここに来たら僕はもう君を追いかけるしかできなかったと思う。死に急ぐことに囚われてきっと大切なことに気づけないまま終わっていったと思う。でも、もう僕は大丈夫だよって君に見せたくて来たんだ」

「私は度々行けって言ってたんだけどね」

 山崎も同じように話しかけた。

 周りから見たらおかしい奴に見えるだろうけど、今は周りに誰もいないし、いたとしても関係ない。雪乃と話すこの時間を大切にしたい。

「なあ、僕すみれと付き合ってるんだよ。意外だろ。かれこれ三か月くらい続いてるけど最近横暴がエスカレートしててさ、どうにかならないかな」

「冬夜くん私と付き合ってるのに雪乃ちゃんも好きって言うんだよ?結構最低だよね」

「ちゃんと別の好きだから...」

「私とは遊びだったって言うの!?」

「ほら、こういうところ」

 死んだ人間は生き返らないし、見えないだけで雪乃の幽霊が目の前にいるなんてことは無い。ただ墓石に話しかけてるだけのこの行為も、傍から見たら異常だろう。

 でも、僕はこの行動にもちゃんと意味があると思っている。

 死者を弔って、明るく楽しい話題を出して、届かないけど伝わるかもしれない思いを伝える。それが無意味だとしても自分がそうしたことに意味を見出せばいい。

 だから僕は、雪乃の前で楽しくあの頃と変わらない雰囲気で話す。そうすることが、僕にとっても雪乃にとっても幸せな答えだと、僕は思う。

「最近、色んな人に変わったって言われるんだ。明るくなったとか元気になったとか。僕は自分が変わったとは思ってないんだ。ただ自分に正直に生きてるだけなんだ。今まで通り死にたくなったりもしてるよ。僕が変わったところで世界は変わってくれやしないしな。でも僕はそうなっても色んな人が助けてくれるから、そうなっても大丈夫だと思ってるよ。今は、馬鹿みたいに生きていろんなことをしていたいんだ。すみれもそうだし、雪乃の願っていた愛も知りたいし、生きた証も感じてみたい。案外悪くない人生だったって思える最期を迎えるために後悔をなるべく減らしたいんだ。ずっと消えない後悔もあるけど、それを背負って生きるのも人生ってものらしいし。まあ要は僕は今まで通りで少し楽しく生きてるよってことを言いたかった」

 生きる意味って、無いと思う。

 生まれて、息をして、心臓が動いているから人間は生きているだけだ。意味は与えられたり、自分で探すからこそ生まれるものだと僕は気づいた。

「だから、僕は大丈夫だよ」

「私も、きっと大丈夫。雪乃ちゃんもどこかで見守ってるからわかってるだろうけどね」

 森の木々で隠れていた太陽が顔を出し、墓地を照らした。

 ちょうど日差しが雪乃の墓に差し込み、まるで雪乃が返事をしてくれたような気分になった。

 ここで僕はさっき供えたゼラニウムの花言葉を思い出した。

 ゼラニウムの花言葉は真の友情、信頼、尊敬。

 その中でも赤色の物は、

 ”君ありて幸福”

 僕がこの花にしたのはこれが理由だった。

「じゃあ、また来るよ」

「またね、雪乃ちゃん」

 そう言って僕たちは墓地を後にした。

 絶対空耳だろうけど、バイバイって声が聞こえた気がした。

「で、用事も終わったし遊びに行く?」

「行く!」

「今日は思いっきり体動かしたい気分だな」

「室内スポーツある所にしよっか」

「バスケしよう。ワンオンワン」

「私中学バスケ部の友達多かったよ」

「勝てる理由じゃないだろそれ」

 そう笑いながら僕たちは駅へと向かった。この瞬間も、きっと僕の人生の意味の一つなんだろう。毎日の何気ないひと時に、こういうものが溢れている。

 ただなんとなく生きているだけじゃ意味なんてない。だから、色々な事をして、色々なことを知って、色々なことを感じて、自分の人生の意味を作りたいんだ。

 みっともなく無様にでも、必死に生きて意味をものにしてやる。

 簡単に譲ったりなんかしてやらない。

 これは僕だけの、僕が紡ぐ物語だ。その主役は僕で、他の奴なんかじゃない。

 やりたいようにやって、自分の望むものになってやる。

 でも、そう上手く事は運ばないことも分かっている。

 きっと否定され、虐げられ、理不尽を押し付けられる。時間も有限だ。

 なら、一分一秒も無駄になんてできない。毎日を丁寧に。

 そうやって失敗と成功を繰り返して生きていきたい。

「ねえ、冬夜くん。今日も楽しくなりそうだね」

 すみれが振り返って言う。

「今日も、明日もきっと楽しいさ」

 僕は彼女の手を握って、駅へと向かった。

ずっと苦しかった。

この物語は僕がこうであったらという理想を描いたストーリーだ。

勿論過去になんていけないし、可愛い女子が僕に寄り添ってくれるわけでもない。

どこかで妥協して諦めながら生きていた。

そんな時、ネットである小説家を見つけた。なんとなく気になって名前と作品を調べたら僕の心を奪う程の作品を書いている方だった。

すぐさま本屋へ行ってその人の作品を全部買った。

一日で全部読んだ。翌日、一作ずつ丁寧に読み返した。細かく読んで人物の心情、作者のメッセージを自分なりに解釈して共感したり感動したりした。

僕はその人のインスピレーションを受けている。同じジャンルが好きなら分かる方もいるかもしれない。

次第に読んでいくうち、僕はふと思った。

僕も書きたい、と。

でも小説なんて書いたことなかったし、書いたとしても見せるのはなんか恥ずかしかった。

気持ち悪くてエゴにまみれた汚い作品ができると思ったからだ。だから僕はひとまず携帯のメモ帳に小説を書いた。

書くのが、難しかった。言葉選びやセリフの長さなど、気にすることが多い事や後から見返してうんざりする内容ばっか書いていた。何気なく読んでいる小説は、こんな苦労を何重何百倍もしてできているんだと思った。小説家の人たちを尊敬した。

そこから好きな小説家の方の小説を読んでは書きたいという気持ちが強くなる一方、僕はこんなすごい作品は書けないからと小説を書くのをやめた。書いたことすらない奴がすごいのを書きたいだなんておこがましいと思う。

それでも、書きたい気持ちは消えなかった。一人だけでもいいから、自分が書いた小説を読んで、何かを感じてほしい。

自分の人生なんてどうせ下らないものだし、ならそのくだらない人生に何かできることがあるなら、それは形に残して少しでも意味を持たせることだった。それが、小説という形だった。

何回も何回も書き直してこの作品が出来ました。初めて書いたものだし、文が拙く、誤字脱字も多くて酷い内容だと思う。

でも、僕の生きてきた人生で思った事と、同じ境遇の人に少しでも届いたらと思ってこの作品を書けて良かったと思います。

誰か一人でもこれを読んで何かを思ってもらえたら、嬉しいです。

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