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利正公記  作者: のてっ
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第二話ー伏光寺の惨禍(壱)

 伯久山(はくきゅうざん)伏光寺(ふっこうじ)。王朝領有数の古刹であり、その権威は今なお衰えない。否、それどころか要害堅固なその地形、筋骨隆々たる僧兵の数々、それらが単に伏光寺を一個の寺以上の権威権力にしていた。

 今、その寺を訪れる者が一人。

 名を白峰嗣憲(しらみねつぐのり)。先帝の血を継ぐ若宮であり、容姿端麗にして才知にあふれたその様相を早くより高く評された。一時は後継に推す声もあったが、庶流の出であったことから広く宮臣の支持を得ることができず、現皇帝の即位後まもなく出奔した。

 その後は反王朝の気風が根ざす王朝領南西部に拠って豪族をまとめて反王朝勢力「破靖軍」を作り上げその首魁となっていた。

「これはこれは殿下。よくぞいらっしゃいました。」

 山門での出迎えに対し嗣憲は「おぉ」と軽く手を挙げて答え、

「座主はいずこにおわす?」

「座主はすでに本堂で待ち申しております。」

 なるほど、と小さく頷き騎馬の歩みを進めようとしたとき嗣憲の耳に甲高い気勢が聞こえてきた。

 ……ん?あぁ、僧兵の訓練か。

「すまんが座主をしばし待たせておいてくれ。少しあれを覗いてから向かう。」

「はっ。……はっ?いや、しかし……なにか特にお目にかけるようなものはございませぬが……」

「よいよい。単なる好奇心よ。」

 そう言い捨てて一人悠然と嗣憲は道場へと向かっていった。



 なるほど。これがかの精強無比な伏光寺の僧兵の訓練か。実に激しい乱取り、実に激しいぶつかりあい。死者すら厭わぬほどの鍛錬、入り口で稽古を見る私に気づかぬほどの気迫、実に見事。

 ほれぼれする思いで稽古を見届けていた嗣憲だったが、ふと一人の若者に目が行った。

 その者は激しき乱取りにおいて一人悠然と立ち合っていた。木刀も薙刀も、人数すらも相手ではない。時に木刀で正面から迎え撃ち、時に躱しつつ蹴りを放ち、時に防ぎつつ拳打で応じ、時に組み打ち投げ飛ばす。

 実に見事。これほどの乱取りでなお体が崩れない。打っても突いても薙いでも投げても蹴っても殴っても防いでも躱しても跳んでもなお体が流れない。すさまじきかな。

 木刀は真剣ではない、が、それでも急所を当たらば確実にその命を持っていく。それほどの武器である。が、にも関わらず、まったく木刀に怖じない。怖じないからこそ堂々と迎え撃てるし、体が流れ崩れることもない。言葉にすれば簡単。されど実行に移すは難しい。

「きぇぇぇぇぃっ!」

 気炎を吐きながら若武者に襲い掛かったのは狛方主水(こまがたもんど)

 主水か。この寺でも随一の剣腕と名高い寺侍。抗争とならばいの一番を駆け、かつては麓の村落に出た(ググマ)を斃したことすらあるという。

 が、その主水をしてもなお分が悪い。唐竹、首突き、右薙ぎと激しい木刀の連撃をことごとく若武者は捌いてのける。それどころか右手一つで握った木刀で打ちを稼ぐ有様。実力のほどは明白。

 ……ちょっと、いたずらしてみるか。

 嗣憲は低く長く息を吐きながら、体に溜まった武気と殺気をわずかに漏れ出させる。ほんの僅か、水面がかすかに揺れ、舞い散る木の葉がかすかに弾ける。たったその程度。無論、その程度、道場の中何人(なんぴと)も反応することはない。

 だが、一人、その若武者はそれに反応した。

 すぅっと入り口の嗣憲に向けて木刀を(こら)し、まっすぐに見据える。

「どこ見てやがるっ!舐めるなぁっ!」

 躍りかかる主水を裏拳一つで地に沈め、しかもその間構えが乱れない。何時(なんどき)もこちらもまっすぐに見据え続けていた。

 いい目だ。いい気迫だ。一手、応じてやりたいほどだ。

 だが、立場上、そして後の用事のことも考えると応じてやることはできん。

 嗣憲はふっと笑って武気を静めると、若武者もまたふっと笑みで応じて構えを解き、間もなく乱取りのなかに姿を消した。

 面白なやつを見た。

 満足そうに一つ頷き、嗣憲もまた踵を返し本堂へと向かった。






「いつもすまんな和尚。世話になる。」

「いえいえ。しかし殿下も奇特な方ですなぁ。初陣の折ただひたすらに念ずる武者などは多いと聞きますが、幾度の戦を経てもなお敵を斬る度にこうして詣でなさる方は聞いたことがございません。」

「『殺める』ということは重くあるべきだ。そう私は考える。」

 涼やかに嗣憲が語ると座主は深々と礼をした後、恐る恐るといった体で口を開いた。

「それでですね、殿下……そのいただきましたものの中に一つなんだかわからぬ小箱がございまして……」

 ほう?

「歴代座主のなかでも屈指の才覚を以て鳴る和尚をしてわからぬか。」

「いえ……この小箱の横についたゼンマイを巻けば音が鳴ることまでは試してみました故わかるのですが、何故に曲を奏でるか、それがどうにも……。」

 座主の当惑する顔など見たことがなかった。それが見れるのであらば、エンゲリス四国連合より大枚はたいて買った意味もあるというものよ。

「和尚をしてわからぬものもあるか。いいものを見せてもらった。」

 いたずらっぽくにやりと嗣憲が笑うと座主は一瞬むぅとした顔をし、

「誰ぞ、トシを呼んで参れ!」

 む?トシ?伏光寺の高僧名僧ならば大概記憶しているが、思い当たる節がない。

 嗣憲の当惑に答えるかのように座主が言葉を続ける。

「トシとは決して博覧智才の輩ではないのですが、時に思いがけぬことを知っていたり考えたりする奇才の者でございます。」

 ほう、そんな者がおるのか。

「お、来た様でございます。入れ!」

 ずずっと木戸が開き、一人の男が平伏した。

「お初にお目にかかります。織田利正と申し、ま…す……」

 ほう?

 嗣憲の目がいよいよ大きくなった。

 男の、若者の顔には見覚えがあった。先に道場で一人武を奮っていた、あの若武者だ。

「トシ、これをどう見る。」

 そうした二人の微妙な空気に気づかぬ座主が若武者、いや、利正に小箱を渡した。

 利正はしばらく手元で小箱を弄び、ゼンマイを巻いて音を奏でてみたり、小箱をあちこちからのぞき込んでいたが、ふと一言漏らした。

「……これって…オル……」

 む?

 だがぎょろりと目を向けると利正はあわてて口をつぐんだ。

 今こいつ……この自鳴琴を現地名で呼んだか?

「遠慮はいらん。思ったこと存分に申せ。」

 しばらく逡巡していたが、意を決したように「では。」とつぶやき、

「恐らく中には……小さな琴が仕込まれているのでしょう。それを、叩いているのかと。」

「……具体的には?」

「例えば……ゼンマイを巻けば、回るように円筒を仕込み、その円筒に、出っ張りをつけておけば……このような仕掛けは作ることができるかと。」

「…よくできた。まずまず正解だ。」

 おぉ、と気を良くした座主があれやこれやと言い立てるのを、しかし嗣憲の耳には届いていなかった。

 ……こいつ、取り繕ってはいるが、この自鳴琴をすでに知っていた?外から木箱の中を考えて言った物言いじゃない。まるで、そう、まるで霧靄の先の影を見定めんとするがごとく、記憶の奥底に眠るものを必死に探っているかのような、そんな物言いだった。

 ………。

 ……。

 …。

 いや、まさかな。

「では、殿下。失礼いたします。」

 思索にふける嗣憲をよそに、利正はゆっくりと一つ平伏し、退出していった。











 ……うそ、だろ。

 なんだあれ⁈……怖えよ⁈

 道場の外で何やら圧を放ってる時対峙してて小刻みに震えが止まらんかった。圧が消えた瞬間思わず知らず他の僧兵の影に隠れるように逃げてしまっていた。

 いなくなってくれて、あぁやれやれと思ってやっと震えが止まったと思ったら呼び出されて、行ってみればまたなぜかさっきの奴がいて⁈一瞬息と心の臓が止まるかと思ったぞ。

 そしてなんかいきなりオルゴール渡されて⁈これの仕組みを聞かれて⁈

 ホント……思い出すの大変だったんだぞ………。


 あ、申し遅れました。オレ、いや私の名は織田利正。二度目の人生を送る者です。

 いや、といっても別によく覚えているわけではないんですがね。そりゃ今世すでに15,6年になる。前世も前世の知識もほとんど白靄に包まれてるようなもんで思い出すこともあんまりないし、そもそも思い出すこと自体難しい。必死に必死に思い出そうとしてもちっとも思い出せないなんてこともざらだ。そもそも最初はあまりに非現実的な記憶すぎて夢幻の類と思っていたからな……自分の前世であることに気づくことすら時間がかかったよ、まったく。

 だから今日思い出せたのなんか本当に奇跡だ。だというのに……あの殿下、絶対何かいぶかしんでやがった。こっちが必死に頭捻って何とか霧靄の彼方からオルゴールの知識を思いだしたと言うに、疑われて……ほんと生きた心地がせんかった……。

 まぁいい。もう済んだことだ。切り替えよう。

 まだギリギリ鍛錬やってるだろうから、何人かぶっ飛ばして気を晴らそう。

 やや不穏なことを考えながら利正が道場の木戸に手をかけたとき、むっとする臭いが鼻を突いた。

 この臭い。道場で幾たびも嗅いだ臭い。だが、鉄の臭いなんて生易しい臭いじゃない。もっとずっと生々しい、もっとずっと……酷く不快な臭い。

 何だ?一体何が起こっている?

 木戸に背をつけ、右拳をしっかと握る。息をわずかに吐く。

 一、二、三っ!

 がらりっ、と勢いよく開け放つ。

 むせかえる程の血肉の臭い。異様なまでの熱気。

 原因は見るまでもない。そこら中に若僧が、稚児が転がっている。ある者は首を打たれ、ある者は胴を二つに割られ、ある者は全身穴だらけに刺され、生きている者がいないことだけは確かだった。

 そしてその骸の山の中で数人の男が立っていた。

 全身を赤い布で覆ったその異様な装束故によくわからない。が、こいつらが、この惨状を成した。それは明らかだった。

「お、ついてない奴が一人。ここに帰ってこなかったら死なずに済んだのに。」

「貴ぃ様ぁらぁっ!」

 道場を震わせるほどの怒号一声。利正は足元の木刀を拾い上げるや、赤覆面に飛びかかった。

 虚を突かれたのか、利正の一薙ぎを防ぎきれずに赤覆面の一人が吹き飛ばされそのまま道場の壁に叩きつけられる。だが、それには目もくれず、利正は赤覆面を一人、二人と打ち据える。

 前後に挟まれようと一人の攻撃を防ぎ躱しながらもう一方を打ち殴り、返す刀で突き倒す。囲まれようと跳び打ち下ろして破りのける。

「ほぅ、見事。我らが『赤闇』を相手にこの無双ぶり。まるで二、三十年武に注いだかのような闘いぶり。だが……」

 利正が一人を蹴り飛ばした瞬間、ざぱりと背中を真一文字に裂かれた。

「実戦経験に乏しい。そら、隙だらげぼぉぁっ!」

「だからどうしたぁっ!」

 追撃せんと突きかかる赤覆面の顎を利正は下から殴り砕く。

「舐めんじゃねぇっ!」






 時に打ち、時に防ぎ、時に殴り、時に躱し、時に蹴り、時に跳び、時に突く。

 利正は明らかに圧倒していた。だが、それでも押されているのは利正であった。

 木刀と真剣という得物の差故か。一対多数の戦闘故か。徐々に増える手傷故か。実戦経験の不足故か。

 あるいは。あるいは敵の頭数が減らない故か。

 決して威力が小さいわけではない。いや、むしろ威力だけならば優に殺しうるほどの技であっただろう。だが、殺した経験がない利正は、無意識のうちにどこかで技を抑制してしまう。結果、ずっと押されていた。

「へやぁぁぁっ!」

 一人を蹴り倒した利正の背中に、また一人の赤闇が躍りかかる。反応こそわずかにまにあったものの安易な受けになってしまう。捧げ持つような木刀に真剣の一撃が重く入り、そのまま砕かれ右肩を深々と斬り抉られる。

「っくぁぁっ!」

 手練れの赤闇がこの機を逃すはずがない。上、右、左、三方から襲い掛かり一気に手負いの猛者を倒さんとする。

「死ねぃ!」

 くそっ。くそっ!動け、オレの体っ!

「ぅぉぉぉぁああああっ!」

 全身の傷口から血が噴き出すのも構わず、利正は跳んだ。

 まずは一人。右からくる奴の顔面に膝蹴りを叩き込み迎撃する。背が無防備になり、そこを上から突かれるが、それこそが狙い。安易に上から刺し殺しに来るバカに対し、向き直る体の回転の勢いを加えて裏拳を入れる。

 二人を片付ければまだ…まだ……うぐっ!

 傷から噴き出す血がわずかに迎え撃つのを遅らせた。だが、その一瞬が敵に間合いに飛び込ませた。

 くそっ。死ぬっ!

 ………。

 ……。

 …。

 ……………えっ?

 眼前を赤い渋きが舞い散る。ムッとするほどの据えた臭いが鼻を突く。醜い断末魔が耳を貫く。肉と骨を裂く感覚が手を走る。

 な、なにを……何を、した?

 どぽり、と赤く濁った液が垂れ、利正の足に届く。ジワリ、と衣に染み走り体を、そして思考を冷やしていく。

 あ、あぁ。

 あぁ。

 あぁ。あぁ。あぁっ!

 オレが握っているものは、さっきまで足元に転がっていた、あの刀だ。オレはとっさに、とっさにあれを掴んで、つかんで、ツカンデ……

「っやろぅ!」

 もう赤闇の怒号も耳には届かない。荒れ狂い振り下ろされる白刃も目には入らない。

 届く前に、入る前に、膾にされた。

 襲い掛かる者を斬り伏せ、構えて守らんとする者を斬り散らし、逃げんとする者を斬り刻む。

「バ……化け、もの……」

「いや、違うな。ありゃあ、異能に呑まれたんだ。」

 背中に浴びせられる声に振り返らんとした赤闇は、だがそのまま首が刎ねとんだ。

「おいおい……あちこち敵だらけ。せめてこいつだけは使えるかと思って探し来てみたが、まさかこんなことになってるとはね。……異能に呑まれた奴を正気に戻すのは大変なんだが、味方がいないこの状態じゃ、やるしかない、か。」

 一人嘆息し、道場でなお赤闇を狩り続ける利正に向け、男はすっと剣を凝した。

 名を白峰嗣憲。この惨禍を招いてしまった原因にして、今や寺内唯一の利正の味方であった。

「さ、行きますか。」


<用語解説>

(ググマ)………狒狒科のケダモノ。森林や竹林に多く住む、全長4メルター程の肉食獣である。日中は洞穴にて寝て過ごし、あるいは高台などの開けた地にて休息をとっている。夜になると活動を開始し、羚馬や獺鼠を、鋭い爪を携えた手で握り捕まえて食らう。稀に縄張り争いに負けた個体や大きくなりすぎて森林内での狩りに不都合が生じたものが平野に降り、その一部は人間の村落に至る。人の味を知ると村に居ついて村民を全滅させるため、そのような場合速やかに排除される。

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