第一話ー創造主の鉄槌
天上は、怒っていた。
地上の傲慢に、怒っていた。
人は、傲慢すぎる。
世界の理を解き明かした。
与えられた理を、ただ受け入れればよいのだ。
土地を拓き、あるいは埋めた。
世界に手を加えるなど許されない。
思索の内に、紙の上に、電脳の中に、万処に仮想の世界を創り上げた。
新しい世界を作り上げるのは、唯一天上にのみ許されているというのに。
人の、国の、建物の、生き物の、万の歴史を綴った。
綴ってよいのは、ただ天上の歴史のみであるというのに。
音曲を吟じ、吹き、弾き、奏で、掻き鳴らした。
天上の調べこそ至高のものである。
その他、その罪は数えきれない。
もはや、許すまじ。
天上は、その鉄槌を下された。
穴が開いた。
針で刺したように小さく一つ、ポカリと穴が開いた。
その深淵は、濁り、底知れぬ闇を湛えていた。
叡智の学者を集めてなお、その正体は杳として知れなかった。
そして、その穴は徐々に大きくなった。
微かに、僅かに、だが明らか確実に、大きくなり。
ついに、天を覆った。
そして、惨禍が降り下りた。
織田利正。
玉星高校2年の、どこにでもいるありふれた高校生である。
利正は天を仰ぎ、白い息を吐いた。
まったく……なんて天気だよ。
いや、正確には天気というのも違うか。陽はとうの昔に穴の向こうの闇に隠され、もう昼か夜かもわからない。爺ちゃんや婆ちゃんは祟りだと言っていたが、あながち間違いではないかもな。物識りや天才の友達も、TVの中の学者たちをしても、見当もついてない。
「なぁ、トシ?最近いよいよ、きな臭くねぇ?」
「あぁ、天気も社会もな。うちはおやじもおかんもまだクビ切られてないが、将来まではわかんないもん。そういう平野んとこは、どうだっけ?」
返事がない。代わりに鼻を突くほどの腐臭と、一拍置いて、闇を破る叫声が背中に届く。
「どうした」
と振り返れば、そこに平野はいなかった。
いや、正しくはいた。が、よく知る「同級生」平野はいなかった。
頭はすでに無く、代わりに黒く濁った液溜まりが首の上にあった。黒液はそのまま垂れ、平野の腕を、胸を、腹を、脚を、瞬く間に溶かし、数瞬後にはもうそこに平野はいなかった。
「なに、が……⁈」
答えはすぐに分かった。
ポトリ、と目の前の草垣に黒液が垂れた。草垣はどろりと溶け、むかむかするほどの臭いを立てながら崩れ落ちた。
「…ぁっ………」
思わず天を仰ぎ見る。
無数の雫が、黒く濁った雨垂れが、穴の底と同じ色をした露が、落ちてきた。
くそっ。
どうなってやがる⁈
世界が飲み込まれている。
人も、車も、ビルも、道も、あらゆるものが黒液に溶かされ呑まれ、黒溜の一部になっていきやがる。あるものは天より零れる滴に打たれ穿たれ溶け黒溜と化した。あるものは地に広がる黒液溜に触れ、その一点からみるみる全てが溶け崩れ、触れた黒液の一部となった。
天からの滴に打たれてもダメ。地を広がる黒液に触れてもダメ。
ならばもはややるべきは一つしかない。
走って、跳んで、よじ登って、ひたすらに駆けた。地を広がる黒液を踏まないように駆け、そしてその速さと運とで、天の雫をよけるしかない。そうして利正はかろうじて生き延びた。が、もう行き場はない。今飛び乗った自販機が黒液に沈めばそれで終い。辺り一面黒溜り。藁一本浮かんじゃいない。
もう、終わりだ。オレも、世界も。
[ウん、オわリだネ。]
その声は聞き惚れるほどに麗しく、そして全身の毛が怖気立つほどに歪んでいた。同時に芳しくも意識を刈り取りかねないほどの臭気が辺りに漂う。
響き渡るその声の、広がり漂うその腐臭の、その主がまずいことを脳が、心が、全身の細胞一片に至るまでが伝えてくる。その主が今、自分の背にいることを。
怖い。
こわい。
コワイ。
だが、それでも振り返らざるを得なかった。振り返らずば、その先に待つは絶対なる死のみ。それがわかっているから、それを本能的に察知しているから、振り返るよりほかにない。
いた。
引き込まれるほどに美しく、同時に正気すべてを奪うほどにおぞましい外見をして、それはいた。表面は流動し、ごぽごぽと人間の苦悶の表情のようなものを浮かべては消えていた。天の空と同じ、降ってきた雫と同じ、どこまでも深い闇の色をしていた。
体が震える。足が竦み毛が逆立つ。目は眩み汗がにじみ歯が鳴る。息が詰まり思考が掻き消え気が潰れ肌が締まる。本能的に拳を握らねば、その体は堕ちていただろう。だが、同時にわかってもいた。たかだか十年余りの武道が及ぶ存在ではない、と。いや、人類が、すべての存在が過去現在未来すべて結集し力を集めたとしても及ぶ存在ではない、と。
[やァ。]
とても言葉が出そうにない。だが相手は構わぬらしい。
[ぼクはきミらのいウとこロの神なンだけどォ。]
神。そうだろう。神でもなきゃこんな惨状、生み出せるもんか。
だが、その鳴り響く言い様に、利正は微かに違和感を感じる。だが、その違和感の正体はおろか、その存在すら利正は自覚せず、また眼前のソレも利正の微かな態度の変化を気にも留めず言の葉を続ける。
[デね、こウしたセかゐをぼクはいくツもいクツもカんリしていルんだけどォ。きミらがアンまり神ノおシヱにそムくからァ。神トしテみスゴせナヰカらネェ、ほロぼすコトにシたんだァ。]
なんだろう。僅かな違和感が、僅かな感情の乱れが、恐怖に埋め尽くされた思考のうちを、心のうちを走る。
[ネぇ。]
ずいとソレが近づいてくる。ひっ。利正の喉が小さく泣く。
[ネェ、なンで?]
何が、とその言葉はほとんど喉の内で潰れながら、利正はかろうじて聞き返した。
[なンで、セかイのこトわりをりカゐしヨうトすルの?なんデカっテにせカいをつくりかヱルノ?ナんでせかイをかっテにつくリだしテルの?なんデカッてにれきシをツヅるの?ナンでかってニおんきョくをかなデるの?なンでカってたしャをころシつくシたりまがヰもノヲつくリアゲたりすルの?なんでジぶンのてあシじゃなくてドーぐをツカうの?ねェ、なんデ……]
「知る……か………」
[ゑ?]
よほど思わぬ言葉だったのだろう。固まるソレを前に、利正は必死に言葉を続けた。
「知る、か、よ……そん、なこと。」
[なニそのたゐド?神ニむかッテふソんがすギるゾ!]
震える声で、しかし確たる声で、利正は続ける。もはや体の震えも恐怖の念も止まっていた。
「……ふざけるな。」
もはや心に恐怖は巣食っていない。思考を占めるのはただ、憤怒のみ。
「ふざけるな。何が神だっ!笑わせるなっ!」
[な、ナにヲ……]
「うるせぇんだよっ!貴様の言うことは人間の業かもしれねぇよ。だがっ!だからと言ってっ!貴様に、それを裁かれてたまるかぁっ!世界を滅ぼす貴様が、貴様ごときがぁっ!断じてっ!神であるはずがねぇっ!」
空気を震わせるほどに利正は吼えた。拳をぎりりと握りしめ、背筋をピンと反らし、目はまっすぐにソレを見据え、脚をばしゃりと一歩踏み出し踏みしめ、表情どこまでも険しく、利正は吼えた。
[キ、きザまぁッ!]
もはや、怖くない。体の毛一本ですら、怖気立つことはない。
[き、ギざまァっ!]
怒号とともに触手が一本、利正の腹を貫く。
「がはっ!」
[ワかっタよ。なラキさマのソのたゐド、かゑさセルまデ!きサマハこれカらぁッ!ボくがカンりスるセかイで!ナんドでもなンどでモ!いッシょウヲおくッテもラうぅ!ぼクを神トミトめヒレふスそノときまデ!オマえニはアンそクなネむりハなヰ!せヰぜゐくカいでノゆうキゅウのせイとソのウまレかワりにぜツぼぉすルがゐい!]
「……そうかい。だからどうした。」
[なニ?]
「その程度の苦しみでオレを屈させるなんて無理だ。その程度もわからねぇのかよ、お前。つくづくか・み・さ・まじゃないなぁ!」
[きザまァぁッ!]
業声一つ闇を割き、そして世界は再び闇に包まれた。
一筋の光すらもない、虚無の闇へと姿を変えた。
世界滅ぼす際の描写が一部グロかったことと「神様」のセリフが読みにくかったこと、本当にごめんなさい。「ソレ」は当分出てこないのでご容赦を。
主人公は第一話ではあんまり無双させられなかった(転生前ですし、相手も相手ですし)んですが、転生後は無双させていこうかな、と考えてます。