NHKマイルカップ「ロミオとジュリエット!?」(3)
2010年5月9日、第十五回NHKマイルカップだ。
スタート横一線、五頭が先頭を伺うが、エーシンダックマンが押して先頭。
コスモセンサー、サンライズプリンスが手を動かしながら2、3番手を追走。
ダイワバーバリアンは中段の内、その少し後にリルダヴァル、後方から3番手がダノンシャンティ。
速いペースで、もう3コーナーを迎える。
1000m56.3秒!
4コーナーから直線入口までエーシンダックマン先頭、コスモセンサー、サンライズプリンスの隊列が頑張る。
今度はサンライズプリンス先頭にダイワバーバリアンが襲いかかる。
リルダヴァルは外、ダノンシャンティは大外を押し上げる。
内を選択したサンライズプリンスが抜け、ダイワバーバリアンが追う。
そして、ダイワバーバリアンが先頭かという瞬間。
さらに外からダノンシャンティがサンライズプリンス、ダイワバーバリアンを纏めて切り捨てる。
ダノンシャンティがダイワバーバリアンを抜いて先頭フィニッシュだ。
リルダヴァルが3着になり、先行のサンライズプリンスは4着が精一杯だった。
先行馬は総崩れとなった。
差して、追って抜き、纏めて切り捨てる。
差し馬の入れ替わりの演舞による直線の主人公が変化した。
長い府中の直線の醍醐味の一つで、他の競馬場の直線では見られない興奮だ。
当時、1:31:4は日本レコードの決着でもあった。
「因みにこのレースのラップは12.1-10.4-10.9-11.4-11.5-11.5-11.6-12.0 の今でもレースレコードです」
「なるほど、前半は阪神ジュベナイル以上の流れか」
「今回のイメージは今、観て頂いたダノンシャンティの時です」
ラップを語る優が冴と一緒に『なるほど』と首を縦に振る。
ハイペースの差し馬台頭、二人のレース展開イメージだ。
『そうじゃないだろう』と言いたげな果凛は『ふん』と鼻息を吹くと、乱暴にクリームパスタを頬張り、無理矢理に赤ワインで胃の腑へ流し込む。
「良馬場府中でのハイペースなら、差し馬台頭でいいんですか?」
競馬初心者の惠がカップに口付けして、上目遣いで優に問う。
優がいいんじゃないかと目配せすると、惠が馬名を挙げ始める。
「タイセイビジョン、府中のレコードホルダーです。前走も内に切れ込んだ時の差し脚は鋭かったですよね」
「ルフトシュトロームはどうよ。マイル三戦三勝でタイムの詰め方が1:37:3→1:34:8→1:33:0だよ! ニュージーランドトロフィーを勝ってのレーン、怖いわね」
スティルトンを刺したフォーク片手に冴がお気に入りのダミアンを推す。
「怖いと言えば、ウイングレイテストじゃないですか。前走の中山はルフトシュトローム3着でしたが大外からの差しは見所ありです。広くて直線の長い東京コースなら末脚爆発期待じゃないですか」
優が鼻息を荒くして力説する。
「どうかな? 開幕三週目の府中じゃあ。まだ、前が止まんないじゃないの?」
黙してた果凛が怒りを爆発させるように自慢のツインテールを振り揺らす。
そして、ティーカップを片手の惠に騙されちゃダメだからと耳元で囁く。
「レシステンシアへ鈴付けにいく馬がいると思う?」
ピザを頬張る優の顔をフォークの先を向け指す。
「前が止まらないなら、レシステンシアの番手かその直後で競馬したいに決まってんじゃん」
グラスに口を付ける冴の顔にもフォークの先で指さす。
冴は微動だにせず、銀色の食器の先、果凛を見詰める。
「果凛はさぁ、あれだけ先行馬が揃っているのにハイペースにならないと?」
自分だってあれだけ先行馬の名前を挙げたよねと冴が腕組みして斜めの目線を投げる。
「冴姉ぇ、レシステンシアはG1馬。『テレビ馬』じゃないよ。能力のある逃げ馬に玉砕覚悟でハナを叩く馬がいるのかってコト」
何が何でも先頭というタイプでもないよ、とも加える。
果凛は両腕を腰に当て胸を突き出すと、冴が奥歯に力を込めて歯軋りだ。
珍しく姉妹の間に流れる無言。
「レシステンシア自身がハイペースを刻むんじゃないですかね。十年前のレースのように」
モンドールを皿に乗せる優が過去の映像から語る。
「エーシンダックマン?だったけ。G1馬じゃないだろ。レシステンシアとは違うじゃん」
果凛は十年前の映像が参考にならないと、優に向けた人差し指を『否定』の意味で左右に動かし、睨む。
「第一さ、レシステンシアの騎手が自滅の競馬をするのかよ…」
「…肉を切らせて骨を断つ、ある程度のペースアップは考えているかも知れないけど」
果凛が冴と目線を交わし続ける。
いつもは笑声で満たされる予想会のリビング。
今日は午後の京都新聞杯といい、今のNHKマイルカップといい、感情を前に押した予想が続く。
言い争う姉妹対決に加わる優も緊張の面持ちで対峙する。
本当は誰もが和やかになる切っ掛けを模索するがごとく、口を噤む。
「鞍さん、あの三人、大丈夫ですか?」
惠が怖がるように鞍さんの腕に抱きつく。
鞍さんはうーんと唸りながら何か考えているようだ。
「サトノインプレッサはどうかな」
満面の笑みで馬名を披歴する。
鞍さんから諭されたとばかりに冴と果凛が目線を逸らし合う。
優はほっとしながら、いいじゃないですかと同意する。
「サトノインプレッサは毎日杯から武豊騎手よね」と鞍さん。
「人気ですけど、三戦三勝ですしね」
惠も戦績から合意する。
「結果を出しているのは道悪での競馬だよね。良馬場のスピード勝負になった時にどうか、と思うけど」
果凛が右手の手のひらを上下に煽り、今回大丈夫なのかと杞憂する。
「父ディープインパクトに母サプレザなら杞憂に終わるんじゃないですか」
優が目を細めて果凛を諭そうとする。
サプレザといえば、2009年から2011年までマイルチャンピオンシップに参戦して、3着、4着、3着と善戦していて、日本の馬場が合わないことはないでしょうと補足する。
「『インプレッサ』といえば車の名前。「サトノ+車名」馬のGI制覇はどうかな」
赤ワインを味わう鞍さんが宝塚記念を勝ったサトノクラウンがいるのよねぇと惠に説明する。
その方向の予想で来たかという感じで、住民たちは仕方がないなという笑みを浮かべる。
「後ね、プリンスリターンもどうかなって」
プリンスリターンを応援したいという。
「朝日フューチュリティ5着、シンザン記念2着、アーリントンカップ3着ですね」
勝ちきれないまでも善戦は続けていると優が補足し、続ける。
「父ストロングリターンは、安田記念の勝ち馬ですね。府中のマイルは待ちに待った舞台かもしれませんね」
そうでしょと鞍さんが目元を下げると優は何だか褒められた気がして、恥ずかしくなる。
冴と果凛が顔を見合わせると、仲の良い姉妹の雰囲気が戻る。
鞍さんが騎手を語る時は、ご贔屓のジョッキーに固執し意見を聞きづらくなるのを冴と果凛が懸念していた。
「それで鞍さん、どうするんですか?」
結論は分かっているような冴が肩肘の力を抜いて聞く。
「サトノインプレッサとプリンスリターン」
差し馬と先行馬、これならみんなケンカしないでしょ、という。
「それと、レシステンシアは仕方ないかな」
レシステンシアからサトノインプレッサとプリンスリターンの馬連が各4千円。
サトノインプレッサとプリンスリターンの馬連が2千円の合計1万円だ。
「鞍さんらしいですねぇ」
惠が感を述べ抱きつく。
「鞍さん、ラインベックとラウダシオンは?」
『ラインベックは前走の皐月賞を除けば先行して堅実だし、ラウダシオンは良馬場で巻き返し期待』だと薦める果凛も鞍さんの腕に抱きつく。
鞍さんは『悩むけど』と言って、『明日考える』と続けた。
多分、予想大会の場の雰囲気を考えるので精一杯なのだろう。
「皆さん、仲良く、しましょうね」
鞍さんは女神のような優しさをリビング一杯に振りまいた。
5月10日の日曜の午後、住民たちはリビングのソファーにいつもの通り集合していた。
まあ、雰囲気は普段通りで、競馬観戦や予想大会で後が引かないのがこのメンバーのいいところだ。
今日の遅めの昼食は鞍さんお手製のパンだった。
バターロール、フランスパン、クロワッサン、シンプルな故に味わい深い。
ホテルベーカリーに負けないレベルと住民たちは楽しんでいた。
その住民たちが腹ごしらえが終わるその頃、果凛が思い付きを口にする。
「よし、新潟千直でも観るか」
冴の右隣に座るピンクTシャツの果凛が白ショートパンツから覗かせる膝を叩いて、隣の惠に同意した。
新潟出身の惠は『千直は馬が外枠に集まって迫力ありますよ』と、七分袖の白いワンピースの裾を揺らして名物レースを力説する。
新潟競馬場の日本で唯一の1000m直線コースだ。
それならば、話が早いのが住民たちで、一斉に出馬表をチェックする。
新潟競馬第10レース、4歳以上2勝クラスの邁進特別だ。
『じゃあ、外枠からチェックですね』とエプロン姿の鞍さんが予想を促す。
新潟千直は馬場の良い外ラチに添うと真っ直ぐに走り易い、外枠有利からの言動だ。
「大外のファストアズエバー、近走は厳しいですが千直は勝っていますし、去年のこのレースは0.6秒差でした」と濃い花柄グレー、Vネックのワンピースで長い黒髪を梳く冴が口を切る。
「千直の実績なら6枠2頭、ホウオウスクラムが1着とリンシャンカイホウが2着3回です」とジャージ姿の優。
まずは、外枠の千直実績の馬をピックアップする。
コース適性があるかは千直の場合、重要なファクターだ。
「実績から言えば、4枠のボーンスキルフルでしょう、2勝クラスは6回走って掲示板5回です。後は千直がどうかだけ」と惠。
『後はどうですか?』と鞍さんに『内枠からピックするのはつらいよ』と果凛の嘆きで住民たちは大笑いだ。
それでも気を取り直して馬名を挙げる。
「騎手が『千直職人』の5枠フジマサアクトレスか千直を逃げ勝ちしたことがあるアルミューテンから、最内枠だけど』と果凛。
新潟の直線1000mコースが得意な『千直職人』をピックするのは分かる、だが。
住民たちから不利な最内枠の馬を選ぶと『おお』と歓声が揚がる。
『鞍さん、どうする?』と冴が結論を求めると鞍さんは『難しいわね、だけど…』
「大外のファストアズエバーからいきます。ホウオウスクラム、フジマサアクトレス、アルミューテンへ馬連、各3,000円の合計9,000円」
「リンシャンカイホウとボーンスキルフルは?」
優が悩ましげな表情へ問う。
『買ってもいいけど…』と鞍さんは言いつつも『リンシャンカイホウは千直未勝利なのに1番人気なのと、ボーンスキルフルは初めての千直で馬体重が464kgの26kg増が気にかかる』とのことだ。
「まあ、レースを楽しみましょ」
ネット投票を終えた鞍さんが予想の悩みから逃れるように笑みを浮かべていた。
スタートは全馬が五分、横一線だ。
ファストアズエバーが前に出ようとするところをボーンスキルフルが外へ切り込んで来る。
ところが最内のアルミューテンが速い、先頭で外枠を確保する。
「よっしやー、アルミューテン、行ったれーっ!」
果凛が拳を突き上げて応援する。
2番手はボーンスキルフル、3番手はファンタジステラ、4番手の外がファストアズエバー、ホウオウスクラムは後方。
大外は馬群の団子状態で、400の標識を通過。
アルミューテンが粘るもボーンスキルフルとファンタジステラが追いまくる。
今度はボーンスキルフルが先頭、ファンタジステラが食い下がる、アルミューテンはバテて後方へ、ホウオウスクラムが内を選択して追ってくる。
アルミューテンを応援した果凛の無念そうに天井を向く。
外から差を詰めるのはファストアズエバーだが、ボーンスキルフルが押し切ってゴールインだ。
ファストアズエバーが2着、ファンタジステラ3着、4着はホウオウスクラムだ。
確かに外枠に馬が集まる新潟千直はスタンドから観たら迫力満点なのだろう、これもいつから競馬場で観戦できるか、だが。
「最後に切ったボーンスキルフルが1着かよ」
そう言う優が肩を落とすと、冴も下を向き、鞍さんも口惜しそうに首を傾げていた。
「ボーンスキルフルはデビューが460kgですね。450kgで勝ったこともありますし、今日の馬体重26kg増の464kgは馬体が戻ったのかもしれませんね」
惠がボーンスキルフルの競争成績を見ながら、語る。
『惠ちゃん、そういうのはレース前に言ってくださいよぉ』と鞍さんは惠を胸の中に抱いて揺らした。
鞍さんの胸に抱かれた惠が顔を赤らめると、住民たちから笑いが漏れた。
この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。




