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究極の2択です




香ばしい匂いが漂う。


くんかくんかと鼻が匂いを嗅ぎわける。


俺は犬かとツッコミを入れて、はははと意味もなく己を窘める。随分と懐かしい匂いだと思った。


『はやく食べなさい。遅刻してもしらないわよ』とこれまた懐かしい声が聞こえる。


きっと母の声だ。


言われ慣れた言葉の筈なのに、涙が滲み出てしまいそうになるのはどうしてなんだろう。


たいして美味しくも不味くもないいつもの味噌汁の匂いだと思ったら、急になにかがこみ上げてきて。



─────そこで、目が覚めた。







嫌な夢を見たものだ。


記憶喪失になって森の中を彷徨い。 崖から落ちたと思ったら山の樹海で、その上まさか盛大な土砂崩れに巻き込まれるなんて。誰だ!幸運だとか言ったやつ。


──兎にも角にも、体中が泥だらけだった。


顔は辛うじて免れたものの、頬には細かな砂が張り付いてるし。 泥で固まった毛先がツンと尖ってて頭にハリネズミ乗っけってます。みたいな状態になってるし。

最早衣服の体裁さえ成していない布切れが、辛うじて腰まわりを隠しているものの。


…… ねぇ、これって変質者ですよね?

職質されてしまっても文句は言えない状態なのでは?


うん、夢だ。夢かな。夢だろう。夢でしかない。

───寧ろ夢であってくれ。


そう願うも、おかしいかな、身体がそこらじゅう痛い。


このまま瞼を開かずもう一度眠れば、今度は素敵な夢が見られるだろうか。


こう考えている時点で既に俺は目覚めていると言っても過言ではないのだけれど、現実逃避と思しきほんの少しの抵抗というか、不幸ばかりに巻き込まれたこの現状に対してほんの少し反抗的な態度を取ってみたくなったのだ。


決して睡魔に負けた訳ではない。


しかしながら、なんとも懐かくも香ばしい匂いは漂ってこない。残念ながら母らしき人物は台所に立っていないし、そもそもそんな場所すらここにはない。


朝トイッタラ味噌汁ノ匂イト包丁ノ音ガ定番ダトイウノニ。


グググググウウウゥウウ────。


どうやら俺のお腹は、夢の中の匂いだけで飯テロに負けたらしい。実際にはご飯の匂いなんて嗅いでないのになんと現金な身体なんだ。他人に聞かれたら羞恥ものの盛大な音を響かせたせいで、余計に腹が減ってくる。

心なしか朝日が眩しくて目に染みるなぁ……決して泣いている訳ではないけれども。



「───ソモソモココハドコナノデショウ?」



なんというデジャブ。

あれ。冒頭でこんな件しませんでしたか?たぶんきっと読者も呆れていることでしょう。

今回はありがたい事に森の湿気た土と枯葉の絨毯ではなく、生暖かいぬめっとした泥に身体が包まれているけれど。夜の軋むような寒さがなくなった代わりに、腹が軋むような音を立てている。主に空腹で。


───でもやっぱりここに見覚えがない。

因みに過去の記憶は全くもって思い出せない。



「記憶がないんだから、見覚えなんてある訳ないですよね──」



あはははは。思わず乾いた笑いが漏れる。

ついでにお腹がグゥと鳴る。


……………シリアスな雰囲気が飛んでった。


あぁそうか、俺てきっと主人公の隣とかによくいるギャグ要員的なポジションなんだなぁー。あははっ。



「…………なんだこれ、辛れぇ……。」



思わず涙が込み上げて、咄嗟に両手で顔を覆った。

なんなの、これ、なんなの!?と思う度に『グゥウウウっ──』と、お腹の音が盛大に響き渡る。


この辛さは誰にも解るまい。

…… グゥゥ(そうだね(仮))。

オイ、返事をすな腹の音。たいして働かない俺の脳も勝手に副音声付けなくていいから!


我に返ってみると、土砂と一緒に流れた大岩小岩が山積みにされて壁みたいになっている光景を目の前にして、盛大に泣き崩れて腹の音を響かせる変質者が一名。


笑えばよいのか、泣けばよいのか。


ステータスとかあればきっと『混乱』というデバフが付いているに違いない。俺の感情が右往左往の迷子状態だ。

いや今、俺、実際に記憶を無くして迷子である訳なんだけども。



「そもそも唯でさえ見覚えのない場所で迷子だったのに、土砂崩れに巻き込まれてもう目の前が崖になってて訳わかんない状況になってんのに見覚えがあるもクソもあるかっ!?」



見てみろ俺の惨状を。

腰まで浸かっている泥に埋もれて俺の足は「泥パックで艶が出ますのよ、おほほ」とか言っているセレブがSNSでエステの泥パック写真を上げてるような状態だし。

生まれつき褐色の肌でしたがなにか?と言わんばかりに泥に染まってるじゃないか。ふざけんな。

そもそも俺は温泉に溺れて現代のお風呂へとワープして湯船から空桶被って登場してくるようなテルマエ的なおじいさんでは決してない。


……アレ?ソモソモ何言ッテンノ俺。


虚しくなったお陰で頭が冷えた。

どうやらやはり俺にはシリアスな雰囲気など一ミリも似合わないのかもしれない。


取り敢えず冷静になった頭で考える。状況整理は大切だ。


俺、相変わらず記憶喪失中。

土砂崩れに巻き込まれるものの怪我は無し。幸運だ。

───否、幸運な人間は記憶喪失で森の中を布一枚でうろちょろは、しない。

不幸中の幸いぐらいに留めておこう。


現在の装備は最早ズタズタに破れて衣類の原型を保てていない布、らしきもの一枚。これは男の子の大切なものを守っておく為に腰に巻きつける。

あっても決して防御力が上がる訳では断じてないけれども、あるとないとでは絶対にあった方が良い品物には違いない。 辺りに人っ子ひとりいないとしても、俺はまだ人としての矜持は保っていたい。辛うじてであろうとも。


さて。あらためて周りを観察してみる。


そもそも俺は街の明かりらしきものを追いかけて土砂崩れに巻き込まれた。


──つまり必然的に。どの辺りまでか解らないものの下層までは降りて来られたのではなかろうか?


夜ではないので昨晩見た仄かな灯りは見えないものの、適当に歩けば森から出られるかもしれない。

ここは食べ物になりそうなものを探しつつ、森の出口を探すのが妥当だろう。

川が見つかれば水の確保も出来るだろうし、川を辿れば人が住む場所までたどり着けるかもしれない。

にわか知識であるけども山で遭難したら川を探せと聞いたコトがあるような。


優先順位は、食べ物、川、森の出口!これでいこう。








─────────と、思った時もありました。


違うんだよ。違ったんだよ。

食べ物?川?森の出口?そんなんより重要なのがあったじゃないか。ついさっき大事なところの布の必要性について述べたけれども。


想定が甘かった。

山を舐めに舐めてました。ごめんなさい。


川を探して約15歩ぐらいでちょっとおかしいなぁーとは思っていたんだ。嘘じゃない。

だけどさ、九死に一生を無傷で得たという奇跡体験という人生そうあるかないかの貴重な体験イベントをクリアしたのだから、もう怖いものなんてないさ俺無双キラーンで頭パーンになっていたというか。


まぁぶっちゃけ?土砂崩れの中もれなく砂で生き埋めになるイベントより怖いものなんてないじゃん、みたいな。

実際に砂に鼻と口を塞がれて俺、気を失った訳だし?

それに比べりゃ平気平気ー。


…………………と、余裕ぶっこいていた、つい先程の俺の頭をグーでパーンしてやりたい。


お陰で俺の足の裏は切り傷だらけだ。


しかも切り傷の裂け目に細かな砂利や削げ落ちた枯れ枝のささくれが何度も入り込んで、地味に痛い。

もういっそのこと人としての矜持を2つに破いて、少しでも足の裏の矜持を守りたい誘惑に駆られる。

「どうせ人なんていないのだからいいじゃないか」という悪魔の声と「もし運良く誰かと出会したとしても全裸では流石に怪し過ぎて誰も助けてはくれないだろう」と真っ当な事実を告げる内なる声とがせめぎ合っている。


アレを覆うか足を覆うかの二択で人生を悩ませるな・ん・て。いやん。素敵で貴重な体験イベントだわ!

………一体、誰得イベントかっ。需要あんのかコラ。

俺はちっとも得してないが!?

そもそもとして記憶喪失ネタの異世界モノの小説があったとして、主人公が初っ端から下ネタで頭を悩ますような記述があったら、俺はそこでページを閉じている。南無三!



「靴が欲しいっ……!」



割と切実だ。もう歩きたくない。裸足ツラい。


ゆっくりと山坂道を下るだけなのに、自分の体重が太ももとふくらはぎに負担をかけるわ、足の衝撃を逃せないから地面にひっつくように踏んばらねばならず。

筋肉痛にも似た痛みが、歩く度に逐一身体中を駆け巡る。

すると柔らかい土のせいで俺の足が地面に沈み込み、周りの木屑が俺を嘲笑うかの如く足を滑らそうとしてくる訳で。

土砂崩れに巻き込まて泥パック塗れだった俺の足は、接着剤よろしくその辺の枯草やら木の皮やら泥土なんかと仲良し小よし。常にいちゃつくカップルかって言わんばかりにひっついて、全く持って羨ましくないけしからん。

俺が下半身のどこを一番大事にすべきかという命題に取り組んでいる時に、おまえは何といちゃついている。

そんなもん装備したところで守備力なんかあがらねぇんだよ!だだ下がりだわバーカバーカ!


………と取り乱したい心境である。


草で靴とか作れないのかな?

せめて足の裏を巻けるぐらい大きくて丈夫な葉とかないものか。そう思っても乾燥でぱりはりと崩れ落ちる脆い落ち葉ばっかりで、青々しくてみずみずしい健康的な立派な葉っぱはこれっぽっちも見当たらないんだよなぁ。




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