第6話 逃げた魔王
「勇者?」
「そう。悪を滅ぼすことを目的とした、言ってしまえば究極の偽善者よね」
「ミレイユとサラは……その勇者に殺されかけたってことだよね」
「ええ。正確には、勇者とその仲間たちだけどね。それで、あたしの所有している魔力を全部使って転移陣を開いたの。普段は何かに備えて全魔力を使うなんてことはしたことがなかったんだけど、そんなこと言ってる場合じゃなかったから」
「で、転移先が偶然この町だったんだね」
「あの時はびっくりしたわ。普段はちょっと遠くへ移動するくらいにしか使ってなかったもん。……まぁ、その後もいろいろ大変だったけど」
ミレイユの隣でサラも首を大きく縦に振っている。
「(まぁ、年齢的には女子高生の二人がこんなマンションに住んでるんだもんなぁ)」
そりゃ色々大変だったに違いない。というか、
「そういえば、この部屋って……」
「ああ。買ったわよ。あたしが」
「買った!?」
都心の、しかも駅まで十分ほどのタワーマンションの一室だ。何千万……いや、下手したら億だろうか。最上階だし。
「っていうか、ここに上がってくるまでに気づかなかったの?」
「へ? 何に?」
「……はぁ。家庭教師があんたでいいのか、心配になってきたわ」
何故か頭を抱えるミレイユに代わり、苦笑を浮かべたサラが言葉を続けた。
「奏真さん。ここに来るまでに他の住人の方と出くわしましたか?」
「んー。そう言えば会ってないな」
ゴールデンウィークだし、家族連れは出かけてるんじゃないかな。
「このマンションの入り口は覚えてますか?」
「あぁ、それはもちろん! あんな扉初めて見たよ!」
床に沈んでいくとは、なかなかに斬新なアイデアだった。それとも、僕が知らないだけで東京では案外ふつうのことだったりするんだろうか。
「ふふん。あれはあたしの希望よ!」
「ミレイユが!?」
「だって、普通のガラスのドアくらいなら不審者に破られちゃうじゃない! 勇者たちなら軽く蹴とばして入ってくるわ」
「勇者って意外とアグレッシブなんだね……」
ゲームやアニメに出てくる勇者とは大違い──でもないな。あいつ等も平気で人の家に上がり込んで机とかゴミ箱とかクローゼットの中とか漁り出すし。
って、そんなことより。
「なんでミレイユの希望がマンションに反映されてるの!? 君たちが買ったのって、この部屋だけだよね!?」
「ふふ、奏真さん。もう一度、この建物の名前を思い出してみて下さい」
「え、マンションの名前は確か──」
メゾン・ド・ディアベル。メゾンはフランス語で家。そしてディアベルは──悪魔、魔王。
「って、まさか!?」
「そうよ! このマンションは地下2階からこの階に至るまで全部あたしのものよ!」
えっへん、と胸を反らすミレイユ。隣でサラが「さすがですお嬢様!」と小さく拍手をしているが、僕の頭の中はそれどころじゃない。
「(えーっと、一部屋五千万って考えて、各階に平均したら七、八部屋あるんだから全部で……)」
うん。深く考えるのは止めておこう。
「どう? すごいでしょ?」
「いや、すごいんだけど……まずなんでそんなお金を持ってるのかってのと、なんで部屋だけじゃなくてマンション丸々買ったのかなって。使ってるのってこの部屋だけだよね?」
素朴な疑問を口にすると、最初の疑問に答えたのはサラだった。
「こちらに来た時にお嬢様が付けていらした宝石類を質屋に持ってったところ、ある程度のまとまったお金が出来ましたので……」
「ので?」
「ちょっと資金運用で投資してみましたっ!」
「…………」
ス、スマホも知らない女の子が「ちょっと資産運用」って……。そう言えば二人の戸籍とかってどうなってんだろ。怖いから聞かないけど。
「で、お金には困ってなかったからマンションごと買ったってこと? 使わないのに?」
「それは……」
チラッとサラがミレイユの方に視線を送る。目を向けられたミレイユは「うぅ」となぜか一瞬たじろいだ後、
「い、いいでしょ! 向こうであたしたちは城に住んでたのよ!? このくらい普通よ! むしろ小さいくらいだわ! 文句ある!?」
と逆ギレしてきた。なんで!?
「(奏真さん)」
いつの間にか俺の隣に移動していたサラが、コソコソっと耳打ちしてくる。
「(どうしたの?)」
「(お嬢様って、その、性格が少しお強めと言いますか、その……)」
「(うん。キツいよね。ある意味"お嬢様"らしいんだけど)」
サラは従者という立場から遠慮したようだから、代わりに僕が言う。ミレイユは見た目だけなら神々しいほどの美少女なのに、勿体ない……
なんてことを考えていたら目の前から射殺すような視線が飛んできた。怖い。
「それでですね、その、学校でもあまり交友関係が上手く行っていないようで……」
「ああ、なるほど……」
容易に想像できる。しかも、JK必須アイテムであるスマホを持っていないミレイユのことだ。ハブる対象としてこれ以上に恰好の的もないだろう。
「それで、お友達を作ろうとした結果がこのマンションなの?」
「はい。サラが『寝食を共にするようになればきっと仲も深まるはずです!』と言ったばかりに、即日でこちらのマンションを買い取って……翌日、『明日から貴女達もあたしの家で暮らしなさい!』とクラスメイト全員の前で……」
「Oh……」
タダでさえよく思われていなかったミレイユは、その後クラスで腫物を触るような扱いをされているらしい。
通っているのがそこそこ有名な進学校の女子校だからか、暴力や直接的な嫌がらせといった「いじめ」には発展していないらしいが、会話らしい会話はゼロ。質問しても「ごめん、忙しいから」「先生に聞いてみたら?」と返されるばかりだそうだ。
「(お、重い……ただの家庭教師にはヘヴィー過ぎるよこの話題……)」
自身も絶賛大学でぼっちを極めている自分からしたら、どうも他人事とは思えない。でも、クラスという集団が比較的希薄で学年の人数も多い大学よりも、一年間半日を共に過ごす高校のクラスで浮くのは精神的なダメージが違う。
ただ、出会ってわずか数時間で、しかもこれから家庭教師を務める先の女の子の重い身の上話を聞かされて、ただの家庭教師である僕はもうキャパオーバーですよ、完全に。
「……っ」
ミレイユはジーっとこちらを見てる。話の内容は聞こえていなかったはずだけど、何を話していたかの検討はつくのだろう。自分の痴態を知られて恥ずかしいのか、頬は赤くなり、気のせいか目元が潤んでる。
「えーっと、ミレイユ。君はさ」
「……何よ! 仕方ないじゃない! 今まで城の外にほとんど出たことなかったから、同世代の女子とどう関わればいいかなんて分かんないのよ……!」
「違う違う! そうじゃなくて!」
「じゃあ何よ!」
「ミレイユは、その……今、何をしたいの?」
「……」
ミレイユの顔に「?」マークが浮かぶ。言葉が足りなかったようだ。
「その。ミレイユは、帰りたいの? もと居た世界に」
「……」
そう聞くと、ミレイユは黙った。数巡の後、彼女の口から出てきたのはこんな言葉だった。
「分かんない」
「いや、分からないって」
「だって! そりゃ向こうの世界で十年以上生きてきたのよ!? 帰れるなら帰りたいわよ! お城で、シェフが作った料理を食べたり、ママとお裁縫をしたり、パパに政治のことを教えてもらったりしたい! でも!」
そこで初めて、僕は自分がどれほど無神経なことを聞いたのかに気づいた。
「もう…………誰もいないのよ。あっちの世界に、あたしの大切な人は、誰も……」
ミレイユの目に湛えられた雫が一筋、二筋と零れ落ちる。しゃくりあげるのを懸命に堪えようとする彼女に、僕はかけるべき言葉を持たなかった。同じ気持ちなのだろう。サラも目を伏せてその場から動かない。
数分後。自力で落ち着いたミレイユは、恥ずかしそうにそっぽを向きながらこう言った。
「……悪かったわね、取り乱して」
「いや……こっちこそ」
ゴメン、と続けようとして口ごもる。何に、僕は何に謝ればいいんだろう。無神経な発言にか、泣かせてしまったことにか。
言葉が続かずあたふたする僕を見ると、ミレイユはようやく口元に笑顔を浮かべた。
「で? 奏真先生はあたしに何を教えてくれるわけ? とてもじゃないけど女子同士の仲を取り持つなんて繊細な行動はできなさそうよね、あなた」
「うん、それは無理だね。絶対。だからとりあえず──」
僕は自分のポケットから“それ”を取り出して二人に見せた。自分ができる最初の仕事をするために。
「スマホを買いに行こっか?」
スマホで無双する話ではありません。が、考えれば現代ってスマホがないとそれなんてマゾゲー?の世界ですよね。辛い。