第5話 お湯
「…………」
場を満たす沈黙。ミレイユを名乗った少女は「ふふん、怖気づいたのかしら?」と言わんばかりの勝ち誇った笑みを僕に向けている。でも、自分の正体が魔王だなんて告白をされてもどう反応したら良いか分からないし、僕の反応が微妙なものになるのもやむなしじゃないだろうか。
「(やっぱり、ちょっと頭がアレな娘なのかなぁ……。そういえば、今年高校に入学したばかりの僕の妹も、占いやタロットカードにハマっていた時期があったっけ)」
今ごろ元気にしているかなぁと遠い目になった僕を見て、ミレイユはジト目になる。
「……全く信じてないわね。サラ、あれ持ってきて」
「か、かしこまりました」
命じられた途端に跳ねるようにどこかへ駆け出して行ったサラさんは、一分もしない内に戻ってきた。──身の丈はありそうなほどの大きな漆黒の鎌を持って。
「え!? ちょ、ちょっとサラさん!? それ絶対ヤバいやつだよね!? 草とかじゃなくて、もっと別の何かを刈る用の──」
「奏真さん、気を付けてくださいね。特に刃の部分が当たるとケガでは済まないので」
「いやいやいやいやいや! ケガじゃすまないってどういうことサラさん!? っていうかミレイユちゃん笑顔で受け取ってないで早くそれ元の場所に戻してきて!」
「む。なんであたしがミレイユ“ちゃん”で、サラはサラ“さん”なのよ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょぉぉぉぉ」
小柄なミレイユちゃ……さんが自分の身長より遥かに大きな鎌を持っている様子は、異常という他なかった。僕は変な汗をかきながら気になっていたことを質問する。
「一応聞いとくんだけど……それって、本物じゃないよね?」
「奏真にはこれがオモチャにでも見えるのかしら?」
そう言ったミレイユ(めんどくさいし呼び捨てでいいかな……一応年上だし)は、鎌を肩で担ぎながら室内を見渡し、とある一点に視線を止める。そこには買ったばかりと思しき薄型のフルハイビジョンテレビが、段ボールから出されてはいるもののケーブルが何一つ繋げられていない状態で鎮座していた。
「……あれ、この前買ったものだったかしら」
と呟くと、徐に鎌を軽々と振り上げテレビに向かってまっすぐに──
「す、ストーップッ! 分かった! もう分かったから!」
「別にいいわよ、このくらい。何をやっても起動しない不良品だったみたいだし、ちょうど良いわ」
「コンセントが刺さってなかったら、どんな高性能テレビだって電源は点かないから!」
なんとか無実のテレビを守ろうと僕が懸命に叫ぶと、
「……コンセント?」
こてん、と不思議そうにミレイユは首を傾げた。
「え? うん。テレビとか家電製品は、コンセントから電気を取って動いているから……」
「サラ、そうなの?」
「わ、私も今知りました。でしたら、もしかしてこれも……?」
そう言ってサラが台所の方から持ってきたのは、「あっというまにすぐ沸く」でおなじみの電気ケトル「ティ〇ァール」さんだった。
「お湯を沸かすんだったらこれだ、とこの前訪れたお店で購入したのはいいんですけど、水を入れてどれだけ待ってもお湯にならなくて……」
「うん、そりゃそうだろうね……サラさん、これが入っていた箱ってまだ残ってる?」
そう尋ねると、怪訝な顔を一瞬した後で「ええ、捨ててはいないはずです」と言って探しに行ってくれた。ミレイユも「ティフ〇ール」さんが動くかもしれないと知ると興味が湧いたみたいで、サラに「これは違う? こっちは?」と聞きながら一緒に家の中を探している。
「あ、ありました! これですよね、奏真様!」
サラさんが見つけた箱の中を手でまさぐると、
「あった、これだ」
僕にとっては見慣れた、一本の黒いケーブルを取り出した。
「これをこうしてっと……コンセントはここのを借りるね」
「へぇ~! その穴、コンセントって言うんだ。そこから電気が流れて、機械が動くってこと?」
「そうそう。冷蔵庫とか自動販売機の後ろにも、必ずコンセントはあるんだけど……よしっ」
話ながら無事に準備完了。台所で汲んできた水をケトルに入れて、スイッチを入れる。
「わぁ、お嬢様! ランプが、ここのランプが点きましたよ!」
「あ、もう湯気が出始めてるわ! ねぇ奏真! あとどのくらいでお湯になるの!?」
「えーっと、お湯が沸いたらランプが消えるはずだよ」
僕がそう言うと、二人してじーっと射抜かんばかりにランプを凝視している。本人たちは大真面目なんだろうけど、端から見ると少し微笑ましい光景だ。
入れた水の量が少なかったからか、五分と待たない内にポンッという音と共にランプが消えた。
「これもう開けてもいいわよね!? 開けるわよ!」
「お、お嬢様! お湯ですのでお手に十分お気をつけて「熱ぅっ!?」ってお嬢様ぁ!」
我慢できずケトルを開けて中のお湯に少し手を浸してみたらしいミレイユ。案の上というべきか、沸騰したばかりのお湯の温度に目を白黒させている。サラさんも主の失態に驚いた声を上げていたが……それだけだ。特に冷やす等の処置をしようとする様子はない。
「み、ミレイユ?」
「ちょっと、何呼び捨てにしてるのよ。“様”をつけなさい“様”を!」
「いや、でも一応僕が家庭教師だし先生な訳で……ってハイすんませんでした調子乗ってましたミレイユ様!!!」
シャレにならない表情アゲイン。高校生の女の子がする表情じゃない。今どき、ヤのつく職業の人でももっと穏やかな顔をするっての。
「えーミレイユサマ?」
「うわっ気持ち悪い……もういいわよ、ミレイユで」
「じゃあミレイユ。早く手を冷やした方がいいと思うんだけど……」
「え、なんで?」
「なんでって……今お湯で火傷してなかった? 放って置くと、水膨れとかできちゃうと思うんだけど……」
さっきまでの様子を見るに、もしかしたら火傷という症状すら知らないのではないかと心配になって一応忠告してみた。するとミレイユはきょとん、とした目でこんなことを宣った。
「火傷? たかが八十度くらいのお湯で?」
強がりでもなんでもない、純粋な疑問が彼女の瞳には浮かんでいた。
*
「……じゃあ、本当に君たちは異世界から来たんだ」
「だからそうだって、あたし最初に言ってたんだけど!」
「ま、まぁまぁお嬢様! 奏真さんも理解してくださったんですし」
ふしゃぁと桃色の髪を逆立てて抗議するミレイユをどうどうと宥めるサラさ……サラ。これじゃあどっちが主だか分からないね。
あ、ちなみに呼び方については「あたしを呼び捨てにするんだったらサラにも“さん”は付けちゃダメだからね!」というミレイユお嬢様の抗議もあり、サラさんと話して呼び捨てにすることを許可していただいた。
その際に、「僕も奏真でいいよ」と申し出てはみたのだが、サラが頑として首を縦に振らなかったため、僕の呼ばれ方は相変わらず“さん”付けになっている。立ち居振る舞いからも分かるように、礼儀正しい子なのだろう。
「あんなでっかい鎌を軽々と持ち上げられたり、沸騰したお湯にビクともしないのを見てたら、そりゃちょっとは信じようって気になるよ……」
「ふーん。どこの世界でも人間は貧弱なのね。まぁ、魔族としての身体的特徴は失われていないみたいで安心したわ」
「貧弱って……魔族は人間とは全然違うの?」
「見ての通りよ。見た目も体の外見も、人間とほとんど一緒。魔力が使えるって点と、身体能力が人間よりは高いって点を除けば違いはあまりないわ」
「まぁこの世界じゃ魔力は使えないみたいだからちょっと丈夫な人間ってところね」とサラが入れてくれた紅茶を飲みながらミレイユが言う。
「そっか、だからあんなに機械について知らなかったのか。サラは買い物かごを勝手に持ち出しちゃうし」
「そ、奏真さんそれは言わないでくださいよぉ……」
「あら、そんな規則もあるのね。まぁ元いた世界でも買い物なんてしたことが無かったから、もしかしたら同じようなルールはあるのかもしれないけど」
ん?
「買い物したことないって……そっちの世界にいた頃はどうやって物を買ってたの?」
さすがのAmaz〇nも、まさか異世界展開はしてないだろう。たぶん。
「んー。大抵の物は城の中にあったから、特に買い出しの必要性はなかったわ。サラにも身の回りの事しか申し付けなかったから、あたしたち二人ともほとんど城から出たことはないわ」
サラもミレイユの隣でうんうんと頷いている。それを聞き、また疑問が浮かび上がった。
「え、じゃあどうして地球に来たの? 向こうでも、えーっと……魔王だっけ、って結構高い地位なんだよね?」
「……魔王は、魔人を束ねる唯一無二の王よ。あたしも、パパも、おじいちゃんも、そのずーっと前のご先祖様も、みんな魔王だった」
「代々魔力が強いのよ。家系的にね」と言い、ミレイユは薄っすらと笑う。
「でも、もうあの世界に魔王は居ないわ」
「それは……ミレイユがこっちの世界に来ちゃったから?」
「っ、奏真さん」
「いいのよ、サラ。今となっては大した話じゃないわ」
僕の思慮が浅い問いかけにたしなめるような声を上げたサラを、ミレイユが執りなす。
「あっちの世界では、人間の国と魔族の国の二つが存在していたわ。そして魔王がいないということは……魔族の国はもう無いってこと」
「それって……」
先ほどまでのお転婆な様子からは想像できないほど落ち着いた様子で、ミレイユは僕の問いかけへの回答を口にした。
「あたしたち魔族は、人間の“勇者”たちによって討伐されていったの。あたしがこの世界に来たのは、彼らから逃げて生き延びるため。それだけよ」