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第4話 魔術詠唱



──天使だ。



 十秒くらい経って、ようやく出てきた感想はそれだけだった。


 小清水こしみずさんやサラさんだって、テレビで見るアイドルや女優さんと比べても遜色そんしょくないどころか、それ以上かもしれない美人さんだ。だけど、この子はそういうレベルに留まらない。


 美し過ぎるのだ。完成された「美」とでも言うべきか。きっと会話なんてしようものなら、五分もしない内に精神が参ってしまうだろう。恐れ多くて。尊すぎて。


 さらさらとした淡い桃色の髪の隙間から見え隠れするうなじ、そして鎖骨のライン。寝息を立てる度に上下する、ささやかながら確かにある胸部。病弱な印象は与えない程度、しかしガラス細工のように細く繊細そうな肢体したい。神様が精魂せいこん込めた人間を一人だけ作ったというのなら、それはきっと彼女に違いない、と僕は確信した。



「お休みになられているようですね……奏真そうまさん、申し訳ないのですが」

「うん。また日を改めて来るよ」

「そうしていただけると助かります。あ、玄関までですがお送りしますね」



 眠っているお嬢様を起こさないよう、ひそひそ声で打ち合わせをする。抜き足差し足で玄関に向かおうとしたその時。



「……んぅ」



 小さなうめき声が聞こえた。ハッとして振り返れば、女の子の睫毛まつげの辺りがぴくぴくと動いている。それから、ゆっくりと閉じていたまぶたを開けた彼女は、まだ寝ぼけているようだ。ふらふらと立ち上がり、ふわぁと小さな欠伸あくびをしている。

 

 眠たそうに目を手でごしごしとこすり、そこでようやく自分以外の存在に気付いたようだ。サラさん→僕→再びサラさんの順に視線を動かすと、すぅっと息を吸い込んで──怒鳴った。



「サラッ遅い!」

「ひっ……申し訳ありませんお嬢様!」

「たかが買い物に何時間かけてるのよ!」

「す、すみません! 色々トラブルが発生して……」

「それで、頼んでたものは? 全部買えたんでしょうね?」

「い、いえ、その……店員の方に尋ねたのですが、『てぃっくとっく』という商品はスーパーでは扱っていないと言われてしまいまして」

「はぁ!? あんたあれだけ時間かけて何してたの!? じゃあ『いんすた』は? 『いんすた』は買えたんでしょうね!?」

「それも聞いてみたんですが、なんでも『すまほ』で『あっぷるすとあ』から『だうんろーど』をしないと手に入らないらしく……」

「『すまほ』って……この前探しに行かせたのに、あんたが見つけられなかったやつじゃない! もう、信じられない!」



 地団駄じたんだを踏んで怒りをあらわにする少女と、ひたすらにペコペコ頭を下げ続ける少女。


 ……うん? さっきまでここにいた天使はどこに行ったんだ?



「……んん?」



 そこで、桃色の髪の少女はようやく僕の存在を思い出したらしく、珍妙ちんみょうなものを見る目をこちらに向けてきた。



「サラ、これは? もしかして『あべまてぃーぶぃー』とかいうやつ?」

「いえ、お嬢様。こちらの方は火野奏真ひのそうま様です」



 サラっととんでもない誤解をされかけたが、サラさんがちゃんと紹介してくれた。サラさんだけに。なんちゃって。……すみません、続きは自分で引き受けます。



「えーっと、僕は東京大学1年生の火野奏真ひのそうまと申します。家庭教師の求人を見てうかがったんですけど……」

「家庭教師? ……あぁ、前にサラに書かせたやつね」



 ようやく合点がいった様子で、女の子は近くにあった椅子に座る。サラさんがその隣で従者のように控えるのを待ってから、女の子は言葉を続けた。



「じゃあ、さっそくこの星について教えなさい」

「…………」



 よし。



「地球は今から約四十六億年前に誕生した星で、直径約六千三百──」

「ちがうちがうちっがーーう! そういうことじゃなくてっ!」



 ブンブンと手を上下に振り回す、見事なまでのモンキーダンスを披露ひろうするお嬢様。どうやらお気に召さなかったようだ。



「ち、違った? 地球のことについて教えて欲しいって言ったから、とりあえず星の物的な性質から……」

「そうじゃなくて……あぁもう、じれったいわね!」



 そういうと、彼女は椅子から立ち上がり僕の頭を両手で抱え込んだ。ふわりと鼻孔びこうをくすぐるのは、シナモンのように甘い匂い。相手が教え子(?)だということも忘れて呆けてしまった僕の目を覗き込みながら、彼女は小さく口を動かした。


 まるで、マンガのキャラクターが魔法を唱えるかのように。



「汝は我、我は汝。汝が定めし仮初の境界を破りて……」

「ちょ、ちょっと!? どうしたの急に!? ねぇ、サラさん。この子ってもしかして中二びょ……」

奏真そうまさん、ダメですよ。しっかりお嬢様の目を見ていてください」



 気がつくと僕の後ろに回りこんでいたサラさんに背中から抱きつかれ、体をがっちりホールドされて身動きが取れなくなってしまう。しかし、人肌が持つ独特な暖かさが伝わってきて、かえってどうも落ちつかない。


そして前方には絹のような白い肌にエメラルド色の瞳を持つ美少女……少なくとも外見だけは。「これが美少女サンドウィッチ……」と正常な思考が迷子になっている間も、女の子の呪文(?)は続いていた。



「……我が命に従いし眷属となりて、果てるまでその忠を尽くせ。C’est un ordre!」



 言い終わると、「ふぅ」と一息ついて女の子は再び椅子に座る。サラさんも僕の拘束をとき、椅子に立つお嬢様の横についた。



「こんなもんで良いわね。さぁ、下僕。まずは『スマホ』とやらについて教えなさい。というか、買ってきなさい。自腹で」

「いや、自腹は金欠の僕にはちょっと無理かなぁ。その前に、今のよく分からない儀式について僕が聞きたいくらいなんだけど……」



 素直な感想を漏らすと、女の子とサラさんの頭に「!?」というマークが浮かんだのが見えた気がした。



「え、ちょっ、ちょっと。なんであたしの従属魔法を受けて平気でいられるの!?」

「従属……? ああ、さっきのってそういう『設定』だったのか!」



 ごめんごめんと苦笑しながら謝ると、女の子は信じられないものを見るかのように僕を見つめている。



「……サラ。やっぱり」

「ええ……お嬢様。この世界では、魔術や魔法といったたぐいのものは全く使用できないようです」



 魔術? 魔法? 先ほどの中二病的儀式の続きだろうか。サラさんまでも真剣に付き合ってあげているようだ。


 ただ、それにしては二人の深刻さがちょっと異常だ。女の子の方は額に汗を浮かべているし、サラさんに至っては薄っすらと涙を浮かべてさえいる。



「どうやら、本格的に諦めなきゃいけないようね……」

「そんなっ! お嬢様!」

「高位魔術である従属魔法を使っても、あたしは魔力切れになってないし、その男にも何の変化も生まれてない。あたしが使える魔術と魔法、全部試してみたのに一個も反応しなかったのよ」

「…………でもっ」

「受け入れなさい。こうなる可能性もあるって覚悟はしてたでしょ」

「……」



 サラさんは未だに納得がいかない様子で唇をきつく結んでいる。一体どういうことか、と聞こうとした僕に先んじて、くるりとこちらを向いたお嬢様が口を開いた。



奏真そうまって言ったかしら。あなた、家庭教師になりたくて来たのよね?」

「う、うん」

「なら良いわ。あたしたちは貴方にお金を払う。貴方はあたしたちに『知識』を教える。いいわね?」

「なんか面倒なことになりそうだし、ぶっちゃけ辞退したいと思い始めてるんですが……ってすみませんそれでいいです問題無いです!!!」



 言葉の途中でお嬢様がシャレにならない表情をされたので、慌てて承諾する。うぅ、ごめんなさいお父さん。僕はノーと言えない日本人になってしまったようです。


 返答に満足したのか、お嬢様は不敵な笑みを浮かべてらっしゃる。



「決まりね。……あぁ、そういえば自己紹介がまだだったわね」



 たしかに。サラさんもずっとお嬢様お嬢様って言ってたから、本名はまだ聞いてなかった。


 彼女は立ち上がった椅子の上から「ていっ」と飛び降りると、僕の隣まで来てから胸を張るようにしてこう言ったのだった。



「私はミレイユ=ド=モンテクレール。桜花高校1年生で、異世界から来た魔王よ!!!」


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