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エピローグ

 


 少し斜めに傾いている小道を、エドマは日傘を差しながらゆっくりと下がっていく。

 目の前に広がるのは港のほとり場とその先に広がる大西洋。

 ぽつりぽつりと流れてくる雲はゆっくりと動いていて、その先の海も穏やかである事を知らせてくれる。


 絶えまなく揺れる紺碧の先を見つめていると、後ろから妹の弾んだ声が聞こえた。


「姉さんっ 素敵な構図だわ、あっちに座って」


 ベルトに言われて振り返り、相変わらずせっかちね、とエドマは微笑みながら港の海へ向かう船の道の石へりに日傘と差しながら座る。


 アドルフは一ヶ月の航海に旅立ってしまった。気持ちを寄り添わせてからの別離は思いのほかきつく、エドマを少しだけ落ち込ませていた。

 そんな女主人を心配したカーラやマティスが、ベルトを呼んだらどうかと勧めてくれたのだ。


 モリゾ家へ手紙を書くと、父母の承諾をもぎ取ってベルトはすぐに遊びに来てくれた。絵も描きたいからと長期に時間を取ってくれたのはありがたい。


「どうしようかな、姉さんにスポットを当ててもいいけれど、この素晴らしい港の風景も生かしたいわ……うん、ここに決めたわっ」


 ベルトは一人呟くとイーゼルを立てて座り、スケッチブックにざぁっとすごい勢いでクロッキーの線を描いていく。


 カーラがベルトに日傘を刺そうとすると、ベルトは、あ、いいのいいの、陽の光を浴びながら描きたいからと、と目はエドマや風景に留めたまま、断った。


 エドマはカーラに目線で、いいのよ、と微笑むと、カーラは頷いてベルトの視界に入らないように下がってくれる。


 ベルトはしばらくスケッチをしていたが、全体の形が出来てきた所で手を動かしながら話しかけてきた。


「屋外でスケッチ出来るだなんて最高! ありがとう、姉さんっ」

「そう言ってもらえると私も嬉しいわ。あなたの画風も広がるし、私もとても楽しみ。後で構図を見させてね?」


 エドマはベルトに朗らかに微笑むと、ロリアンから望む海を眺めた。少し雲が出始めていたが薄青い空は海の青さとも似て穏やかで、今は船の上にいるであろう夫がつつがなく航海しているのを祈る。


「さみしそうよ、姉さん」

「寂しいもの」

「わっ、ごちそうさま! くやしいから本当に寂しそうに描くわよ、義兄(にい)さまに見てもらわなくちゃ」

「やめて、恥ずかしいから」

「さて、どうしようかな?」


 軽くにらむエドマに、ベルトはいたずらっぽくスケッチブックから顔を出してぺろっと舌をだした。


「もうっ、ベルトったらいじわるね」

「うらやましいって事、わかってよね」


 姉妹は同じように頬を膨らませると、お互いの顔をみて吹き出した。

 しばらくぶりに声を上げて笑ったエドマは口元に当てた手を石塀に置いて、ふっと目線を下げた。


「ベルトに来てもらってよかったわ……なかなか、あの人が居ない日常に慣れなくて」

「あ、きた。姉さんそのまま」

「ベ……」

「目線上げないで。少し下げたままで」


 ベルトの雰囲気がガラリと変わったので、エドマは黙って同じポージングをした。


 潮風が頬を撫でる。

 ベルトが集中して描いているのを感じながら、エドマはベルトに分からないように微笑んだ。


 線が生きている。

 一つの絵の中に、想いを馳せる線が描ける。


 スケッチブックをみていなくても、今、ベルトが描いているのはそんな一筋だ。


 それが、私とベルトとの違い。


 私とは、描くということの種類が違う。

 やっとそれを認めることができた。

 それが、嬉しい。


 ベルトはロリアンに着いてすぐにマネの絵画グループと共に研鑽を積んでいるとエドマに伝えてくれた。

 モデルも続けているが、ベルトが招いて開く絵画を語らうサロンにも男女問わずにマネを含む若手の画家たちが集うらしい。

 女性としてではなく同じ画家として対等に話してくれると喜んで報告してくれるベルトに、今のエドマは心から祝福ができる。


「だから……分からせてくれたアドルフさまと共に生きるわ」

「なに? 姉さん」

「なんでもないわ。描けた? 動いてもいい?」

「ええ、いいわ。……うん、大丈夫。早くキャンバスにおこしたいわねっ」

「そうね、手が覚えているうちにね」

「そうそう、帰りましょ! 姉さんっ」

「ええ、帰りましょう、我が家へ」


 エドマはゆっくりと頷くと、石塀から身体を起こした。


 カーラがベルトに日傘を掲げる。ベルトは朗らかに笑いながら礼を言って画材道具を片付けていく。

 こちらの様子をみた下男が馬車から走り寄ってイーゼルを肩にかけてくれた。


 エドマはありがとう、ミシェル、と声をかける。ミシェルと呼ばれた下男はハンティング帽を取って会釈をすると、すぐに被って駆け足で馬車まで戻っていく。


 エドマはベルトと共に馬車に乗り込むと、少しだけ港の方を見た。


 美しいスカイブルーの空はどこまでも青く広がっていて、その空の下で訓練をしているであろう夫に想いを馳せた。


 慌ただしくても休暇毎に必ず屋敷に戻ってきてくれる。

 ときに冗談を言って笑わせ、ときにからかってむくれさせて、でもどんなに拗ねても最後は甘やかしてくれる、そんなアドルフを毎日の中でいつも思っている。


 いく久しく、無事でお戻りになりますように。あなたのくしゃりとした笑顔を、また見せてもらえますように。


 エドマは己の想いを沖へと飛んでいく海鳥に託すと、御者に合図を送り港を離れる。


 ロリアンの空と共にある碧海は穏やかに、いつまでもゆったりと煌めいていた。









 完


お読み下さりありがとうございました。


途中のシリアスな場面は同じように苦しみ、後半からはゆっくりと心を開いていくエドマを、一話一話とても楽しんで書くことができました。


一緒に読んで下さった方々のおかげです。


本当にありがとうございました。


なななん




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