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3 エドマは父と話す

 



 その日の晩、夕食時に昼間の件を聞こうとエドマが話題にあげると、父にあとで別々に書斎に来なさいと言われ、エドマとベルトはお互いに顔を見合わせて眉をゆがめた。


「別々ですって」

「いやな予感しかしないわっ」

「同感だわ」

「聞こえていますよ、二人とも」


 父は黙って食べていたが、母、コルネリー・モリゾはもう、仕方のない人たちね、といった眼差しでたしなめる。

 母の目線を受けて一旦は口をつぐんだ二人だが、先に食べ終えた父がでは後でな、と言って食堂を出て行くのを見送って母にわっと話し出した。


「母さま、同じ話題なのに別々に呼ばれる時って大概怒るか、叱るか、苦虫顔で苦言を言われるかしかないのよ、何か聞いてない?」

「それはベルトがそのような事をしでかしているからでしょう? 母さま、私は何? あまり書斎に呼ばれた事、ないのだけれど」

「あらあら……」


 ベルトとエドマが同時に身を乗り出してコルネリーの方に身体を向けるので、母は軽く手を上げてメイドを呼ぶと、こちらは下げて、居間の方にお茶の用意をしてくれる? と優しく伝えた。

 はい、マダム。とメイドはにこやかに応えて下がって行く。


「とりあえず居間の方に行きましょうか」

()()! やな予感やな予感……」

「ベルト、不吉な事言わないで」

「ふふ、もう、そんな事言っているあなた達は小さな頃と変わらないわね。二人とも、もう年頃の娘なのよ? もう少しおしとやかに出来ないの?」

「私は別に結婚とか考えていないからいい。絵を描く方が好きだもの」

「私も絵の方が好きだわ」

「困った事を言うわね」


 一つも困った事は無いような涼しい顔をして母は居間の一人がけのソファに座った。

 落ち着かない娘達は近くのクッションを持ってきて母の足元にそれぞれ座る。


「あらあら、なあに、そんなにくっついて」

「嫌なんですもの、父さまの書斎に行くの」

「同感同感! 怒られる気配しかないわ!」


 エドマが上目遣いに母に訴えると、ベルトも二つ目のクッションを胸に抱くと何度も頷く。

 コルネリーはメイドがサイドテーブルに置いたお茶に、ありがとうと言ってそれぞれの娘に手渡しすると、自らも一口お茶を飲んで、おもむろに言った。


「私は何も聞いていないわよ?」

「ええ?!」

「母さま、何か聞いているからわざわざこちらにきたのじゃないの?」

「いいえ、何も聞いていません」

「なにそれなにそれ、どうしたらいいの?」

「母さま……」


 うわぁと頭を抱えるベルトとすがるような目のエドマに、母はふふっと笑って言った。


「あなた達のお父様は娘達に伝えたい大事な事を、本人より先に私にお話する事はないと思うわよ? そうは思わない?」

「それはそうかもしれないけれど」

「母さまにまで話が来てないって言うと、どんだけの大事よ……ああーーいやいや、姉さん先に行ってね」

「いやよ、と言いたいわ。でも喧嘩の後では更に機嫌が悪くなるんですもの。仕方ないから先には行くわよ」

「いつも悪いわね、エドマ」

「母さまも姉さんも何気に酷いっ」


 ぷっと頬をふくらませたベルトをみて、母と姉は笑う。

 ひとしきり笑った所で、さあ、これで大丈夫、と言ってコルネリーはエドマに向かって腕を広げた。エドマは立ち上がって屈み、母からのキスを頬に受ける。


「なんにせよ、あなたの悪いようにはしないわ。お父様だもの。いってらっしゃい。そろそろお待ちよ」

「はい、母さま」

「私も!」

「ベルトはまだだめ。盗み聞き禁止よ」

「そんな子供みたいな事しないわっ」

「だめよ、ドアの近くに居て我慢出来た試しはないでしょ」


 お見通しの母にさすがのベルトもうんともすんとも言葉が出ず、不機嫌そうにぼすんとソファに座る。

 コルネリーには弱いベルトを見てエドマはくすくすと笑うと、いってきます、と頷いて居間を出た。


 少しだけ母のおかげで心を落ち着けて父の元へ向かう事が出来た。

 二階に上がって左に曲がり、長い廊下の突き当たりに父の書斎はあった。

 重厚な扉はいかにも気軽には入れない仕事部屋、という雰囲気で、エドマはこの部屋が苦手であった。


(叱られる時、いつもここだったものね……まあ、今日はそんな事ないと思うけれど。……そう願いたいけれど……)


 コン、ココンと家族だけのノックをすると、すぐに執事のクレマンが顔を出し、部屋の中へ入れてくれた。


「座りなさい」


 父、ティビュルス・モリゾはエドマの顔をみるとにこりと笑って、読んでいた書類にサインをした。

 そしてエドマがソファに座ったか座らないかの間に、書斎の机から立ち上がりすぐさまエドマと向かい合うようにソファに座る。ふくよかな身体をもろともせず素早く動く父は、娘に対しておもむろに言った。


「ポンティヨンくんに会ったかい?」

「え、ええ。ルーブル美術館で」

「どう思った?」


 にこやかに笑いながら聞いてくる父に、エドマは眉をひそめながら正直に話す。


「何も。落ちた絵筆を拾って頂いただけです」

「ふむ、その時あちらから何も言われなかったかね?」

「ええ、ポンティヨンさまは私の事を知っている様でした。また会う機会があるでしょう、とはおっしゃっていましたが」

「ふむ、自分から言うのは控えたようだね。ま、道理か。すまないね、言うのが遅くなった。ポンティヨンくんはおまえの婚約者だよ」


 さらりと言い流すような口ぶりで重要な事を言った父に、エドマは目を見開いて絶句する。そしてその衝撃を受けきれないままやっとの思いで言った。


「い、いやです」

「ふむ、ポンティヨンくんは気に入らなかったかね?」

「あの、そう言う意味ではなくて、わ、私は絵を……」

「エドマ」


 言葉をさえぎられて、エドマはひくっと喉を鳴らした。父の目がこちらをじっと見据えている。


「今まで自由にやらせていたが、そろそろ自分の人生を考えて貰いたいんだ」

「私は絵を描きたいのです。サロンにも入選したし、まだまだこれからで」

「ああ、わかっている。ポンティヨンくんは結婚してからも絵を描いていいとも言ってくれているんだ。なかなかこの案件をのんでくれる人材はいなくて苦労したよ」

「お父様! なぜ私なのです!」


 ベルトも同等に未婚なのになぜと言うと、父はにこにこと笑って言った。


「実はポンティヨンくんに言ったのだよ、うちにはまだ嫁に行っていない娘が二人いるから、どちらがいいか見ておいで、とね」

「まさか!」

「そう、今日見にいったみたいだね。それでお前がいい、と帰りに寄ってくれてね。決まりだ」

「お父様!!」

「まあまあ、とにかく今度我が家の晩餐に呼ぶ事にしたから、その時にゆっくり会ってみればいい。話はそれからだ」


 この話題は終わった、とばかりに立ち上がる父に、納得出来ません! とエドマが珍しく声を荒らげた。父は机に向かおうとした身体をエドマに向けて両手をベストのポケットに引っ掛けると、しばし娘の顔を見やった。そして、ひたりとその柔和な表情の奥に潜む鋭い目をこちらに向けた。


「晩餐は決まった事。婚約も決まった事。その後どうするかは本人達で話し合いなさい。……今日はここまでだ。ベルトとも話さなくてはならないからね。おやすみ」


 それだけ、告げるとさっさと書斎の机に座って書類を読み始めてしまった。


 ぶるぶると両手を握って動けないエドマを、いつの間にか側にきた執事がそっと声をかけてくれる。


「エドマさま、こちらへ」

「クレマン……!」


 扉を開けて部屋から連れ出してくれたクレマンは、きっちりと扉を閉めた後、エドマに身体を向けた。

 ロマンスグレーの髪を撫で付けているクレマンは、エドマが幼少期からこの家にいる古参の執事だ。


「クレマン、またお父様と話す機会を」

「エドマさまのお気持ちはお伝え致しますが、晩餐を済ませないことには事態を動かすことは難しいと思われます」

「そんなのって……私の気持ちはどうでもいいの?!」

「まずはこの件について一度考えて欲しい、と旦那さまは思っておられると推察致します。エドマさまにとっては初めての縁談です。ご一考下さいませ」

「考えるも何も私の気持ちは変わらないわ」

「……まずは、晩餐の後です、エドマさま」


 どうにも事態は変わらない事を悟って、エドマは肩を落とす。


「……変わらないのに」


 ぼそりと呟いたエドマに、クレマンはそっと自室への道を促してくれた。


 クレマンに送られて自室のドアを閉められると、エドマはドサリとベッドに身を投げ出した。


「なぜ、私なの……」


 何も考えられなくて、手で探った枕を捕まえた。その柔らかな布地に顔を突っ伏して震える。

 陽だまりの香りのするリネンはいつもなら幸せなため息を誘ってくれるのに、今夜のエドマにはその暖かな感触もなく、ただ世界を遮断する為の道具にしかならなかった。



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