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19 エドマは告白され目を見開く。

 



 アドルフが突然訪ねてきた、という知らせを受けて、エドマは急いで玄関まで迎えに行った。思えば、アドルフと会ったのは数少なく、前回は晩餐であったし、一人で屋敷に訪ねて来たのは、今回が初めてだ。

 普段着のドレスしか着ていない事が気になったが、いずれ向こうにいっても普段着なのだから、と、少しだけ複雑に揺れる心を抑える。


 エドマが玄関ホールを小走りで取り抜けて表へ出ると、アドルフは丁度門から馬車止まりに現れた所だった。こちらを認めると、制帽の鍔に手をかざして挨拶をし、馬から降りて下男に手綱を預けてこちらに走ってくる。


「こんにちは、マドモワゼル・エドマ。すみません、突然の訪問で」

「こんにちは、ムッシュー・アドルフ。お忙しい中、いらして下さってありがとうございます」


 それだけ挨拶をすると、二人とも黙って固まってしまった。

 もともと、それほど話した事はないのだ。なにか世間話でも、と思うのだが、上手く、言葉にならない。


 その様子を見て、側に控えていた家令のクレマンが、失礼致します、と声をかけて来た。


「いらっしゃいませ、ポンティヨン様。お茶のご用意まで少しお時間を頂きたいので、申し訳ありませんがお庭を散策してお待ち頂けますでしょうか」

「あ、ああ、そうですわね。よかったらこちらに」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


 家の中でなく、テラスで、というのは二人で話す時間を設けてくれたのだろう。

 クレマンはエドマにさっと厚手のショールを羽織らせて一礼をし、奥へと去って行く。


 クレマンに促されて屋敷の脇を通ってエドマが案内したのは、例の中庭にある四阿だった。


 ここで繰り広げた騒動は記憶に新しく、どうしようかとも思うのだが、他に外で座る場所は無い。

 エドマは黙って木枠のベンチに座った。


「申し訳ない、なかなかこちらに来られなくて」

「いえ、お仕事がお忙しいのだろう、と、父から伺っていましたから」


 エドマが気まずい思いをしているとは気がつかないようで、アドルフはエドマの隣に腰を下ろした。

 エドマは手を膝に重ねたり、ショールの布の合わせ目をいじってみたりと、お茶が来るまでの時間を落ち着かない気持ちで待っていた。


「エドマ嬢、失礼、右手を」

「え?」


 アドルフはエドマの返事も待たずに右手をさっと掴んだ。

 人差し指をじっと見ている。

 エドマはアドルフが何を気にしているか分かり、慌てて手を引こうとしたが、その気配にアドルフの指は敏感に反応し、逆に握る手を強めた。


「大丈夫です。割れた爪はもう、治りました。そして、その……先日は、大変失礼を致しました」


 頬を、それも夫となる人の顔を張ってしまった事にエドマは深々と頭を下げた。

 本来ならば婚約を破棄されても仕方のない行為。円満に婚約解消ならばよいが、こちら側の不遜な行為で破棄となると、自分一人の問題ではなくなる。


 ポンティヨン家に嫁ぐ、という事を決めてから、エドマは積極的に貴族の女主人になる為の心得を、母や時間のない父に質問し、合間を縫って教えてもらっていた。


 今までおざなりに聞いていたマナーや道徳的な事がぴたりと意識の中で重なる。

 所作一つとっても、娘として同じことをルーティンの様にしていた事が、女主人としての立場だとまた意味が違った。

 これからはモリゾ家の娘ではなく、ポンティヨン家の顔として見られるのを常に意識しなさい、と母が真剣な表情で言ったのを、エドマは深く心に刻みつけていた。


「エドマ嬢」


 アドルフは節のある固い両手で、エドマの肩を起こし、右手を持ち上げて手の甲にキスをした。

 そのキスは、そっと触れて離れた。


「謝らなくていい。その様に心を乱させたのは私です。私は謝りませんしね」

「アドルフ様」

「あ、いや、そうだな。……出来れば、なかなか難しいと思うけれど、屈託なく話して欲しい。侍女を連れて来ないと聞きました。そうなると、貴女の事を分かるのは屋敷の者が慣れるまでは、私だけ、という事になる」

「……」

「貴女が侍女を連れて来ない、というのも大方予想がついています。パリを離れるのは自分一人でいい、というところでしょう」


 淡々と言われる言葉に、エドマはきゅっと唇を噛んだ。

 自分の考えに考え抜いて出した答えが、アドルフにとっては一つの事例のように語られる。

 そこはかとなく四阿に滑り込んでくる冷たい風が、エドマの心にも吹き込んだ。


 頑なな表情になったエドマを見て、アドルフはまた、あー……と少しだけ宙を見て、その少し赤みのある髪の毛を左手で後ろにかいた。


「普段、こんなに口下手ではないのですが……貴女に自分を晒そうと思うと、こうも上手くいかないものかとため息が出る」


 最後は独白となったアドルフの言葉にエドマが顔を上げると、アドルフはエドマの手を握っていない手で(あご)を撫でながら、なんとも情けない顔をすると、苦笑してエドマを見た。


「貴女の心が私に向いていないのは承知です。だが、私の心は貴女に預けます」

「何故……」

「分かりませんか?」


 エドマは混乱しながらアドルフを見た。


 エドマは、アドルフは家の為に結婚するのだと思っていた。ベルトとエドマ、どちらでも良いと言われて、大人しそうな自分を選んだのだろうと思っていた。



 お互い、感情のない結婚をするのだと。



 はしばみ色の瞳が柔らかく笑う。


「私は貴女の絵が好きだ、と言いませんでしたか?」

「え……」

「貴女と、貴女の愛する絵を見て、生涯の伴侶はあなたがいいと思った。一目惚れですよ」

「……」


 突然の告白に戸惑い、エドマはアドルフの瞳を見た。


 それは、真意なのだろうか、この人の言葉は、本当に、それだけ? そんな綺麗な言葉だけで、私を選ぶだろうか……


 じっとアドルフを見たまま、何も言葉を発しないエドマをみて、アドルフはくしゃりと笑った。


 まるで、猫のように、くしゃくしゃっと。

 (てい)のいい微笑みではなく、いたずらをした少年の様に。


「アドルフさま?」

「いや、失礼。さすがだ」

「何がです?」

「甘い言葉に騙されない所です」

「アドルフさまっ」


 やっぱり、とても言うように目を見開いてむっ、とするエドマに、すみません、とアドルフは悪びれた様子もなく謝罪する。そして、改めてエドマに向き合った。


「あの日、貴女と初めてお会いした日、私は貴女方が馬車から降りてルーブルに入っていくのを偶然見ました。一人は馬車が止まると同時に飛び出して行き、一人は、ゆっくりと降りて、下男を気遣(きづか)っていた」

「あの時から見ていらしたの?!」

「偶然ですよ?」

「……信じられないわ」


 きっと、この人は普段の様子を見たくて待ち伏せしていたんだわ、と疑わしい顔でアドルフを見るエドマに、苦笑して、本当なんだけどなぁ、ととぼけたような声を出す。


「まあ、とにかく、好感を持ちました。私は軍人で、船に乗ると長期に屋敷を空ける事が多い。私の妻となる人には、家人を任せられる人が良いと思っていました。まず一つ、貴女の方が条件をクリア」

「条件だなんて……」


 あけすけな言い方に眉をしかめるエドマに、アドルフは少しだけ笑った。

 その笑いは、あのくしゃりという笑いでは無く、なんというか、少し冷たくて、そう、まるでカロンのような、仕事上の相手を見て笑うような笑い。


「不快に思われたなら謝ります。でも私は素の自分を晒すと決めてここに来たのでね。しばらく付き合って下さい。そうそう、絵に惹かれたのも、本当ですよ? 貴女は私の審美眼を疑っておられるが、まあ、確かに絵はよく分からないですがね」

「……」


 どんどんと印象が変わるアドルフの言葉に、エドマは必死に、一言も聞き逃さないように目を見開いて拾う。


「後は……気が強そうだったのと、妹想いなのと、妹に嫉妬してそれを隠していたのも愛らしかったし、失礼ながら妹殿よりも美人だし」

「ベルトの方が美人です」

「他の野郎の評価なんか知らないですよ、私は貴女の方が美人だと思ったし、貴女が欲しいと心底思いましたよ」

「ほ、欲し……!」


 今まで生きてきた中で聞いたこともない直接的な告白に、ぶわっとエドマの顔が真っ赤になった。

 それを見たアドルフはにっと口元だけ笑って人差し指の関節だけで、さらりとエドマの頬を撫でる。


「およそ貴族に似つかわしくない寄宿舎で育ちましたのでね、粗野で申し訳ない」

「正直、驚いています」

「まあ、慣れますよ。さすがに自分の屋敷や親しい友人以外では晒していないですから」

「じゃあ、あちらの使用人の方たちは……」

「家の中でまで取り繕うなんてごめんなんでね。主人がこれでも動じない人々を選んだつもりですよ。きっと貴女とも気が合うと思います」


 最後はいつものアドルフに戻って柔らかく微笑んでしめた。


 いや、どれがアドルフなのだろう。

 どのアドルフが本物?


 そんな何とも信じられない顔をしていたのだろう。アドルフは可笑しそうに、くしゃりと笑った。


 エドマは人となりがさっぱり分からないアドルフを見て、自分も警戒が解けないのを認識しつつ、あの、くしゃりと笑う猫のような笑顔だけは、アドルフの本質なのだろうと、おぼろげながら思った。


 こんな、一癖も二癖もありそうな人の元に嫁ぐのは、すごく、大事(こと)だわ……と、多分に不安を抱えながら。






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