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18 アドルフ・ポンティヨンという男

 



 アドルフ・ポンティヨンは多忙を極めていた。ロリアンの軍部に異動になった事により、本部に所属していた時の書類を全て引き継がなくてはならず、それと同時に自身の婚姻の為の手続きやロリアンでの新居の手配、ポンティヨン家本宅からロリアンへ異動させる人員の選別など、全てを一手に引き受けていた。


 本来ならばロリアンへの人選などはポンティヨン家女主人である、母、アドリエンヌの仕事だが、父の言う通りに右から左へとしか出来ない母にその役が務まる筈もなく、おろおろとどうしましょうという母に自分がやりますからお気になさらずに、と決まり文句を言ってなだめたのだった。


 あらそう? ありがとう、アドルフ、助かるわ。さすがアドルフね。


 簡単に自分の仕事を投げる母の薄い感謝の言葉を、今後しばらく聞かなくていいというのが、アドルフがロリアン赴任を任命されて一番に思った事だった。


 ポンティヨン本宅にてロリアンへの人選、面談、意思を確認しての配置を決めて、軍部へ一人、馬に騎乗して帰ると、アシル=クロード・デュカスが門の所で待っていた。


「よう、ポン! 丁度よかった。会えないかと思ったぜー」

「アシル、今度はどこに飛ばされるって?」

「聞いて驚け? お前と同じロリアンだー」

「嘘だろ」

「マジだー、いよいよイギリスとおっぱじめるかー、上層部は」


 アドルフが騎馬を馬舎に戻しながら、驚きの報告を受けると、下官が騎馬を預かろうとするのを、アシルが俺たちがやるからー 気にすんなー と退けた。


 アドルフはぽんぽんと愛馬の首をなだめながら、定位置に入れ、水桶を二つもって外に出た。

 馬舎の裏手に井戸があり桶を置くと、アシルが青銅の井戸の取っ手を掴み水を汲み出した。ギシッと体重をかけながら、口は軽く世間話している程で話し出す。


「北に舟を集めてるぜー 牽制にしては集めすぎだろー 俺たちをドーバー海峡に集めて上はどうすんだろーねー」

「アシルの読み通りじゃないか? スペインがきな臭い。それに伴ってプロイセン(北ドイツ)が動くかもしれないから、北を抑えている」

「ウィーン食っただけじゃまだ足りねーってか」


 二年前プロイセンがオーストリアを盟主とするドイツ連邦を脱退し、反逆を許さじとするその盟主を食って大勝したのは記憶に新しい。

 連邦の小国が軒並み新勢力のプロイセンに味方した事で早期に戦争が終結し、巷では〝二週間戦争〟とも言われている。


「日本に親善として送った人員も戻すと聞いたよ。大掛かりなモノが始まるかもしれない。もっとも日本から帰ってきても終わっているか始まってもいないか、なんとも言えないがね」

「ギリギリ間に合っちゃうかもよー? リク(陸軍)は南に動いてるって聞いたぜ。けっこーやべーよな」

「フィッシュ&チップスを相手にする方がまだ命があるかもしれないな。ロリアンには家族連れていけよ?」

「もちろんだぜー。……パリまで来る可能性があるのか?」


 ギシッと水汲みの取っ手に体重を乗せたまま風のように呟いたアシルの言葉に、アドルフは、どうかな、と水桶に手を入れた。

 晩秋へと向かう気候の中の井戸水は凍るように冷たかった。


 その水をひとすくいして、溢れ出るままに水が手から無くなるのを見て、ぼそりと言った。


「オーストリアとの戦いが非常に戦略的だったと聞いている。どうも戦略のみを考える部隊がいるようだ」

「指揮官じゃなくてかー?」

「もっと大きな組織かもしれない。詳しくは分からないが、そうでないと二週間で終着した手早さの理由が立たない」

「ほーん、ポンでも分からない事もあるんだなー」

「馬鹿言うな、分からない事だらけだ」

「それでも先見の明があるー」

「無い」

「有る。目先の事だけを見ていないからな、ポンは。了解、心に留めとくぜー。家族総出でロリアンに引っ越しだぁ」


 最後は軽い調子で二杯目の桶に水を汲み出したアシルは、そういや、と、アドルフを見た。


「結婚式、一週間後だろ? こんな所で水汲んでていいのか?」


 アドルフは、あ、と間抜けな声をだした。


「おいー、しっかりしろよ。仕事よりも何よりも嫁さん第一だろーがよ」

「いや、その、彼女を迎える準備やらなんやらで」

「馬鹿、とにかく今から走って会いに行けって」

「この格好でか?」

「んーと、馬鹿だなー、着替えもしないと駆けつけた事にすりゃーいんだよ、それに軍服も魅力的なのよ? 女性からすると」

「女言葉はやめろ。あんまりふざけていると、奥方に報告」

「娘にはウケるのにー」

「分かった、行く。行くから普通に喋ってくれ」

「はいはい、じゃ、今度は結婚式でな。楽しみだぜー」

「ああ、宜しく頼む」


 汲んだ桶を片手に手を挙げて馬舎に戻ると、前脚を蹴って待っていた愛馬に水を飲ませて、もう一足、駆けてくれるか? と問うた。


 愛馬は何も言わなかったが、飼葉と人参を与えるとぶるると声が出たので、よし、もう一足な、と先程下げた鞍を乗せて、騎乗した。

 門番にはすぐ戻る事と、火急の場合はモリゾ家に連絡を寄越すようにして、少し早駆けにする。


 エドマに会うのは、あの雨の日以来だった。


 なかなか顔を合わせづらかったのも、モリゾ家に寄り付かなかった遠因ではあるのだ。


(情けない面も、持ってるという事か)


 女にこんなに臆病になるのは初めての事で、うまく自分をコントロール出来ない。


(……晒すか)


 どう、接したらいいのか迷っていた。

 男としてはやはり良い所だけを見せておきたいという矜持がある、が、エドマを想うとそれは良い作戦とは思えなかった。


 あれだけ自分に心を晒してくれた相手に、自分はどう相対すればいいのか。


 考えても言葉なく、ここまで来てしまった。

 だが、このままぐずぐずとしている訳にも行かない。

 式を終えたら終身一緒にいるのだ。


(まぁ、出たとこ勝負だ)


 なるようにしかならない。

 いくら策を練ってもどうにもならない時はある。そんな時は、状況によって変えていけばいいのだ。


 軍部官舎の日々で、フェンシングで、実際の戦闘で、アドルフは経験として知っていた。


 覚悟を決めろ。

 いざとなったら、アドリブが物を言うんだろ。


 珍しく自分を叱咤し、逸る心を抑えながらアドルフはモリゾ家への最短の道を走っていった。




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