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17 エドマはかすれた声で呟く

 



 結婚式が近いというのに、アドルフは、なかなか屋敷の方へ訪ねて来なかった。

 普通は式への準備も兼ねて、花嫁の顔を見に足繁く通うのだけど、と顔を曇らした母に、父は、今軍部がいろいろと動いて忙しいと聞いているから、余計な事を言わないように、と母を牽制していたので、母は致し方ないわね、とため息をついた。


 エドマは穏やかに数日後には離れるこの屋敷での時間を過ごしていた。


 窓から入るオータムの柔らかな陽だまりの中を何遍も往き交いながら、侍女と一緒にロリアンの新居に持っていく荷物をベッドの上に広げて吟味しながらトランクに入れていると、コンコンコンとノックの音がした。


 侍女がドアを開けると、母、コルネリーがお邪魔するわ、と部屋へ入ってきた。


「どう? 準備は出来て?」

「まあ、だいたい、なんとかです、お母様。足りないものは向こうで用意すればいいですし」

「でも、ロリアンは小さな街と聞くから、パリのような品揃えは無いわよ?」

「私はあまりそこまで気にしませんから」

「もう、エドマったら」


 コルネリーは窓際の小さな二人がけのソファに腰を下ろすと、エドマを手招きして一緒に座らせた。

 もうすぐ五十に手が届く母は、とてもそうは思えない程若々しい。近くで見ると年相応に出ている目元の笑い皺が、少しだけ年齢を感じさせるが、それもまたチャーミングに思える。

 そんな母がおもむろに、娘の頬を優しくつまんだ。


「女主人として身綺麗にするのも務めなのですけれどね? あとは旦那さまに可愛がってもらう為にも」

「務めは果たします」

「そういう意味で言っている訳ではないのだけれど……まぁ、いいわ、いずれ分かるから」


 コルネリーは結婚に絡む話をすると、顔を固くして言葉も堅くなる娘を見て苦笑する。


「アドルフ殿がいらっしゃらなくて不安かもしれないけれど、あの方は貴女の事をよく分かっていらっしゃるわ。話もよく聞いて下さるし、安心して身を任せたらいいわ」

「……お母さまは私よりもアドルフさまをよくご存知なのですね」

「あら……それはそうよ? 貴女よりも先にお話していますし? お手紙のやりとりもしていますし?」

「手紙? ……私は頂いた事はありません」

「あらあら! アドルフ殿、意外とうっかりさんなのね。それとももう夫婦だと思っているのかしら? これはいけないわね、お知らせしておくわ。夫婦だからこそ、小さな一手間を惜しまないように、って」


 つままれた頬を外し、からかうような母の言葉に自分の失言を知って、エドマは慌てて首を振った。


「別にいいのです! お忙しいのでしょうし、わざわざ私の事でお手間を取らせてはいけないので、本当にやめて、お母さま」


 エドマの様子に母は、わかった、わかったわ、貴女の嫌がる事はしない、とすんなり提案を引っ込めた。

 もともと本気ではないのだ、固くなっていた言葉がいつもの娘の言葉になったのを見て、満足そうに微笑んだ。

 そして、ゆっくりとエドマを瞳を覗き込む。


「でも、これだけは聞かせてちょうだい? なぜこちらから侍女を連れていかないの?」


 コルネリーはポンティヨン家に嫁ぐ為にエドマ付きの侍女を選んでとエドマに告げたのだが、エドマは必要ないと断ったのだ。


「まったく右も左もわからない屋敷に入るし、パリからも遠いから、こちらの話が分かる人間が居た方が息抜きにもなるわよ?」

「パリを離れるからです、お母さま」

「ええ、寂しいじゃない」

「私の為にパリを離れさせたくないからです」

「エドマ……」

「アミラもジルダも将来を誓った方がいます。ミゼットはお母上の具合が悪いし」

「私が、私が行きます、エドマさま!」


 エドマがモリゾ家の侍女達を思い浮かべながら理由を話していくと、一緒に嫁ぐ支度をしていた侍女がぎゅっと自分の胸の前で両手を握ってエドマに訴えた。


「私は両親も健在ですし、家には弟が居ます。将来を交わした方もいないですし、エドマさまのお側に……」

「貴女には想い人がいるでしょう? ジョセフィーヌ」

「エドマさま……」


 エドマは柔らかく笑った。


「私の為にその人と離れる事はないわ」

「仕事です、エドマさまのお世話をするのが私の仕事です!」

「だからこそよ」


 エドマは誰も居ない壁の方に向いて低く、掠れた声で言った。



「仕事でパリを離れるのは、私だけでいい」



 エドマの、静かな呟きに、その場にいた誰も声を発する事はなかった。

 やがて、コルネリーはそっと立ち上がり、エドマを自身の胸の中に抱きしめた。

 エドマはしばらく、なすがままに抱きしめられていたが、ゆっくりと母の腰に腕を回した。


 母と、コルネリー・モリゾの娘としての抱擁はこれが最後になるかもしれない、と思いながら。







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