13 アドルフ・ポンティヨン ー回想ー
意識を手放して全身の力が抜けたエドマを横抱きにし、アドルフが広間ではなく屋敷の玄関に戻ると階段の前でエドマの母、コルネリーが待っていた。
アドルフが歩み寄るとのとコルネリーが駆け寄るのが同時で、母親は目を閉じている娘の頬をそっと包む。
「エドマ……」
「申し訳ありません。……少しやり過ぎました」
アドルフの謝罪に、はっとしてコルネリーは背筋を伸ばすと、アドルフを痛ましげに見上げた。
「いえ。却って貴方に辛い思いをさせてしまって……カロン、エドマを」
側に控えていた従者がエドマを引き取ろうとしたのを見て、いや、部屋まで連れていきます、とアドルフは言った。
「では、こちらへ」
カロンの案内でエドマの部屋まで行き、寝台にエドマを横たえさせた。
雨粒と共に頬を濡らした雫を手で拭き取る。
いまだ苦しげな顔をしているエドマが痛々しかった。
コルネリーが侍女にバスタブに湯を張る様指示し、少し寝かせてから身体が冷えない内に起こして、と声をかけて二人、部屋を出る。
「カロン、お願いね」
「畏まりました」
硬い表情で承知した従者はエドマの部屋の前で待機をし、アドルフとコルネリーは連れ立って階下に降りる。
「アドルフ様もお湯を。身体が冷えます」
「いえ、私はこのまま帰ります。父母や皆様には軍部から急電が入ったとでも言ってもらえますか?」
おどけた様に言うアドルフに、コルネリーは緩く苦笑して頷き、ごめんなさいね、とそっと目を伏せた。
コルネリーがアドルフへ手紙を送ってきたのは、晩餐会の三日前であった。
エドマの現在の精神状態の事、また、自分が嫁いだ時の心境を想うと母としても上手く話すことも出来ず、晩餐の時までエドマの気持ちは動かないかもしれない、という事も、夫になるアドルフには知っておいてもらいたい、と赤裸々に書いてあった。
結婚する事はもう覆る事はない。それならば、エドマの事を少しでも伝えて理解してもらうしかない。
そして理解してもらえる人物であってほしい、という願いも込められた、熱い手紙だった。
ポンティヨン家から海軍官舎に届けられた手紙をみて、アドルフはすぐに返事をした。
心配はいらない、エドマ嬢の状況は分かっているつもりだと。そしてこの件については晩餐会の時に彼女と二人で話したい、とも。
その時にエドマ嬢の心をえぐる可能性があるので、その後のフォローを頼みたいという事も書いた。
アドルフの全てを分かった上での返事に、コルネリーは心底安堵したのだろう。
またすぐに返礼が届く。
エドマは、幸せになれる可能性がある。
どう、気持ちを持っていくかは本人次第ではあるが、少なくとも最大の理解者が夫となる貴方である事に感謝します、と。
当日、アドルフがコルネリーに会った時、本当に自分から見る彼女の根幹に関わる部分の本音を話していいのか、と確認をすると、それがあの子の為なのでそのようにして下さい。と微苦笑で夫人は応えた。
その顔に、アドルフは頷き、エドマを誘ったのだった。
「エドマ、泣けたのね……よかったわ。今まで、一粒の涙も流さなかったから」
呟くように言ったコルネリーに、アドルフは大きく頷く。
「芯の強いお嬢さまです」
「だからこそ、認められなかったのでしょうけれどね……」
「私が支えます」
「ええ、そうですね……嫁いだ後は、よろしくお願いしますね」
頷くコルネリーの手をとり、アドルフは口付けた。
「ティビュルス・モリゾ氏が貴女を慰めた様に出来るかは分かりませんが、私なりにエドマ嬢を愛す事を誓います。お義母上」
「ふふ、そうね、でも貴方なりで十分よ。娘をよろしくお願い致します」
「はい、では」
コルネリーに見送られて馬車に乗ると、アドルフは大きく息をはいて硬いクッションに背中を預けた。雨の為に前に垂れた前髪を片手で掻き上げるとまた、今度は小さくため息をついた。
揺れる室内から見える風景は暗く、何も映さない。ただ雨粒を弾く音だけがする中、アドルフは今後の事を思った。
おそらく、エドマは心開かずに嫁いで来るのだろう。最終的に一緒に暮らしていく自分の方に負の感情を向けさせ、実家は拠り所として帰られる場所にするべきと判断して自分がエドマを折ってみたが。
流石に、堪えた。
睨んで怒鳴るならば良かった。
張り手を受けるのも承知の上だった。
だが、エドマの慟哭が堪えた。
美しい人の魂の叫びが堪えた。
エドマの秘めた心は、まるで蒼い焔のように慟哭となって共に消えた。
自分が手折った心を、アドルフは自覚していた。
エドマにとって一番大切な、なけなしの才能を手折ったのだ。
矜持も何もかも。
折って、折って、手に入れた。
……自分の為に。
あの日、アドルフはモリゾ家の二人のどちらかを選びにルーブル美術館に早めに着いていた。
モリゾ家の馬車が着いて、一人の女性が飛び降りて走り出し、その後に降りてきた女性に目を奪われた。
美しさだけでは無かった。
下男を気遣うような態度、従者にも屈託のない笑顔を見せるあどけなさ。
そして、二人の画家の前で見せた、やるせない苦しさ。
妹に気遣って、綺麗に隠した本心。
手に取るように心理が分かった。
自分と、同じだからだ。
その苦しさから解放させたかった。
今後付きまとうであろう、妹と比べられる永遠の苦しみから、解放させたかった。
そして傷ついた後には、自分が慰める者として側に居たいと思った。
しかし、抉りすぎた。
自分自身を投射して、やり過ぎた。
ぐしゃり、とアドルフは前髪を握りしめる。
「八つ当たりだ……最低だ……」
絶え間なく揺れる馬車の馬足と共に、自分自身の呟きを、アドルフは胸に刻み込んだ。




