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大人が本気で泣く、肝試し(8)

 肝試し開催まで1週間を切った。


 相変わらず優磨くんは、2日と置かずに離れに来ては、ちゃぶ台に向かっている。どうやら宿題は終わったみたいなんだけど、問題集とやらを沢山持ってきていて、それらを飽きもせずに消化しているらしい。

 和ちゃんも檀家さん回りや法事の合間に、フラリと顔を出しては、自主的に先生をしている。元来、面倒見の良い性格なのは知っていたけど……ニコニコ愛想を振り撒く(たち)ではないので、子どもが懐くことは珍しい。


「ゆーまくんさぁー、和ちゃんのこと、怖くないのー?」


 黒いソバカスだらけのバナナを剥きながら、小さな背中に訊いてみる。彼は丁寧に姿勢を変えると、ソファーで伸びているあたしを見上げた。彼の掌にも、やっぱりバナナ。ついさっき、和ちゃんが置いて行った「上げ物」のお下がりだ。


「怖く……ないですけど……怖い人なんですか?」


 白地に緑のチェックの開襟シャツと、デニム生地のハーフパンツ。少し大人びた服のチョイスには、都会っ子の雰囲気が漂う。

 振り向いた優磨くんは、あたしの質問に戸惑い顔を見せた。


「ううん! 怖くないんだけど――ほらぁ、いっつもこーんな顔してるでしょ?」


 起き上がってバナナを傍らに置くと、眉頭をキュッと寄せ、細めた目を両手で少し吊り目にして見せる。


「――あ」


「……え?」


 固まった優磨くんの視線の先を辿って、そのまま振り返ると――浅葱色の法衣姿の和ちゃんが無表情にこちらを見下ろしていた。


「わわわっ! か、和ちゃん、出掛けたんじゃないの?!」


 あたしは慌てて顔真似を解いた。が、時すでに遅し。絶対、見られた。しかも、襖1枚隔てた廊下には、きっと会話も筒抜けだったはず……。


「……いただきものだ。台所で冷やしておくぞ」


 冷静な、いつもと変わらない仏頂面のまま、彼は網状のビニールテープに抱えられた大きなスイカをちょっと持ち上げて、くるり踵を返すと部屋を出て行った。


 ザァーッと血の気が引いた、というか、冷や汗がブワッと吹いた。

 や、ヤバい。あれは、きっと怒らせちゃった……かも。


「梗子さん……大丈夫?」


「あっ、ゴメン! ちょっ……ちょっと、あたし、行ってくるねぇ!」


 バナナもお客さんも放り出して、あたしはワタワタと部屋を飛び出した。

 台所から水音が聞こえる――まだ、いる?!


「和ちゃ……あれっ?」


 恐る恐る覗き込んだ台所。でも、誰もいない。

 シンクに置いた大きな洗面器の中にスイカを入れて、蛇口から水が出しっぱなしになっているだけだ。


「こら」


「ひゃっ?!」


 シンクのスイカを呆然と眺めていたら――突然背後から、左右の頬っぺたをムニッと掴まれた。


「ひゃにふるのぉ?」


 この穏やかな磁場は……良かった、怒りは感じない。

 うまく喋れないあたしは、振り向かずに見上げようとする。彼の影が覆い被さってきて、頬から離れた両手に抱きすくめられた。


「俺は、あんな顔してないぞ」


 少しムッとした声音ながらも、喉の奥でクックッと笑う。


「分かってるよぅ……和ちゃんは、もっとカッコいいもん」


 触れている背中が温かく……熱くなり、あたしはちょっと俯いて答える。


「こら、梗子」


 低い声が耳朶(じだ)をくすぐる。ゾクリと全身を甘い電流が貫いた。


「そういう煩悩を煽るようなことをだな」


「――キャッ」


 囁くと、彼は右の耳朶をパクリと食べた。

 咥えられた耳朶も熱くとろけそうだけど、それより彼の息が耳にかかって、くすぐったい。


「あ……っ、だめぇ……」


 ブルッと身体が震えた。また力が抜けちゃう。シンクの縁を握っていたけれど、咄嗟に両手で彼の腕を掴んだ。


「全く……俺の自制心を過信するなよ?」


 グイとあたしの顔を覗き込むと、さっき摘んだ頬に唇で触れてくる。


「か、和ちゃん……」


 目を閉じずにキスを落とすから、睫毛が触れ合いそうな距離で甘い視線が重なり合う。


「今夜も『特訓』に出掛けるのか、梗子?」


 彼の空いた左手が、あたしの髪を撫でたり、左頬に触れたりしているので、心臓の落ち着く暇がない。


「えっ? ううん。今夜はミーティング」


「じゃ、帰ってきたら食うからな」


「え――ええええっ!?」


 な、なんて大胆発言っ!

 さらりと言ってのけた艶っぽい言葉に、身体中の血が沸騰して駆け巡り、顔全体から湯気が出た。


「馬鹿、スイカだ」


 左手を伸ばして、彼は蛇口の栓をキュッと閉めた。


「――あ」


 淫らな想像に動揺したあたしは、ますます真っ赤になった。

 多分、和ちゃんがミスリードしたに違いない。なのに彼は可笑しそうに、喉の奥で嘲っている。


 結局、彼は思うまま、あたしを翻弄して、機嫌良く檀家さん回りに出掛けて行った。


ー*ー*ー*ー


 午後7時から、小学校の視聴覚教室でミーティングがある。地域振興課から、責任者の尚ちゃん他2名。期間中、司会(ナビゲーター)を担当する美沙都(みさと)ちゃんと、お客さん係の谷口くん。

 顔馴染みの彼らは、あたしが教室に入ると、笑顔で近づいてきた。


「お久しぶりです、梗子さん」


 大きな瞳を柔らかく細めて会釈する。ショートヘアがサラリと揺れる。


「今年もよろしくお願いします」


 丸顔に眼鏡の谷口くんは、畏まって一礼した。相変わらず彼は生真面目だ。


「こちらこそ! 最高の夏にしましょうね!」


 あたしは、とびきりの笑顔で、順番に差し出された掌を握る。

 この村の人達は、今でこそ妖かしに寛容だ。けれども古い時代には、畏怖が高じて敵対心を露にする人も少なくなかった。

 妖かしと人間の関係が変わったのは、約30年前に起こったある出来事がきっかけだ。その時を境に、あたし達は歩み寄る道を選んだ。それは幸せな選択だったと思う。日本全国、様々な土地を巡るようになって、あたしはつくづく実感している。


「あの……ゾンビの方は、大丈夫ですか?」


 美沙都ちゃんが、おずおずと心配を口にする。


「今更ですけど、失礼じゃありませんでしたか?」


 彼女は、肝試しの企画者、シゲさんのお孫さんなのだ。日本古来からの妖かし達に、異国の怪物(モンスター)を演じさせることが失礼ではないか――と気にしていたらしい。


「ふふ。大丈夫、大丈夫。皆プロだから、心配しないで。用意してくれた資料で、ちゃんと勉強したから、任せてね!」


 あたしが自分の胸をドンと叩くと、ホッとしたように頬が緩んだ。


「今晩は。宜しくお願いします」


 カラカラとドアを開けて入ってきたのは、小林トシ子さん。白髪を綺麗にまとめ、青い花柄のブラウスに白いスカート。清潔で上品なスタイルは、少しふくよかな彼女の雰囲気にとても似合っている。


「ご無沙汰してます。今年も、宜しくお願いしますね!」


 トシ子さんは、今春行われた「語り部選抜大会」の優勝者だ。並みいるライバルを押さえて、もっか3連覇中である。如何に効果的に、聞き手の恐怖心を煽るか――お膳立ては大変重要なのだ。


「あら、梗子さん。暫く見ない間に綺麗になったわねぇ」


「えー、本当ですかぁ? トシ子さんも、相変わらずお若いですねぇ」


 あたし達は互いに誉め合って、ウフフと微笑んだ。


「お。皆さん、揃ってますね」


 最後に、濃紺のスーツ姿の尚ちゃんが、数人の男性達と入ってきた。

 あたし達は、ぐるっとロの字形に並べた机の席に着くと、改めて挨拶をした。

 商工会から代表の斎木さん。民泊担当の高見さん。交通整理など雑務に関わる青年団の根岸さん。


「それじゃ、始めましょうか。台本を――谷口」


 尚ちゃんの指示で、谷口くんが台本を配布する。「ゾンビ」と「ミッション系脱出ゲーム」の要素を取り入れた台本は、今年も力作だ。

 それでも、あたし達は台本について、それぞれの立場から遠慮なく意見をぶつけ合い、アイディアを出し合った。

 もっと良いイベントにするために――皆、みころ村を思えばこそ真剣なのだ。


 そうして、あっという間に2時間が過ぎ、三々五々、小学校を後にした。




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