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大人が本気で泣く、肝試し(3)

「……ごめんくださーい」


 玄関の方から、聞き慣れない声がする。


「すみませーん。誰か、いませんかー?」


「……梗子、お客さんだよ」


「えー、眠いよぅ。たまばぁ、出てよぉ」


 祠の寝床で丸くなっていたあたしは、半分うとうとしながら答える。


「こらっ! 実家に帰った時くらい働きな!」


「ヒャン!」


 雷が落ちて、キュッと身を縮め――仕方なく梗子になった。白いTシャツにジーンズ生地のホットパンツ。実家だし、ナチュラルメイクでいいや。


「こぉら、尻尾!」


「あ」


 ホットパンツから1本、フサフサがはみ出していた。いけない、いけない。


「お待たせしましたー」


 母屋の玄関に人間の気配がある。本堂にも離れにも誰もいないところをみると、和ちゃんは檀家さんにお経を上げに行ったのかも知れない。

 田舎のお寺ということもあり、清行寺は家人が留守でも玄関に鍵をかけない。お寺に空き巣に入るような不届き者はいないし、よしんば余所者が忍び込もうものなら、たまばぁが只ではおかない。仏罰より酷い目に遭うことは自明……あぁ怖すぎて、あたしの口からはとても言えません。


「あれ。優磨くん?」


 お寺の玄関は、意外と広い。所在無く佇んでいたのは、昨日出会った小さな来村者、おヨネさん家のお孫さんだ。


「あ、おねぇさん」


「何、どうしたの? まぁ、上がってー」


 彼が両手に掴んだ風呂敷が気になりつつも、とりあえず本堂に上げる。


「お邪魔します」


 都会育ちのせいか、彼は礼儀正しい。脱いだ靴をきちんと揃えてから、あたしの後に付いてきた。

 本堂の仏様の前を通過して、隣の8畳間に通す。法事などの控え室に利用される座敷は、小さなお客さんにはだだっ広い。


「麦茶しかなくて、ごめんねぇ」


 グラスを2つ、お盆に乗せて戻ると、彼は包みを解いて大きなタッパーを2つ、テーブルの上に並べた。


 ――おおお! この匂いはっ?!


 隙間から漏れる微かな匂いに胸が高まる。フサフサが飛び出しそうになるのを、必死に堪えた。そりゃあ、幾らなんでも……あたしにだって羞恥心はあります。


「これ、おばあちゃんからです。お世話になったからって」


「キャー、おヨネさんのお稲荷さんっ! あ、こっちはおはぎだぁ! あたし大好物なのっ、ありがとうねぇ!」


 現ブツを前に、テンションMAX、流石に黄色い声は止められない。ヨダレを垂らす失態を演じずに済んだだけでも、あたしとしては、よく我慢できたと誉めてあげたいくらいだ。

 なんたって、おヨネさんのお稲荷さんは絶品なのだ。この辺り一帯の古狐達にもファンは多い。


「こぉれ、何だい梗子。はしたない!」


 魅惑のタッパーに気を取られて、すぐ後ろにたまばぁが立っていることまで気付けなかった。白髪頭を緩く纏め、藤色の着物姿の老婆に化けている。もう、結局出てくるじゃんか。


「坊や、暑い中ご苦労さんだったねぇ。大して構ってもやれないが、ゆっくりしていきなさいね」


 そう言って大きな瞳をニイッと細めると去って行った。

 彼女は単に、珍客の気配に好奇心を掻き立てられ、覗きに来たに違いない。


「おねぇさん……」


 たまばぁの登場に驚いていた彼は、少しすると思い出したようにあたしを見上げた。綺麗な二重の下のクリッとした瞳に、躊躇いが窺える。


「あ、あたし梗子ね」


「えっと、き、梗子さん?」


「はいはい、なぁに、優磨くん?」


 にっこり笑顔を向けると、少年は一瞬視線を泳がせた。が、すぐにあたしを真顔で見返した。


「ここ……また来ていいですか?」


「いいよ。でも、折角おばあちゃん家に来たのに、いいの?」


「はい」


「うん、それじゃ、いつでもおいで。昼間はあたしか、たまばぁ……さっきのお婆さんがいるから」


「ありがとうございます」


 幾分表情を緩めると、彼は麦茶にようやく口を付け、コクコクと一気に飲み干した。

 そして、終始礼儀正しい振る舞いで、おヨネさん家に帰って行った。


-*-*-*-


「なんだ、我慢しなくても食って良かったのに」


 離れの座敷。帰宅後、お風呂上がりの尚ちゃんは、頭をワシワシ拭きながら、缶ビールを開ける。

 和ちゃんは本堂でお務めの最中なのだが、待たずに一杯やるのは、普段通りだ。


「だって、優磨くんをお世話したのって、尚ちゃんじゃん」


 さっきの彼の台詞は、昼間優磨くんが持ってきた「ご馳走」のことを指している。あたしは摘まみ食いなんかしなかった。もぅ、喉から手が何度も伸びて来たけれど、ちゃんと我慢したんだから!


「馬鹿だなあ、梗子が知らせてくれたから、俺が出動したんだろ。半分は梗子のお陰だよ」


 そう言って、彼はあたしの頭もワシワシ撫でた。くすぐったいけど気持ち良くって、思わず目が細くなる。


「何だよ。尚、帰ってたんなら支度しておけよ」


 いつもの仏頂面で、紙袋を下げた和ちゃんが現れた。テーブルの上を一瞥し、缶ビールしか乗っていないことに苦情が漏れる。


「和ちゃん、お帰りぃー! あたし手伝うよぉ」


「おっ、よろしくー」


 母屋の台所に踵を返した和ちゃんの背中を追いかける。尚ちゃんは、ビール片手にヒラヒラと手を振った。夕食当番をサボった訳じゃない。あたしと和ちゃんが2人切りになれるよう、気を利かせてくれたんだ。

 そんなこと、和ちゃんもお見通しだけど……この兄弟はあからさまには口にしない。


「今日は誰から?」


 和ちゃんがダイニングテーブルに置いた紙袋を覗く。平たいタッパーが2つ入っている。お経を上げに行った檀家さんの家でいただいてきたのだ。


「浅村さんだ。餃子を作り過ぎたんだそうだ」


 『作り過ぎた』――勿論、これが建前だということは、分かっている。


 男所帯の清水家は、日頃は兄弟が交互に夕食当番をしている。彼らが小学生の時にお母さんが亡くなった後、お父さんは「生きる力」と称して父子3人で料理教室に通った。だから清水家の男性は、そこらの女子など顔負けの料理上手だ。

 因みに、家事も分担してきたから要領がいい。もしも彼らのお嫁さんになるのなら、夫の上をいくスキルを持った「超プロフェッショナルハウスキーパー」か、家事一切は夫にお任せの「超グータラマイペース主婦」のどちらかしか務まるまい。中途半端なスキルやプライドが顔を覗かせるような女性では、上手くいかないだろう。


「餃子かぁ。昼間ね、おヨネさんのお孫さんが、お稲荷さんとおはぎを持って来てくれたの」


「じゃあ、餃子は冷凍しておくか」


 そう言いながら、和ちゃんはいただいてきた平たいタッパーを冷凍庫に仕舞い、冷蔵庫から青いタッパーを取り出した。昨日、別の檀家さんにいただいた、鶏肉といんげん豆、里芋、人参の煮物が入っている。その中身を耐熱皿に移して、レンジに入れた。


 料理上手の清水兄弟だが、7月半ばから8月下旬まで、彼らは繁忙期に入る。

 檀家さん回りが始まる和ちゃんは言うまでもないけれど、尚ちゃんも役場を挙げての一大イベント『大人が本気で泣く、肝試しツアー』の責任者だから、連日残業で帰宅時間は不規則になる。


 そんな事情を村人達も良く分かっているので、檀家さん達は『作り過ぎた』とか『いただきものだから』等と様々な建前(・・)でお惣菜をお裾分けしてくれるのだ。


「んー、美味しそー」


 お稲荷さんとおはぎをそれぞれ大皿に移していたが、油揚げの魅惑に再びメロメロになる。


「……俺には、こっちの方が美味そうだが」


「ヒャッ」


 不意に後ろから、逞しい腕に抱きすくめられる。密着した藍染の作務衣から、ツンと涼しげな白檀の香が漂い――。


「和ちゃん……」


 彼が纏う心地良い磁場が全身に染みてくる。長い指に顎を捕らえられ、唇から伝わる幸せな温もりにクラクラしてしまう。


 ――チーン


「……さ、飯にするか」


 レンジにリミットを告げられると、和ちゃんはあっさりと抱擁を解く。今夜の甘い時間は3分間で終わり。ちえっ。


「はぁい」


 あたしと違って、名残惜しさを見せない彼は、テキパキとお盆に皿を乗せていく。

 不粋な文明の利器をチラリと睨んで、あたしは小さくため息を吐いた。




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