78話 対峙
アースウォールはミシミシと心臓に悪い音を立てながら、レンガが敷き詰められた通りの道を破壊する。
ここにいる十人の気持ちの準備は出来ている。
やることも分かっている。
いける、いけるぞ!
そんな俺の気持ちの高鳴りと呼応するように、俺たちを乗せたアースウォールは蛇のように地面から伸びていく。
残り三百メートル、二百メートル、百メートル――0メートル!
アースウォールを解除する。
数百メートル離れた地面から凄い勢いで動いていた土壁の塊は一瞬で煙のように消えうせ、俺たち十人のみがその場に残った。
「来てくれたか! 助かった!」
魔法を上げた冒険者が、俺たちの姿を見て安堵の息を漏らす。
「被害者はどこだ?」
「ここだ、一体だけだったからすでに捕獲してある」
「そうか、お手柄だな。貴殿らは住民たちの避難を優先させてくれ。あの男の相手は私たちがする」
そう言って一歩前に出るシファーさん。
その眼前には、黒いマントに身を包んだ細身の男。
……アイツがジークか。
「ヒールっ!」
俺は魔物にされてしまった被害者にヒールを撃つ。
……やっぱりかなり効きにくくなってるな。前回よりも、さらにだ。
「ヒールっ、ヒールっ、ヒールっ、ヒールっ!」
五回のヒールによって、なんとか元の姿に戻すことが出来た。
よし、効きにくくなってはいるけど、効かないってわけじゃない!
これなら治せる!
「マニュ、ミラッサさん。二人も避難指示を頼んだ」
「はいっ。勝ってくださいっ」
「負けないでね、信じてる」
マニュとミラッサさんは住民の避難指示に回す。
これは当初から決めていたことだ。
この十日間、この状況になることを想定して俺たちは特訓を積んできた。
ジーク、お前はどうだ。この状況を想定できてたか?
「驚いたな……ここまで来たあの魔法はなんだ? 見たことがない魔法だったが……」
「教える義理はない」
「ふむ、それもそうだな」
ジークは落ち着いた声色で俺と問答する。
フード付きのマントのせいで、表情をうかがい知ることはできない。
「なんでこんな事件を起こす。お前の目的はなんだ」
「それこそ教える義理はない……と言いたいところだが、教えてやろう。今日の僕は気分がいい」
ジークを注視しつづけるが、逃げる素振りもない。
こちらとしては時間が経てばたつほど応援の冒険者たちがやってくるからありがたいのだが……どういうつもりだ?
まあいい、そちらに逃げる気がないのなら、出来る限り話を長引かさせてもらおう。
「僕の目的はね、僕自身が理性を保ったまま魔物になることだ」
「……はぁ?」
予想だにしない答えに思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「この一連の事件はいわばそのための前段階とでもいおうか。人体実験と言うやつさ。僕の前に他の人間で実験していたんだよ」
ジークはまるで自慢でもしているかのように、あるいは己の持論をひけらかすかのように口を動かし続ける。
「エルラドの冒険者なら誰もが知っていることだが……特に力を持った魔物はね、人化するんだ。魔物は力を持つことによって人間に近づく。人と同じように言葉を話し、知能を持つ。魔物にはそういう習性がある」
初耳の話だ。
シファーさんが口を挟まない以上、まるっきり嘘の話というわけでもないのだろうが……。
「しかしこれは人間が魔物よりも優れているという証明にはならない。人化した魔物は、魔物の膂力と人間の知力を兼ね備えているからだ。いわば、進化した魔物。ならば、人間が進化するにはどうすればいい? 簡単だ、その逆をすればいいのさ。つまり、魔物の姿になり膂力を手に入れればいい」
近くを警備していた冒険者たちが合流した。
住民の避難も着々と進んでいる。
状況は刻一刻とこちらに都合の良いように動き続けている。
にも関わらず嬉々として口を動かし続ける目の前のジークに、底冷えするような恐ろしさを感じる。
「とはいえいきなりぶっつけ本番というのも些か不安だったからね、心優しい一般市民の皆さんには実験台になってもらった。人との関わりが少ないとこういう時に困るよ。家族や友人がいればそちらに優先的に被検体になってもらおうと思ったんだが、あいにく天涯孤独なものでね」
「そんなことしていいと思ってるのか……!」
「していいかどうかは僕にとって問題じゃない。問題なのはしたいかどうかだ」
無茶苦茶な理屈だ。
話になっちゃいない。
冒険者たちが続々と集まってきているのが見える。
……そろそろ頃合いかな。
攻め始めてもいいかもしれない。
「倫理観は枷だ。枷でしかない。人間はもっと枷を外して自由になるべきだ」
「ファイアーボール!」
己の理論に酔っぱらっているかのように両手を広げたジークに、ファイアーボールを唱える。
俺の掌に発生した熱の塊。
マグマよりも熱く太陽よりも眩い火球は瞬く間に掌には収まらないほどに巨大化し、そして俺の掌を離れた。
「毒触手ッ!」
ジークも己のスキルを唱える。
レベルはいくつだ? いや、そんなことはどうでもいいか。
例えレベルがいくつであろうと、俺のファイアーボールは止められない。
盾のように地面に垂直に飛び出した紫色の三本の触手は、盾の役割を果たす間もなく一瞬で塵と消えた。
「ッ!? 毒触手ッ!」
初めてジークの声色に焦りが混じる。
今度の毒触手は盾としては使わずに、自分を引っ張るために召喚したらしい。
ジークはマリオネットの人形のように、不自然な動きで俺のファイアーボールを避けた。
「……なんだ君は。なんなんだよ君は」
「人間のままでもこのくらいはできるぞ。知らなかっただろ」
苛立っているらしいジークを煽る。
少しでも冷静さを欠いてくれたら御の字だけど……そう上手くはいかないか。
「先ほどのヒールといい、今のファイアーボールといい。完全に化け物じゃないか、君」
「お前に言われたくないよ」
悪いけど、お前を許す気はないんだ。
さっさとケリをつけさせてもらう。




