72話 犯人
「逃げられた……?」
悪い予感が現実になってしまった。
周囲が俄かにざわつく。
無理もない、シファーさんはエルラドでも随一の冒険者。この街にいる冒険者の中では圧倒的に実力のある人だ。
そんなシファーさんが取り逃がすような相手が、正直想像できない。
俺たちの視線を浴びて、シファーさんは自身の追跡劇を語りだす。
「追いかけ始めてすぐに、相手が手練れであることは分かった。普通の人間相手なら数秒で追いつけるのだが、徐々にしか距離が縮められなかったからだ。だが、着実に距離は縮まっていた。そのままいけば捕らえられたはずだったのだが……」
そこでギリリ、と力が入る。
「……あと少しのところまで迫ったところで、ヤツは大通りに出た。そこにはすでに何人も、魔物に変えられた人々がいた。一般人を庇いながら魔物を無力化したときには、ヤツはもういなかった。事件があったのは魔導書を扱っている店がある通りだ。恐らくギルドの前で事件を起こしたのは囮で、本命はそちらだったのだろう。冒険者たちを足止めしている間に魔導書を残さず破壊し、自身への対抗策を得られないようにする。かなり狡猾な犯人だ」
俺たち冒険者の間に重い空気が流れる。
シファーさんの言っていることが事実なのだとしたら、犯人はかなり頭が回る人物だ。
「犯人を逃がしてしまったのは私の落ち度だ、すまない。だが、犯人の顔は見た。エルラドで会ったことがある」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、今から私の知っている限りの情報を伝えよう」
そう言ってシファーさんは俺たちに犯人の情報を伝えてくれる。
名前はジーク・インドケット。
髪の色は黒、年は二十代中盤で、エルラドでもそこそこ名の通っていた冒険者だったらしい。
使うスキルは<毒触手>。
スキルのレベルは不明だが、触れたものを蝕む猛毒を纏った宿主を操るスキルとのことだ。
「ヤツのことも気になるが、無力化した魔物たちを未だ大通りで拘束したままだ。彼らが目を覚ます前にレウスに治してほしい。頼めるか?」
「勿論ですよ。早く行きましょう」
俺はミラッサさんとマニュを連れ、シファーさんの後をついて行くことにした。
「ヒールッ」
俺がそう唱えると、魔物の身体がポワァと柔らかな光に包まれる。
そして元の人の形を取り戻した。
うん、これで全員治せたな。
「シファーさん。エルラドではこういう事件って日常的に起きてるんですか?」
「いや、さすがにこんな事態はあまり起きない。……だがまあ、皆無とは言えないな。数か月に一度は街の存亡の危機が訪れる」
数か月に一度。
それってかなり多いよな。
少なくとも俺は、こんな事態に遭遇するのは生まれて初めてだ。
人類の最先端であるエルラドという地の恐ろしさを再度思い知らされ、ゴクリとつばを飲み込む。
「おっと、すまない。余計な不安を与えてしまったか?」
「いえ、大丈夫です。俺たちの気持ちはそんなに簡単に折れませんから」
そう言いながら二人を見ると、二人も刻々と頷く。
常識が通じないところってのは百も承知だ。
だけど、それは俺たちが諦める理由にはならない。
「エルラドに挑むんだから、この事件も見て見ぬふりなんてできないわよね」
「ミラッサさんの言う通りですっ。街の人の幸せを壊そうとする犯人は許せませんっ。わたしたちの怖さを教えてやりますっ」
ミラッサさんとマニュ。
パーティーの仲間が二人で良かったと心から思う。
「シファーさん。俺たち、この事件を解決して気持ち良くエルラドに乗り込みます」
「その意気だ。私もこのまま終わるつもりはない。レウス、ミラッサ、マニュ。共にこの事件を解決に導こう」
「はいっ!」
俺たちは揃って返事をし、改めてこの事件への気持ちを固めた。
絶対に犯人を捕まえるぞ!




