九話 消えていく夏
それから予約の時間に合わせて二條陣屋に向かった私たちは、大名を楽しませるため、そして敵から身を守るためのからくりを説明してもらいながら屋敷の中を見学していく。
説明の都度、驚きと感心の声を上げる私の横で、アレクも目を輝かせて熱心に聞いている。
ひとときでも熱中できることがあって良かった。
ただじっと別れの予感におびえて過ごすのは辛いだろうから。
見学を終え、もう少し街を散策しようとしたが私の足取りは重い。
今、私が気になるのは古都の街並みではなく隣を歩く彼のことだから。
店を覗いてもただ眺めるだけで興味を惹かれないのは、彼の腕から伝わるぬくもりに集中したいからだ。
こう思っているうちは、せっかく京都に来たのだからと無理をして観光しても疲れるだけだろう。
「宿で寛ごうか」
私の関心が眺めている景色の中にはないことに気付いたアレクに促され、タクシーを拾うため大通りへと足を向けた。
旅館のスタッフに対するアレクの態度は昨日と変わらず、そつが無いのにどこか冷たい。
その育ち故か、人から世話を受けることに慣れている感じがありありとする。
必要以上に有り難がったり恐縮することがない。
そしてアレクは今、そのどこか冷たいまなざしを卓上に留めている。
「わらび餅・・・苦手だったよね。代わりのものをお願いする?」
そう、彼の視線を浚っていたのはお茶うけに出されたわらび餅だ。
竹の器に上品に盛られたそれを一口いただくと、見事な弾力と黄粉の風味に顔がほころぶ。
「いや、良ければあなたがどうぞ」
モチモチした食感が苦手な彼の分まで美味しくいただき煎茶をすすっていると、彼が向かいの席から手を伸ばしてくる。
笑いを含む声で「ユリエ」と呼はれたので素直に彼のほうに身を乗り出すと、口の端を二度撫でられた。
どうやら黄粉が付いていたらしい。
普通に「ついてるよ」と教えられるならまだしも、指で拭われるとかいい年して恥ずかしい。
「お風呂に入ってこようかな」
恥ずかしさを誤魔化すように入浴の準備を始めた私の後ろで、アレクは口角を上げて笑っているに違いない。
悔しいからちょっと胸キュンしたことは内緒にしておこう。
壁ドン、顎クイのほかに「口なで」が乙女の胸キュンポイントだと発見したが、すぐにこれは流行らないと気付いた。
口の端に食べ物を付けてる乙女ってなかなか見当たらないからね。
お風呂上りに部屋の縁側に座って涼んでいると、入浴を終えたアレクが側にきて私を後ろから抱きかかえるように座った。
「このまま時が止まればいいと思う」
私の首筋に顔を埋めて彼が言葉を零す。
彼が漏らすのは胸の奥にある思い。
言っても仕方のない、でも言わずにはおれない熱い心のうち。
「ひとつになれたらいいのに・・・」
アレクとひとつになることが出来るなら、こんな不安は消えるのに。
もし彼が元の世界へ帰ることになっても、アレクとひとつになってついて行けるのに。
そう思って呟いた私の言葉に、背後の彼が息をのんだ。
「あなたから求めてもらえるとは思わなかった」
そういうが早いか彼は私を抱き上げ、続き間に常時敷いてある布団の上に運んだ。
慌てる私はそういう意味じゃないと言いたかったのに、その文句は彼の口に飲み込まれて発することが出来なかった。
性急なそれは彼の溢れる思いであり、戸惑いでもあるように感じられた。
冷静なように見えて、彼もまた別れの予感に怯えているのだろうか。
互いの愛しさと不安を隠すことはないと、私たちはぬくもりを分け合った。
夕食の時も眠るときもアレクはアイスブルーの瞳に宿る熱をもう隠そうともしなかった。
その瞳にひたと見つめられる喜びを知ってしまった私は、同じ熱をもって見つめ返す。
お互いが眠りに落ちるまで心のままに過ごした。
疲れのために眠りが深くなったのは束の間のことで、アレクのことが気になるせいか3時間ほどで起きてしまった。
彼の様子を確かめたくて、木と和紙で作られた和風のスタンド照明をつける。
「・・・っ!」
昨日と同じだった。
いや昨日以上かもしれない。
彼の輪郭がぼやけ今にも透けていきそうなほど頼りない。
「アレク!」
昨日と違うところは私がこうなることを予想していたことだ。
昨日はアレクが目覚めたと同時に、彼の体がぼやけるのも収まった。
だとしたら彼の体が完全に霞んでしまう前に起こしてしまえばいいのではないか。
そう思った私は彼の胸を精一杯揺さぶり何度も声をかける。
それなのに彼は目を覚ましてくれない。
焦った私は心臓マッサージよろしく彼の胸を叩こうとした、そのとき。
「ユリ・・・」
「アレク!」
ぼんやりした視線で私を捉えていたアレクの目が私の声に反応して力強さを取り戻す。
先ほどまで消えかかっていたとは思えないほどの俊敏さで起き上がった彼はその胸に私を勢いよく抱き込んだ。
長くなったので話を二つに分割しました。