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その愛を覚えてる  作者: 桃花の宮
第二章 あちらの世界
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三十六話 不安材料

翌朝になってもアレクは目を覚まさなかった。

医師を呼び診てもらったが、どこにも異常は見られず目を覚まさない原因はわからなかった。

脈も安定しており呼吸も穏やかで、誰の目にもただ眠っているようにしか見えない。

医師は一旦帰り、午後になったらまた来てくれるとのことだった。


「ユリィ、今日は仕事を休んでいいよ。代わりに兄さんに付いていてくれる?」

「はい。ラルフさんは?」

「俺も兄さんの様子が気になるから今日は家にいるよ。一度書類を取りに店に行くけど、あとは部屋にいるから何かあったら呼びに来て?」

「はい」


アレクのそばにいても百合恵には様子を見守るだけで何もできないのだが、やはり心配なのでそばにいたいと思っていた。

ラルフの言葉はそんな百合恵の心情を見越しての心遣いだろうと思う。

だが百合恵が心配しているのはアレクだけではなかった。


「ラルフさんも大丈夫ですか?いつもより顔色が悪い気がします。昨日も無理をして笑ってる感じがありましたし・・・」

「ユリィは俺のことを良く見てるね」


ラルフは百合恵の言葉に驚いた顔をしたあと、目元を緩め優しい視線を百合恵に向けた。


「少し疲れてるのかな。倒れるほどの無理はしないから大丈夫だよ」

「でも少し休んだほうが・・・」

「ユリィ・・・好きだよ」


ラルフはその腕で緩く百合恵を囲ってから唇を落とした。

突然の甘さに百合恵は反応が遅れたが、すぐに瞼を閉じラルフがくれる甘やかで温かな想いを受け入れた。

ゆっくりと唇が離れるのに合わせて目を開けた百合恵は、切なく揺れる翡翠の瞳を見た。


「ラルフさん?」

「はぁ、ユリィと離れたくないよ。・・・兄さんが目覚めたらすぐに知らせて」


ため息をつくラルフに百合恵は小さく笑った。

アレクの寝室とラルフの書斎は同じ階にあり何分とかからずに行き来できるのに大袈裟だ。

ラルフは目に切ない色を残したまま、百合恵の頬を指先で何度か撫で部屋を出て行った。



それから何度かラルフはアレクの様子を見に来たし、百合恵も息抜きにと庭を歩いたりした。

だが夕刻になって医師が再診に来てもアレクは目覚めていなかった。

時折身じろぎをするようになったので、打ち所が悪く体が動かせないわけではなさそうだと医師は告げた。

身じろぎするアレクを見て目覚めが近いと感じたラルフは医師を何度も呼びに行く手間を考え、夕食に誘い泊まるように勧めた。

ラルフと医師が先に夕食をとっている間、百合恵はアレクのそばにいた。

うなされることもなく穏やかに眠るアレクを見て、百合恵は思わずポツリと零した。


「アレク・・・。早く目を覚まして。みんな心配してるから」

「・・・・・・ユリ・・・」


その声に驚いて百合恵は椅子から腰を浮かし、アレクの顔を覗き込んだ。

薄っすらと瞼が半分開いたと思ったら、またすぐに閉じてしまった。


「アレク?!アレク!」


百合恵が呼びかけても反応はなく、穏やかな眠りに戻ってしまった。

百合恵の声を聞きつけたアリスが部屋に来たので、ラルフと医師を呼んでくれるように頼み、再びアレクを見つめ呼び続けたが変化はなかった。

そのうちラルフと医師が現れたので、百合恵は先ほどの状況を説明し、医師は呼びかけたり頬を軽く叩いて反応を見たが、アレクはやはり眠り続けたままだった。

百合恵は落胆したが、医師とラルフは目覚めに期待を持ったようだった。

ラルフの勧めでこの場はラルフと医師に代わり、百合恵は夕食をとりに部屋を出た。

一人で夕食をとるのは久しぶりだった。

こちらに来てからはアレクとラルフの三人で食卓を囲むのが常だった。

用事がある日でもアレクかラルフのどちらかはいてくれて、百合恵が一人になることはなかった。

自分はこちらの生活にいつの間にか馴染んでいたと百合恵は思った。

特別な何かをしなくても、毎日当たり前のように続けている食事という団らんが、自分をいつの間にかアレクとラルフがいる暮らしに馴染ませてくれた。

早くアレクが目覚めてくれればいいと願いながら百合恵は料理を口に運んだ。

ちょうど食事を終えたときアリスが入室してきて、先ほどと同じようにアレクが一瞬だけ目を覚ましたと教えてくれた。

すぐにアレクのもとへ向かった百合恵をラルフが迎えてくれた。

百合恵と入れ違いに医師は退室していく。


「さっき一瞬だけ目を開けたんだけど、またすぐに眠ってしまったんだ。でも少しこちらの声に反応したから、直に目を覚ますんじゃないかな」

「そうですか・・・」

「ユリィ。今日はずっと兄さんを見ててもらったから疲れただろう?もう部屋で休んでもいいよ」

「ラルフさんはどうするんですか?」

「今日はもう急ぐ仕事もないし、もう少しここにいるよ」

「じゃあ私もラルフさんと一緒に居ます。眠くなったら部屋へ戻りますから」

「・・・ありがとう」


椅子をもう一脚、寝台の近くに運び二人並んで座った。

いつもと変わらぬ様子を見せているラルフだが、百合恵はなにか違和感を覚える。

はっきりとここが違うとわかる変化はないが、どことなく疲れているような寂しそうな、そんな空気をラルフから感じるのだ。

アレクが倒れたことと関係があるのだろうが、アレクが意識を戻すまでは心配するのも当然なので、百合恵が無責任に励ますこともできない。

百合恵は迷った末、席を立った。


「もう眠る?」


問いかけるラルフの前に立った百合恵はそっとラルフを抱きしめるように彼の頭を胸に抱え込んだ。


「ユリィ?」

「・・・なんとなくラルフさんが寂しそうな気がしたから。私が落ち込んでるとき、ラルフさんはすぐに気が付いてくれるし、そばにいて話を聞いてくれるでしょ?こんな風に優しく抱きしめてくれて、私はそれで落ち着くから・・・だから、私も真似してみようと思って・・・」

「ユリィ・・・」


ラルフはそのままの態勢で百合恵を強く抱きしめ返した。

室内を優しく照らす明かりを受けて飴色に輝くラルフの金髪を百合恵は優しく梳いた。

いつもラルフが百合恵にしてくれるように。

何も言わないラルフが本当はどんな思いを抱えているのか百合恵にはわからない。

アレクを心配しているのか、ただ疲れているのか、それとも別の悩みがあるのか。

どんな対応をすればラルフの心が軽くなるのかわからないが、ラルフが百合恵を抱きしめたまま離さないのなら、ラルフが満足するまでこのままでいたいと思う。


「・・・ユリィ、ありがとう。好きだよ・・・あなたのことが、心から・・・」

「ラルフさん・・・私もラルフさんのことが心から好きです」


絞り出すような声で百合恵に想いを告げるラルフはまるで泣いているようだ。

何がそんなにラルフを追い詰めているのかわからない百合恵は、彼を安心させるようにしっかりとした声音で想いを返した。

百合恵の胸元でラルフが息を吐く音が聞こえる。

百合恵を抱きしめていた腕の力が緩み、ラルフが落ち着いてきたことを百合恵に知らせた。

それでも百合恵はラルフの髪を撫で続けた。

ラルフが力を抜ききってしまうまで、そうしていたかった。



「・・・ユリ・・エ・・・」



その声に二人の肩が跳ねた。

百合恵は声がしたほうへ振り返り、ラルフは立ち上がった。

アレクの瞼が震え持ち上がる。

何度か瞬きを繰り返した後、視線を百合恵とラルフのほうへ動かした。


「アレク?!」

「兄さん、目覚めたんだね。待って、まだ動かないで。ユリィ、ウィルのところに行ってお医者様を呼んできてもらって」

「はい!」


百合恵は扉を開けるのももどかしく、勢いよく飛び出していった。

一階まで下りた百合恵は日中ウィルがいる場所を何か所か見て回ったが見当たらなかった。

百合恵は夜は部屋からほとんど出ないため、この時間帯にウィルがどこにいるかわからなかった。

厨房にはまだ明かりがついていたので、そこでウィルの居場所を尋ねようと思い足を向けると、その足音を聞きつけたウィルが厨房から顔を出した。


「ウィルさん!探してたんですよ」

「ユリ様。ラルフ様とまだアレクシス様のお部屋にいらっしゃるようでしたので、お茶でもお持ちしようと用意していたんですよ」

「ああ、ありがとうございます。じゃなくて、アレク様が目を覚ましたんです。お医者様をお呼びしてもらいたくて」

「アレクシス様が?かしこまりました。すぐに呼んで参ります」


ウィルは失礼しますと百合恵に声をかけると、足早に医師のいる部屋に向かった。

百合恵も急いでアレクの部屋に戻るため階段を駆け上がる。

アレクの寝室の開け放たれた扉を見て、百合恵は自分が慌てて出たために閉め忘れていたことに気が付いた。

百合恵のすぐ後ろから二人分の足音が聞こえる。

おそらくウィルが医師を連れてきてくれたのだろう。

部屋に近づくとラルフの声が漏れ聞こえてきた。


「兄さん・・・それで平気なの・・・?」


アレクの容態を確認しているのだろうか。

百合恵はそのまま入室せず、開け放たれた扉を叩き声をかけた。


「ユリです。お医者様をお連れしました」

「・・・どうぞ」


入室した百合恵はベッドに上半身を起こしたアレクとその横に立っているラルフを見た。

二人とも硬い表情をしているのが気になったが、すぐに医師が来たため百合恵は端により、診察の様子を見守ることにした。

診察が終わり問題ないと下されると、目覚めたばかりのアレクを疲れさせないため、それぞれの寝室へ引き上げることになった。

部屋を出る前にちらりとアレクに視線を向けると、彼も百合恵を見ていた。

その瞳に既視感を覚える。

アレクのアイスブルーの瞳とラルフの翡翠の瞳は、ふだんはまるで温度が違うと百合恵は感じている。

アレクは冷静さを現すような低い温度だし、ラルフは穏やかな温かい温度だと思う。

だが、今見たアレクの瞳はラルフと似ている。

正確に言えば普段のラルフではなく、昨日からの少し様子の違うラルフの瞳に似ている。

寂しさ、切なさ、愛しさ、困惑、そんな想いを閉じ込めた瞳だ。


「ユリィ、部屋まで送るよ」

「・・・大丈夫ですか?」

「・・・」


ラルフに促されて部屋を出た百合恵は、自分でも何だかよくわからないままラルフを心配していた。

ラルフはそれに答えず、緩やかに微笑むとおやすみのキスを落とした。

百合恵の唇ではなく、その口の端に。

その翡翠の瞳は、やはり先ほどのアレクの瞳と似ていた。



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