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その愛を覚えてる  作者: 桃花の宮
第二章 あちらの世界
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二十七話 揺れる吊り橋2

屋敷を出た馬車はラルフの会社がある大通りを走る。

グランヴィル商会を通り過ぎ、さらに五分程走るとようやく止まった。

ラルフの手を借りて馬車から降りた百合恵の目の前にあったのは白い外壁の洒落た店だった。

入り口で扉を開けて待っていた店員さんがにこやかに挨拶をしたあと、お店の側面にあるテラス席へ案内してくれた。

大通りに面した席はガラス窓が大きく開放感があったが、テラス席はイングリッシュガーデン風の庭に面しており、さらに明るく気持ちの良い空間になっていた。


「素敵なお店ですね。私、こういう雰囲気のお家に住むのが夢なんですよ」


グランヴィル家で過ごしている百合恵の部屋もなかなか好みだが、この店は百合恵の憧れが詰まっていた。

大きな窓には落ち着いたベージュのカーテンがかかっており、店内のソファやテラス席の籐の椅子も同じ色で統一している。

淡いアプリコット色のテーブルクロスが華やぎを与えているが決して甘すぎない。

庭も風に揺れる草花が可憐で心が安らぐ。

興奮気味に話す百合恵にラルフも嬉しそうだ。


「そんなに喜んでもらえるなんて誘った甲斐があったよ。なんとなくユリの雰囲気に合ってると思ったんだ」

「嬉しいです」


こんな素敵なところに合うと言ってもらえた百合恵は頬を染めて顔を綻ばせた。

ラルフは左目を細めて百合恵の笑顔を受け止めた。


「ランチは頼んであるんだけど、飲み物は何がいい?フレーバーティーやハーブティーが色々あるよ」


そう言って手渡されたティーリストを眺め百合恵は迷いに迷った。

ハーブティーはこちらの世界特有のものらしく名前を見てもわからなかったが、名前の下に小さな字で香りや味、効用の説明書きがしてある。

ラルフに実際飲んだ感じはどうだったか聞きながら、最終的にアプリコットとピーチのフレーバーティーと、穏やかな甘味のあるハーブティーの二択まで絞った。


「じゃあ、その二つを頼もう。二人で分け合えばいい」


ラルフの提案に有難く頷き、百合恵は食事が運ばれてくるまで穏やかな風を感じながら今を楽しんだ。


「今まではずっと屋敷で過ごしていたけど、これからはユリが興味があるなら色々なところに連れて行ってあげたいんだ」


食事をしながら他愛もない話をし、デザートとお茶が運ばれてきたころ、ラルフがそう切り出した。


「ユリはこちらの世界に慣れないこともまだあると思うし、俺たちに気を遣うこともあると思うけど、ユリが楽しいと思うことをしてもいいんだよ」


押し付けがましくない自然な口調で話すラルフに百合恵は今朝から考えていたことを話した。


「私、これまでのことを思い返していたんです。私の世界でアレクと恋人になれたのは、あの場に頼る者が私しかいなかったからじゃないかなって。私はアレクと離れてからもずっと好きだったけど、こちらに来てからは前みたいに自然に彼に接することができなくて、顔色を窺ったりして。今でもアレクを好きだと思っているのは、本当は思い出に縋っているだけかも・・・」


特殊な環境下だったからアレクは百合恵を好きになったのかもしれない。

そして今、百合恵がラルフを気になるのは、同じように特殊な環境下で百合恵に優しくしてくれる彼に縋りたいだけかもしれない。

そのことをラルフ本人には言えないが。


「私、しばらくアレクに好きになってもらいたいとか考えずに過ごしたいんです。それで、あの・・・ラルフさんにお願いがあるんですけど・・・」

「うん?」

「ラルフさんの会社で働かせてもらえませんか?」


ラルフは驚きに目を瞠った。

アレクへの思いから一旦離れたいという主旨だったので、百合恵の日課になっている午後のお茶を運ぶ役目を休みたいという願いかと思っていた。


「・・・ユリは働きたいの?」

「うちにずっといると色々考えてしまいそうというのもあるんですけど。一番の理由は昨日の夜会でラルフさんが仕事のことを楽しそうに話していたから、私もそれに触れてみたいと思って。そうしてその仕事を私も好きになれたら、この世界に馴染むことができて、以前みたいに人に気を遣い過ぎずに自分の気持ちに素直になれるんじゃないかなぁと・・・」

「ユリ・・・」

「私の世界では事務の仕事をやっていたんです。学生のころは接客の仕事も少しやったことがあります。それがこちらで役に立つかはわからないんですけど、どうでしょうか・・・」

「わかった。一緒に働こう」


木漏れ日のように温かく穏やかな眼差しで返事をしてくれたラルフに、百合恵は安堵の笑みを浮かべお礼を述べた。


「ありがとうございます、ラルフさん」

「俺も嬉しいよ。ユリが俺のやっていることに興味を示してくれて。正直、働かせることは迷ったけどね」

「ラルフさん・・・」

「ああ、そんな顔をしないで。迷惑とかそういうことじゃないから。ユリがこちらに来て間もない頃、俺がユリに働きたいのか聞いたことがあるのを覚えてる?」

「はい」

「その時、ユリは仕事がそこまで好きじゃないのかなって感じたんだ。働く意思表示はしてたけど、生活のために仕方なく働いているんだろうと思ってた。だから今、ユリが仕事をしたいって言ってくれた時、迷ったんだ。ユリは今、仕事をしなくても生活できる環境にあるだろう?たとえ兄さんへの気持ちに冷静になるためでも、あえて好きでもない仕事をしなくても、趣味でも何でも楽しいことを探してそちらに没頭する選択肢もあると思ったんだ」


百合恵はあの時の本音をラルフに見透かされていたことに気まずさを覚えた。

でもそれ以上に、ラルフが百合恵を「仕事をしなくても生活できる環境にある」と断言したことに驚いた。

当初はラルフのことを信用していいものか迷っていて、いつ追い出されてもおかしくないと思っていた。

今はかなり信頼していると思うが、いつまでもラルフの厚意に甘えて居候生活を送るのは申し訳ないと思っている。

アレクのことがなくても、いつかは働かなければと考えていた。

だがラルフはそう考えてはいなかったらしい。

グランヴィル家が百合恵の面倒を見ることは、彼の中では当たり前であったからこその言葉だった。

無理に働かなくてもいいし、むしろ好きなことをしていてほしい、そんな高待遇だと百合恵は認識していなかった。

百合恵に対するラルフの興味が尽きた時に追い出される不安定な状況だと思っていた。

ラルフとの認識の違いの大きさと、見方を変えれば自分は恵まれた環境にいたのだということに気付き、百合恵は驚きのあまり言葉が出なかった。


「でもユリの今の気持ちを聞かせてもらえたから、無理に頑張ろうとしているわけじゃないとわかった。俺が楽しんでいることに触れたいと思っているんだったら、俺もユリと一緒に仕事をしてみたいと思うよ」


百合恵は夜会の時、瞳を輝かせて仕事の話をするラルフを見て、自分もその気持ちを味わってみたいと思った。

今まで仕事は義務であり、楽しむという感覚を持っていなかった百合恵にとって、ラルフの感覚は憧れだった。

その気持ちが芽生えたからこそ、アレクばかりを追う思考から離れる手段として仕事をしようと思えたのだ。

それにラルフのそばなら仕事が楽しいという感覚が百合恵にもわかるかもしれない。

そうなればこの世界に早く慣れることができるだろう。

元の世界で百合恵が自分の気持ちに素直になれていたのは、ある程度自分に自信があったからだ。

その自信の源は自分の力で働いて生活していることだったように思う。

ラルフのおかげで人に頼ったり甘えたり、何かをできない自分を許すことができるようになったが、いつもそう思える訳ではない。

だからこの世界で自力で生活できるとまではいかなくても、少しでもいいから自信をつけられることがしたいという思いも百合恵にはある。

ラルフはきっと百合恵のそうした思いまでわかっていて、一緒に仕事をしようと言ってくれたのだろう。

ラルフはもっと別の道もあると選択肢を示してくれるが、どれを選んでも百合恵の気持ちを否定することはないのだ。

ハーブティーの注がれたカップに口をつけながら庭を眺めるラルフに、百合恵は感謝の思いを込めた視線をそっと送った。

ラルフが百合恵の視線に気付き微笑み返してくれる。

翡翠の瞳が細められている。

左目の方が少しだけ細くなることに百合恵は初めて気が付いた。


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