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その愛を覚えてる  作者: 桃花の宮
第二章 あちらの世界
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二十二話 厚意から好意

大通りの隅に立ち尽くして百合恵は途方に暮れていた。

アレクのことで傷つき、ラルフを頼ってここまで飛び出して来たが、今はその勢いを失ってしまった。

行き交う人たちが百合恵を横目で見ていく。

先程までは気にならなかった人目も気になり出し、百合恵はとにかくラルフを探すことにした。

ゆっくり道を歩きながら、一軒ずつ中を覗きラルフの気配がないか探っていく。

道の先まで何十件と建物が続いており、これを全て見て回るのはなかなか骨の折れる作業になりそうだ。

百合恵の横顔に橙色の日が当たり、日暮れが近いのを知らせている。

もう屋敷に戻ったほうがいいかもしれないと百合恵が弱気になってきた頃、数件先の建物に見覚えのある紋章の旗が掲げてあるのが目に入った。

この通りの建物はそれぞれお店や会社のロゴを描いた小振りの旗を掲げているところが多く、百合恵の目に留まったものもその一つだった。

どこかで見たことがある気がして、その旗のほうへ歩き出した百合恵は、その旗の真下に来てそれがグランヴィル家の紋章であることに気付いた。

屋敷の門や家具の一部にこの旗と同じ鷲が羽を広げたような印があったはずだ。

その建物の入口の横には金のプレートでグランヴィル商会と書かれてある・・・ように思える。

飾り文字で書かれているため、百合恵には確信が持てなかったが、なんとなくそう書いてある気がした。

入口の横で百合恵が飾り文字とにらめっこをしていると、中にいた従業員らしき男性が扉を開けてくれた。


「お嬢様、お買い物ですか?」


丁寧な物腰で中へ招いてくれた男性は人当たりの良い柔和な笑みを浮かべている。

店内を見渡すがラルフの姿は見えず、勘違いだったのかもしれないと百合恵は眉尻を下げた。


「私、ラルフさんを探しているのですが。こちらにラルフ・グランヴィルさんはいらっしゃいませんか?」

「社長ですか・・・お約束はありましたでしょうか?」

「いえ・・・あの、急に会いたくなったので」

「申し訳ありませんが、社長はお忙しくお約束がないとお取次ぎ出来かねます」


どうやらラルフの会社はここで間違いなかったようだ。

だがラルフが社長を務めていて会えないというのは百合恵にとって想定外だった。

さすがにどの世界でも社長にアポなしで会おうとするのは無謀らしい。

どっと疲れが出た百合恵はせめて屋敷に戻る前に少しだけでも話せたらいいと思った。


「一緒に帰りたいのでラルフさんが終わるまで待たせてもらえませんか?」

「それは・・・」

「あ、お店の中が無理なら外で待ってますので、伝えておいてください」


そう言って百合恵はそそくさと店の外に出た。

よく考えてみると職場に家族や知り合いが訪ねてくるのは嫌かもしれないと思ったのだ。

どこかカフェで時間が潰せたらいいのだが、百合恵はお金を持っていなかった。

近くにベンチでもあればと辺りを見回すが腰を下ろせそうなところはなかった。

仕方なく街路樹に寄りかかり、通りを眺めながら時間を潰すことにした。


「はあ・・・」


勢いが削がれて落ち着いてきた百合恵は、自分の考えのなさにため息が出た。

そもそもアレクのことがショックで、ただ泣きたくて、ラルフに話を聞いてほしくて会いに来ただなんて、仕事中の彼にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。


でも、あの時は本当に傷ついたのだ。

アレクは百合恵のお茶が上達したと褒めてくれた。

その言葉は嬉しかったのに、アレクの表情を見て百合恵は胸が軋んだ。

アレクが百合恵に向けた微笑みは唇の左右がきれいな弧を描く完璧なものだった。

だが百合恵が見たかったのはその笑みじゃない。

左の口角を上げるアレク独特の笑みが欲しかったのだ。

あんな社交辞令を絵にかいたような偽物の微笑じゃなく。

それが百合恵には悲しかった。

もう百合恵には社交辞令でしか微笑むことはない、明確に他人として区別された気がしたのだ。

アレクの中に恋人だったころの百合恵は完全にいない、それを突き付けられたのだ。

今 思い出しても涙が出そうだ。

その悲しみの衝動のままラルフのところまで来ようとして、その途中でラルフのことを何にも知ろうとしなかった自分の失礼な態度に気付き愕然とした。

ラルフに会ったらなんて言おうか。

アレクの話を聞いてほしい、でもラルフにもっと伝えたいのは彼のおかげで心が楽になった感謝の気持ちと、これまで自分のことばかり話してごめんなさいという気持ちだ。

あぁ、これではまた自分が話してばかりだと百合恵は思い、どうしていいかわからなくなってきた。

百合恵が二度目のため息をつこうとしたとき、勢いよく扉を開ける音がした。


「ユリ!」


店の扉から転がるように飛び出してきたのはラルフだった。

彼の金髪が夕陽を受けてきらきらと眩しく輝いている。

百合恵は考える間もなくラルフに飛びついていた。


「ラルフさん・・・ラルフさん・・・!」


飛びついてきた彼女を後ろに仰け反りながらも抱き留めたラルフに、百合恵は泣きながらしがみつく。

聞いてほしいこと、伝えたいことは沢山あるのに、頭の中をぐるぐる回るだけで言葉が出てこない。


「ごめんなさい・・・ごめん、なさい・・・。言い・・たくて・・・あり、がとう・・・って。・・・ごめんなさい・・・アレ・・クが・・・」

「ユリ、落ち着いて。ゆっくりでいいから。話を聞くから、とりあえず中に入ろう」


ラルフは百合恵を抱きしめたままの腕を少し緩めて、彼女の顔を覗き込んだ。

興奮して泣いている百合恵にハンカチを持たせ涙を拭うと、彼女の肩を抱いたまま店の奥へ連れて行った。

普段、応接室として使っているそこのソファに百合恵を座らせラルフも隣に腰を下ろす。


「ユリ、ここにはどうやって?ウィルに送ってもらった?」

「いえ・・・一人で・・・」

「一人でここまで?!何があったの?」


百合恵がここまで一人で来たことに驚いたラルフは、無事に辿り着いて良かったと百合恵の肩を抱く手に力を籠めた。

同時に今迄大人しく屋敷で過ごしてきた百合恵を突然一人で屋敷を飛び出させるほどのことがあったのかと心配した。

百合恵はアレクに社交的な微笑を向けられて傷ついた胸の内を言葉に詰まりながら話した。


「あのとき、ラルフさんの顔が浮かんだら・・・どうしても、会いたくなって・・・気が付いたら・・・お屋敷を飛び出していて・・・」


ラルフは百合恵のその言葉を聞いて天を仰いだ。

片手で目元を隠しながら声にならない声をあげた。


「ユリィ・・・」


いつもははっきりと「ユリ」と発音するラルフの声が甘く擦れた。

百合恵は自分のことで精一杯で、その言葉の意味がどう取られるか気付いていない。

ラルフはそれがわかっているからこそ、天を仰いでため息を漏らすしかなかった。


扉を叩く音がして、先程の従業員がお茶を運んできた。

従業員の男性はカップを応接机に置きながら、目元を赤く染めながらも天を仰ぐ社長と、その隣で涙を拭うお嬢様という興味深いカップルを盗み見た。

ラルフに会いに来る女性はすべて断るように言われていたため先程はこのお嬢様もお断りしたが、一緒に帰るという言葉が気になって、そのあと一応知らせに行ったのだ。

お嬢様の容姿を伝えると、いつもは穏やかで冷静な社長が「なんですぐに知らせないんだ」と声を荒げて慌てて店の外に飛び出していったのを見ている。

いったいどういう関係なのか、あとで社長を揶揄おうと心に決め彼は退室していった。


部屋に二人きりになるのを待って百合恵は話し始めた。


「ここに来ようとして、私はラルフさんのこと何も知らないことに気が付いたんです。私、ラルフさんにいつも助けられていて、そのおかげで心が軽くなって、こちらの世界でも楽しく過ごせるようになったんです。ラルフさんは私にとってかけがえのない人なんです。なのに、お礼も言えてなかったし、自分のことばかり話しててラルフさんのこと知ろうとしてなくて」


百合恵はラルフの目を真っ直ぐに見つめた。

翡翠色の瞳はいつも優しく百合恵を見つめ返してくれる。

だから百合恵は照れずに伝えることができるのだ。


「だから、ラルフさん。今迄たくさん助けてくれてありがとうございます。そして自分のことばかりでごめんなさい。これからはもっとラルフさんのこと、知りたいです」


百合恵の誠実な言葉はラルフの胸に温かく響いた。

百合恵が友情としてその言葉を語っているとわかっていても、またラルフが友情以上の思いを抱いているとしても、彼女の気持ちは純粋に嬉しいものだった。


「ありがとう、ユリィ」


ラルフが百合恵を呼ぶ語尾が甘く擦れた。

その響きは百合恵の胸をくすぐるようにして消えていった。

そのときの胸のしびれを百合恵は見極めないまま流してしまった。


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