十八話 優しい人
百合恵とウィルはともに部屋を出て厨房へ向かった。
「アレクシス様のお茶の準備を」
厨房にいるメイドにウィルが声をかけると、メイドはお湯を沸かす間に茶菓子や茶器の準備を始めた。
「ユリ様はお茶を淹れられたことはありますか?」
「はい、自宅ではよく淹れてました」
平日は忙しいためティーバッグで淹れるが、百合恵は基本的にお茶好きなので休日は茶葉から淹れていた。
アレクと暮らしていた時は、彼にも淹れてあげたことがあるし大丈夫だろう。
「アレクシス様の午後のお茶はミントをブレンドしたものをお出ししております」
話しているうちにメイドが用意したお茶のセットをウィルが持ち、二人で二階へと上がる。
ワゴンがいくつか置いてある配膳室のような部屋で、厨房から持ってきたセットをお茶を淹れやすいようにワゴンに配置し直し、それを押してアレクの部屋の前に移動した。
「それではお願い致します」
ウィルはそう言うと踵を返した。
百合恵はウィルの背が廊下の角に消えていくのを見送ってから扉に向き直り深呼吸をした。
緊張するがグズグズしていると湯が冷めてしまう。
百合恵は震えそうな手を軽く握り扉を叩くと入室許可を得た。
「お茶をお持ちしました」
執務机で書類を読んでいたアレクはワゴンを押して入室してきた百合恵を見て軽く目を見開いた。
「ウィルはどうした?」
「ラルフさんのお言いつけで、午後のお茶は私がお出しするようにと・・・」
「・・・そうか」
そのことに関心を無くしたのかアレクは再び書類に目を落とした。
百合恵はもともとポットとカップを温めるために入れておいた湯をボウルに捨て、茶葉をポットに移し、お湯差しからポットに湯を勢いよく注ぐ。
蒸らしている間に、こっそりアレクの部屋を見渡すと、どうやらここは書斎らしく壁の書棚には分厚い書物がびっしり並んでいた。
百合恵が借りている客間とは違い、ダークブラウンの家具がどっしりと重厚な雰囲気を醸し出している。
蒸らし時間が終わりお茶を注ぐと、百合恵はなるべく音を立てないように執務机にカップを置いた。
アレクは一通り目を通した書類を脇に置くとカップに手を伸ばす。
アレクがお茶を飲む姿は美しい。
百合恵はまたそれが見れると内心喜んでいたが、カップに口をつけたアレクは途端に眉を顰めた。
「渋すぎて飲めない」
「えっ⁈」
「まともに淹れることも出来ないのに引き受けたのか」
「すみません・・・」
百合恵は慌ててカップを下げる。
いつも通り淹れたはずなのにどうしてなのか、百合恵はカップに残っているお茶の味を確かめてみた。
アレクの言う通り確かに渋みが強すぎた。
「おい。普通は主人の飲み残したカップに口をつけないだろう」
「あ・・・すみません、つい」
慌てていた百合恵は思わずアレクの残したお茶に口をつけて味見をしてしまった。
「アレク様、すみませんでした。すぐに代わりをお持ちします」
「もういい。下がってくれ」
「・・・はい」
アレクの呆れたような声に百合恵は肩を落としワゴンを押して部屋を出た。
そのまま配膳室にワゴンを返しに行くとウィルが立っていた。
「どうでしたか?」
「すみません、失敗してしまって・・・飲んでいただけませんでした」
切れ長の目を細めるウィルからの叱責を、百合恵は肩を強張らせながら待った。
だがウィルの声は予想と違い穏やかだった。
「そうですか。あとは私がやりますので、ユリ様はお部屋で休んでください」
一見、神経質そうに見えるウィルは仕事に煩そうで嫌味の一つでも言われることを覚悟していた百合恵は、驚いてウィルを見上げた。
「ユリ様の国とこちらでは水質が違うのかもしれませんね。水質が違うと味の出方も変わると言いますし、私も迂闊でした。申し訳ございません」
百合恵のミスを水質のせいだと庇ってくれたウィルの心遣いに、落ち込む百合恵の心は助けられた。
「ありがとうございます。私はこれを厨房に返してから部屋にもどりますね」
「ではお手伝い致します」
ウィルはお湯差しやポットなど重たいものをさっさとトレイにのせて持ち上げたため、百合恵が持つのは軽い茶葉の容器だけだった。
その姿を見ながら、グランヴィル家には優しい人が多いと百合恵は思った。
ラルフや、ウィルをはじめとする使用人の人たちも、百合恵が顔を合わせたことがある人たちは皆親切だった。
それは主人であるアレクの管理が行き届いているということだろうか。
百合恵が知るアレクもとても気遣いのできる人だった。
先ほどはアレクを呆れさせてしまった百合恵だが、もう少し肩の力を抜いて頑張ってみようと思えた。
朝から慣れないこと続きで緊張していた体が緩んだのか、百合恵は部屋に戻ってから夕飯に呼ばれるまでウトウトしていた。
アリスから声をかけられ食堂に向かうとアレクとラルフが談笑していた。
百合恵が席に着くと、ラルフはアレクに向けていた笑顔のまま百合恵に話しかけてきた。
「やあユリ。今日のお茶は少し渋かったようだね」
「・・・少しではなくかなり、です」
ラルフの嫌味とも取れる発言に、百合恵はつい口を尖らせた。
「しかも兄さんの飲み残しのお茶で味見をしたんだって?」
笑いながら言われたラルフの言葉に百合恵はぎょっとし、アレクの背後に立っているウィルを盗み見た。
ウィルには失敗したとは告げたが、その内容までは言っていなかったのだ。
アレクの飲み残しを飲んだなんて知れたら、さすがにあんなに優しい態度はとらなかったかもしれないと思うと、百合恵の肩は緊張で縮こまっていく。
ウィルは三人の会話に口を挟む気は無く、普段は会話の内容も聞いてないフリを通すのだが、肩を強張らせながらこちらを気にする百合恵が気の毒に思え、控え目だが安心させるように微笑んでみせた。
ウィルからのお咎めが無いとわかると百合恵の肩から力が抜け落ちた。
アレクとラルフもまたその様子を見て小さく微笑んだ。
「兄さんは今週は特に出かける予定はないでしょう?何度か淹れてもらううちに慣れてくるよ」
「またやらせるつもりか」
アレクとしては慣れないことをさせるのは可哀想だと思い言った言葉だが、百合恵はアレクからの拒絶と受け取り目を伏せた。
「心配しなくても大丈夫だよ。ユリ、練習してみるならメイリー夫人に頼んでおくよ」
先程のアレクの拒絶に一旦は落ち込んだ百合恵だが、ラルフもウィルも自分を応援してくれているような気がして、百合恵はラルフの言葉に頷いた。