十七話 恋する血
「お食事のご用意ができました」
ラルフと二人の空間に居心地の悪さを感じ始めた百合恵はその声に安堵した。
これ幸いと扉に向かおうとする百合恵を見てラルフが苦笑したのを百合恵は気付かなかった。
「あ・・・」
廊下の途中でアレクと出くわした百合恵はつい声を掛けようとしたが、冷めたアイスブルーの瞳を見ると何と言っていいかわからなくなってしまう。
ラルフと並び歩くアレクの後ろ姿を見つめながら、百合恵は気の利いた言葉ひとつ思いつかない自分に落ち込んだ。
三人で食堂に入っていき、朝と同じように着席すると、食事が運ばれてくる。
ここでは「いただきます」の挨拶はなく、食事前の祈りもない。
皿が運ばれてきたら冷たい物は冷たいうちに、温かい物は温かいうちに食べるのだ。
アレクとラルフがすぐに食べ始めたのを見て百合恵は疑問が浮かんだ。
二人の両親はどうしているのかということだ。
今日のラルフとの勉強会でグランヴィル家は家族揃って食事をすると聞いたが、今朝は見かけなかった。
アレクに話しかけるきっかけを見つけた百合恵は思い切って声をかけた。
「あの、ご両親を待たなくてもいいのですか?」
「・・・両親は領地にいる。ここには我々だけだ」
質問に答えるまでの間、アレクは百合恵を見て動きを止めたので、聞いてはいけないことだったのかと百合恵は内心焦っていた。
だが次のアレクの言葉で、ただ百合恵の質問の意図がわからず考えていただけだと知って安堵した。
「ラルフ、午前中に両親のことを話しておかなかったのか?」
「ああ、急いで教えるほど関わってくることもないかと思ったから。ちょうどいい、兄さんから説明してよ」
アレクはお前の仕事だろうと言わんばかりにラルフを睨んだが、ラルフは何処吹く風で食事を進めている。
アレクは軽く溜息をつくと百合恵に向かって説明を始めた。
「私に爵位を継がせた父が、母の待つ領地で隠居生活を始めたのは六年前のことだ。本来、父が持つ爵位を生前に受け継ぐことは出来ないのだが、精神疾患という理由で許可が下り、表向きは領地で療養していることになっている」
「そんなに大変なことが・・・」
父親が精神疾患とは、立ち入った話をさせてしまい、百合恵はなんと感想を述べていいのかまたも言葉に詰まってしまった。
そんな百合恵を見てラルフはクスクスと笑っている。
「そんなに困った顔をしないで、ユリ。真実はそんなに深刻な話ではないんだから」
「私たちの母はもともと体が弱い人だった。命に関わるほどでもないが、空気が綺麗な所にいる方が楽だと言って社交シーズンもずっと領地から離れなかったのだが・・・父は母に惚れ込んでいて少しの期間も離れ難いと常々零していた。そこで父はある計画を実行したんだ」
アレクは一旦言葉を区切り、当時を思い出すかのように遠い目をした。
ラルフは笑いを堪えきれず肩を震わせている。
「王宮主催の盛大な夜会に参加した時のことだ。参加者がほとんど揃った頃、突然父が発狂したんだ。母の名を呼びながら奇声を上げ歩き回り、終いには柱を母と間違えて抱きつく始末だ。一緒に参加していた私たちも訳が分からず、騒ぐ父を無理矢理馬車に押し込めて帰ることが精一杯だった。その半月後、特別措置により私が爵位を継ぐことになり、父はすぐに領地へと発った」
「それって・・・」
百合恵はなんとなく話が読めてきた。
「ああ。父はこうなることを見越して一芝居うったんだ。自分の名誉より母と共に過ごすことを選んだらしい」
「まあ、それをやっちゃう父も父だけど、母もなかなか我儘なんだよ。体のこともあるだろうけど、半分以上は社交嫌いだから領地へ篭ってるんだよ、あれは。母も父のことは大好きだしね、あの芝居を示唆したのは母だと思うね」
「なんと言うか、情熱的なご両親ですね・・・?」
百合恵の感想に、アレクは溜息を零し、ラルフは肩を竦めた。
普段のアレクの様子からはそんな両親がいるなんて想像もつかなかった百合恵だったが、そう言えばアレクが百合恵の世界から消える直前に熱い想いをぶつけてくれたことがあったと思い出した。
アレクのそういう面は両親から受け継いだものかもしれないと思うと、百合恵はグランヴィル家に親しみが持てる気がしてきた。
アレクから無視されることなく会話することができて、百合恵の気分は上々だ。
午前中は自分の立場や今後のことを考え不安になっていただけに、その喜びは大きかった。
昼食後、一人で庭を散歩しながらアレクの声や姿を思い出し楽しんでいた。
立派な庭園は歩き甲斐があり、アレクのことを考えながら好きなだけ歩いた。
やがて気分が落ち着いてくると足の疲れを感じるようになったため百合恵は部屋に戻ることにした。
部屋に戻ると直ぐに今朝と同じメイドがやって来てお茶を淹れてくれた。
庭を歩き回って喉が渇いていたため、それはとても有難かった。
「あーっ美味しい。喉が渇いてたからちょうど良かった。ありがとうございます」
「それはようございました」
「あの、今朝もお世話していただきましたよね?お名前をお聞きしても?」
「アリスと申します、お嬢様」
お嬢様と呼ばれ百合恵は戸惑った。
本当はそんな大層な人物ではないのに嘘をついているようで落ち着かない。
「できればユリと呼んでいただけると嬉しいんですけど・・・」
「かしこまりました、ユリ様」
お嬢様呼ばわりよりマシだと思い百合恵は頷いた。
アリスが退室し、しばらくすると扉を叩く音がした。
「どうぞ」
扉を開けて入室してきたのは執事のウィルフレッドだった。
「ユリ様、今はお時間がございますか?」
「はい、暇ですけど」
「では、宜しければアレクシス様にお茶をお持ちしていただきたいのですが」
「えっ?!」
驚いて目を見開いた百合恵のことは気にせずウィルは言葉を続けた。
「ラルフ様よりアレクシス様のお茶の準備はユリ様にお任せするようにと仰せつかっております」
「ラルフさんが・・・」
百合恵の頰にサッと朱がさした。
ラルフは百合恵の恋心を知っているのだ。
百合恵ははっきりとは口にしていないものの、百合恵がこちらの世界に来た時にアレクに抱きついて泣いたのを見ているのだから、気付いて当然だった。
ということは、これはきっとラルフからの応援だろう。
百合恵がアレクと親しくなるキッカケを作ってくれたのだ。
ラルフはこれまでも何かと百合恵がアレクと会話できるように仕向けてくれていたのだ。
「いかがなさいますか?」
「・・・やらせていただきます」
ラルフがくれたチャンスに百合恵は手を伸ばした。




