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その愛を覚えてる  作者: 桃花の宮
第二章 あちらの世界
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十六話 戸惑い

ラルフの部屋に呼ばれた百合恵は、ひとまず日常生活について学ぶことになった。

いくら異国人設定とは言え、あまりに無知を晒して恥をかくことも怪しまれることも避けたい百合恵にとっては有難いことだった。

百合恵の希望で、ラルフは朝目覚めてから夜眠りにつくまでの様子を詳しく話して聞かせた。


朝は目覚めに一杯のお茶をいただいくことから始まる。

それから洗顔を済ませ、使用人と服を選び着替える。

朝食はそのまま部屋で一人摂ることもあるが、グランヴィル家はできるだけ家族と食堂でとっている。

朝食後は男性なら乗馬や鍛錬など体を動かしたり、領地経営に関する執務をしたり、社交上の手紙を出したりする。

女性の場合、女主人ならお茶会の企画をしたり、女中頭から邸内の様子の報告を受け指示を出したりしている。

年若い娘はダンスのレッスンや外国語のレッスンを受けたりしているが、それ以外の令嬢は朝食はとらずにゆっくり寝ていることもある。

午前中は男女共、邸内で過ごすことが多いが、昼食後の時間は社交に向けることが多く、友人や恋人のもとへ赴いたり、お茶会を開いたり、買い物や散歩に出たりとそれぞれ自由に過ごしている。

夜に予定がない日は家族揃って夕食をとったあと、お酒を飲みながら語らうこともあれば、部屋でゆっくりと過ごすこともあり、日によって様々である。

夜会がある日は夕方にお茶とケーキや軽食をとり、そのあとは衣装選び、髪形やメイクを整え、入念な準備をする。

夜会では顔を広めること、仲を深めることがメインで、情報収集の場であり、独身者の場合は結婚相手を探す場でもある。

踊ったり、軽食をとることもできるが、一通り挨拶が終わればいつ帰ってもよいことになっている。

帰宅後は使用人に手伝ってもらい入浴、就寝の流れである。


「一日の流れはわかったかな?」


ラルフは百合恵の今までの生活習慣がわからないため、当たり前と思えることも説明しておいた。


「まあ今のところユリを社交や夜会に連れ出す予定はないから、何日か過ごすうちに生活の流れは掴めてくるはずだし焦って覚える必要はないけどね」


ラルフはそう言ったが、やはり何も知らないで過ごすのは余計な緊張を生むため、百合恵は詳しい説明を嬉しく思った。

そして気になっていることも聞いてみた。


「私の生活とはかなり違うので教えていただいてよかったです。あの、男女の立場の差はありますか?」

「貴族のことを言えば、女性の爵位継承は男児がいない時しか認められないし、社交の場では女性優位に扱うけど領地経営など仕事関係からは締め出している。貴族以外でも例外はあるにしろ女性が仕事を持つことは好まれない傾向にあるね」


百合恵の予想通り女性が独り立ちするのは難しい様だ。

こちらでの生活はアレクとラルフの好意によって成り立つ百合恵にとって、女性にも職があるかどうかは気になるところだった。

ラルフは百合恵がこちらに来てからずっと親切に接してくれているが、その理由を「面白そうだから」と言っていた。

そんな彼に頼り切るのは百合恵には危うい気がする。

アレクが百合恵を屋敷に置いてもいいと判断したのはラルフがそうしたいと言ったからだろう。

ラルフが百合恵に興味を失い追い出すと言い出したら、アレクは反対しないだろうと百合恵は思う。

アレクが百合恵を思い出さない以上、自分の立場は不安定なものだと感じている百合恵は、早くこの生活に慣れて屋敷の外に出してもらえるようになりたいと思った。

外の世界で百合恵が出来そうなことを探し、もしこの屋敷を追い出されても生きていけるようにしておきたいと百合恵は考えていた。

アレクやその家族に頼らずに自分を支えられるようになってこそ、百合恵はアレクから対等に向き合ってもらえるのではないかと考えていた。

今のままではダメだ、このままの自分ではダメだと百合恵は感じるようになっていた。


「ユリは働きたいの?」


眉を曇らせた百合恵に気付いたラルフから声をかけられ、百合恵ははっとして取り繕うような笑みを浮かべた。

女性が働くことを良しとしていない風潮があることを聞いた後では「働きたい」と言うのは躊躇われた。

返答に迷い瞳を揺らせた百合恵を安心させるようにラルフは口を開いた。


「俺はそういうことに偏見を持っていないよ。みんながみんな同じ意見を持ってるわけじゃないから安心して。俺は仕事なんて男女問わずそれが好きな人や得意な人がやればいいと思っているしね。兄さんも不愛想だけど、女性だからと言ってその人の考えを蔑ろにはしないよ。もし興味があったらいつでも言って」

「・・・ありがとうございます」


ラルフの言葉は百合恵にとって有難いもののはずだったが、百合恵は素直に受け取ることができなかった。

自分の立場はラルフの気持ちひとつで決まるという思いから、ラルフに素直に心を開けず、百合恵はラルフをどこまで信用していいのか窺うようになっていた。


そんな百合恵の心情を見透かすように、ラルフの翡翠色の瞳は百合恵を真っ直ぐに見ていた。


「ユリ、不安かい?」


その通り、百合恵は不安だった。

アレクが自分を忘れていることも、こちらの慣れない生活も、いつ追い出されるかもしれない境遇も、何もかもが不安だった。

そしてそんな弱い自分を他人に知られることすら、今の百合恵にとっては不安だった。

例えば毎朝やると決まったラルフとの勉強会で、理解力のある自分を見せれたら、出来る人間として評価され、追い出される可能性が減るのではないか。

逆にそれが出来なければ、使えない人間、面白味のない人間として追い出されるのではないか。

そんなふうに考えるほど百合恵は無意識に自分を追い込んでいた。

百合恵はそれに気付かず、ただ頑張ろう、頑張ればなんとかなると自身を鼓舞していた。

ここでラルフを頼り相談すれば、百合恵に合った働き方やそのために必要な情報を教えてくれるかもしれず、百合恵の不安の一部は解消するはずだ。

だが百合恵は弱さ故に頼るという選択肢を選ばなかった。


「違いが多すぎるので、すぐに覚えられるかわからないですけど頑張ります」


固い百合恵の様子にラルフは気付いていたが、そのことには直接触れずに話題を変えることにした。


「ユリの世界での生活のことを教えてくれる?あらかじめわかっていた方が、こちらの事も教えてやすいから」


百合恵はラルフの世界にはない自分の日常を話して聞かせた。

ラルフは興味深そうに瞳を輝かして相槌をうつ。

その様子につられ、百合恵は話さないでおこうと思っていた仕事の話までしてしまった。


「私の世界では男女問わず働くことが当たり前なんです」


つい言い訳のような言葉を百合恵は口にした。

ラルフは百合恵が働いていたことや、百合恵の世界では女性が仕事を持つことが当たり前だということに驚きや蔑みの表情を見せなかった。


「ユリは仕事が好きだった?」

「え・・・。そうしないと生活できないから。結婚もしていないし」


ラルフの質問に百合恵は面食らった。

百合恵の仕事は中堅企業の事務で、営業職は自分には向かないし専門的な知識もないので消去法で選んだ仕事だ。

少しでも名の知れた会社で自分にもなんとか出来そうな仕事を選んで就職活動をして、十数社受けて内定をもらえたのは今の会社だけだった。

好きかどうかで選んだ訳ではないし、自分の代わりはいくらでもいると思えば仕事に誇りを持てる訳でもなかった。


「ユリは結婚してたら働いてはいなかった?」


ラルフの質問に百合恵は戸惑うばかりだ。

百合恵は仕事が大好きな訳ではないし、寿退社に憧れてもいる。

結婚相手に養ってもらえるなら辞めるかもしれない。


「いえ…たぶん仕事は続けるかな…」


だが百合恵が答えたのは内心とは違うものだった。

百合恵の同僚や女友達のあいだでは、はっきり口にしなくとも専業主婦を見下しているような雰囲気があるのだ。

自分は専業主婦になりたいと思っていたが、みんなのように結婚しても働き続ける方が正解な気もする。

相手に頼らず頑張り続ける方が人として褒められるのではないか。

それにこちらの世界ではアレクとラルフに追い出された時の保険として、仕事を持っていた方がいいと百合恵は考えている。

ラルフは女性が働くことへの偏見は本当に無さそうだし、ここの常識に合わせて仕事に興味がないふうを装うよりも、仕事へのやる気を見せた方が今後のためになるのではないか。

百合恵はそう考えて、仕事を続けると返答したのだ。

本音と常識と打算が混じり、迷った気持ちのまま言葉にしたので、それが口調に表れてしまったが。


「ふぅん…。なんだか複雑だね」


ラルフの言葉の意味が百合恵にはわからなかった。

ただラルフの澄んだ翡翠色の瞳が百合恵の弱さや矛盾を見抜いているようで居心地が悪かった。


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