十四話 これから
「じゃあ、ここからはあなたのこれからの話だけど、元の世界へ戻るまではこの家で面倒を見るよ」
「ラルフ・・・なにを勝手なことを」
完全には百合恵の話を信じてはいないものの、ひとまずアレクが納得した態を見せたため、話題は百合恵の今後について移った。
どこか喜々として話を進めるラルフに、アレクが渋面で反論しようとする。
「だって兄さんはあちらの世界では彼女にお世話になったらしいし?だったら今度はこちらが面倒を見てあげるのが常識だと思うけど」
「あちらの世界に行ってもいないし、世話になってもいない」
アレクの頑なな態度にラルフは眉を下げた。
「駄目なら俺の会社の空き部屋に住まわせてあげてもいいんだけど・・・。それだと女性は身の回りのこととか不便だろうし、なによりこちらの生活に慣れるまでは屋敷から出ないほうがいいと思うんだ」
ラルフの困ったような表情にアレクが弱いのを見越しての仕草だ。
そしてアレクはラルフの言い分の正しさをわかっている。
「・・・おまえが面倒を見るんだろうな」
「もちろんだよ。そうだな・・・彼女は見聞を広げるために遠い異国からやって来た俺の取引先のお嬢さんで、わが侯爵家でお預かりすることになった、というのはどう?そうすれば俺が側について色々教えてあげることもできるし、わからないことがあっても生活習慣の違いのせいだと誤魔化せる」
無言で了承の意を示したアレクは今日何度目かのため息を零し、嫌な予感が当たったと独りごちた。
アレクの了承を得たことに満足したラルフは、それまで兄弟の会話に口を挟めず成り行きをじっと見守っていた百合恵に向かって話を振った。
「聞いての通りだよ。あらためまして、俺は弟のラルフ・グランヴィル。よろしくね、ユリエ・・・ちょっと発音しにくいな。ユリと呼んでも?」
「はい、ラルフ様」
たしかにラルフがユリエと発音すると「ユリ~エ」みたいに間延びして、慣れないとくすぐったい気がしたので、百合恵はユリと呼んでもらうことに同意した。
「ラルフ様か・・・。随分と遠慮したね」
「え?」
翡翠色の瞳をいたずらっぽく細めてラルフは言った。
「はじめは兄さんのことをアレクと親し気に呼んでたのにね」
「あれは・・・その・・・。すみません」
そのことでアレクに冷たく注意された百合恵は、先ほどの会話も意識して様付けするようにしていたのだ。
バツが悪そうに目を泳がせる百合恵にラルフは笑った。
「意地悪で言ったんじゃないんだ。ごめんね。さっきの会話で兄さんを様付けするのに苦戦していたから。俺のことはもっと簡単に呼んでいいよ」
百合恵は上目遣いにラルフの表情をそっと覗き見るが、からかっている様子はなく、ただの親切心のようだった。
「・・・ラルフさん」
「もっと砕けても良かったんだけど・・・」
ラルフがちらりとアレクを見遣ると、相変わらず渋面だった。
「兄さんの呼び名は・・・」
「そのままでいい。私の領域をくれぐれも乱さないように」
ラルフの言葉を遮ったアレクは、百合恵を軽く睨むように見据え忠告すると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
アレクの言葉に身を固くした百合恵は、それでも切なげにその背中を見送っていた。
「兄さんは固い人だからね」
百合恵の心を解すようにラルフは柔らかく呟いた。
そんなラルフに百合恵は曖昧に微笑んだ。
ベタベタに甘く接することはないけれど、静かに優しく愛情を示してくれたアレクを覚えているだけに、今の冷たいアレクの言動が百合恵には堪えるのだ。
「疲れた?もう少し付き合ってもらえるかな?」
「はい、平気です」
その答えにラルフが頷き、屋敷を取り纏めている二人に紹介しておきたいと言った。
ラルフはベルを鳴らしメイドを呼ぶと、執事と女中頭をこの部屋に寄越すように指示を出した。
ほどなくして扉が叩かれ、上背がある若い男性と小柄だが貫禄のある女性が姿を現した。
「執事のウィルフレッドと女中頭のメイリー夫人だ。俺が仕事でいないときは彼らに何でも聞いて」
ウィルフレッドは亜麻色の髪を後ろに流し、切れ長の目をした神経質そうにも見える美青年でアレクと同じか少し上くらいの年齢に見える。
隣に立つメイリー夫人は落ち着いた栗色の髪を後ろでお団子に纏めており、キッチリした印象ではあるものの髪と同じ色の瞳は優しさを醸し出していた。
「ウィル、メイリー夫人。こちらは異国の取引先のお嬢様で、しばらく我が家に滞在しながら見聞を広めてもらうことになった。文化や習慣の違いに戸惑うこともあると思うから、良くしてやってくれ」
「ユリエ・ワタヤです。こちらでは発音しづらい名前のようなので、ユリと呼んでください。お世話になりますが、よろしくお願いします」
日本風にお辞儀をした百合恵に周りの三人は早速戸惑ったが、いち早く気を取り直したラルフはまだ戸惑いを残している二人に笑いかけた。
「このように謙虚なお嬢様なんで宜しく頼むよ。それから少しばかり事情があって彼女はこの通り何も持たずに我が家に来たんだ。彼女の衣類から身の回り一式、急いで揃えてほしい」
その言葉を受けてウィルとメイリー夫人の視線が百合恵の上をすべる。
「ラルフ様、まさかとは思いますが無理を強いたのではありませんわよね?」
「ラルフ様。侯爵家の評判を落とすような行為はお控えくださいと日頃から申しておりますのに・・・」
口々にラルフを責め始めた二人を見て、百合恵は自分の態度に問題があったのかと身を固くした。
その変化に気付いたラルフは百合恵の背に手を置き「勘違いだよ」と微笑みを見せた。
「二人とも勘違いしないでくれよ。ユリがガウン姿なのは口には出来ない事情があるんだ。・・・俺が無理やり手を出したとかじゃないから心配いらない。このことは兄さんも知っているし、許可も出ているんだ」
ラルフを疑いの目で見ていた二人は、当主であるアレクも既知のことであると知ると大人しく引き下がった。
出来る使用人は事情を詮索せず働くんじゃないのかと、ラルフが小声で零すのが聞こえた百合恵は小さく笑った。
ラルフはそれを見て口元を緩め、百合恵と二人で笑いあった。