一話 出会い
今日はいつにもまして蒸し暑い。
もうすぐ7月。
まだ梅雨時期だけど、今週は雨が降っていない。
定時で仕事を終え、満員電車に揺られ、自宅までもう少し。
この壁のようにもみえる急な坂を上りきれば、私のお城・築23年の賃貸マンションが待っている。
ちなみに1LDK(内装リフォーム済)だ。
本当はローラアシュレイのカタログに載ってるような部屋にしたかったんだけど、予算の都合上、格安通販サイトでそれっぽい家具を購入した。
それでも私のお気に入りの部屋なのだ。
急坂を上り切って、さらに汗ばんできた。
いつもは節約してるけど、今夜は冷房をつけようかな。
駅から徒歩10分の道のりにバテつつ、いつも通り郵便受けを確認してから部屋に向かう。
やっとパンプスから解放された足にホッとする。
ここまではいつも通りだった。
だけど。
部屋の電気をつけたときに異常に気づいた。
「~~~~~~~っっっ!!」
誰かいるっ!
中綿がヘタったせいで購入当初より若干座り心地が落ちた二人掛けソファに、考える人ポーズで座ってる不法侵入者がいる。
驚きと恐怖で声が出ない。
足が震えて動けない。
大声で助けを求め逃げるという、己の身を守る行動をとれない残念な私。
不法侵入者はゆったりと立ち上がり、こちらを見据えてくる。
この人、ただの不法侵入者ではない・・・。
外人だ・・・しかもコスプレの。
艶やかなブラウンの髪に、アイスブルーの瞳。
日本人じゃありえない彫りの深い顔立ちだけど、あつくるしい感じではなく端正というか上品というか、一言でいえば美形なのだ。
うっかり中世ヨーロッパの貴族風コスプレが似合っちゃうくらいに。
テレビや雑誌の中なら、カッコいいだの綺麗だの言って見惚れたと思う。
だけど、築23年のマンションに居たら。
突然、無断で、コスプレ外人が居たら、怖い怖すぎる。
「おまえは誰だ。なぜ私はここにいる?」
「・・・ここ、私のうち・・・なんで・・勝手に・・・いるの」
顔に似合わず、流暢な日本語で質問され驚いた。
ビビりすぎて私のほうが片言になってますよ。
コスプレ外人の形の良い眉がピクリと動く。
双方無言のにらみ合いの末(私は怖くて動けなかっただけだが)、相手が目をそらしため息をついた。
「見たところ怪しい奴ではなさそうだ。おまえ自身のことと、この状況を説明しろ」
不法侵入にコスプレという怪しさ満点の外人に怪しまれ、上から目線で命令される私。
そしてそれに従う私、情けなさすぎる。
「綿屋 百合恵です」
ここは私のうちで、仕事から帰ってきたら不法侵入者のあなたがいて驚きと恐怖に苛まれていると説明した。
ついでに金目のものもないことをつけ加えておいた。
「おまえの身なりといい、この部屋といい、窓から見える街並みといい、なにかがおかしい・・・」
悩めるコスプレ外人の話はこうだ。
その日はいつものように自邸で執務をしていたが、午後になると気分転換に外出しようと思った。
疲れていたのだろうか、急にめまいがして階段を滑り落ちて気を失った。
そして目覚めたらうちのソファの上だった。
気を失ったときに何者かに拉致されたかと疑ったが、あのときは自邸であり、そばに執事や使用人が幾人かおり、それは考えにくい。
様子を窺おうと窓に顔をやり、そこから見える風景に驚いた。
自国では見たこともない建物、たまに道行く人もおかしな格好をしている。
自分は不思議の国にでも迷い込んだのかとソファに腰掛け考え込んでいたところに私が帰ってきたらしい。
「・・・ちなみにあなたの名前と国の名は?」
「イグレイン王国、グランヴィル侯爵アレクシスだ」
これはどうしたことだ。
コスプレの役になりきるための設定なのか。
それともコスプレイヤーのなかでは有名な「イグレイン王国物語」というものがあるのか。
「ちょっと失礼します」
一応ことわりを入れて、自称侯爵の上着に触れてみる。
適度に厚みとハリがあり柔らかいし艶もある。
襟や袖もとには金糸の刺繍が施されていて、贅沢ながらも下品な派手さはない。
袖もとからちらりと覗くカフスには宝石が付いているように見える。
ふつうはコスプレにここまでお金をかけれないと思う。
ということは・・・。
「あなた、トリップしてきたっぽいです」