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ログアウトできません

※紛らわしいタイトルですが、ゲーム入り込みログアウト不能系ではありません。普通の現代ものです。



 毎朝、現実にログインする。

 どんなゲームにもルールがあるように、暗黙の了解のようなルールに縛られながら、息をして、ご飯を食べて、講義に出て、恋をする。


和佳わか、FE予約しといたよ』


 バイトから帰ったタイミングで電話をかけてきた晴巳はるみは、挨拶もそこそこに本題に移る。

 欲しいなぁ、って前に私が言っていたことを、この面倒見のいい上の兄はちゃんと覚えてくれていたらしい。まあ、自分の分のついでかもしれないけど。

 下の兄は面倒くさがって予約とかはしないし、晴巳は兄妹で一番のゲーマーだもんね。


「やったー、発売日来月だっけ? いつ取りに行けばい?」

『休日に来てこっちでやってけば?』

「んー、バイトけっこうぎっしり入れちゃってるんだよねぇ」


 卓置きのカレンダーを見ながら、困ったような声で返す。

 生活費は自分で稼ぐって、一人暮らしするとき言ったことを今もちゃんと守ってる。週五以上で入ってるバイトは稼ぎはいいけどけっこう身体に来るんだよなぁ。

 それにFE――ファイアーエルブレムは一日二日でクリアできるようなゲームじゃないし。気になるところでおあずけ食らうよりは、家でちょっとずつ進めたい。


『そっか、じゃあ和佳の都合のいい日でいいよ。誰かしらはいるだろうから』

「なら第二木曜でいいかな。ちょうどバイト入れてないんだ。次の日は一限目から授業あるから、遅くなる前に帰らなきゃだけど」


 平日だし、会社勤めの晴巳はきっと、帰りは遅いだろう。もしかしたらすれ違っちゃうかも。

 母さんがいるだろうから、お金は渡しといてもらえばいっか。


『別にそれまでに帰省してもいいんだぞ? もうちょっとこっちに顔出してよ。最近かわいい妹の顔を見れてなくてお兄ちゃんは寂しいなぁ』

「何言ってんの、二十六にもなって。寂しいなら彼女さんにでも慰めてもらいなさい」

『寂しいお一人さまなんだよ、察しろ』

「オニーチャンはかっこいいからすぐにイイヒト見つかるよー」

『なんだよその棒読みは』


 くすっ、と電話口でも吐息のような笑い声が聞こえる。笑いが取れたならよかった。

 そういえばどれくらい顔を合わせてなかったかなぁ。最後に実家に戻ったのは春休み期間だっけ。GWにはバイト入れまくったから、軽く二ヶ月以上は家族の顔を見ていない。電車で二時間かからないのにね。

 最初の一年は、もっと頻繁に帰っていた気がする。家を出て三年目。実家から離れていることに慣れてきたってことにしておこう。

 バイトが忙しい、っていうのはいい理由になる。別に利用してるわけじゃなく本当に忙しいんだけども。

 私がバイトしてるチェーンのお蕎麦屋さんは、雰囲気は和やかだけれど人使いが若干荒い。ちょっとでも暇ですよーという顔をしているとすぐシフトを入れられる。店長もマネージャーもなかなかやり手みたいだから、しばらくつぶれる心配がなさそうなのは安心だ。


 それから二つ三つまた違う話題に変わって、もうそろそろお風呂入って寝るから、と通話を切った。

 プーッ、プーッ、という無機質な音を聞きながら、思わずため息がこぼれた。大丈夫。大丈夫、だったはず。

 何かやらかしでもしたらその場でリセットかけたくなるけれど、今回はそんなことはなかったはず。

 ちゃんと。ちゃんと兄妹でいられていた、はず。




 人生というひとつのおっきなゲームは厄介なもので、好きなタイミングでログアウトはできない。

 実は本当の兄妹じゃないんだよ、って、ずっと実の親だと思っていた父さんと母さんにカミングアウトされたときも、ログアウトはできなかった。

 高校に入学する春だった。夕食のあと、部屋に戻ろうとした私に、ちょっと座りなさいって声をかけて。家族全員が卓に並んだ状態で。

 一つ上の兄も知らされてなかったようで、はああ!?って思いっきり驚いてた。

 六つ上の兄は、複雑そうに、微笑んでいた。


 私の実の両親が亡くなったのは、私が一歳のときのこと。交通事故で即死だったらしい。保育園に預けられていた私を、迎えに来ようとして。

 両親はお互い一人っ子で、近しい親類がいなかった。遠い親戚ははっきりとは言わないものの、まだ手のかかる赤ん坊の私を引き取るのを嫌がって。

 私の実の父が、父さんの恩師だったらしい。その縁で、施設に入れられそうだった私を、少し強引に引き取ることにしたんだとか。

 中途半端だった反抗期もとっくにすぎたし、義務教育も終わったし、もう受け入れられるだろう、と全部話してくれた。

 施設の子が不幸せかどうかなんて私が決めることじゃないけど、私はこの両親の元で育って幸せだったって、素直に思うことができたから、ひねくれることはなかった。

 でも。

 高校生だって、やっぱり、子どもだった。


「今日も一日お疲れさまでした」


 布団にごろんってして、お決まりの挨拶。これは子どものころからの習慣だ。

 RPGで宿屋でセーブしてゲームを終わらせるときみたいに。オンラインゲームでログアウトするときみたいに。

 この一言で、私は現実のルールから解き放たれる。

 うつらうつらとした意識の中で、思い浮かぶのは、私より二十センチは背の高いおとこのひと。

 生まれつき茶っこい私とは違うきれいでさらさらな黒髪に、いつも見守ってくれていたあたたかい瞳。

 夢の中でなら何をしたって許される。

 ルールは私の空想ゲーム。私はどんな選択肢を選んでもいいし、誰を恋人にしたっていいし、その恋人に何を言わせたってかまわない。


『晴巳、だいすき』


 夢の中なら、そんなことだって言えちゃう。


『俺も大好きだよ、和佳』


 夢の中なら、そんなことだって言ってもらえちゃう。

 『きょうだいはけっこんできません』なんていう、小学生だって知ってるルールだって、夢の中には存在しないんだ。



  * * * *



 家族連れで混む休日も、もちろん横暴な店長によりシフトが入れられていた。まあ特に用事もなかったからいいけども。


「ワカチコ~、何やってんの~」


 休憩時間、同い年のバイト仲間が後ろから抱きつくようにして覗き込んできた。

 くっそう沙耶佳さやかめ、胸を押し当てやがって。自慢か? 自慢なのか?

 ちなみにワカチコは勝手につけられたあだ名だ。沙耶佳以外からそう呼ばれたことはないけど、それを聞いてよく店長がブフッと噴き出している。彼女のセンスはどこかおかしい。


「ツミツミ」

「またゲーム? あんたも好きだね~」

「これはゲーム初心者でも気軽に楽しめるパズルゲームだよ。キャラもかわいいし」


 私はゲームを中断することなく話を続ける。

 同じキャラアイコンをつなげて消していくゲームで、パズダラよりも感覚で遊べるから、高得点を出す楽しみもあるし。

 何よりLINEやってれば登録不要で遊べるから手軽だしね。いい時間つぶしになる。


「やるなら招待しよっか? 特典もらえるよ」

「ん~、気が向いたらね」


 沙耶佳のやる気のない返答に苦笑する。まあ積極的にゲームとかするタイプでもないもんねぇ。

 どっちかというと沙耶佳はゲームよりも本が好きだ。漫画もラノベも文学も、なんでも読むらしい。


「まったく、休憩時間なんだから休めばいいのに」

「ゲームは憩いなんですぅ」

「は~いはい」


 くすくすと笑って、沙耶佳は私の背中からどいてどこかへ行ってしまった。そろそろ休憩が終わる私と違って、休憩時間に入ったばかりみたいだから、ケータイでも取りに行ったのかもしれない。彼氏から連絡が来てるかもしれないものねぇ、ケッ。

 ツミツミのゲーム結果画面をタップしながら、現在ボッチの私はやさぐれる。晴巳のことをどうこう言えないんだよね私も。

 このゲームに誘ってくれたのは下の兄の明斗あきとだ。RPGからシューティング、育成ゲームから狩りゲーまでなんでもやる上の兄とは違って、明斗はパズルゲームと音ゲーくらいしかしない。兄妹の中で、いや家族の中で一番浅いオタクといってもいい。カミングアウト後は少しぎこちなくなったりもしたけど、数ヶ月後には以前と変わらない兄と妹に戻れた。

 そういえば、俺だってツミツミやってたのに、どうして明斗の招待で始めたんだ、って晴巳に拗ねられたっけなぁ。子どもじゃないのに、まったく。……まったく。


 そのまま画面を眺めていると、スマホがブルルッと震えて、LINEの通知が飛んできた。……え?


『今日バイト? 何時まで? 終わったら迎えに行こうか』


 前述のとおり私は今、彼氏なしのボッチ。だからこれは当然彼氏ではないし、今日遊ぶ約束をしていた友だちなんかもいない。

 そして見覚えのある名前とアイコン。いや、見覚えがあるどころじゃないんですけどね。数日前にこの名前から通話来たしね、普段から大学の友だち以上にLINE飛んでくるしね、アイコンは数えきれないほど共闘したネトゲのキャラだしね。

 こういうときに思う。不意打ちの戦闘開始はぜひやめてもらいたい。セーブさせてセーブ。思わずリセットボタンを探したくなる。そんなの現実にないのは百も承知だ。


『迎えに行くってどういうこと?』


 深呼吸を三回。そのあとに返信した。

 既読にしてからそんなに時間はたってないから怪しまれたりはしないはず。


『驚かせようと思って家まで行ったんだけど、いなかったから。適当に外で時間つぶしてるよ』


 そんな驚きはいらない。断じていらない。

 おのれはどこぞのブラウザゲームのびっくりじじいか。心臓飛び出るわ。

 バイトが入ってて心底よかったと思った。ピンポーンって訪ねてきてドアを開いて晴巳がいたら、サンダーボルト食らって一発で戦闘不能になりそうだ。

 深呼吸を四回。大丈夫、大丈夫。


『バイト終わるのは十六時。来ちゃったんならしょうがないから待ってて。別に迎えに来なくていいから』


 電車で二時間近く、車でも一時間以上はかかる距離を、今さら帰れと言えるほど冷血にはなれない。晴巳もそれを見越して事前に連絡しなかったんだろうけど。

 どうしてこんな日に限ってフルタイムじゃないんだろう。せめて夕食時が終わるまでなら、まだ間の持たせ方もあったのに。

 最近はオンラインゲームやブラウザゲームも充実してるから、家には携帯ゲーム機くらいしかない。マリモカートもスモブラもできない。二人でいるのにお互い違うゲームをやろう、っていうのも無理な話だろう。

 というか、なんの用事で来たんだろう、晴巳は。


「おーい、そろそろ休憩終わるぞ。早く準備しろ」

「あっ、はい!」


 マネージャーの声にはっとして、私はスマホの電源を消した。

 バイトが終わってからのことに思いをはせている暇はない。今は仕事だ、仕事。

 三角巾を結び直しながら、意図的に晴巳のことを頭から押し出した。




「……なんでいるの」

「来ちゃった」


 来ちゃった、じゃねぇよ。かわい子ぶんなよ二十六歳。

 バイトが終わって、従業員用出入り口から出たら、出待ちされていた。

 来なくていいって言っただろ。来るなって意味だろ普通に考えて。社会人なら空気読め空気!

 前に晴巳がこっちに来たときに、ちょうど近所に変質者が出たとかって話をバイト仲間に聞いて、迎えに来てもらったことがあった。あのときは助かったけど、場所を知られてるっていうのはこういうときに困るなぁ。


「……なんの用?」


 不機嫌なのを隠しもせずに尋ねれば、晴巳は寂しげに笑ってみせた。


「用がなきゃ会いに来ちゃいけない?」


 頼むからそういうのは彼女に言ってくれ! あ、今いないんだっけ? いやそんなの私に関係ないし!

 はああ、とため息つきつつなんの気なしに足下に視線を落とした。あーあ、数日前に塗ったペディキュア剥がれてる。

 格好だって、バイトで制服に着替えるからってすごく適当なシャツと七分のジーパン。ムダ毛処理がしてあるだけマシかな。

 ……でも、もう少し。

 どうでもいい方向に思考が行ってしまうのを、どうにか目の前の問題に戻す。

 来ちゃったものはしょうがない。しょうがないことにしておく。


「しょうがないので、シスコンな兄貴の相手をしてやろうと思います。夕ご飯食べてくならリクエストをどうぞ」


 決めた。適当に時間をつぶして早くご飯食べさせて帰そう。そうしよう。

 今日の夕飯は適当に家にあるものですまそうと思ったけど、予定変更。好きなもの食べさせておけばごねずに帰ってくれるんじゃないかなっていう下心あり。


「やった。じゃあ麻婆豆腐」


 私が怒らなかったからか、好物が食べられるからか、一気に上機嫌になった。母さんのご飯のほうがおいしいだろうに、変なの。

 麻婆豆腐か。一人で麻婆豆腐を食べるのなんて大変だから、年単位で久しぶりだ。実家でも、帰省したときはいつも私の好物ばかりが出たしね。

 豆腐は絹。味つけは甘め。……覚えてるもんだなぁ。

 中華スープとサラダでも作って、あとは適当に肉でも焼けばいいかな。晴巳はけっこう食べるから、足りるか心配だ。最悪、たくさんご飯を炊いて焼おにぎりとかで嵩増ししよう。


「近くのスーパーで買い物するから、荷物持ってよ」

「お任せあれ」

「何それ、またなんかのキャラの影響?」


 臣下とか下僕っぽい受け答えに思わず笑ってしまう。私相手だと、晴巳はすぐにキャラの真似とかしだすからなぁ。

 イケメンだし、似合ってるけどね。似合ってるからこそおかしくなる。


「和佳が好きって言ってたキャラじゃん。忘れたの?」

「そうだっけ? 台詞とか全部覚えてるわけじゃないからなぁ」

「まあ、和佳はキャラよりもストーリーとかシステムとか、ゲーム自体にハマるタイプだもんね」

「晴巳だってそうでしょ」

「そ、だからFEはほんと楽しみ」

「そうだね」


 それには私も同感だった。シリーズ通して好きなゲームだし、何回でもプレイしたくなる魅力がある。

 ゲーマーな両親に育てられた私たちは当然のようにゲーマーの道を歩んでいて、世間ではオタクだなんだと言われる部類だけど、後悔はしていない。それなりには周りともうまくやっていけていると思うし。

 好きなゲームや気になるゲームが出る前はいつもわくわくするし、そわそわする。無趣味よりは絶対に日々が充実している。

 講義もレポートもバイトもあるから、無茶な集中プレイはできないけどね。

 まあ、それでも社会人の晴巳よりはプレイ時間を確保できるかもしれない。


「あ、お金、今払っとこっか?」

「どっちでもいいけど。とりあえず買い物先にすませちゃおう」


 財布を取り出そうとした私を晴巳は止めた。晴巳の言うことももっともだ。

 今回のFEは二陣営にゲームが分かれてて、別売りだから実質ソフト二本買うのと一緒だもんね。手持ちで払えるかどうかちょっと不安だったんだ。


「麻婆豆腐以外に食べたいものがないなら、適当に作っちゃうけど、それでいい?」

「うん、和佳のご飯ならなんでもおいしいだろうしね」


 人好きのする笑みを浮かべて、晴巳は過剰に褒めそやかす。

 実家にいたときから母さんの手伝いをしていたし、高校生くらいになると一品二品作ったり、母さんの調子が悪いときは私が作ったりもしていたし。今回みたいなことも初めてではないから、晴巳は私の料理の腕前を充分に知っているはずだ。

 そこまで褒めるほど上手というわけではなく、家庭料理はそれなりに作れる程度。ごくごく一般的、だと思う。

 もしかして、あげてごまかす作戦だろうか。用はないみたいに言ってたけど、実は頼みごとがあるとか?

 ……ほんと、どんな理由で会いに来たんだか。


「褒めたって材料費は請求するからね」


 素直に喜びを表現できない私は、女子失格なのかもしれなかった。




 料理はなんとか失敗することなく作れて、晴巳はそれをおいしそうに食べてくれて。

 そんな姿を見てちょっとうれしくなっちゃったりもして。いやいやいやと浮き立ちそうになる心を引き戻して。

 食後、いたって和やかにお互いの近況報告なんかしたりしつつ、話の流れで予約してもらったゲームの代金を支払おうとして。

 晴巳から示された金額は、どう考えてもソフト一本分だった。


「値段、間違ってない?」

「間違ってないよ。俺と和佳で一本ずつ」

「はい?」

「俺と和佳で、片方クリアしたあと交換すればいいでしょ?」


 なんでもないことのようにそう言われて、私はポンコツPCのようにフリーズした。

 ソフトを、交換するためには。

 私が一度あっちへ行くか、晴巳にこっちまで来てもらわないといけない。

 片方をクリアするまでにどれくらいかかるかはわからない。一回クリアすればそれで満足できるゲームでもないし。

 それでも、あまり間を空けずに実家に戻らなければならないことには変わりない。

 家族との縁を切りたいわけじゃない。定期的に実家に顔を出すのはかまわない。

 ただ……それはなるべく、少ない頻度でありたかった。


「……私、両方買い取るよ」

「それだと俺がゲームできないじゃないか」

「じゃあ、私はあとででいいから」

「それは俺が心苦しい」


 困ったように苦笑する晴巳に、罪悪感を覚える……ようなことはない。

 私は知っている。晴巳はそんな殊勝な性格をしていない。

 いつも、控えめな好青年の顔をしながら我を通す。自分が是としたものを譲らない。

 彼は子どものころからそういう人間だった。


「……晴巳」

「ん?」


 首をかしげる晴巳は、一見ただのいいお兄ちゃんにしか見えない。

 わざとだよね? と、聞いてしまうのはたやすい。でもそうしてしまった瞬間、ルートは望まない方向に一直線だ。

 リセットの利かない現実世界でバッドエンドは避けたい。

 どうにか、ごまかしてしまいたい。なあなあですませたい。

 なのに、晴巳の瞳はまっすぐ私を捕らえて、逃がしてくれない。


「ねえ、和佳」

「……何」

「好きだよ」

「っ!!」


 心臓が止まるかと思った。

 なのに現実にはバックンバックンと大きな音を立てるし、全身に血が巡って勝手に体温が上昇していく。


「って言ったら、和佳はどのゲームのキャラに変換するのかな」


 晴巳は口端を上げて笑みを作る。

 たしかに笑っているはずなのに、怒っているような、泣いているような、なんとも複雑な表情に見えた。


「和佳は、とっくに知ってるんだよね、俺の気持ち」

「……知らない。なんのこと、気持ちって」

「この期に及んでごまかそうとするんだから、まったく」


 はぁ、とため息をつかれて、ビクリと肩を揺らしてしまう。

 ため息の音だけでわかってしまったから。彼が苛ついていることに。

 どんな言葉が飛んでくるのか、こわい。兄妹という関係が崩れてしまうかもしれないことがこわい。……でも、嫌われるのも、こわい。


「いい加減、認めちゃえばいいのに。俺のことが好きだって」

「晴巳!!」


 それ以上は聞きたくなくて、鋭い声を上げる。

 両手で耳をふさいでソファーの上で縮こまった。

 こわくて、こわくて、もう私はここから一歩も身動きができない。


「やめて……やだ……っ」


 ごめんね、という声が耳の裏でリフレインする。

 すきなひとがいるんだ、と。ずっと傍で見てきて、妹みたいに思ってたんだけど、いつのまにか好きになってたんだ。

 高三の夏。勉強を見てもらおうと晴巳の部屋に行ったときに、偶然聞いてしまった。

 電話の向こうにいたのはきっと晴巳の友人だろう。勇気を出して告白して、振られて。好きな人がいるから、と。

 かわいそう、なんて思う余裕はなかった。

 晴巳にも好きな人とかいたんだ。そうからかえるくらい、鈍感でいられればよかった。

 それまではっきり告げられたことはなかった。たまに違和感を覚えることはあったけれど、それもかすかなものだった。

 血のつながりがなくても、ただの兄妹でいられると思っていた。ただの兄妹でいようと、ずっと気持ちをセーブしてきて。大丈夫だと、そう思っていたのに。


 彼は私のことが好きなんだ、と気づいてしまって。

 隠していた気持ちが、一気にあふれ出しそうになって。

 だから逃げた。家から離れた大学を受験して、一人暮らしをして、少しずつ実家に戻る頻度を減らしていって。

 だって私は和佳だ。和をしとする。実の両親からもらった唯一の名前もの

 血の繋がっていない私を受け入れてくれた家族を、ただあたたかいだけの関係を、壊しちゃいけない。

 晴巳もそれを許してくれたんだと思っていた。いくつか候補をしぼった大学から、ここを勧めてくれたのは晴巳だったから。

 私と同じように、晴巳も、想いは胸に秘めて、兄妹でいてくれるんだと、思っていたのに。

 どうして、今になって、こんな……。


「いいよ、まだ猶予をあげる」


 ふ、と。晴巳のまとっていた空気がやわらかいものに変化した。

 おそるおそる手を外して、顔を上げると、晴巳は聞き分けのない子どもを見るような目をしていた。

 さっきまでの緊迫感や、追いつめるようなまなざしの強さはどこにもない。

 思わずほっと息を吐くと、にこりと笑って晴巳は口を開いた。


「俺ね、来年度から本社勤務になると思う」

「へ?」

「俺の会社の本社、知ってる?」


 聞いた覚えがなかったので、素直に首を横に振る。

 でも、そうか。晴巳も家を出るのか。

 もし本社が遠いなら、今まで以上に顔を合わせる機会は減るだろう。

 寂しい、と思ってしまう恋心を、無理矢理押し込む。


「実は、ここからそんなに離れてないんだよね。こことは駅を挟んで反対側だけど、最寄り駅は一緒だし」

「……!!?」


 驚きの新事実に、私は声を失った。

 駅の向こう側に大きなビルがいくつも建っていることは知っていた。大学はここから歩いて行ける距離だから関係ないし、駅を利用するときにでっかいなぁと眺める程度だったけれど。

 まさか、あのビルの中に晴巳が働いているところの本社があったなんて。

 何度でも言いたい、こんな驚きはいらないと。勘弁してほしいと。


「もしそれまでに和佳が認めてくれたら、ひとまず同棲っていうのもいいなぁって思うんだけどね。まあ、和佳が大学卒業するくらいまでは待てるよ」


 いやいやいやいやちょっと待ってくれ、勝手に話を進めないでくれ。

 なんだ同棲って、なんだ大学卒業するまではって。

 私たち兄妹だよね!? そりゃあ血はつながってないけど、法律上結婚もできるけど、世間一般的にあまり恋や結婚をするには適さない関係だよね!?

 今まで私が悩んできたことは、いったいなんだったの!?


「和佳の悩みや葛藤もわかるつもりだけど、俺はもう吹っ切れたから。あとは和佳の気持ち次第だよ」


 優しい、兄の顔をして、晴巳は私の頭をなでた。

 兄の顔なのに、そのはずなのに、うるさいくらいに心臓はがなり立てていて、落ち着かない。

 このドキドキが、決定的に、兄妹のルートを外れてしまった証左のようで、泣きたくなってくるのに嫌だとは思えない。


「俺の気持ちは、ちゃんと俺の言葉で告げるから。和佳もちゃんと、受け取ってね」


 それはそれは、イケメンに似つかわしいきれいな笑み。

 ぐらぐら、世界が揺れる。『じしん』は飛んでる敵以外、つまり私にも大ダメージだ。

 今まで積み重ねてきたものが、揺るがされる気配。恐ろしいのに、逃げられないかもしれないと悟ってしまった。

 そもそも逃げたいのかどうかも、はっきりしないのだからなおのこと恐ろしい。



 もしやり直せるなら、リセットボタンを押して、高三のセーブポイントまで戻って。

 親切な兄の顔をしながら自分にとって都合のいい助言をする晴巳を丸っきり無視して大学を決めて、今よりもっと上手に、それこそ強くてニューゲームみたいに無双するのに。

 でも、現実ではセーブなんて利かないし、二周目なんて存在しないし、攻略本だってどこにもない。

 こんなときこそ、現実をログアウトして夢の世界に逃げたいくらいなのに。


 どうにもこの現実は私に対してハードモードのようで、ログアウトできそうにありません。








「晴巳のキャラ真似って、もう癖だよねぇ」


 くすくす、と私はこらえきれない笑みをこぼす。

 自分の言葉で、なんて格好つけていたはずの晴巳は、やっぱり会うたび何かしらのキャラの真似をする。今もそう。

 記憶にある限り、小学生くらいのときからそうだったんだから、一生直らないんじゃないだろうか。

 笑い転げる私を横目に、晴巳はこれみよがしにため息をついた。


「ああ怖い怖い、俺をその道に引きずり込んだ張本人が無自覚だなんて」

「何それ?」


 私が首をかしげると、晴巳は複雑そうな微笑みを浮かべた。


「気づいてなかったんだ。俺が真似するキャラって、いっつも和佳の好きなキャラだよ」


 そういえば、思い返してみればそうかもしれない。

 ゲーム自体にハマるタイプとはいえど、どのゲームにだって好きなキャラの一人や二人はできる。

 主命で圧し切るの人とか、六本の刀でレッツパーリィする人とか、分岐を失敗すると壮絶な死に方をする某アホ神子とか。

 他にもたくさんたくさんいるけど、うん、たしかに。晴巳が今まで真似してきたキャラとぴったり一致する。


「最初はフカシギダネだったかな。プリルとかトゲビーとかもそうか。我ながらがんばったよなぁ」

「そんな昔のこと言われたって……」


 懐かしい、懐かしすぎる。

 あのころはまだ積極的にゲームをプレイすることはなくて、晴巳がやってるのを後ろから覗きこんでたりしたなぁ。

 晴巳の鳴き真似は迫真の演技だった。芸の一つに数えてもいいんじゃないかってくらいだ。


「俺がモノマネすると、和佳は必ず笑ったんだ。泣いてても落ち込んでても、ケンカしてるときだって」

「そうだっけ!?」

「そうなんですよ。だから俺も味をしめちゃったわけ」


 え、そんなの知らない!

 子どものころは単純に好きなモンスターとかキャラみたいでうれしかったし、ある程度大きくなってからも妙に似てるモノマネは楽しくもあったけど。

 毎回? 必ず? そんなの自分で覚えているわけがない。


「今だってやっぱり和佳は笑ってくれる。そしたら、笑顔見たさにキャラ真似したくもなるってもんでしょ?」


 優しいまなざしを注がれて、じわじわと頬が熱くなっていく。

 ……そうだね、今も笑っちゃったところでした。

 晴巳のキャラ真似のルーツが私にあったなんて、びっくり。

 びっくりなだけじゃなくて、うれしいって思っちゃうのが、悔しいところだ。


 でも、晴巳はわかっていないんだなぁ。

 きっと、私がいつも笑顔になるのは、好きなキャラだからじゃない。

 それが晴巳だからなんだって。


 今はまだ、言える勇気はないけれど。

 いつか、私の気持ちを全部、伝えられる日が来たら。

 そのときは、ちゃんと晴巳の言葉で応えてくれることを、こっそり願っておきましょうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初見です。兄妹モノは久しぶりにモエました。 マリモカートもなんだか楽しそうですね。 ウサギちゃん、ご馳走様でした。
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